第6話 楽しくお掃除

「うわあっ」


 立ち上がった私は、思わず飛びのく。

 だって目の前に、魔王がいたのだ。


「あ、あの……」


「人間、役に立つとは?」


 黒髪に金の瞳の魔王は長身で、金の刺繍ししゅうが入った黒い衣装が良く似合う。両腕を組む尊大な仕草も、目をみはるほど麗しい。


「その前に、私と取引しませんか?」


「取引? もしや、我をたばかったのではあるまいな」


 謀るって、だましたってことだよね?


「とんでもございません! 役に立つのは本当です」


 私は姿勢を正し、魔王の金色の瞳を正面から見つめる。


「私なら、まともな食事を提供できます!」


「まとも? 人間、我にケンカを打っているのか?」


「とんでもない! ただ、牢にいる間に小耳に挟んだので……」


「レオンザーグ様、その者に耳を貸してはなりません!」


 羽を広げた吸血鬼が、空中で叫んだ。


「クリストラン、我が人間ごときにだまされるとでも?」


「それは……失言でした」


 魔王にイラッとした目を向けられて、吸血鬼が口をつぐんだ。


 そういえば、魔王の名前は『レオンザーグ』。

 手料理を頬張るあいつ――怜央を思い出し、私は勇気を振り絞る。


「美味しい料理を作れます。それと、城内を清潔に保つお手伝いも。これだけ広ければ、掃除の手が必要ですよね?」


「……」


 ――いけない。そもそも魔界には、掃除の習慣がなかった。ここの床だけ綺麗なのは、さっきの魔法陣でほこりごと地中に引きずり込むせい?


「魔王様。掃除とは、ほこりや汚れなどを取り除くことでございます。今より幾分、過ごしやすくなるかと」


 なんと、吸血鬼が助け船を出してくれた。人間界に詳しいようだが、どう見ても人間嫌いだ。


「そのくらい知っておるわ。して、取引とは?」


「その前に。私には『人間』ではなく、『ヴィオネッタ』というれっきとした名前があります。レオンザーグ様」


「なっ……」


 クリストランという名の吸血鬼が、怒りでワナワナ震えている。

 対して魔王は面白そうに、眉を片方上げていた。


「ならばヴィオネッタ、その取引とやらを聞こうか」


「はい。この地で役に立てると証明できたなら、人間界に戻してほしいんです」


 戻ったら、王子にぎゃふんと言わせたい。

 それから婚活。今度こそ、普通のお嫁さんになるのだ。


「戻す、だと? 勝手に来ておいて、何を言う」


 確かに魔王の言う通り。

 石の扉をくぐったら、魔界だった。

 でも、知らなかったんだもん。


 もしやあれは、一方通行?

 もう二度と、人間界に戻れない?

 

「一ヶ月だ。人の世界で言うところの、一ヶ月の猶予ゆうよを与えてやろう」


 顔をしかめて悩む私に、魔王がきっぱり告げた。


「猶予?」


「ああ。一ヶ月後に改めて判断する。話は以上だ」


 下されたのは、処刑の延期。

 反論しようにも、魔王は煙となってかき消えた。


 


