推しと葛藤と恋色と
1st
第6話
桃花愛未の熱愛疑惑を覚えている人間は、どれだけ居るのだろう。たった一ヶ月しか経っていないが、人々の関心は誰かの不倫や不祥事に流れて着いていた。消費者脳というのは、本当に残酷なモノだ。
かく言う俺も、桃ちゃんが表舞台から消えて抜け殻のようになっていた。生きる楽しみを失ったのだ。ただ会社のために血肉を注ぐ人間のカタチをした機械と化している。
季節はすっかり夏に模様替えしていた。俺の感情は、桃ちゃんと会えたあの日から止まっている。
なんならあそこで認めて、アイドルと恋人になってしまった――なんてライトノベルのような展開を妄想しては虚しくなる。やめよう。
最近の愛煙家追放の動きは非常に腹立たしい。パーティー追放系小説みたく逆襲してやろうかと思ってしまうぐらいに。
と言うのも、仕事後の同僚との飲み会終わり。無性にタバコが吸いたくなって、喫煙所を探し歩き回っている。熱帯夜なのに。家に帰って吸えば良いとか、そういう問題じゃない。今吸いたいのだ。アルコールが入って、欲望に正直になっているだけだ。
終電時間はとっくに過ぎていて、駅は閉まっている。帰るならタクシーしかないが、この日は不思議と歩きたい気分であった。
その辺のコンビニ前に灰皿置いてあるだろうと、軽い気持ちで歩き始めて早20分。そろそろ足に限界が近い。こんなことになるなら早くタクシー乗れば良かったと後悔する。
酒に酔うと、頭の中は好きなものしか考えられなくなる。よって、今の俺の脳内は桃花愛未のことでいっぱい。思考停止した機械と同じか、それ以下の存在に成り下がる。
「はぁ……つかれた」
そんな独り言は、ことごとく車の音に掻き消される。夜中とは言え、都会の国道沿いをひたすら歩いているせいだ。男だが、静かな夜道は嫌いである。だったら早くタクシー乗れと本能が訴えるが、なぜかアルコールに染まった理性がそれを取り下げた。酒に酔うとはそういうことだ。
既に歩き始めて30分が経っている。家まで着実に近づいているが、家でタバコを吸うと勝負に負けた気になる。だからなんとしても灰皿を見つけたい。どこでもいいから。
「――あった」
普段この場所を歩くことはないから、こんなところにコンビニがあることも知らない。まして、探していた灰皿があるなんて。今日からこの場所を「世界」とでも呼ばせてもらおうか。
ワイシャツの胸ポケットからタバコを取り出して、火を付ける。勢いよく吸い込んで、肺まで送り込む。鼻から抜けるこの味が、たまらなく美味い。いや、決して美味しいモノではないか。
息と一緒に煙を吐く。真夜中のコンビニ前。他に誰も居ない。俺だけの灰皿だ。別にこれを独占したいと思ったことはないから、少し可笑しい。蒸し暑くて、首元は汗にまみれている。別にいい。誰も居ないし。
「新曲、売れてるなぁ……」
タバコ片手にネットニュースを漁る。そこで目に止まったのは、桃ちゃんが休養してから出したサクラロマンスの新曲の話題。高校生に人気のアプリでウケたらしく、動画配信サイトでのミュージックビデオ再生回数もグループ内では最多を更新したという。
「桃担」からすれば、複雑以外の何者でもない。ここに彼女が入れば、この売れたカタチを崩すことになる。売れれば良い事務所は、どう判断するのだろう。スキャンダル未遂とはいえ、イメージダウンは避けられない。
(桃ちゃん、元気かなぁ)
元カノかと言いたくなる。しかも未練タラタラの。そんな情けない思考回路は、全てアルコールのせいだと言い聞かせる。
先日のリリースを見る限り、来月には復帰する予定だが、本当にそうなのかな。曲が売れていることもあるし、またネットが荒れる気がしないでもない。彼女は悪くないぞ、うん。
彼女の裏アカである「ブルーローズ」も、あの日以来動きが無かった。メッセージはおろか、発言すらしていない。もしかしたら、完全にログアウトしているのかもな。エゴサーチ出来ないように。それならそれで良いことではある。
