おまけ ビビアの婚約者


 森を遠くに眺めた草原を背景に。

 さらさらと揺れる金の髪を風に晒す婚約者の背後に立つ。

 息を殺してそっと近寄れば、勢いよく振り向いた愛しい顔が片手を伸ばし──俺の首を締め上げた。


「ちょっ、……ビビア、苦しいっ」

「あら、ライアンじゃないの。どうしたの?」


 ぎりぎりぎり。

 遠慮なく絞めていた手の力が次第に弱まり、その隙をついて婚約者から首を取り戻せば、彼女が左手に握りしめたダガーを革製の鞘に収め直のが見えた。


 ──ああ全く、すっかり隙が無くなった。

「……逞しくなりすぎだろ」


 ぼやく俺に水色の瞳を眇めた彼女は、ツンとそっぽを向いた。

「いいの、これが私の目標なんだから。あなたも私の婚約者になったんだから、もっと頑張りなさいよ!」

「へーへー」


 いつもの小言にがしがし頭を掻いてると、ビビアがじっとこちらを注視してくる。

 ……そういえば、この癖が気になったんだか気にいったんだかがきっかけだったっけ。こいつと婚約したの──


 ◇


 一年程前、王都で誰からも相手にされない令嬢だった彼女。俺はこの辺境の地から、たまたま父と兄の名代で登城した際に見かけた。

 評判ってのは下がれば不穏な輩に絡まれるものらしく、真っ昼間から女が柄の悪そうな奴らに引き摺られているところを助けてやったのが縁だった。

 王都の貴族なんてかっこばっかりて腕っ節だけなら全く怖くない。三人程片付けて一人逃したところで蹲る女に声を掛けた。



「おい大丈夫──」

「何よ! 何よ何よ! 誰も彼も私の事を馬鹿にして!」

 そう言ってぎりぎりと眦を釣り上げ、淑女の様子も欠片もなく地団駄を踏む女……

「……」


 そんなボロボロと悔し涙を流す彼女に見所を感じた。だから挑発めいた言葉を口にした。

「──あんたが見下されるような事でもしたんだろ」

「……誰よあなた?」


 助けてやったのに礼も言えない上に俺の言葉に耳も貸さない……

 俺はいつもの癖で首の後ろを摩った。

「ライアン」

「……見た事無いわ、貴族なの?」

「違うって言ったら?」

 女は眇めていた目をふんと逸らし言い放った。


「──別に、本当の貴族がどんなものかなんて、もう分かったもの。ただあんたが平民だったら凄いわねって思っただけ。こいつら一応貴族なのに。のしちゃってさ、あんたこそ大丈夫?」

「……はあ?」


 何だろうな、これ。俺が心配されてるのか?

「別に大丈夫だろ、こいつらだって平民にボコられたなんていいたがらないだろうし」

 首の後ろをがしがしとやってると、それを見咎めるように女が目を眇めた。……王都の貴族には「はしたない」仕草なのだろう。

「……そうかもね」


 女はそう呟いて何かを考えるように黙り込んだ。そんな女から俺はそっと目を離す。……なんかもう、関わらない方がいい気がする。

「じゃあな」 

 そう言って回れ右した俺の手を女はガシリと掴んだ。

「……何だよ?」

「私、あなたを雇うわ!」

「はあ?」

「そうよ、そうすれば良かったのよ。そうすれば誰も私を馬鹿にしなくなるじゃない!」


 ──あ、こりゃやばい。

 おかしな天啓を受けたらしい女から逃げようと身を捩ろうとしたのだが、透き通るような水色の瞳に力強い意思が込められるのが見えた。そんな目とかち合い、思わず俺の身体は固まってしまう。

