第7話
夜中に帰ってきて、それからシャワー浴びて眠りについた。なのに、朝の7時ごろに目が覚めた。遅くまで酒を飲んだ次の日は、どうしても眠りが浅くなる。歳を重ねると尚更感じる。
何も無い休日に早起きしたところで、することが無いのだから暇なだけ。カーテンを開けて、またベッドに横になる。ダラダラとスマートフォンを見るだけの虚無の時間を過ごしているうちに、また浅い眠りにつく。
次に目が覚めたのは、電話の音でだった。スマホの画面に表示される番号には見覚えはない。時刻は9時を回っていた。
「はい、もしもし?」
電話はあまり得意ではなかった。新卒の頃とか取るだけで緊張してたし。だが仕事で腐るほど使うから、寝起きで声を作るのぐらい楽勝だった。目を擦りながら欠伸を噛み殺す。
「――え」
その相手は警察。ポリスであった。あまりにも想定外の展開。一瞬で目が覚めた。慌てて体を起こす。
身に覚えのない罪を着せられるのかと、ひやひやした。当然心当たりは無い。無いけれど、桃ちゃんの件がある。世の中何があるか分かったもんじゃないから。
「え、あ、そう……ですか」
そんな心配は杞憂に終わる。用件は全然違っていて、俺の免許証が落とし物として届いているという。
話しながら、財布の中身を確認すると確かに無くなっている。どこで落としたのか全く記憶に無い。落ちていた場所のことを尋ねると「コンビニのすぐ側」だと教えてくれた。
すぐにピンと来た。昨日タバコを吸った時だ。買い物をして財布を開いた時に落としてしまったのだろう。免許証なんて個人情報の塊だ。こんな早くに届けてくれた善意が、素直に嬉しかった。
と、言っている場合では無い。落としたことは反省しなきゃいけない。悪用される危険性が高いだけに、相手の警察も割と重い口調で注意するよう言う。休日なのに説教されるのは気が滅入るな。自分が悪いんだけど。
「はい、はい……分かりました。午前中のうちに伺いますので」
近くの交番で保管しているとのこと。することが出来て良かったね、なんて気にはなれない。そのまま電話を切って、盛大にため息をついた。
踏んだり蹴ったりだ。この一ヶ月。桃ちゃんに熱愛疑惑が出て、辞めたいと言われ、休養期間は当然音沙汰無し。自分が何のために生きているのかすら分からない。生きたくはないが、死にたくもない。そんな都合の良い考えのままダラダラと生きていくのだろう。
昨日コンビニで買っておいたレンチンの焼き魚とおにぎりを一個。特に何も考えず掻き込んだ。交番までは自転車で10分も掛からない。電車で行くほどの距離でもない。
アルコールが少し残っている感じがした。これで自転車で来たのがバレたら、それこそヤバい。行く場所が悪すぎる。仕方なく歩くことにした。
昨日から歩いてばかりだ。筋肉痛になってるかと思ったが、そうでもない。これで2日後ぐらいになって痛みだすのだ。歳を取ったと痛感する。
「暑っ………」
そう漏らしてしまうぐらいの熱気だった。まだ朝の10時前だというのに、これだと帰りはもっとマズイことになりそうだ。無心で足を回転させる。ゆっくりと。
交番に着いた頃には、すっかり汗に濡れていた。カバンから取り出したタオルで拭き取って、一応髪が乱れていないか確認する。顔に似合わないぐらいの直毛が虚しい。
中は驚くほど涼しかった。冷房そのものの温度は低くないと思うが、汗をかいているせいでよく冷える。しばらくここに居たいぐらい。
だが、この中は独特な雰囲気をしている。立っているだけで気が疲れる。
「あの、すみません。免許証落とした
そう言うなり、中年の警官は「どうもどうも」とファイルを取り出した。聞いた声の感じ、電話してきた人と同じだろう。
「一応、本人確認できるモノありますか? 保険証とか」
「あ、ええ。持ってます」
免許証の写真はこの間更新したばかりだから、そんな違いはない。当然警官も分かってはいるが、お決まりの作業だから仕方ない。これで別人だった、なんてことになればそれこそ大問題だから。
財布から保険証を差し出して、受取人書類に名前やら住所やらを記入する。先が太いボールペンは書きづらくて嫌いだ。
