スクラップ計画Ω

 笑う顔が見たかった。愛する人の笑顔を見たいと思うのは普通のことだろう。だけど、目が赤くなるほどクシャクシャになった泣き顔もポツリと落ちたりとめどなく溢れて流す涙も、それはそれで愛おしいもので繰り返し繰り返し何度も見た表情なのに見飽きないんだよね。不思議だよ。


 それがキミにそっくりなんだよ。


 考え事をする時に右人差し指で唇を触るクセ、何も無いのに何かを見上げている素振り……濃い栗色の髪も同じ色の瞳も、キミの色なんだろうな。不思議だよ。


 それもキミにそっくりなんだよ。


 俺は居ない存在だ。だけど、この世界にまだ存在している。どういうことかと言えば、ただ単に死にそびれただけである。反社会勢力組織の研究所で、誰の役に立っているのか誰のためにしているのかもわからないことをして過ごしている。


 あの日、俺のボルトを妻が抜くと自身も後を追った。妻の同僚が駆けつけて、すぐにボルトを差し込んだそうだ。俺の時限式はボルトが抜けていたから生命活動に反応せず作動しなかった。戸籍上は既に死んだことになっている。いつ政府に気付かれるかまた壊されるかもわからないのに、この研究所に居る。


 どうしてキミは元に戻らなかったんだ。

 どうしてキミは俺をひとりにしたんだ。


 人間一人が入るカプセルに、俺の妻は眠ったままだ。研究者はただそれを毎日眺めている。


「パパ?」


 どうしてキミは……彼女を残したんだ。


 望んでもいないのに、この研究所のヤツらは俺と妻の子供を造った。どこからいつ入手してきたのか知らない。良かれと思ってなのだろうか。俺は望んでなんていない。妻が居れば良かっただけなのに。


 些細なことで無邪気に笑って、駄々をこねて、思い通りにならないとふてくされて……本当はキミがそばに居るようだ。

 娘は再度「パパ」と呼び、上着の裾を引っ張った。


「どうした?」

「ママが言ってたの」

「え?」


 少し驚いて娘の顔を見ると、瞳にはやつれた俺が居た。栄養は足りているはずなのに、どことなく気力のような何か漲るものがない。目を逸らしたくなる。

 キュゥゥと娘の瞳から音がすると、カチリと何か機械音がした。


「私をひとりにしないでね」

 瞳には、妻が居た。

「永遠が欲しい」

 キミと俺の永遠が、俺だって欲しい……!欲しかった!悲しさや寂しさを隠せない表情の俺とは反対に、妻は少し甘えた笑顔を俺に向けている。今すぐ抱きしめてやりたいのに。安心する言葉をかけて、頭を撫でてやりたいのに。だけど、キミの言う「永遠」は何だ?妻の口からそんなことを聞いたことがない。何か引っかかった。


「パパ」

 娘の声で我に返ると、もう妻は居ない。

「失礼します」

 ドアが静かにサッと開いて、研究者の女性が入ってくる。

「どうかしたんですか?」

「そろそろ、お話するべきかと思いまして」

「そろそろって、何か隠してたんですか?」

 語気が少し荒くなった。娘が怯えていないかと見ると、娘は人形のように定まらない視点をどこかに向けて口元だけを微笑ませ微動だにせず立っていた。

「彼女は、もう目を覚ましません。あなたのことも、覚えていません。あなたのことを覚えているのは娘さんだけです」

「え……」

 突然そんなことを言われても、上手く言葉が出ない。

「あなたが目を覚ます前、彼女は目を覚まし問題なく活動していました」

「えっ?」

「わざとあなたと会わせないようにしました」

 こんな時、何て言えばいい?怒鳴ればいいのか?どうしてそんなことをするとかと問い詰めたらいいのか?俺は、そんなに邪魔者だったのか?どこにも居場所のないゴミだったのか?妻のそばに居る資格のないゴミだったのか?

 グラグラと地面が揺れるような感覚、ぐにゃぐにゃになった視界にたまらず床に倒れ込んだ。


「やめて。知ってるんだから」

 電池の切れた人形のような娘が動き、瞬時に俺と研究者の女性との間に割り込んだ。

「……ごめんなさいね」

 優しげな声で娘に話しかけている。

「謝るくらいならやらないでよ」

 急に娘の口調が変わる。娘じゃない。娘の口調じゃない。もっと大人の口調だ。

「あなたの望んだことじゃない?」

 それなのに研究所の女性は動揺もせず口調も変わらない。

「長い付き合いだったのに、理解しているようで全く理解してくれていないのね」

「あら、子供が欲しいって言っていたことがあったのに」

「そういうことじゃないのよ」


 妻だ……今目の前で、俺を守るように立ちはだかり小さな身体で話をしているのは、妻だ。


「この身体に私の記憶を残したのは、あなたのミスかしらね」

「別に意図したことじゃないけど。ちょっとしたエラーよ。正直、いつか出てくる人格だとは思っていた。けれど、私たちには何の問題もない。好きにしたらいいわ」

「へぇ。そう……」


 くるりと娘の姿をした妻が俺を見て話しかける。


「愛してるわ。あなたのすべてが欲しい」

「俺だって愛してるよ!何でも、全てをキミにだけに捧げるよ!」

「あなたが私を愛してくれた時間を」

「待ってくれ、それじゃキミがひとりに……!約束が!」

 穏やかに笑う妻は、小さくて。手も握れず、抱きしめることもできない。触れたいのに、触れられない。「愛してる」なんて言葉が陳腐に聞こえるほどのこの気持ちを表現することが出来なくてもどかしくて苦しい。