「ねえ、私あなたみたいに強くなりたい。誰にも屈服されたくないの。特に男に、力で!」

「……えーと」


 参った。

 真っ直ぐな瞳の覚悟は酷く幼稚で、簡単に別の色に染まりそうだ。

 でもこいつは強くなりたいらしい。

 それはウチの領地では誰しも望み、挑む領分なんだ。そんな決意を真っ直ぐに向けられると何とも言えなくなってしまう。

 例え子供の決意だとしとも、笑う奴なんてウチじゃいない。

「覚悟が、あるなら……」

「ある!」

 自分で自分の首を絞めた感は否めないが。

 けれど、この色がずっと澄んだままだったら、どんなに綺麗だろうかと、そう思ったから。


 ◇


「辺境伯の息子ならそう言いなさいよ! これだから貴族は嘘つきで嫌なのよ!」

「……お前も嘘つきみたいなもんだろ。それにしたって何だよこの評判の悪さは……詐欺じゃねーか。こんなん連れ帰る羽目になってどう親父たちに言い訳すりゃいいんだ?」


 ぶつくさ言う俺の話なんて興味は無いらしく、彼女──ビビアは馬車の中で相も変わらぬ態度で踏ん反り返っている。

 従者兼御者のトマスは馬車で欠伸を噛み殺していたが、ビビアを見て一気に目が覚めたらしい。そわそわと落ち着かない様子でこちらの様子を窺ってくるものの……正直俺だってどう返したらいいのか分からないので、曖昧に笑って誤魔化しておいた。


「確認するけど、あなた本当に強いの?」

「強いよ。領地は兄上が継ぐけど、腕は俺の方がいいんだ」

「ああー、頭が足りないのね」

「……おい」


 嘲笑する顔が憎たらしい。

 てか貴族は長男継承の習わしがある。──が、網の目というのも存在するのも事実。それをやらないのは、確かにうちの兄が優秀だから、だけども。


「ねえ、もう一度聞くけど、あなた本当にリオン・ラシードより強いのよね?」

 強まるビビアの眼光にも、その名にも、俺の返事に迷いはない。


 リオン・ラシード。

 武功に優れたラシード伯爵の三男で、先の王家主催の剣舞会だか剣技会だかで優勝した有名人だ。でも、


「ああ強いよ。俺たちは辺境の地を守る為、国内での軋轢をなくす必要があるから、王都の大会には出られない。あいつらとやりあえるのは三年に一度の合同大会の時だけだからな。出られれば、ウチが王都の生ちょろな奴らになんて負けるかよ」

「それを聞いて安心したわ」


 そう言ってふわりと笑うこいつにどきりとした。


 ◇


『いいか、ライアン。王都は怖いところだ。泣きながら「田舎から出てきたばかりで右も左も分からない」なんて言う女は信用するな』

『そうだぞ。「あなたみたいな逞しい人が好みなの」「純朴そうね」なんて擦り寄る女には注意しろ。カモにされるだけだ』


 あんな女もダメだ。

 こんな女も嘘つきで。

 こういう場合はタチが悪い。

 といった風に──


 一体どれだけカモられたんだろう。と兄や騎士団の話を頭に入れ、向かった先の王都では、妙な女が引っ付いてきた。


「つまりお前は、強い指導者が欲しいとか、そういう事だよな」

「つまりそういう事ね」


 ……ただ一応彼らの話には出てこなかったような女である。

 


 辺境領に戻る帰りの馬車の中。

 押し切られる形で連れて行く事になったビビアは、馬車の中で俺と対照的な位置に座り、窓の外を睨みつけていた。


 ……何だろうなこいつ。

 王都のお上品な貴族の癖に喜怒哀楽が激しくて。うるさくて面倒臭い。

 頬杖をつきながら彼女と逆の窓に目を向け、つい先程のやりとりを思い出す──



 結局ビビアがどうしても引き下がらないもんだから、「それなら両親に許可を貰ってこい」と最低限の予防線を展開した。けれど「じゃあ、あんたも手伝いなさいよ」とか言われてしまい。挙句家まで引っ張られ付き合わされる羽目になり、何故か一緒にビビアの家へと向かう事となった。


 普通、娘を持つ親が初対面で貴族を名乗る男に着いて行く事なんて許す筈がない。そう見込んでの事だったのだけれど……


 古めかしい屋敷は暫く放置されているような、埃っぽく荒れているように見えた。加えて大きさに反して使用人の数も少ないらしく、お茶は用意されたが、給仕したのは玄関先にいた、まだ年若い執事だった。


 通された先の応接間で頬を引き攣らせながら、「なんでこんな事に……?」なんて葛藤と共に挨拶する俺は、父親らしい男に無言のまま睨みつけられ、母親にはへいこらと媚を売られて。

