第17話 これ、本当にマッサージなんですか?
「彼氏クン、もう一本いけるか?」
「待っ……ちょ、休憩……!」
ああ、どうしてこんなことになったのか。二年生になってから数十回は呟いている気がするが、今は喉からぜひゅぜひゅと死にかけ間近みたいな音しか出てこなくて言葉にならない。べちゃりと倒れ込めばひんやりとしたテニスコートの温度が気持ちよかった。
「ちょっと無理させたな。大丈夫か?」
一方の結城先輩は同じようにテニスをしていたはずなのにほとんど汗もかいておらず、こちらに駆け寄ると心配そうに僕の顔を覗きこんだ。
どうして僕は冬も近いというのに汗だくになっているのか。どうして文芸サークル所属の僕が結城先輩とテニスをしているのか。
話は一時間ほど前に遡る……
「彼氏クン。ちょうどいいところに来た! 頼み事してもいいか?」
「え」
借りていたノートを返そうと思って「いつ頃行けばいいですか?」と連絡したら「この日ならいつでも大丈夫。サークルのコートにいる」と返ってきたので僕は恐る恐る陽キャの巣窟ことテニサーの部室にやってきたのだが、意外なことにそこには結城先輩しかいなかったのだ。
なので安心してノートを返そうと思って話しかけたところ、先ほどの「お願い事」を投げかけられたのだった。
「見ての通り今日はうちのサークル休みなんだが、どうしても身体を動かしたくてさ。少しラリーに付き合ってくれないか?」
「何企んででるんですか? ……そもそも僕、テニスやったことほとんどないですけど。それにこのあと葵ちゃんに会う予定ありますし」
経験なんて高校の体育くらいでしかないし、ただでさえ運動神経は良くないのだからろくな練習相手にもならないだろう。何より普段あまり運動する習慣がないから何となく気が引けた。葵ちゃんとの待ち合わせまではまだまだ時間があるが、言い訳に使うくらいは許されるだろう。
「相手がいるだけで違うんだよ。あとでお礼もするし、彼氏クンとなら絶対楽しいだろうからさ。いいだろ?」
僕の知ってる結城先輩は「カップルの当て馬になりたい」と豪語する性癖がねじれきった残念な先輩という感じだが、それでも普段の彼はやっぱり人気者なわけで。甘え上手というか、仕方ないなと思ってしまう口調に結局僕は絆されて「まあ少しなら」と了承したのだった。
「おー。彼氏クン、すごいじゃないか。なかなかやるなぁ。上手だぞ」
「えっ、そ、そうですか?」
「ちょっと速い球も打ってみるぞ。まぁ、君なら大丈夫だろ」
「わ……はい、これくらいなら大丈夫です!」
「良かった。もう少しだけ続けるぞ」
「頑張ってるとこかっこいいぞ。きっと藤本も惚れ直すんじゃないか? ほら、次の球!」
「ちょ、せんぱ、はや、はやい!!」
そんな調子ですっかりシゴかれ、あっという間に僕はボロ雑巾同然のヘトヘト汗だく状態でコートに突っ伏していたのだった。
「ちょっとって言ったじゃないですか!」
「悪い、つい夢中になってた」
大学のテニスサークルにあるまじき「恋愛禁止」を掲げる男だ、テニスをしていて楽しくないわけがないのだろう。とは言えもうちょっと手加減して欲しかったなと思っていればもふ、と柔らかな感触が僕の顔を包み込んだ。
「服、汗だくになっちゃったな。シャワー使った後。俺の服でよければ貸すから着て帰ってくれないか」
「えっ、あ、ありがとうございます……?」
僕の顔の汗を拭いながら申し訳なさそうに申し出る結城先輩に内心僕はどきりと心臓を跳ねさせる。先輩はいつも服装が洒落ているけど、僕に似合うだろうか?
「おお、良く似合ってるじゃないか。疲れただろうし少しマッサージでもしてやるよ。おいで」
なんて思っていたものの、実際に手渡された服はモスグリーンのニットとくすんだグレーのシャツの組み合わせで普段の先輩のイメージとはちょっと違う印象の服だった。少し意外だけど、これなら僕が着てもそこまでヘンテコにならないだろうと袖を通して部室に迎えば、すぐさま結城先輩がぽんぽんと膝を叩いて僕を手招く。
「大丈夫だ、変なことしないから」
「いや変なこともないもないでしょう!」
思わず身構えた僕に対し先輩はなんでもないような表情で冗談めかすものだから、何となく肩の力が抜けて結局僕は先輩にマッサージしてもらうことになったのだった。
いいのか? 知り合いとは言え先輩にマッサージさせるなんて。でも身体はくたくただし、先輩も「後輩にマッサージすることもあるから」と言うので甘えることにした。
「はは、彼氏クン肩バッキバキだな。ずっと本読んでるから」
「今僕がインドアなの関係ないじゃないですか!」
椅子に腰掛けた僕の肩や腕を結城先輩が後ろから丁寧に揉んでいく。テニスで疲弊した腕だけでなく普段猫背になりがちな背中や肩までほぐされて、あらがえない心地よさでつい居眠りしてしまいそうなほどだ。
「少し頭とか顔もマッサージするから、そのままウトウトしてて良いぞ」
もうまぶたがくっつくくらいの頃にそう囁かれて、僕は半ば反射的にコクリと頷く。こう言うところは優しいんだよな。
先輩はクス、と息だけで笑うとそのまま僕の頭のツボを押したり、耳をクルクルほぐしたり、頭や顔にクリームを塗ったり、髪にクシを通したり……
「……これ、本当にマッサージなんですか?」
「いや、マッサージなわけないだろ?」
途中から強烈な違和感を覚えて問えば、案の定想定通りの答えが返ってくる。慌てて目を開ければ、視界に飛び込んできたのは鏡越しの自分の顔(ヘアワックスでスタイリング済み)だった。
「このあと藤本の希望で女子に人気のカフェに行くんだろ? 服もスタイリングもやるならたくさん他の女の気を惹いて、藤本にヤキモチ妬かせて来い♡」
「やっぱ企んでたんじゃないですか!」
晴れやかな笑顔でまたとんでもないことを言いやがる。前言撤回。本当にこの人に関わるとろくなことがない。
結局その後僕はそのまま葵ちゃんと落ち合い、慌てた彼女にお家デートに誘われたのだった。
「……先輩からもらったシャツ、よく見たらタグついてるじゃん」
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