第18話 寂しいから彼氏くんの代わりに抱いてほしいんだってさ?

「いらっしゃい。ごめんね、急に来てもらっちゃって……」

「ううん、僕は大丈夫。はいこれ、頼まれてたやつ」


 部屋に入るなり身体中が一気にぬくもりに包まれる。ぴゅぅと吹く寒風に晒された頬が急な温度の変化でじわじわと熱を帯びた。部屋の中だからかいつもよりラフな格好の葵ちゃんが出迎えてくれて、思わず頬が緩みそうになったのを慌てて堪える。と言うのも……


「オレもへーき! んで、この子がお姉さんのワンちゃん?」


 今日僕と同じ講義を受けていた堂島が一緒についてきていたからだった。……今更かもしれないが、友人の前であんまり彼女にデレデレしまくりなのは流石に少し恥ずかしいのだ。

 知らない男が二人も来たからか、ちゃっちゃっと音を立てながらポメラニアンがフローリングの上で落ち着きなくぐるぐる回る。今日僕たちが葵ちゃんの部屋に来たのは他でもないこの犬が理由だった。


「ごめんね、お姉ちゃんのせいでデートダメになっちゃって……」

「気にしないで。お姉さんもお仕事なんだし仕方ないよ」


 家族に対してだからか珍しくむくれている葵ちゃんはいつもより少し幼なげでなんだか可愛らしかった。

 今日は授業終わりに葵ちゃんとデートの予定があったのだが、直前になって急に行けなくなってしまったのだ。と言うのもお姉さんが仕事の都合で出張することになってしまい、その間愛犬の面倒を見なくてはいけなくなったらしく……

 それなら、と急遽予定を変更して葵ちゃんの家で部屋デートをすることになったのだった。ドッグフードやらなんやらを買いこんだのだがこれまた量が多く、難儀している僕を見かねた堂島が一緒にここまで運んできてくれて今に至る。


「んじゃ〜、オレ帰っから」

「え、堂島先輩。お茶くらい飲んで行ってください!」


 荷物を運び終えた堂島が僕たちに気を使ってかそそくさと帰ろうとするのを慌てて葵ちゃんが引き止める。実際、僕としても手伝ってもらったのにすぐ帰らせるのはちょっと申し訳なかったので「堂島も犬好きなんだから撫でさせてもらえば?」と声をかけた。……一人暮らしの彼女の部屋で緊張しているからではない、断じて。


「え、いーの? じゃー、お言葉に甘えて」


 堂島はパッと表情を明るくするとそのままポメラニアン……マロンくんの目の前にしゃがんで戯れ始める。ほんとに犬好きなんだな、と思いながら眺めていると不意にくいくいと袖を引っ張られた。


「理人くんもほんとに来てくれてありがとね。助かったし……家に来てくれて嬉しいな」

「い、いやそんな……僕は葵ちゃんに会えればそれで良いし……」


 彼女のストレートな言葉に改めて「彼女の部屋に来ている」という事実に胸が高鳴ってゆくのが分かる。堂島がいなかったらつい胸のときめきに任せて抱きしめたくなっていたところだった。お互い初めての恋人なんだからちゃんと段階を踏まなきゃいけないって言うのに……


「…………私も今日のデートも楽しみにしてたんだ。付き合ってもうすぐ半年になるから、今日こそ、私、理人くんと」

「葵ちゃん?」


 なんて考えていれば頬を真っ赤に染めた葵ちゃんが意を決したような真剣な表情で僕を見上げる。けれどそれ以上言葉を続けるよりも前に「キャンッ」と愛らしい鳴き声が僕らの間に割り込んだのだった。


「うわっ、きゅ、急に来た……!」

「わぁ、マロンも理人くんのこと好き?」


 堂島と遊んでいたはずのマロンくんが今度は僕の方に突っ込んできたのだ。綿毛の塊が元気いっぱいに僕の足にまとわりつくので目線を合わせれば、大はしゃぎのマロンくんがぺろぺろと僕の顔中を舐め始める。


「わっ、なになに。くすぐった……」

「おっマロンくん。彼氏くんの方がお気に入りじゃーん」

「ふふ、理人くん優しいもんね」


 頬やら口やら舐められるのはくすぐったいけど、こうも懐かれるのは正直気分が良い。思わず頬をにまつかせながらふわふわの身体を撫でれば、ちぎれそうな勢いでマロンくんが尻尾を振った。


「よ、よしよし。可愛いなぁ。はは、いい子いい子。かわいいかわいい」

「……マロン、すごく理人くんのこと好きだね〜……?」


 ある程度撫でれば満足するかと思ったが、想像以上にマロンくんは人懐っこかったらしい。もうどこもかしこも舐められながら撫でる至福の時間が続いて猫派の僕もすっかりメロメロになってしまった。しかしこのままずっと続くかと思っていたなでなでタイムだったが、不意に伸びてきた腕がひょいとマロンくんを抱きかかえて終わりを迎える。


「そろそろオレにももっかい撫でさせてくんね?」

「あっ、ごめん。一人占めは良くないよな」


 あまりの可愛さに頭から吹っ飛んでいたが、確かに僕だけが可愛がるのは良くないだろう。慌てて謝罪を口にすれば、堂島は珍しく歯切れの悪い様子で苦笑したのだった。


「まー、オレとしてはそれでもいいんだけど……一人占めは良くないし寂しいから彼氏くんの代わりに抱いてほしいんだってさ?」

「えっ?」

「堂島先輩っ!」


 僕が意味を理解するよりも早く、葵ちゃんが慌てた様子で堂島に飛びつき「言っちゃダメですってば」とヒソヒソ声で念押しする。……いや、聞こえてるけど。


 ……つまり、僕の代わりに堂島がマロンくんを抱っこしてほしいと葵ちゃんが頼んだのだろう。そして一人占めが良くないのは僕ではなく、おそらく……


「……ご、ごめんね葵ちゃん。葵ちゃんもいっぱい撫でようか?」

「〜〜〜〜ッ……………………ぅん」


 僕の提案に羞恥やらなんやらで顔を真っ赤にしつつも最終的に小さな声で葵ちゃんが頷く。

 まさか犬にヤキモチを妬くなんて。部屋着と言い、また一つ知らない彼女の可愛さを発見できた喜びを噛み締めながら僕はマロンくん以上に丁寧に葵ちゃんの頭を撫でたのだった。




 ……後日、最高の部屋デートのきっかけになってくれたマロンくんには新しいおもちゃを献上させていただいた。

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彼氏くん、見てる~? 折原ひつじ @sanonotigami

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