「ひとりにしないでくれ……頼むよ……」

 俺は床に這いつくばってみっともない姿で、もう流れるはずもない涙を流すようにしゃくりあげた。


 ***


 娘は今何歳だったか。明るく手を振り、宇宙に飛んで行った。きっと後悔はしないな。俺のことを覚えていてくれるのなら、ひとりじゃないってことだ。どんな時でも、目に見えないだけで、ひとりじゃない。そう信じたかった。自由に生きて欲しい。


 だけど……本当は、心から愛するヒトと一緒にいることだけが、自分の中での「ひとりにしないで欲しい」という意味なんだけどね。

 誰かがそばに居たって、自分の一緒に居て欲しいヒトでなくちゃ、心がもうひとりぼっちなんだよ。何故だかずっと想っていて、あの研究所で生きてきた。それももう終わりにしよう。


 さぁ、そろそろ時間だ。存在できるヒトは、何人だろうね。何年も何十年も何百年もかけて計画してきた。失敗すれば、ただの犯罪者。潔く廃棄処分してくれ。成功すれば……生命体の絶滅。またはるか昔の紀元前くらいからやり直せばいい。

 こんなくだらない世界を誰か壊してくれと願っても変わらないのなら、俺がやってやる。そう決めてここまで準備してきた。


 緊急事態音エマージェンシーコールが施設内どころか街中で響く。どこもかしこもサーバーダウン。復旧の目処が立たない。混乱を極め、暴動まで起き始めたが、バタバタとヒトは倒れ生命機能が機能停止し、すぐに静かになった。全ての社会を動かし続けてきた動力は無くなった。強制終了されられたシステム、環境整備供給のストップ、濁った空気。

 あぁ。俺は、何のために存在していたんだろうか。


 ***


「……ふぅむ」

 小窓から見える景色は、つい先程まで生活していた小さな世界からパタパタと光が消えていって、限りなく黒に近い灰色に変化していった。

 私はパパの望むことなら何でもしてあげたいと思った。毎日毎日、それ程までに痛々しかった。

 パパはママのことを知らない。記憶を消された。

 私はママのことを知らない。けれど、どうしてか途切れ途切れにママの記憶がある。ママが見てきたパパとの日々。そこに私は居ない。

 別に悲しくはないし、寂しくもない。そもそも培養液で赤ん坊が育つのだから、家族なのにどこか距離がある。

 だけど、パパの痛々しい姿は見ていられなかった。私は一切ママのことを話さなかった。話せばきっとパパはおかしくなってしまうと思ったから。いや、話さなくてもおかしくはなっている。今頃、向こうは灰色のスクラップ工場のようになっているはずだ。


 私は、宇宙ステーションを壊す。ステーションまでウイルスに侵食されて機能停止になれば、二度と元には戻らない。それはほぼ成功したも同じで、実質確認しにわざわざ来たようなものだ。念の為、ばら蒔いたウイルスに感染していない個体が残らないようにステーションの核に攻撃をしかけておいた。

 一人残らず、全てをゴミにする。パパのようなヒトが他にも居たのなら。これが救いになるのなら。この計画の遂行が私に出来ることだもの。それももう終わる。

 パパは私に何を望んだのかわからない。だけど、このまま生きて新しい文明を築き上げていくなんて、面倒だ。まぁ、しばらくのんびりこの空間を味わうことにしようかと頭の後ろで腕を組んだ。大好きなジャンクフードを探して溜め込んでいたものを全部持ってきてある。あまり売っていないから見かけて買っても、もったいなくて食べることが出来なかったもの。お菓子を詰めた袋から一つずつ出して放り投げ、何から開けようか悩み始める。

 その時、ステーションの非常電源が切れて真っ暗になり、完全停止した。


 私は鼻歌交じりに適当に掴んだお菓子の袋をバリッと破る。最後、誰かに聞きたかった。聞いておけばよかったな。サクサクした平たいお菓子を口に咥えて考えた。何でも知りたかった頃のように、わからないことが山ほど出てくる。大人になってもわからないことだらけだ。

 それらはもう考えても仕方がないから、口の中をパサパサにするお菓子と一緒に飲み込んだ。


 スクラップ計画、完遂。

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スクラップ計画 まゆし @mayu75

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