第16話 指輪、今だけは外せよ

「わぁ、海だぁ!」


 車窓から覗く海が秋の穏やかな陽の光を浴びてやわらかくきらめく。子どもみたいにワッと声を上げてから、慌てて恥ずかしそうに口をつぐむ恋人は普段より一層可愛らしかった。


「もう、やだな。何度も見てるのにいまだに海見るとテンションあがっちゃって……」

「葵ちゃん、海無し県出身だもんね」

「そう! だから海ってなんだか特別感あって」

 やっぱりはしゃいで返す葵ちゃんと僕を乗せた江ノ電がゆらゆらと揺れながら街中を進んでいった。


 今日、僕たちは紅葉を見るためにちょっと遠出をして鎌倉に来ている。日帰りだけどちょっとした旅行と思えばなんだか自然と気分も上がってさりげなく彼女の指に指を絡めれば、葵ちゃんはちらりとこちらを見た後「ふふ」とまた笑って指を絡め返す。

 

 ああ、幸せだ。あんまりにも幸せすぎてうっかり今日の目的を忘れそうになってしまう。彼氏なのだからちゃんとリードしなくては!

 今日の目的は紅葉を見ること、そして……

 ドキドキと高鳴る心臓をどうにか落ち着かせながら、鎌倉の町を練り歩くのだった。




「葵ちゃんって、見かけによらず結構胃が大きいよね」

 そのあとお寺や大仏を見たり、紅葉をゆっくり眺めたりと穏やかな時間を過ごした僕らは小町通りで食い歩きを楽しんでいた。

 うどんを平らげた後にクレープを味わった葵ちゃんは今、大仏の顔を模った今川焼きにかぶりついている。あんこを口の端につけた姿が微笑ましくて思わず呟けば、彼女は目をカッと開いた後慌てて弁明を口にしたのだった。


「えっ、その……今は観光だから! だからいつもよりいっぱい食べてるわけで、食いしん坊ってわけじゃなくて……!」

 

 ……以前飲み会の後にシメのミニラーメンを食べていたから、別に葵ちゃんが結構しっかり食べることは前からこっそり知っている。けど普段の彼女は恥ずかしいからか僕の前ではあまり食べすぎないようにしていたみたいだから、今の遠慮のなさが心から楽しんでくれている証拠のようでなんだか嬉しかった。


「ううん、葵ちゃんが美味しそうに食べてるの見るの、その……好きだから、いっぱい食べてくれて嬉しいよ」

「……ほんと?」


 だから心のままに、否、照れ臭さを乗り越えて伝えれば羞恥に顔を真っ赤にしていた葵ちゃんが半信半疑で訊ねる。「うん」と頷けば、ようやくホッとしたようで彼女は安堵の表情で残りの今川焼きに舌鼓を打った。


「それで、このあともう一軒行きたいところがあるんだけど……」

「うん、大丈夫だよ!」

 

 彼女が全部食べ終わったのを見計らって、僕は葵ちゃんの手を引きながら目的地へと向かう。緊張で表情がこわばって手汗がにじむのが少し情け無いけど、それでもたどり着いた先のお店を見て「あっ」と葵ちゃんが明るい声を上げただけで胸がスッと軽くなったのがわかった。


「ここ、前に雑誌で見たことある。アクセサリー工房だよね?」


 おしゃれなお店に詳しいわけじゃないから雑誌とかテレビで特集されてるところくらいにしか連れてってあげられないし、彼女も「ここ」がどんなお店かはもう知っているみたいだった。それでも改めて僕は小さく空気を吸い込むと、彼女の手を握る指に力を込めて伝える。


「予約してあるんだけど、その……良かったらここでペアリングとか作らない?」


 前から「もうそろそろ付き合って半年だから何かしたいな」とは考えていたのだ。けど伝える勇気が出たのは多分この前の「写真事件」のおかげだ。もちろん葵ちゃんは優しくていい子だし前から彼女は僕のことを好きでいてくれてるのはわかってたけど、改めて想いを確認したら「僕もちゃんと好きだってもっと伝えたい」と思った。

 今までアクセサリーとかつけたことなかったし、やっぱりちょっと照れくさいけど……


 まずはその最初の一歩だ。


「うん!」


 僕からのお誘いに一瞬きょとんとしていたものの、すぐに彼女は瞳を潤ませて力強く頷く。そして今度は彼女がはしゃいだ様子で僕の手を引くと、お店の中に意気揚々と進んで行ったのだった。


「予約してた……杉原です!」




「そのあと一緒に指輪作って帰り道ずーっとペアリング見てニコニコしてた葵ちゃん、可愛かったな……しかも杉原って僕の苗字を名乗ってて……どっちもホントになっちゃったらどうしよう……」

「わーったから指輪、今だけは外せよ。彼氏くん、アレルギー出ちゃってんじゃん! トップコート塗っから貸して!」

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