 思っていたのと違う対応に狼狽えている間に、気付けはビビアと共に屋敷を追い出されていた。



 ……何だったんだろうな、あれ。

 辺境領の見学をしたいというビビアの意思を伝えたつもりだったが、こちらの話なんて聞いていないようだった。ただ娘を追払いたいような、そんな態度……


 どう言葉にしたら良いか分からないままビビアを見てみれば、両親への挨拶もそこそこに、彼女は口をへの字にして何も言わずに馬車に乗り込んでいった。


 屋敷を見て、もう一度ビビアを見る。

 どちらにも、やっぱり駄目だとはとても言えない空気に満ち満ちている。

 仕方なしに彼女の荷物をどう積もうかと確認するも、彼女はトランク一つも侍女の一人もついていない。……辺境領まで片道十日掛かると伝えた筈なのだが。


 俺の従者は男だし、自分の世話くらい自分でてきるから、道中大丈夫だろうか……なんて心配が湧く。

 今更ながら思案に暮れていると、俺の心配を他所に、ビビアは人差し指を立て、「いい事?」と何やら決意表明をし始めた。


「私はリオンよりクリフォード様の侍従より……フェンリーの奴よりも強くなってあいつら全員見返してやるって決めてるの。だから必ず私を強くなさい、分かったわね」

「……はあ」

 

 クリフォードとかフェンリーって誰だろう。

 それはともかく。

 首都育ちのそんな細腕の貴族のお嬢さんが、何を言ってるんだと笑い飛ばすには、この短期間で彼女の事情をいくらか察してしまったように思う。

 とても無理だと言い難いが、やはり無理だとしか思えない。そんな俺の心情に気付いたらしいビビアが声を張り上げた。


「何よ、今更出来ないとか言ってんじゃ無いわよ!」

「いや、普通は出来ないって言うから。……大体お前が聞いたのは、俺がリオンより強いかどうかじゃなかったか? 俺、人に教えるの上手く無いし」


 それでも断りきれなかったのは、強さを求める姿勢に僅かながらでも見込みがあったからだし、ここまで来たら指導者の紹介くらいははするつもりでいるけれど。


 辺境領では女子供でも武器を持ち、戦う事を望むものが多い。戦だけに留まらず、国境付近では治安の悪いことが多く潜むからだ。

 その際一家の男手が負傷したり、最悪命を落とすこもある。そうなれば女と言えど前線で働く事が家を支えるのに一番手っ取り早い。


「強者が後継を育てない訳ないじゃ無い! そのノウハウを勿体ぶってないで私に教授なさいと言ってるのよ!」

 いや、言い方……

「勝手な事を言うなよ」

「私を領地に連れて行くという事はそういう事よ!」

「何だその屁理屈は……」


 思わずじと目で睨みつける。

 そういえばこいつの母親からは「娘をよろしく頼む」と頭を下げられていたんだっけか。


 ──……あれ、つまりはそういう事なのか? いや、そんな馬鹿な。これは乗合馬車みたいなもんだろ? 目的地が同じだから一緒に乗っているだけだ。……よな?


 辺境の次男で好きに剣術に明け暮れていた俺には、貴族のもって回った言い方はよく分からなかった。

 うんうん悩み抜いた末に「関わらなければ良かった!」と気付いた時には、「あなたって残念なくらい脳筋なのねえ。今更降りるなんて無理に決まってるでしょ」と口に出され気の毒そうな顔までされ。

 ……やっぱりこいつ、今からでも馬車から叩き落としてやろうか。

 と思ったものの、結局出来なかった。


 ◇


 何とかかんとか領地に到着したものの。

 ブライアンゼ夫人から押し付けられるように貰った手紙を手に、何て言い訳しようかと馬車で散々悩んでいたのだが。ぽんと飛び出して行ったビビアを慌てて追いかけた先で、家族は喜びに湧いていた。