ただそれは、彼女との唯一無二の繋がりを無くした気がして。少し寂しいのが本音だ。いや、そもそも繋がりなんて大層なモノではないけれど。
タバコを吸い終わると、解放感がすごい。筒灰皿に押しつけて火を消す。家まであと10分ぐらいだが、タクシーに乗りたい。32歳にとって、こんだけ歩くのは苦行だった。
だが金の無駄遣い感がすごい。大人しくコンビニで何か買って帰ることにした。
飲み物と明日の朝飯を適当に選んで、レジで会計する。慣れないキャッシュレス決済に戸惑ったが、うまく出来て良かった。「便利だけど面倒」なんてよく分からない感情に襲われた。
財布にレシートをぶち込みながらコンビニを出ると、さっきまで飲んでいた同僚から連絡が来ていた。今帰ったとのこと。律儀なヤツだ。「歩いて帰ってる」とだけ返信して、再び喧しい夜道を歩き始めた。
(明日、なにすっかなぁ)
桃ちゃんが休養に入ってから、サクラロマンスそのものを追いかけなくなった。別に他のメンバーに興味が無いわけじゃないが、俺にとってのサクラロマンスは、桃花愛未だったのだと痛感している。
社会人にとって大切な休日は、ここ一ヶ月無駄に終わってばかりだ。ただでさえインドア派なのに、彼女たちを追いかけなくなって本格的に家を出なくなった。こうやって、ドルオタは消えていくのだろう。そう考えると、なんか儚いな。
桃花愛未を追いかけている時は気にならなかったが、もう32歳。今年の秋には33になる。今のままだと、独りで人生を生きていくことになりそうで悲しいというか、なんというか。別に結婚願望があったわけではないが、心に空いた穴を異性で埋めようとする本能が働いている。
(マッチングアプリでも始めるか……?)
最近の若者はこれで交際するケースも多いと聞く。だが俺から見たら、どうしても出会い系サイトのイメージが払拭出来なかった。自主申告制の極限がマッチングアプリ。本人がそう言えばネット上ではそうなる典型例だ。
そもそも、顔に自信が無い。生きてきてカッコいいと言われたことはないし、カワイイとも言われたことない。
いわば、意識してないけどそこに居るだけの存在。付き合えないけど同僚や友人なら歓迎、なんて言われるタイプだ。髪の毛は元気だが、いつ終わりが来るか分からない。内心ではビクビクしながら仕事してる。
結局、ルックスが良い人間が得をする世界なのだ。これは人類が誕生した時からそうだと思ってる。知らんけど。
そんな俺が顔写真を晒したところで、結果は目に見えている。サクラに引っかかって騙されるぐらいなら、このままで良い。別に逃げなんかじゃない。現実的な判断だ。
このままだと、また土日を無駄にしてしまう。何かしたいけど、何もすることが無いというのは、ここまでもどかしいモノなのか。多趣味の人間が羨ましくもあるし、無趣味の人間は生きていてしんどくないのか気になる。
家に近づくにつれ、流石に静かになってきた。泥酔してこんな道端で戻すと、すんごい悪目立ちしそうだ。別に気持ち悪くはないから平気だけども。
この世界の空は繋がっている。今は黒く染まっているけれど、あと数時間もすれば人々の生活を照らしてくれる。
あの子も見ているのだろうか。この曇り切った夜空を。もう寝ているか。そりゃそうだ。
もし桃ちゃんが復帰しても、やがては辞めてしまう運命。それは変わらないけど、本人の口から聞いている分、やけに現実的な問題に聞こえる。
きっと、最後に握手会をやってくれるはずだ。その時には何と伝えようか。
――うん。やっぱり、感謝の気持ちだな。
桃担で良かったよと、泣きそうになりながら伝える自分が簡単に想像できた。それが可笑しくて独り鼻で笑う。そんな夜道。
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