第2話 魔界に来たようです

 目隠しのまま連れてこられたため、今どの辺にいるのかわからない。

 おおわれた布を自力で外すのに、時間がだいぶかかってしまった。

 ここは、木々が生い茂る深い森。

 日の光もほとんど差し込まない。


「あの場で逆らうなんて、本当のバカは私ね。せっかく婚約がなくなって、自由になったのに。冷静に対処すれば良かったわ」


 なまじ腕に自信があるため、身体が勝手に動いてしまった。

 剣道、柔道、合気道。空手に薙刀なぎなたもバッチリで、居合いあいはちょっと。


 以前の世界で早くに両親を失くした私は、母の実家に引き取られ、組長の祖父に武道を習うよう強要されたのだ。

 おかげで中学までは忙しく、組員達より強かった。


 そんな私の夢は、お嫁さん。

 ごく普通の家庭に嫁いで、未来の旦那様に美味しい料理を食べさせたい。家政科のある高校を選んだのはそのためで、放課後は駅前の料理教室へも通っていた。


 カタギの世界で生きるため、送り迎えも断固拒否。

 警護なんてなくっても、自分の身くらい自分でまもれる。


「だけど一人だけ、『側にいる』って言い張ってたっけ。あいつは元気かな?」


 胸の痛みは、還らない日を思うせい。

 でもあの時は、ああするしかなかったのだ。




『あれって……銃?』


 黒塗りの車から降りた祖父に、銃口が向けられている!

 学校帰りの私は、慌てて駆け出した。


『おじいちゃん、危ない!!』


 凶弾が私の身体を貫いて、場が騒然とする。

 熱い、苦しい、息ができない!

 

『お嬢っ、お嬢っ』


美緒音みおね!』


 あいつと祖父の叫び声。

 大丈夫だよ、と言うはずが――。


『……ぃ……ゴボッ』


 赤いものが噴き出して、視界が霞んでいく。

 ああ、これまでか。最期は意外とあっけなかったな。


 夢は叶わず、お嫁さんにはなれなかった。

 でも大事な人を守れたから、後悔なんてしていない。




「前世で懲りたはずなのに、今回もお嫁さんには縁がないみたい。まあ、あのバカ王子に嫁ぐくらいなら、独り身の方がよっぽどマシだけどね~」


 諦めるのはまだ早い。この森を抜けたら私は自由だ!

 遠くの町で、婚活でもしてみよう。


 むやみにうろつくのは危険なので、まずは切り株を探して回る。確か、年輪ねんりんの細い方が北だったよね。王都は魔の森の東にあるため、森の入り口もきっと東だ。

 料理が趣味で武道を極めた私でも、学校の成績はそれなりだった。


「切り株発見! こっちが北なら、東はあっち。案外簡単に森を出られそうね」


 するとそこへ、見知らぬ男が現れた。


「お前がヴィオネッタだな」


「ええっと……あなたは?」


「もうすぐ死ぬ人間に、教える名はない」


「まさか――誰かの命令で、私を処分しに来たの?」


「さてね。おとなしくしていれば、すぐ楽にしてやるさ」


 ナイフを握り舌なめずりする男に、「はい、そうです」と従う義理はない。

 何か、武器になるものでもあれば……。

 

