第5話


 気がつくと、昼休み終了5分前になっていた。会社まで戻るコトを考えると、もう間に合わない。幸い、割と自由な社風だからちょっとぐらい良いだろう。「少し用事で」と同僚にメールした。


「ごめんなさい。もう大丈夫」

「お仕事中なのにすみません……」

「良いって良いって。気にしないでください」


 どうせ、このまま帰れば気になって仕事どころじゃない。とは言えなかった。なるべく不自然にならないよう、彼女に気を遣わせないように言った。


 それで、だ。少し情報を整理しよう。なんか昨日からずっとこんな感じだ。家にいるのに仕事している感じ。嫌になる。

 桃ちゃんはアイドルを辞めたいと言う。いわば、そのために熱愛疑惑を持ち出した。一般人である俺を巻き込んで。冷静に考えて迷惑な話である。だが、起こってしまったことに文句を言っても始まらないのは分かっていた。


 ふと、気になったことがある。


「なんで辞めたいと思ったんです?」


 そう。そもそも、彼女がそう思わなければこんなことにはならなかったはず。ファンから見て、スポットライトを浴びる機会も順調に増えてきていたし。俗に言うメディア露出だ。


 ドラマや映画のタイアップに選ばれることもあったし、俺から見たら着実に階段を登っているように見えてたけどな。どうやら本音は違うらしい。


「……もう、疲れたんです」

「多忙、ってことですか?」


 彼女は首を横に振った。4回。


「周りの声にです。リアクションが怖くて、眠れない日も少なくなくて」


 ピンと来た。まさに昨日、俺たちがやり取りをしたモノ。SNSという存在。言葉のナイフを持った匿名共が集まる空間だ。

 無論、そんな奴らばかりじゃない。純粋に楽しんでいる人も居る。だが人間というのは「99人の好き」よりも「1人の嫌い」が記憶に残る。不思議な生き物である。


 嫌われたい人間は居ない。心のどこかでは必ず、自分のことを認めてもらいたい欲求がある。認めてもらいたいのであればまだ良い。けれど、中傷することで自身の存在価値を保とうとする人間も少なからず居る。俺だって、伊達にSNSサーフィンしていない。言っちゃ悪いが、あれは無法地帯だ。


「……エゴサーチとか?」


 彼女はこくりと頷いた。意外だった。

 だけどこれでハッキリしたのは、桃ちゃんはSNSをやるのに向いていない。ファン以外の方が多い世界。アイドルや芸能人というのは、好き勝手言われる的なだけ。軽く受け流せるぐらいの余裕が無いと、しんどいだけだろう。


 本当、生きづらい世の中である。


「知名度が高くなればなるほど、心が折れそうになるんです」

「その、事務所のメンタルケアとか無いんですか? イマドキは特に必要だと思うんですけど」

「ウチの事務所は古くて。そういうのとは縁が無いんですよ」


 苦笑いしながら彼女は言う。

 だが、それは大問題である。タレントというのは人前に出てああだこうだ言われる。その精神的負担は、きっと一般人には分からないほど重いはず。今回みたく、プライベートだって監視されているようなモノだ。

 自ら望んで足を突っ込んだ、と言えばそれまでだが。だからと言って彼らを好き勝手叩く権利は俺たちに無い。それを勘違いしてる奴らが多すぎるんだ。


 意識を戻す。メンタルケアなんて、その辺の中小企業でもやってるところはやっている。メンタルにはそれだけの重みがあるからだ。病んだ人間の行き着く先は――言わずとも分かる。


「その中で、応援隊長さんのアカウントは励みになってたんです」

「お、俺のですか……?」

「はい」


 あ、可愛い。照れ臭そうに頷く彼女を見て、こちらまで恥ずかしくなる。

 確かに、裏アカで繋がっていたのなら俺の発言も見ていたことになる。途端に変なことを言っていないか不安になったが、彼女の表情を見る限り大丈夫だろうと言い聞かせた。


「ずっと応援してくれて、本当にありがとうございました」


 まるでそれは、終わりの挨拶のようだった。

 これから先はもう気にしないで良いと、言われているみたいで。胸の奥が苦しくなった。「そんなこと言わないでよ」と言いそうになったけど、彼女の話を聞いたら安易に言えない自分が居た。


「――辞めても、良いと思います」


 だから、桃ちゃんの言葉を鵜呑みにしてしまう。でも彼女の気持ちが少しは分かる気がした。ストレス社会という意味では、芸能界も俺たちが暮らす世界も同じだから。自身の心を締め付けながら生きるのは、あまりにも酷だ。


「………止めないんですね」

「そりゃ、本当は辞めないで欲しいですよ。でも、辛かったら無理して続ける理由もありません。会社でも同じですから」


 新卒で入社して気がつけば10年。周りを見れば、転職した友人も多い。本人に合う、合わないは重要なポイントになる。そう考えると、一つの会社で10年も働けるのはある意味ラッキーだった。別に苦では無いし。

