第4話



 あの好きな桃ちゃんに熱愛疑惑が出て、その写真に写ってたのが俺で、SNSでその件について説明したいなんてメッセージが来て、その通りに会ってみたら桃ちゃん本人だった。と一昨日の俺に言ったらどんな顔をするだろうか。想像するだけで笑えてくる。


 で、その彼女が今とんでもないことを口にした。恐らく、ファンの前で一番言ってはいけないことを。


「アイドルを……辞めたい?」

「はい」


 うはー。聞き間違いじゃなかったー。

 一言で言えば、最悪だね。生きる糧を目の前で取り上げられた感覚。真剣にオタってたから正直しんどいどころではない。熱愛疑惑があってもアイドル自体は続けていくだろうと思い込んでいただけに。


「その……本当にごめんなさい。応援隊長さんに言うことじゃないと分かってるんですけど……ですけど」


 そう言われるが、本気で泣きそうになっている自分が居る。32歳、独身。推しに熱愛疑惑出た上にアイドル辞めたい宣言。何を糧に生きていけばいいんですかね。これから。

 まぁ、こんな状況になっているのだからヤバいコトを言われる気はしていた。色々巻き込まれるのは覚悟していたが、まさか辞めたいとはなぁ……。


「……う、うん。ちょっと状況が理解出来なくて。説明してもらえると助かります」


 主導権を握ったつもりだったが、呆気なく手綱を手放した。体に力が入らない。虚ろな目で目の前の彼女を眺める。昼休みが終わる30分前の話にしては、あまりにもつまらない。


「……まず報道の件から。ここ一年ぐらい、ずっと尾けられていたんです。サクラロマンスも人気が出てきた頃でしたので。あの日も例外ではありませんでした」

「あ、そう」

「財布を落としたのは完全に私の不注意です。それを拾ってくれた応援隊長さんには全く落ち度はありません。でも、事実としてそれが週刊誌に載ってしまった。違うのに」


 長々と説明してくれているが、半分聞いていないようなモノだった。上の空とはこのこと。目の前に居るのはあの桃花愛未だというのに、なのに、今は彼女の顔を見たくないとすら思えてきて。あんなに可愛くて好きだったのに。


「それがどうしてあんな風に載ったのか、その原因は私にあるんです」


 周りの客達が帰り始めたせいか、先ほどよりも彼女の声が響く気がした。ボリュームを抑えなきゃ身バレだってあり得る。それなのに、彼女はトーンを変えない。今から言おうとしている言葉に気を取られているように見えた。


「あの後、記者に直撃されたんです。あなたとの関係を。それで――」

「まさか付き合ってると!?」


 あまりの急展開にハッとして、急に声を張り上げてしまった。桃ちゃんを戦犯したくない本能が働いてしまった。コレに驚いたのは彼女だけでなく、店内も少しざわめいた。平謝りして、言葉を促した。


「ち、違いますっ! あ、い、いや違わないけど……」

「どっちですか……」


 似たようなコトを言ったのだろう。こうして見ると、桃ちゃんってめっちゃ分かりやすいんだな。言い換えると、嘘がつけないタイプ。

 それはお前の希望的観測だろと言われれば、素直に頷くけどさ。嘘つきより断然良いに決まってる。


「――濁したんです。答えを」

「どんな風に?」

「どうでしょうね? って」


 それはやってくれたな。沈黙は肯定と言うが、彼女のソレもほぼ同じようなコトだ。

 言われてみると確かに、彼女のコメントも載っていた気がする。冷静に全て目を通せたと思っていたが、全然だったらしい。


 だが、それだけで「熱愛」と出してしまう辺り、流石は写真週刊誌と言うべきか。アイツらは人のプライベートを晒して生きているような存在。ジャーナリズムを履き違えているだけの虚しいヤツらなのだ。そうやってアイドルの熱愛を見るたびに蔑んできた。それは今でも変わらない。