 足下で、枝がポキリと鳴った。

 ちょうどいい、これで応戦しよう。

 私は両手で枝を構えた。


「へえ? 貴族のお嬢がやる気か? せっかくだから、遊んでやろう」


 遊ぶも何も、私は真剣。

 真剣に、手加減しよう。


「いいよ。お嬢、来な」


 言ったね? ちゃんと聞いたよ。

 じゃあ遠慮なく。


「メーーーン」


「……は?」


「と油断させて、コテーーーッ」


「いてーーーっ」


 力を込めて手首を打つと、ナイフがあっさり地面に落ちた。男は口ほどにもなく、なんだか拍子抜け。


「お前、何者だ?」


「もうすぐ死ぬ人間に、教えるはずないでしょう?」


 もちろん殺すつもりはないけれど、わざとらしくニタリと笑う。ある程度怖がらせたら、命じた相手を聞きだすつもり。

 たぶんそれが国宝を盗み出した犯人で、私を陥れた相手だろう。私の口封じを、この男に依頼したと思われる。


「奇声でごまかせると思うなよ」


 素手で飛びかかってくる男は、見上げた根性だ。

 でも私、柔道だって有段者。

 木の枝を放り投げた私は、伸ばされた男の手を掴み、タイミング良く投げ飛ばす。


「がはっ」


 背中から落ちて痛そうだけど、ちゃんと加減した。

 この男、すぐに起き上がれないとは情けない。


「くそっ、覚えてろよ」


「え、もう終わり? ……って、こら、待ちなさいっ!!」


 男は意外に逃げ足が速く、森の中をジグザグに駆け抜ける。

 とうとう見失ったため、私は木に八つ当たり。みきに拳を打ちつけた。


「くっそー。犯人の特徴だけでも、聞いておけば良かった」


「オオォ~~ン」

 

 突如、遠吠えが聞こえた。


「そういえば、この森には狼がいるんだっけ。動物園で見ただけだけど、狼ってうちのドーベルマンより強いのかしら?」


 転生前の祖父の家では、ドーベルマンを飼っていた。

 私のことをめてうるさく吠えたため、一度らしめたことがある。もし狼に襲われたら、あの要領でいいのかな?


 不安どころか、その反対。

 不幸な境遇にもかかわらず、私はワクワクしている。

 バカな王子と縁を切ったので、着飾って城に行く必要はない。冷たい両親からも離れた私は、貴族のしがらみの外にいる。


「森を出たら、街で婚活しようかな。間違っても、顔だけの男を選ばないようにしなくっちゃ」


 ふと辺りをうかがうと、何対もの光る目が、木々の間から私を見ていた。


 ――――狼だ!


「ウオォォォ~~ン」


 群れのリーダーらしき声が響く。

 狼は集団で狩りをする。一対一なら勝てても、集団だと不利だ。


「ヤバッ、逃げなきゃ」


「ガウガウガウッ」


 落ち葉の積もった足場は悪く、枝やとがった葉が腕やほおを傷つける。つかず離れずの距離をとる狼は、狩りを楽しんででもいるみたい。

 対して私は、息が上がってきた。

 けれどここで立ち止まれば、多数を相手にしなくちゃならない。


 木々が途切れ、見通しのいい広場のような場所に出た。

 途端に一頭が走り出す。

 その狼の鼻先に、私は迷わずこぶしを叩きつける。


「とおっ」


「ギャンッ」


 ――お? これならいける?


 そう思ったのもつかの間。

 今のはした狼が、様子を見に来ただけらしい。


「オォォォ~ン」


「ウオォォォ~ン」


 狼達は大合唱。

 リーダーらしき狼が、群れをひきいてじりじり迫る。


「こっちだって、負けないよ」


 私は身体の前で両手を構え、腰を落とした。

 みっともなくてもあがきたい。

 銃弾よりも狼の方が、まだけられるから。


「ガルルルル」


「グワアッ」


「……と見せかけて、やっぱり逃げよう!」


 広場の先まで走ったところで、奇妙な何かが目にまる。

 それは森には不似合いな、った造りの石の扉だ。

 しかも裏には何もなく、なんのためにあるのかわからない。


「もしかして、どこでも○ア?」


 迷っている暇はなく、たとえ無理でも試したい。

 私は急いで開くと、中へ飛び込み扉を閉めた。


「ギャン」


「グワッ」

 

 扉の向こうに何かが当たった気がしたが、その後はシンとして何も聞こえない。


「助かった…………かな?」 


 扉を両手で押さえたまま、ひと息ついた。

 乱れた呼吸を整えて、やれやれと後ろを向く。

 

「な、なな、ななな…………」


 驚きすぎて言葉にならない。

 眼前に広がるのは、見たこともない景色だ!


 暗い空に赤い二つの月。

 はるか遠くの高台には、いくつもの尖塔せんとうを持つ城のようなものが建っている。そこから今いる崖の下まで、家らしきものがひしめいていた。

 奇妙な鳥の声が聞こえるし、不気味なうなりは風の音?


 なんだか暗くて異様な世界だ。

 思わず後ずさると、石の扉はあとかたもなく消えていた。


「なんで? 元に戻れない!」


 森のどこかに、魔界に続く道があると噂されていた。

 でもそれが、道ではなくて扉だとしたら?


「ここって…………魔界!?」

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