第3話
真昼の駅前はやはり賑わっている。普段会社の中に居ることが多いせいか、あまりこういうのには慣れていない。
貴重な昼休み。結局、俺は素直に応じることにした。何かあれば会社も気付くだろうし、念のためのボイスレコーダーも用意した。すぐ警察呼べるようにスマートフォンもバッチリ。
少し早く会社を出て、駅のトイレで着替えてスーツをロッカーに預ける。この作業で既に10分を費やした。時計の針はてっぺんを超えていた。遅刻である。
そこまでして着替えるのは、流石に仕事着で向かい合う気にはなれなかった。ただそれだけの理由。
トリマルという居酒屋は、全国チェーンであるから名前は知っている。だが行ったことは数えるぐらいしかない。目的のソレは、雑居ビルの5階にあった。なんとなく雰囲気があって怖い。ゲームのやり過ぎだろうか。
エレベーターを降りると、すぐに店に繋がった。店内はランチ営業で賑わっている。少し安心した。
「あ、えっと……ヤマモトですけど」
言われた通り、受付でその名を言う。すると女性の店員は「すでにいらしてますよ」と笑った。今から何があるのかも知らない笑顔だ。出来ることならこのまま帰りたい。
カウンター席はサラリーマンの昼休みで埋まっている。同僚と会わないことを願いつつ、普段はしない眼鏡とマスクもした。何で俺が変装してるんだと心の中でツッコんだ。
案内された先は個室だった。全部で10室ぐらいあるみたいだが、その全ての戸は閉じられている。中からは笑い声も聞こえ、かなり繁盛してんだな。
意を決して、引き戸を引いた。
「……………」
「遅れてすみません……」
そこに居たのは、一人の女性だった。
黒い帽子を被って、眼鏡をしている。咄嗟に俺が謝罪すると、彼女はぺこりと小さく会釈した。
正直、拍子抜けだった。イメージ的に屈強なチャラい男の一人や二人居ると思っていた。いや、これから出てくるのかもしれない。警戒心を怠らず、掘りごたつで向かい合った。
「ブルーローズ……さん?」
こうして見ると、オフ会というのは中々に可笑しな光景である。見た目は明らかな日本人なのに、名前はアクロバティック。生まれてこの方初めて口に出したよ。ブルーローズなんて。いや、そもそもこれをオフ会と呼ぶことに無理がある。
俺の問いかけに、彼女はまた頷く。
「遅かったですね。応援隊長さん」
と言うのは、俺のアカウント名である。口に出されるとダサさが際立つ。だがそもそもアカの名前に興味がない俺にとって、その程度の考えで付けただけの名。こうやって女性に言われることになるとは、当時思ってもいなかった。
「ちょっと仕事が立て込んでて」
「いえ。責めてるわけじゃないですよ」
「そ、そうすか……」
怒っているわけではないらしい。確かに彼女を見ているとそんな気がする。
よく見ると、黒髪が背中の方までスラッと伸びていて、思わず目を惹かれた。
「あの……昨日の件なんですけど」
単刀直入に問いかける。そもそも、この場を長引かせるつもりもなかった。ポロシャツの胸ポケットに忍ばせたボイスレコーダーもしっかり稼働している。
するとこの人は、不思議そうな顔をした。
「その前に。すごく冷静ですね」
「え、ま、まぁ。話が気になりますし……」
「いえ、そういう意味ではなくて」
ならどういう意味だろう。問いかけようか迷っていると、彼女が自ずと眼鏡を外した。
「……………え?」
言葉を失った。驚愕というのはこの事かと言わんばかりの波が俺を襲う。やがてそれは震えに変わり、握手会のような緊張感。
化粧こそ薄いが、その顔には間違いなく見覚えがあった。眼鏡だけでここまで変わるのも珍しい、と感心している場合ではない。
思い出される記憶。憧れのあの子が目の前に居ながら、何度も狼狽えて、たった一つの言葉を投げかけるのにも無数の時間を費やした。
その子が、目の前に居た。
「も、も、桃ちゃん……? いやまさか。そんなことないですよね。うん、そうだ。これは新手の脅しってヤツだ」
オタク特有の早口になったが、気にしない。この状況を信じろという方が無理だ。絡みのないアカウントから脅され、来てみたら本人が居る? 冷静に考えて意味が分からない。
「脅しではありません。ですから、ご説明したくて」
それにしても、ステージ上の桃花愛未とは別人な空気感だ。しっかり者のイメージはそのままであるが、何というか、地味である。薄化粧のせいだろうか。いやそれでも可愛いと思います、はい。
加えて、週刊誌に撮られた時と同じ格好をしている。ということは、俺はあの時桃ちゃんに財布を手渡したということになる。つまり、桃ちゃんの財布を触ったということである。
「でゅふ」
「え?」
「あ、いや、失敬」
とんでもなく気持ち悪い笑みが出た。慌てて平静を装う。32にもなって、こんな変態的な笑い方が出来ることに驚いた。
一度咳払いをして、頭をリセットすることにした。とにかく考えていても仕方がない。彼女から危害を加えられることもないだろうし、少し話に耳を傾けてもいいだろう。
「気になることだらけですが、とりあえずお話を聞きます」
「冷静なご判断ありがとうございます。実はというと、話にならないと不安でした」
「そりゃそうでしょうね……」
それを言えば俺もそうだ。大して絡みのないアカウントから測ったような文章が送られてきたあの恐怖。たぶん一生忘れないだろうな。だがそれは、彼女も同じと言えばそれもそうか。
とりあえずは安心と言っていいだろう。新手のスパムかとも思ったが、桃花愛未本人の登場で一気に覆された。
なんとなくの推測だが、こういうのはアイドル本人が対応するケースはまず無い。基本的に所属事務所を通して何らかのリアクションをする。そういうのを俺は何度も見てきた。
今回はそうじゃない。当の本人が、こうやって動いているとなると、間違いなく独断。事務所の人間が知っていたら、絶対に止められる。俺はこうして向かい合っているが、何をされるか分からないのだから。
となれば、この疑惑。一筋縄では終わりそうもないのは目に見えて明らかだ。
「今回の報道に巻き込んでしまって、本当にごめんなさい」
「あ、いや。何というか、こうして桃ちゃんに会えたからそれはそれで良かったかな……」
そうは言うが、嘘ではないが本音ではない。本音ではないが、嘘ではない。ファンというか、男としての見栄である。こんな可愛い子が頭を下げているのに、罵倒するほど腐ってはいない。そうしたい気持ちはゼロではないが。
まぁ端的に言うと、言いくるめられたというわけです。
「質問、いいかな?」
「………はい」
時間の関係もある。彼女の説明を待っているだけでは話が進まないと判断した。俺がそう言うと、少し考えて渋々頷く。よく分からんな。この子。
「どうして君は一人でここに? 事務所とかの許可は貰ってるの?」
パパ活みたいな聞き方だな。自分が気持ち悪りぃ。それにしては割と真剣な内容だったせいか、彼女は何も言わず考えている。そういやさっきから何も注文していない。逆に怪しまれないかコレ。
「全て私の独断です。今日のことも、報道のことも」
予想通りだ。これで事務所を通していたら、会社としての存在意義を疑う。
それはそうと、所属タレントがこんなことをするメリットが無い。SNSの裏アカウントで人を呼び出して、報道の件について話したいという行動にどんな意味があるのだろう。それを聞くためにここまで来たのだ。
……まぁ、一つ言えるのは。ロクな理由じゃないということは確かだと言うことである。
「――私、アイドルを辞めたいんです」
ほらな。俺の遅い青春すらも奪おうとしてくる。
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