第5話 もふ魔と私

「きゅーー」


「きゅききゅい」


 黒い塊は、つぶらな瞳を私に向けて可愛く鳴いている。

「お願い」って、放してほしいってこと?


 解放する前によく見ようと、私は一匹を眼前にかかげた。


 もふもふした手触りの毛玉は黒くまん丸で、手足はなくて顔だけみたい。

 頭のてっぺんには角が一本ついており、まゆは怒ったような逆ハの字。

 つぶらな瞳と数字の3を横にした感じの口元が愛らしく、怖さを全て打ち消していた。

 背中には、申し訳程度の小さな羽がある。


「これが下級魔族? やだ、可愛いっ!」


 ぬいぐるみのような感触なので、二匹まとめて抱きしめた。


「やっぱりもふもふだ~。でも、絞め落とさないように気をつけなくちゃね」


「きゅい?」


「きゅいきゅい♪」


 二匹は全く怖くなく、喜んでいるみたい。


「声が聞こえたが……ああ、インプか」


 サイの看守がやって来て、黒い毛玉の名前を教えてくれた。


「インプ?」


「人間界では、『小悪魔』と呼ばれているんじゃなかったか?」


 小悪魔? この黒い毛玉の塊が?


 抱いていた悪魔のイメージとは、だいぶ違う。小悪魔と言うより、これはどう見ても……。


「『もふ魔』、よね」


「きゅい?」


 一匹が、つぶらな瞳を私に向けた。

 ちょっと待った。どうしてそんなに可愛いの!


「好物は虫で、自分達を怖がるものには襲いかかるが、大きな害はない。飽きたら投げて寄越してくれ」


 サイの看守はそう言うと、興味なさげに遠ざかる。

 同じ魔族なのに、扱いが雑!


「インプって呼ぶのはねぇ。『もふ魔』、でいい?」


「きゅいきゅ?」


「きゅいきゅ、きゅいきゅ♪」


「……あ、ちょっと」


 私の手を抜け出して、床をねる『もふ魔』達。

 これって、気に入ってくれたんだよね?


 払い落とした蜘蛛の巣が舞い、ほこりが飛び交う。

 せっかく掃除したけれど――。

 可愛いから、まあいいか。




 魔界には、食事を楽しむという習慣がない。

 料理は変わらず激マズで、見るたびげんなりしてしまう


 そしてもう一つ。

 ここには、掃除の概念もない。

 綺麗なところは魔王のいる広間と、私が今いる独房だけ。

 可愛らしい『もふ魔』達が手伝ってくれるおかげで、いつも清潔だ。


「きゅいーーー」


「ぎゅいーーー」


「待って。そこは、さっきいたばかりだから!」


 おか……げ?

 彼らも私の真似をして、雑巾がけに挑戦中。

 転がるのはいいけれど、埃だらけの身体ではいた意味がない。


「ストップ! もう転がらなくていいから」


「きゅい?」


「きゅいきゅい?」


 また、もふ魔は食べない私を心配しているようで、ネズミを捕まえては、持ってきてくれる。


「きゅーきゅ」


「どうぞって言われても、これは食べられないの」


「きゅいー?」


「きゅーー」


「悲しそうな目で見たって、無理なものは無理だから」


 ある程度意思の疎通ができるため、独房でも寂しくない。人になつく魔族もいると知って、心が温かくなる。


 そんなある日、私は仲良くなったもふ魔に、自分の名前を教えることにした。人差し指で鼻を指し、ゆっくり発音する。


「ヴィオネッタよ。私の名前、ヴィオネッタ」


「ぎゅいいっきゅ?」


「ぎゅきゅいっきゅ?」


「そう、ヴィオネッタ。言いにくければ、ヴィーでもいいわ」


「ぎーー」


「ぎぃー」


「そうよ。上手ね」


 私の友達は、この『もふ魔』だけ。

 もふもふは偉大で、でるだけでやされる。

 何より全く害がなく、ただただ可愛い。

 