 桃ちゃんは俺よりも若い。いくらでも人生やり直せる。割と知名度が高いアイドル出身なんて、探しても出てこない人材だ。


 他のファンだったら、何と言うだろうな。

 全力で止めただろうか。それとも、色々と御託を並べて説得しただろうか。でも、ファンがそこまでするのは筋違いな気がする。

 彼女の生き方まで、決めるだけの覚悟は俺には無い。巻き込まれておいて何だけど。


「これからの対応はどうするんです?」


 色々と困惑したせいで後回しになっていたが、俺からすれば一番気になるところである。問いかけると、彼女は申し訳なさそうに口を開いた。


「事務所からリリースが出ます。事実無根。あの写真はただの偶然で、相手も全然関係の無い人、だと」

「え、それって――」


 言いかけたが、俺の言葉の意味が分かったらしく、彼女は小さく頷いた。

 熱愛疑惑を起こして、アイドルとしての価値を落とそうとしたのに。スキャンダルを一度でも起こしたアイドルは、見る目が変わるから。


 でも、今回の場合はある種の自演。事実無根と言ったが、まさにその通りなのだ。だから無傷、という話ではないけれど。

 彼女はさっき、「グループ内の足手まとい」と言った。ファンから見ても、また事務所側から見ても、それはあり得ないと思う。むしろハイパフォーマンスで引っ張っている立場。その彼女に抜けられるとなれば、相当な痛手になるはずだから。


 そう考えると、事務所側の対応は至極真っ当な気がする。本人の意思は関係ない。


「だから、辞めるのは少し先になると思います。しばらく休養扱いになりますので」

「そう……ですか」

「本当に、ごめんなさい」


 何度目か分からない謝罪。微笑んだり、泣きそうになったり。感情表現が豊かな子だなと思う。ステージ上の彼女も同じような感じだから、目の前に居るのは本物の「桃花愛未」なんだと改めて実感した。

 謝られても、どうでも良かった。むしろ、彼女の行く末が気になり始めている自分が居て。一ファンとしたら、彼女の引退を止めたい。でも、彼女の意思を無視したくない。そんな狭間で揺り揺られ、感情がブランコ遊びしているよう。


「俺は、桃ちゃんの意思を尊重したいです」

「えっ………?」

「色々大変なのは分かります。正直、いま自分が桃花愛未と話している状況も理解出来てません。ですけど――」


 今この瞬間だけは、久々の握手会に来た気分であった。憧れのあの子に、たどたどしく想いを伝えるあの光景がフラッシュバックして。


「俺は、今でも桃ちゃん推しのおっさんです。だから、無理せず生きてください」


 その言葉に嘘はない。心からの本心だ。

 これから先、もう彼女の姿を見ることがないと思うと、胸が苦しい。呼吸すら出来なくなりそうなぐらいに。

 それでも、廃れていく彼女を見たくない。それなら、いっそ俺の前から消えてもらったほうが良い。そんな自分に都合の良い理由なのだ。


「……だから、あなたに話しかけようと思ったんです」

「あの日、ですか?」

「はい」


 ここで話が戻った。俺に話しかけようとしていたというのは、どういうことだろうか。忘れていたわけじゃない。ただ今の自分が聞きたいことはそこじゃなかっただけで。気になることには変わりない。


「どうして俺なんかに」

「その時は、色々疲れてたんです。週刊誌には尾けられて、グループ内でも上手くいかなくて」


 彼女なりのSOSだったのだろうか。話を聞いていると、今回の件は衝動的なモノである。計画性は感じられない。きっと、今日俺を誘ったのもそうなのだろう。


 何というか、危なっかしい子だな。


「とにかく、ゆっくり休んでください。俺はもう大丈夫ですから」

「……はい。ありがとうございます」


 そう言う彼女の顔からは、先ほどの申し訳なさは消えている。どこか優しく、嬉しそうに笑った。俺が見慣れた笑顔で、少しだけ安心する。

 本当にもったいないな。こんなに可愛くて、歌もダンスも上手い彼女が表舞台から姿を消すなんて。


 昼休みが終わって30分が経っていた。彼女との話は、ある意味いい思い出になった。別れ際は寂しいものだったけれど。

 何も注文せず帰るのは流石に不味いと思い、自分の分だけランチを注文した。ランチ営業時間が終わるギリギリだったから、店員は少し嫌そうな顔をした。


 別にわざとじゃないのにさ。いいじゃないか。今日は、俺の推しが目の前から居なくなった日なのだから。


 この翌日、サクラロマンスの公式ホームページにお知らせが掲示された。

 内容は、桃花愛未の報道が無実であること。そして、同氏が心労により二ヶ月程度の休養に入ること。ネットニュースでは、好き勝手に彼女のことを笑う声が多かった。


 こんなの、月のない夜空を眺めている気分だ。イラつく。何も知らないくせに、と恋人面した自分が情けなかった。

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