「……どうしてそんなことを」


 素朴な疑問である。桃ちゃんは少し抜けているところがあるが、基本的に真面目な子だと思ってる。そんな彼女が進んでネガティブキャンペーンに足を突っ込むとは思えなかった。


「まさか、辞めたいから?」


 今日の俺は妙に察しが良かった。いや、冷静に考えれば誰でも分かることだ。だけど、彼女にとってはそれがありがたかったらしい。やはり心苦しい部分はあったのだろう。自身を応援してくれている人間に対して「辞めたい」と言うのは。


 小さく頷いて、唇をキュッと結んでいる。辞めるには勿体ないぐらいの綺麗な顔をしていた。


「年齢も高いですし、グループの中でも足手まといなんです。私」

「いや、そんなことないですって!」


 咄嗟に出たセリフ。自分が彼女を庇っていることに気がついたのは、すっかり言霊が相手に伝わってからだった。

 その時の彼女の表情は、ハッとしているように見えて、どこか泣き出しそうな顔で印象的だった。

 サクラロマンスというグループ内で、本人たちにしかわからない立ち位置というのは存在するだろう。会社でもそうだから。

 少なくとも、パフォーマンスにおいては彼女はトップだと思ってる。グループ内だけじゃなく、アイドル業界全体においてでも。心の底からそう思ってるから、咄嗟に励ますような言葉が出てきたのだろう。


「歌もダンスも上手で、パフォーマンスを引っ張ってるのは桃ちゃんだと思ってます。一ファンの意見にしか過ぎませんけど」

「………ありがとう、ございます」


 少し照れ臭そうに言う彼女は、とっても可愛くて胸が高鳴った。握手会の時にも同じことを言った記憶がある。その時よりも、薄化粧の今の方が可愛く見えるのは何故だろうか。


 あと15分ほどで昼休みが終わる。だけど、今ここで彼女の話を切るのはいけない気がした。なんとなく。ファンだからというわけではなくて、一人の人間として彼女を見た時の判断だった。


「なら、ブルーローズというのは裏アカなんですか?」

「はい。デビューする前からのアカウントなんです」

「あ、そういうこと」


 ある意味、リアアカというわけか。SNS社会の昨今、若者でやっていない方が珍しいし。桃ちゃんが公式アカウントでSNSデビューしたとも思えなかった。


「でもまさか本人だとは……正直驚き通り越して冷静になってます」

「私は、応援隊長さんのことを知ってましたよ」

「え?」


 思いもしなかったコトを言われて、心臓が高鳴る。僅かに口角の上がっている彼女を見て、それは収まるどころか紅潮となって顔に現れた。


「握手会でよく話してくれてたから」

「ま、まさか覚えてるんですか?」

「はい。もちろん全てではありませんが、応援隊長さんのことは覚えています」


 さっきとは別の意味で泣きそうになった。本当にいい子すぎる桃ちゃん。アイドル特有の嘘臭さが無くて、どうして辞めたいなんて言い出すのだろうか。

 俺は彼女のファンになってから、握手会には足繁く通った。会いに行けるのなら会っておきたいという理由で。一度行ったらその沼にハマってしまったが。

 正直、覚えてもらいたいとかそんな願望は無かった。他のファンの中には、覚えてもらうために一生懸命アピールを考えたり、毎回同じ服装で臨んでる人も少なくない。


 だけど、俺はそういうわけじゃなかった。ただ彼女を見ているだけでストレスが消えていくから。俺と住む世界が違うと、どこか一線を引いていた。


「なら、どうやってアカウントを見つけたんです?」

「自分で仰ってましたよ。応援隊長ってアカウントやってます、って」

「………」


 どこが一線引いていただよ。

 バリバリ桃ちゃんの気を引こうとしてるじゃないか。正直な話、そんなコトを言った記憶はない。全く、人間とは都合の良い生き物である。


「あの日も……実はそうなんです」

「あの日?」

「コンビニの前で見かけたから、話しかけようとしてたんです」


 どうやら、昼休み中に話が終わることはなさそうだった。



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