第2話



 いつもよりタバコの味がしない。緊張ていうか、浮き足立っているなこれ。

 でもあの場面には心当たりがありすぎた。三ヶ月前、福岡でのライブに参戦したのもそうだし、スーツで行ったのもそう。そして、ライブ終わりに近くのコンビニへ寄ったことも。

 何より、この写真の光景には見覚えがある。俺はこの女性を真正面から見ていたのだから。つまり、この男は俺だということになる。


 アイドルと熱愛? いやいやまさか。喋ったことはあるが、それは握手会でのほんの数秒。喋った、と言っていいのかすら分からない。

 それに当然、剥がしのスタッフが居るから余計なコトは聞けないし。連絡先だって知らない。むしろあの女が桃ちゃんだってことすら分からなかったぐらいだ。


 少し冷静になるために、報道をもう一度よく見てみることにした。


 熱愛疑惑とあるが、その証拠としては乏しい点。キスやハグでもしていないと説得力がない。これはネットでも言われている。

 次に相手の男について。記事を読むと、あまり触れられていない。中肉中背のごく普通の一般人と仲睦まじく、なんて書いている。悪かったなごく普通で。


 まぁ普通に考えて飛ばし記事であろう。俺が第三者ならそう思う。当事者としても全力で否定するし。桃ちゃん、何かドラマとか映画に出る予定あったっけ。あまり好きじゃないが、炎上商法というのもあり得る。


「いやでも参ったな……」


 いずれにしても、困るのは俺だ。一般人を巻き込んでこんなデマを流すなんて迷惑もいいところである。

 俺としては桃ちゃんの恋人に間違われるのは、決して悪い気分ではない。迷惑ではあるが。憧れのあの子の彼氏かぁ……考えたこともなかったな。


 問題はこれからだ。このことがバレたらどうしよう。アイドルとの熱愛なんて余程のことがない限り叩かれる。桃ちゃんの場合、その矛先が俺に向けられても仕方がないだろう。

 モザイクが掛けられているとは言え、個人情報を百パーセント守っているかと言われればそうではない。ファンなら桃ちゃんがスーツ好きなのは知っているし、ライブ終わりであると書かれれば、ファンと繋がっていたと受け取られかねない。


 相談……するにしてもなぁ。

 今のところ誰にもバレていない、と思う。だからこそ悩ましい。ここで自ら墓穴を掘るようなことをしたところで、出来ることは限られている。


「いっそ、黙っておくのも手だよなぁ」


 独り言。自分にそう言い聞かせるように。

 実際問題、それが一番利口な解決策な気がした。これで特定されて不利益を被ることになれば、出版社を相手取って出るとこに出る。だって無実なのだから。彼女と俺が付き合っているなんていうのはファンとして不誠実だ。

 加えて、桃ちゃん側からの正式なアナウンスは無い。いやこんなデマに反応するのもアレだが、沈黙は肯定と言わんばかりのアンチが騒ぎ立てるのは目に見えていた。


 これまで多くの熱愛報道を見てきたが、ハッキリ否定することの方が珍しかった。騒がせておけば、それだけ世間から注目される。そんな売り方が主流になっているのが、今のアイドル業界。このまま立ち消えになるのを待つしかないか……。


 SNSのアカウントを開く。桃ちゃん応援アカウントも、なんだかんだフォロワーが増えた。オフ会には何度も誘われたが、どちらかと言えば人見知りな性格と自負している。参加してもあんまり楽しくないのが本音だ。


 そこに一件、メッセージが届いていた。


「珍しいな」


 と言うのも、基本的に誰かとリプライのやり取りをすることもない。繋がってはいるが、ただそれだけ。相手の人となりも知らない。桃ちゃん関連のニュースを知れればそれで良い。これがSNSの賢い使い方だと自負してる。


 で、その相手だが絡んだコトのない「ブルーローズ」というアカウント。鍵付きだ。だが名前には見覚えがあった。俺がこのアカを作ってから、割とすぐ繋がったいわば古参である。だけどそれ以上でもそれ以下でもない。


「突然のご連絡になり申し訳ありません。こうしてメッセージを送るのは初めてですが――」

「長っ」


 そう漏らしてしまうほどの長文であった。こんなに長く何を書いているのか逆に不思議だ。

 まぁ、面倒だったら無視すれば良いし。そもそも互いに顔も知らない間柄。SNSとはそういうモノだろう。だからと言って罵詈雑言を浴びせてもいいとは思わないが。言葉は花にも刃にも変わることを、多くの人は分かっていない。


 二本目のタバコに火を付ける。合わせて、視線を文章に落としていく。先ほどよりは冷静になったおかげか、いつもの爽快感が鼻を抜けた。


 だが、それは呆気なく崩れることになる。


「――桃花愛未の熱愛疑惑について、お話したいことがあります」


 思い切り咳き込んだ。ただの世間話をダラダラと続けていて、読むのをやめようかと思った矢先のコレだ。肺に届いた煙が一気に戻ってくる感じ。嗚咽すら出てくる。それぐらいの衝撃が俺を襲った。


「な、なんで……?」


 32年生きてきて、一番情けない声だ。自分でも恥ずかしい。めちゃめちゃ。とてもおっさんとは思えない。

 それより、このブルーローズという奴だ。ただの脅しにしては妙に丁寧な文章。それが余計に気色悪い。

 ただの脅しじゃない。誰にでも送っている可能性も否定出来ないが、あまりにもピンポイントすぎる。よく読むと、俺が過去にツイートした内容をほのめかすことも書いている。これは明らかに、俺に向けられた文章なのだ。


「――驚かれてると思います。ですので、ご説明させていただきたく、ご連絡差し上げた次第です」


 うん、やはりそうだ。丁寧すぎる。イマドキSNSで誰かを脅すような奴はどうしてもバカなイメージがある。実際そうだろうが、このブルーローズというアカウントからはそれを感じない。あくまでも主観。根拠は無い。


 文章の最後は、こう締められていた。


「――明日のお昼12時、居酒屋『トリマル◯△駅前店』でお待ちしております。受付には『ヤマモト』と伝えてください」


 随分と一方的な奴だ。恐怖を通り越して笑えてくる。昼の12時に居酒屋? ランチでもするつもりかよ。しかもご丁寧に◯△駅前と指定してきやがった。俺の住んでいる場所を把握しているということか?


 確かにそれに近いツイートをした記憶も……なくは無い。それで特定に近いことをしてくるのだから、恐ろしすぎる。

 何より、コイツは俺の身なりを知っている。ここまで来れば個人情報はバレてると思っていいだろう。


「うーん……」


 何度も言うが、脅し、というわけではない。丁寧に「説明をしたい」と言ってきた。いや、実際に行ってみたら脅しなのかもしれないが。

 それ以前に、明日はバリバリの平日。昼休みとは言え、素直に解放されるかどうかも怪しい。


 とりあえず、返答してみる。


「仕事なので難しいですかね」


 何か証拠になるかもしれないと思ったから、スクリーンショットでこのやり取りを保存することにした。冷静に考えて、やはり危険だ。信用しろと言う方が難しい。


 返事は意外とすぐに来た。


「脅迫するつもりはありません。お願いします。少しの時間でいいんです」


 よく分からない。このままだと明日仕事が手につかないぞ。いや、明日に限った話じゃなく、ずっと憑き物と一緒に生きていかなきゃならないかもしれない。

 3本目のタバコを吸おうと思った。でも、切れていた。考えるのが面倒になって、そのまま眠ることにした。面倒なことに巻き込まれたと、生きるのが怠くすらなって。


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