第4話 街中
その後の日々は、あまりにあっけなく過ぎた。
ミヤノはしばらくして、突然転校してしまった。挨拶は何もなかった。
バイオテロは結局俺の耳には入ってこなかった。
医者が炭疽菌で死亡したという記事は全く報道されなかった。
もしかしたらミヤノは途中で実行をやめたのかもしれない。
そんな希望を持ったが、それが自分に言い聞かせるためのものだという事はわかっていた。
多分、あいつはやめないだろう。
いや、あるいはそれも俺の願望なんだろうか。
いつまでたっても気持ちを整理することができなかった。
そんな風にしているうちに、俺は高校を卒業し、大学に入った。
友達は少なくなかったし、ときには恋人もいた。
それでも、親友と呼べる奴も、本当に愛しいと思える人間もいやしなかった。
そのまま大学を卒業して、いい会社に入った。世界でも十指に入る大企業だった。
俺は同年代の人間の何倍も金を稼いだ。
時には何十倍も。
母親にも楽をさせられるようになった。
弟もいい大学に入れた。
金を稼いだら解決した問題はいくつもあった。
それでも、俺は心から幸せを感じることができなかった。
〇
ある朝、会社へ行く途中だった。ビル群に臨んだ駅から降りて、横断歩道で信号が変わるのを待っていた。この道を通い始めてから、もう七、八年は経つ。俺の時間はいつもあっけなく過ぎるようにできている。
初夏でスーツを着ているのがばからしくなるくらい暑かった。桜が散るのも早かったし、もしかしたら地球温暖化が進んでいるのかもしれない。
このビルの森みたいな都会をいくら歩いても同じ風景が見えるように思えた。
最先端の、一番流れが速い街にいるのに、変なことを考えるもんだ。
いつも通りの雑踏。額に大粒の汗がにじむのを感じた。
信号待ちの雑踏の中には、俺と同じように感じている連中がわんさかいるんだろうな、と思った。
この時間のこのあたりは勤め人ばかりいる。時々ブロンドや茶髪が見えるが、そこにいる人間は黒髪の人間がほとんどだった。
いつもこの彩度の低い景色にはうんざりする。
信号はまだ、赤のままだ。
俺は自分が勤め人になって、人間というやつがどれだけ身勝手でモラルがないかを身をもって経験することになった。学生時代には性格の悪い奴というのはあまりコミュニティに居なかった。そういうやつは遊び友達としては面白くないから、自然と人が離れていく。
だが、会社勤めだと性格が悪かろうが何だろうが、付き合わねばならない。そして中にはとんでもない俗物の馬鹿がいるものだ。
もっと言えば、人を踏みにじって気にしない悪党も。
気分が重くなった。ここ何年かは気が晴れたことがない。
そんなことを考えていると、雑踏の黒髪の中に、青色の髪が見えた気がした。
アディダスのジャージを着ていて、全部の手の指にシルバーアクセサリをしている。
見覚えのある少女だった。
青色の髪の少女は、信号を無視して横断歩道を走り抜けた。
あぶない、と俺は言いかけた。
少女が通り抜けるのを見て、車がどんどん急ブレーキを踏んで、停まっていく。
クラクションが交差点に鳴り響いた。
そして、横断歩道の向こうで、少女は手を振った。
「トキタ!いこうよ!」
〇
信号は赤から青に変わり、交通は乱れずに、歩行者が横断歩道を通る。そこには青色の髪も、急ブレーキの車も、クラクションもなかった。
周りの人々がどんどん横断歩道を渡っていく。
俺だけそこに取り残された。
いつまで俺はこうしていただろうか。
やがて、俺は自分の立っている地面に水滴がぽたぽた落ちているのを見つけた。
そこに落ちていたのは、汗だけじゃなかった。
〇
ミヤノ、おれは大人になって、汚いものをたくさん見たよ。
お金があっても、名誉があっても、お前の言う通り関係なかったよ。
俺が手にしたものは、俺を幸せにはしなかった。
あのときはわからなかったけど、いまならわかるんだ。
いまなら、ミヤノ、お前が何を思っていたか、少しはわかるんだ。
お前がいなくなって、誰とも仲良くなれなくなったよ。
お前がいなくなってすごく寂しんだ。
なあ、もう一度お前に会いたい。
もう一度、会って、いろんな話をして欲しい。
屋上でバイオテロの話をしてたあの時みたいに、たくさんの話を。
ー了ー
屋上のバイオテロ 早雲 @takenaka-souun
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