 そんなわけで、私はこの城でメイドとして働くことになった。白いえりの黒いメイド服はすそが短くて足が見えるけど、贅沢は言えない。

 フリル付きの白いエプロンを身につけ、結い上げた青い髪を白いキャップに隠せば、準備は完了だ。


 ちなみにあの日、何ごともなく大広間から出てきた私を見て、もふ魔達は飛び上がって喜んでくれた。


『ぎぃー、きゅきゅっきゅ』


『ぎーいー、きゅきゅっきゅ、きゅきゅっきゅ』


『もしかして、良かったって言ってくれてるの?』


『きゅい』


 心配してくれたこの子達のためにも、一ヶ月のうちに成果を上げたい。


 まずはお掃除。

 一日ごとに区画を決めて、朝から晩まで清掃に明け暮れる。


 いくつもの尖塔がある石造りの魔王城は広く、壁や柱には薔薇ばら蔓草つるくさ、羽の生えた悪魔や星などの装飾がいたるところにあった。

 綺麗だけど、ほこりが溜まりやすい。

 天井は高く、廊下も吹き抜け。窓が高い位置に付いていることもある。一人では、とてもじゃないけど無理だった。


「ぎぃー、きゅきゅ?」


「ぎーいー、きゅきゅ?」


「どこって……じゃあ、今から天井の掃除をお願いするわ。蜘蛛の巣に突っ込んで、蜘蛛を全部食べてほしいの。終わったら洗うから、ここに戻ってきてね」


 私の友達はもふ魔だけ。

 でも、小さな羽で高いところにも届く、心強い友達だ。


「きゅーい」


「きゅーい」


 返事をした二匹が、パタパタと天井めがけて飛んでいく。

 その間に、壁や窓を綺麗にしよう。

 

 しばらくすると、黒いもふもふした身体に白い蜘蛛の巣や埃を付けたもふ魔達が戻ってきた。彼らの好物は虫なので、満足げな様子だ。可愛らしい口の中から蜘蛛の足がはみ出しているけれど、見なかったことにしよう。


 水を張った木のおけに、もふ魔ごと突っ込んでゴシゴシ洗う。

 最初はモップ代わりにして申し訳なく思っていたけれど、掃除という概念のない彼らにとって、これは新しい遊びらしい。


「きゅーい♪」


「きゅききゅ、きゅききゅ♪」


「お風呂じゃないから。……って、適当に答えているけど、大丈夫よね?」


「きゅい」


「ありがと。じゃあ、今度は天井に沿って端から端まで追いかけっこしてくれる? 途中のシャンデリアやろうそくには注意してね」


「きゅーい」


「よーい、ドン」


「きゅーっ」


「きーー」


 かけ声とともに、濡れたもふ魔が飛び立った。

 薄暗い天井に到着した彼らを見届けた私は、再び窓拭きに専念する。窓枠を磨き始めた直後、背後から嫌みったらしい声がした。


「掃除は順調なようですね。それにしても、人間の分際で悪魔を使役するとは」


 吸血鬼のクリストランだ。

 アッシュブラウンの髪に赤い瞳で尖った耳を持つ彼は、魔王の秘書官を務めている。人間嫌いで初日から私につらく当たっているけれど、たぶん綺麗好き。


「使役ではありません、クリス様。同意の上、手伝ってもらっています」


「クリスではなく、クリストラン・シルバニアです! いえ、お前ごときが我が名を呼ぶなど、図々しい。許可した覚えはありません」


 知ってるー。だって、わざとだもん。

 この吸血鬼は自分の名前に誇りを持っていて、フルネームで呼ばないと怒るのだ。


「失礼いたしました。クリス様」


 舌打ちを我慢して繰り返すと、彼はイライラしたように目を細めた。けれど、私に構う暇はないと思い直したらしく、足早に去って行く。


「……ったく。嫌いなら、わざわざ声をかけなきゃいいのに」


 どんなに美形でも、性格が悪けりゃダメだ。

 元いた国の王子も顔だけだったし、吸血鬼はプライドが異様に高い。

 魔王は――どうだろう?


 そんな私の元に、まん丸な天使――もとい、黒いもふもふ小悪魔が舞い降りた。ドロッドロのまま腕に飛び込んで、嬉しそうに身体をこすりつけてくる。


「きゅきゅきゅー、きゅきゅきゅー♡」


「ぎぃー、きゅきゅきゅー♪」 


 ――褒めてって言っているのかな?


「ちゃんと拭いてくれて、ありがとう。やっぱりイケメンより、あなた達よね~」


 おかげで私までドロドロだけど、がっつり抱きしめ頭を撫でた。

 二匹は可愛いく、掃除も上手になっている。私も負けずに頑張ろう。

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