第8話 最強のもふもふが仲間になりました

 慌てて頭を抱えたが、特に何も起こらない。…………あれ?


「ガウガウ、グルル、グルルル」


 なんと銀色の狼は私に見向きもせず、床に落ちた肉をめている。いえ、床だけでは足りずにテーブルの上のスペアリブまで食べていた。見れば、尻尾を振っている。


「ワフ、ワフワフ」


 もしかして、もふ魔と一緒で無害なの? これって単に、お腹が空いていただけ?


 ソースを綺麗に舐め取る姿を見て、スペアリブの香りに誘われたのだと気づく。

 そんなに好きなら、残りもあげようか。


「待って、もっとたくさん出してあげるから」


「ガウ?」


 私は鍋に残ったスペアリブを、ソースごと平らなお皿に移した。

 大きな身体できちんとお座りして待つ姿が可愛くて、クスリと笑う。


「はい、どうぞ。今日はこれで全部よ」


 食べやすいよう床に置き、銀色の狼夢中で食べる姿を眺めた。途中、骨の砕ける音が聞こえたけれど、細かいことは気にしない。


「オオォォーーーン」


 遠吠えが感想なのかもしれないが、よくわからなかった。尻尾を振っているので、口には合ったみたい。


 それより、ある思いを遂げたくてうずうずする。少しくらいなら、いいかな?


「ごめんね。もし良ければだけど……でさせてくれる?」


 なんとなく言葉をわかってくれる気がして、たずねてみた。

 返事はないけど、嫌がる素振りは見られない。


 私はそろそろ近づき、手を伸ばす。

 巨大な狼は一瞬じろりと見たものの、撫でやすいよう床にぺたんと伏せてくれた。


「ありがとう。とってもお利口りこうなのね」


 たまらず、つやのある毛並みに触れてみた。

 波打つ銀色は予想通り柔らかく、大きな身体は温かい。


「魔界のもふもふは、みんな優しいのかな?」


 頭を撫でると、サファイアのような青い瞳を向けられた。牙が見えるが怖くなく、鼻の頭に付いたソースが愛らしい。


「ここ、付いているわよ」


 私が自分の鼻を指すと、銀色の狼は鼻についたソースを長い舌で舐め取った。もふ魔同様、話は通じるみたい。だったらこの狼もただの狼ではなく、下級魔族と思われる。


「スペアリブで胃袋を掴んでも、婚活には繋がらないか」


 それでも私にとって魔族は、上級より中級、中級より下級の方が親しみやすい。優しいし可愛いし、何よりもふもふだし……。


 また一つ楽しみを見つけた気がして、声をかけてみる。


「良かったら、また来てね。この時間は大抵、ここにいるから」


「ガウウ」


 銀色の狼は小さく吠えると、音もなく去って行った。




 あくる日の夜、私は皿洗いをしながら昨日の不思議な体験を、料理長に話していた。


「結構大きな狼が来たけど、おとなしかったよ」


「銀色の狼? そりゃあ、フェンリル様だ」


「フェンリルって、北欧神話の?」


「ほくおうしんわ? なんだ、そりゃ」


 魔界に土地の垣根かきねはないみたい。それならいつか、日本の妖怪にも会えるかな?


「本名は非公開だが、きちんと『様』を付けて呼ぶように」


 一つ目の料理長が、真面目な顔で忠告する。


「様って……。料理長は自分より下の位にも、『様』を付けるんですね」


「バカ言え! フェンリル様は上級魔族だぞ」


「えっ!?」


 もふっとしているし、言葉がようやく通じる程度なのに? 

 それなら魔界の身分は知性ではなく、身体の大きさで決まるのかな?


 ……ダメだ。サイクロプスも身体は大きいが、料理長は自分のことを中級魔族と言っていた。それに吸血鬼は、彼より小さくとも上級魔族だ。魔界の基準は、なんだかよくわからない。


「くれぐれも失礼のないようにな。それと、必要なら氷室ひむろから材料を出してもいい。足りないものがあれば行商人に言うから、記しておいてくれ」


「……はい」


 料理長の態度が、急に変わる。

 新たな食材を出してもいいとは、さすがは上級魔族だ。


 氷室とは、調理場の奥にある氷を入れた穴蔵で、長年貯蔵庫として使われているらしい。埃っぽいが、食物の保存に重宝されていた。


 一応お許しが出たということで、これからは材料を自由に使ってみよう。


 貴重な魔骨鶏まこっけいの卵でプリンを作ろうか? 

 悪豚わるぶったのソテーも捨てがたく、キッシュやパイにも挑戦してみたい。

 暴牛あばれうしの肉を細かく刻んだハンバーグもいいし、ラグーソース【肉を煮込んだソース】のパスタも気になる。


 いつものように片付けを終えた私は、結局ハンバーグを作ることにした。バーンズ用のパンを焼き、ハンバーガーにするのだ。


「多めに作れば、明日の朝食にもいけるかな?」


 うきうきしながら調理していると、戸口に銀色の狼が現れた。狼は私の姿を認めると、まっすぐ中に入ってくる。


「ええっと、もうすぐだよ……です。フェンリル様」


 すると銀色狼は、低くうなる。


「グルルルルル…………」


「待ちきれないんですか? それとも実は、フェンリル様じゃない?」


 銀色の狼は、床に伏せた状態で首を左右に振っている。

 両方違うということか。

 それなら、何が不満なの?


 パンの焼ける香ばしい匂いを、胸いっぱいに吸い込んだところで、ふと思いつく。


「もしかして、フェンリル様と呼ばれるのが嫌なのですか?」


「ガウ」


 勘は当たっていたらしい。

 それなら名前を教えてくれればいいのに……って、無理か。


「お名前がわからないので、お呼びできません。勝手に付けていいなら……」


「ガウ」


「……え? いいの!?」


 結局敬語が外れたが、一生懸命考える。


「じゃあ、『もふ魔』……はもういるから、『巨大もふ魔』……はダサいし。フェンリル様がダメなら、『狼様』は?」


「グルルルル……」


「気に入らないのか。確かに可愛くないもんね。じゃあ、『ルー』っていうのはどう? フェンリルの『ルー』だから、いいかなって……思いますの」


「ガウガウ」


 ちょうどパンが焼けたので、了承したことにする。

 けれど、『フェンリル様』改め『ルー』は、焼きたてのパンには興味がないようだ。


「お目当てはハンバーグ? やっぱり肉食か」


 多めに焼いたハンバーグは、葡萄酒を使ったソースで煮込んである。バーガー用に平べったくしてあるけれど、お皿にたくさん盛ったから、結構なボリュームだ。


「ルー、美味しい?」


「ガウ!」


 尻尾をペタンペタンと何度も床に付けるので、たぶん満足している。


 フェンリルは上級魔族でも吸血鬼とは違い、親しみやすい。もふもふさせてくれるし、一緒にいても気が楽だ。

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