「さ、私の名前はもう覚えたでしょう? おいで」


「きゅい」


「きゅーい」


 我先にと飛びつく姿は、素直で愛らしい。

 二匹といると、心が安まる。

 これで食事さえまともなら、楽しめるのに。


 しかし現実は甘くなく、その日は突然やってきた。


「出ろ。魔王様のおしだ」


「心して歩けよ」


 いつもの看守ではなく、私を迎えに来たのは別の魔族た。フードを目深に被り腰に剣を下げた、兵士のような恰好をしている。


「きゅ?」


「きゅい?」


 いつものように遊びに来たもふ魔達も、何かを察したらしい。石の廊下を歩く私の横を不安そうに飛び跳ねる。


「お前達邪魔だ。向こうへ行け!」


 もふ魔は兵士の言葉を聞き入れず、ギリギリまで私について来た。


「ぎぃー」


「ぎー」


「そうよ。私はヴィー、忘れないでね」


 精一杯の笑みを浮かべて、二匹を見つめる。

 連行された大広間に足を踏み入れた途端、もふ魔達の目の前で扉が閉まった。


「ぎぃーー!!」


「ぎーーー、ぎぃーいー!」


 閉じた扉の向こうから、悲しそうな鳴き声が聞こえてくる。


「せっかく覚えてくれたのに、もう会えないかもしれないのね」


 鼻がツンとするけれど、こんなところで泣くわけにはいかない。みっともなくても最後まであがこうと、私は決めている。




 兵士に導かれるまま進むと、玉座に座る魔王が見えた。手前にいるのは吸血鬼で、私を見るなり顔をしかめている。


 背筋を伸ばした私は、圧倒的な美貌の魔王をひたと見据みすえた。


「ふむ。人間、偉そうな態度を取るとは、死をも恐れぬということか?」

 

 黒い階段の最上段から、魔王が私に問いかけた。


「いいえ」

 

 片や私は床の上。今度は口がきけたので、ホッとする。

 

「その目つきで何を言う」


「誰だって死ぬのは怖いでしょう? いくら魔王でも、人の命をもてあそぶのは良くないよ」


「貴様!!」


 激高する吸血鬼を、魔王が片手で制した。


「人間、お前は自分の立場がわかっていないようだな」


 怒気をはらんだ声を聞き、たちまち背中に汗をかく。

 だがここで、ひるむわけにはいかない。


 無駄な殺戮さつりくを嫌う魔王は、魔界をべる力を持つ。

 逆に言えば、彼に気に入られさえすれば、私の身の安全は保証されるのだ。

 だったら卑屈に命乞いをするより、堂々と交渉してみよう。


「あの……」


 ところが魔王は、不機嫌そうに低い声を出す。


「人の身でありながら、我に楯突たてつく気概だけは認めてやろう。せめて苦しまずに、あの世へ送ってやる」


「嫌です!」


 反論をものともせずに、魔王は長い爪を弾く。

 すると私の足下に、大きな魔法陣が出現した。赤く光ったこれは胸元の魔法陣と呼応しているらしく、心臓が引きつれるように痛んだ。


「ぐっ……」


 地中に引きずり込まれそうなほどの圧がかかり、立っていることさえままならない。


 ――このまま床にめり込んで窒息死? それとも心臓がはじけ飛ぶ!?


 恐ろしい想像を巡らせたせいで、鼓動がますます加速する。身体中から汗が噴き出し、いよいよマズい。


「人間、最期に言い残すことは?」


 頭上から、魔王のものと思われる声が響いた。


 気に入られるなんて、とんでもない!

 命の危機に瀕した私は、必死に声を張り上げる。

 

「わ、わたし、お役に立てます!!!」


「…………は?」


 魔王の返事はなんだかつれない。

 それでも光はやんだため、私は胸を撫で下ろした。

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