第16.5話 「彼女さん」を見てる
冬特有のもったりとした雲の合間からわずかに射した日が、ちかりとなにかに反射する。その正体に気づいた瞬間「あっ」とあたしの口から自然と声がこぼれ落ちた。
「万里菜ちゃん?」
先ほどまで楽しそうにおしゃべりをしていた葵がピタリと言葉を止めてこちらを覗き込む。顔にはあからさまに「心配」の色が浮かんでいて、あたしは慌てて理由を口にしたのだった。
「えっとね、葵が指輪つけてるからびっくりしちゃってぇ……」
指差した先、シンプルだけど波が打ったようなやわらかい印象のリングが葵の右手にはめられていた。先日会った時にはつけていなかったけど、それってもしかして……
「その……」
「センパイとおそろ?」
あたしが目を向けた瞬間、見る見るうちに葵の頬が紅潮してゆく。お風呂上がりメイクみたいだなぁなんて思いながら照れて何も口にできない彼女の代わりに踏み込んだ質問をすれば、葵は小さくこくりと頷いた。
ああ、やっぱり!
「センパイったらやっとかぁ!」
労い半分、愚痴半分みたいな声が思わず出てしまうけど許してほしい。だってこっちはいつセンパイが葵にペアリングをあげてもいいようにおそろいの指輪だけはプレゼントしないようにしてたのだ。指輪はいくらあっても困んないけど、葵はロマンチストだからやっぱり初めてのペアリングは彼氏がいいだろうし。
その分、イヤリングとかネイルとか色々揃えてるからいいんだけどさ。
「良かったねぇ、葵。指輪カワイイね」
とにもかくにも今は葵への祝福だ。あたしがツン、と彼女の右手薬指の「それ」をつっつけば葵はふわふわした声で「うん、嬉しい……可愛い……」と囁く。
もう一度陽の光にかざすみたいに手のひらを伸ばす葵の表情は、今まで見た中で一番満たされたような表情をしていた。
そんな彼女はやっぱり今日も綺麗で、あたしはこっそりスマホを向けるとパシャリと一枚写真に収めたのだった。
**********
「醍醐さんっていっつも同じ本読んでるよね」
葵と初めてちゃんと話したのはあたしがまだツインテールとか出来ないくらい髪の毛が短い頃だった。中学一年の夏になる前くらいのこと。
その頃からすでに葵はめちゃくちゃ可愛くて、クラスでも人気者だった。一方のあたしは本ばっかり読んでいてクラスに友達も少なかったから、なんで話しかけてきたのかわからなくて戸惑ったっけ。
もしかしてからかってるのかななんて身を固くするあたしに構わず、葵は目の前の席に座るとこちらをちらりと覗き込んだ。
「ねえ、どんなお話?」
「……そんなに気になるの?」
イジワルしてるにしてはあんまり楽しそうに聞いてくるからあたしはなんとなく気になって彼女の質問に質問を返す。特段気にしたそぶりもなく彼女は「うん」と素直に頷いた。
「だって、そんなに何度も読み返したいほど素敵なお話なんでしょ?」
彼女の視線がまっすぐにこちらを射抜いて、自然と心臓がどきりと跳ねる。さっきまで気にならなかったのに急に暑さがぶり返したみたいに肌が熱を帯びて、でも全然イヤな熱さじゃなかった。彼女の長い髪が夕焼け混じりの風に吹かれてやわらかに揺れる。
「……確かに面白いけど、ほんとは小学生向けのお話なの。だから藤本さんが普段読むものと比べたら子どもっぽいかもよ?」
褒めてもらって嬉しいのに、それでも口からは否定的な言葉がこぼれ落ちる。だって実際読んでみたら面白くなかったって言われたらきっと絶対傷つくから。
それなら初めから自分で傷つけておいた方がまだマシだった。
けれどあたしのセリフに対し、彼女はきょとんと目を丸くした後すぐにふわりと目を細めて笑う。
「ううん、そんなことないよ。だって普段全然本読まないから!」
「えっ!」
予想もしなかった言葉に想像よりも大きな声が出て慌てて口をふさげば、葵も「あはは!」と大声で笑ってから口をふさいだ。それからちょっと声を潜めてから、恥ずかしそうに微笑う。
「……今までお勉強ばっかりで全然読む機会がなかったの。最近は良くなってきたけど、あんまり頭よくないから」
意外だな、というのが正直な感想だった。だって全然勉強苦手な風には見えないし、そんな話聞いたことなかったから。
けどもし本当に彼女が勉強が苦手で精一杯努力することで補ってきたんだとしたら……
「だからかな、醍醐さんが心から大好きって顔で読んでるから私も読んでみたくなったの……それから、大好きなものを大好きって言えるかっこいい人ともお友達になれたら嬉しいな」
「……それなら貸してあげる。あたしはこの本が一番好きだけど、他にももっといろんな素敵な本があるの。藤本さんが好きそうな本もいっぱい教えるから!」
声がちょっぴり裏返ってしまって恥ずかしい。でも彼女はおかしそうに笑うことはなく、目を大きく見開いてからうっすらと微笑みをたたえた。
そんな彼女はどこか浮世離れした美しさに満ちていて、その日からあたしは彼女に惹かれるようになったのだった。
**********
「……そんな葵が今じゃ彼氏とペアリングかぁ」
「えっ、なぁに?」
もう一枚写真を撮ったところでようやく気づいたのか、葵がパッと顔を上げてスマホの画面越しに目線がかち合う。
今の彼女は頬なんか真っ赤っかで口元なんかゆるゆるで、すっかり大好きな人を想う「彼女」って感じの顔だった。
あの時のまっすぐな清廉さとは全然違って……
「葵、今日も可愛いよ〜!」
それでいて幸福の滲む美しさを持つ彼女が、やっぱりあたしは大好きなのだった。
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