「……はい。確かに。次からはお気をつけてくださいね。個人情報漏れに繋がりますから」
「肝に銘じておきます」
思っていたより物腰が柔らかい人でよかった。家では二児の父みたいな印象を受ける。別にどうでもいいけれど。免許証を財布にしまう。ひとまずは良かった。
「あの、拾ってくれた方にお礼の電話をしたいですけど」
「分かりました。連絡先を伝えても問題ないと承っていますので、少々お待ちください」
こうして落とし物を届けてもらったのは生まれて初めて。たまに話を聞くことはあったが、やはりお礼の電話ぐらいはしないと。
交番の電話を使うか聞かれたが、それは丁重に断った。一回しか連絡しないからと言うと、それもそうだねと警官は笑った。
番号を控えさせてもらって、交番を出た。なるべくならもう来たくないな。あの人自体は良い人そうだったけど、やっぱり雰囲気が慣れない。
市外局番を見ると、どうやら携帯番号だった。それもそうか。今の時代、固定電話を持っている家が珍しくなってきた。俺もそうだ。実家はどうだったかな。親に電話をするにしても携帯の方に掛けるから全然意識したことなかった。
まぁいいや。今日は疲れた。昼から飲むか。せっかくの休みだし。
帰り道にあるスーパーで適当におかずと発泡酒6缶パックを買って、そのまま家へ直行。帰宅したと同時にクーラーの電源を入れた。気づくと11時を過ぎていた。シャワーを浴びてから酒飲もう。
――とその前に。
財布の中に入れておいたメモを取り出して、スマートフォンに打ち込む。酒を飲んでからお礼の電話をするのは気が引けた。まずはコレを終わらせて、シャワーを浴びよう。
電話には慣れている。免許証を届けてくれるような人だから、変なことに巻き込まれることはないだろうと思っている。届け出た人も個人情報を警察に教える必要があるから、少なくとも変人ではないはずだ。
パパッと打ち込んで、発信ボタンを押す。
2秒ぐらいの呼び出し音の後に、繋がった。
「――はい、ヤマモトです」
女性の声だった。可愛らしい声。名前とかは教えてもらっていないが、しっかりした若い子も居るんだなぁと嬉しくなる。
「突然のお電話恐れ入ります。免許証を落とした新木と申しますが、交番に届けてくださったようで」
すると女性は「あーっ!」と高い声を出しながら照れ臭そうに笑った。可愛らしい良い子だ。
「無事受け取られたんですね。良かったです」
「本当に助かりました。ありがとうございました。こんなことしか言えなくて申し訳ないんですけど」
「あはは。いえいえ。気になさらないでください」
本当なら贈り物でもしてあげたい気分だ。だが住所を聞き出してまですることかと思えば、そうでもない。彼女もそれを期待しているわけではないと、警官も言っていた。
久々に「心からの善意」を感じた気がした。見返りなんていらない。ただ放っておけないから、というだけの感情。優しい世界だ。
何はともあれ、お礼も伝えられたから良かった。若い子の時間を奪うのもアレだから、この辺りで切り上げよう。だが、思いのほか彼女の方から話しかけてきた。
「新木さん、って言うんですね」
「え、ま、まぁ。そうですね」
「ふふっ。そうなんだ」
変わったことを聞いてくるな。そりゃ免許証を拾ったのだから、俺の名前を知っていても不思議じゃないけど。わざわざ俺に対して言うようなコトでもないだろう。
だがこうやって女の子と話したのは久しぶりだ。桃ちゃんはノーカウントで。女の子との電話ってどうしてこんなにドキドキするんだろう。楽しい。
「お元気でしたか?」
「………はい?」
「もう。忘れたんです?」
まるで一度会ったことがあるような言い草だ。俺が会ったことのある女の子と言えば、学生時代の友人か元カノか――。
――待てよ。ふと、3分前のことを思い出す。彼女の名前だ。ヤマモト。この名には聞き覚えがあった。そう――居酒屋トリマルでの出来事。
「も、も、も、桃ちゃん……?」
「お久しぶりです。応援隊長さん」
どうやら俺は、アイドルの電話番号を知ってしまったらしい。
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