「美人じゃないか! でかした!」

「何が……て違う!」

「あら、案外まともなのね。辺境なんて言うからウチの領地より酷いかと思ってたけど」

「悪かったな!」

「なあなあ、どうやって知り合ったんだ?」

「なんか困ってたところを……てそうじゃなくて!」

「騙されてないよな、騙されてないよな?」

「ちげーよ!」

「ところで訓練場はどこですの?」

「──お前、来た途端それかよ?」

「おお、我が家の本分に興味がおありが! 何て理解のあるお嬢さんだ! こちらへどうぞ!」

「待て待て待て! ほらこれ、ブライアンゼ家からの手紙」

「ああ、うん。後で読むよ」

「放るな!」


 どうぞどうぞとビビアを囲い、すたすたと辺境騎士団の訓練場に向かう家族一行にやさぐれた俺は、速攻で部屋に戻って不貞寝した。


 ◇


『まあ、何て古くさいセンスの部屋なの? 酷い調度品ねえ……』

『食器が悪趣味だと食事をする気が失せるわね』

『……寝巻きまでダサいわ』

「………………おい、お前いい加減にしろよ」


 何から何まで文句ばかりいいやがって。小姑か。

 心細いかもしれないから寝る前に挨拶でもしてこいと、ニヤつく両親から背中をぐいぐい押されて部屋に来てみればこれである。こいつのどこに寂しいなんて神経が入っているのか、是非取り出して検分でもしてみたいところだ。


「辺境の地じゃ王都の流行なんてどうでもいいんだよ。気候重視だ」

 それよりこいつが言う「ダサい格好の」メイドたちは固まって呆然としている。


「何を言ってるの、あなた馬鹿なの?」

 イラっ。

 用意された寝巻きを前に、腕組みしたビビアは俺をひと睨みしてから、ツンと顎を上げてメイドたちに言い放った。


「いい事? 私のメイドならもっと主流を学びなさい。これから(私は)王都へ名を轟かす程強くなるのだから、あなたたちはどこへ行っても恥ずかしくない作法を覚えなくてはならないわ。武芸の指導に代わって、社交は私が教えましょう。これからここウィンドーラ辺境領をこの国にこの地ありと言わしめるのよ!」


「ビビアお嬢様!」

 高らかに言い放つビビアに何故かメイドたちは感涙している。

「待て待て待て? おかしいだろう!」

「何を言ってるんですかライアン坊ちゃま」

「そうですよ、未来の奥方の決意。素晴らしいではありませんか?」


 いやいやいや? 違うだろ。思いっきり俺らを馬鹿にしてたぞ、この女。


 因みに彼女たち、いや親父お袋たち含む屋敷中のビビアに向ける眼差しは、先ほど騎士団の訓練を見学した彼女の台詞で固定された。


『何って素晴らしいの! 統制された動き、流れるような剣捌き! 流石辺境伯爵で選抜された騎士団だわ! こんな場所に来られるなんて、私は何て幸運なんのかしら! 見てなさいあいつら、全員フルボッコにしてやるから!』


 これは俺が寝ている間の発言だが、手で拳を作り熱く語る彼女にすっかりたらし込まれた親父たちは、ビビアを大層気に入ってしまったのだ。

 ……最後の台詞はおかしいだろう。



 確かにビビアは素直だ。

 口にする全ては本心で、素朴なこの土地の人間に彼女の直情的な発言は素直に響く。どうやら彼女はそんな思惑なんて抱いていないみたいだけれど。


 浮かれる家族に俺だけが危機感を持ち、今更ながら急いで王都でのビビアの内情を確認させたところ。

 ……不安しかない。


「あのー、どうしましょう?」

 使いに走らせたトマスは頭を抱え、俺も額を押さえて項垂れる。

 絡まれていた状況から訳ありとは思っていたが、相手が悪い。公爵家に、かの有名な伯爵家……


「どうもこうも……俺は最初からあいつは騎士団の見学者だと言ったつもりだが」

 時すでに遅しでビビアはすっかりウィンドーラに馴染んでいる。

 ただまあ。彼女を観察していると、何となく分かるような気がした。


 王都での振る舞いに、彼女は逆に振り回されていたのだろう。

 歪曲した物言いに悪意。それらを糧にして育った彼女は、誰よりも優位に立つ為、一番良い男を捕まえるのだと醜聞も気にせず躍起になっていた。

 貴族令嬢にとって良縁を得る事は死活問題だ。目の色を変えるのも頷ける。


 まあ今のビビアは毎日、目の色を変えて剣術に明け暮れているけれど……


 多分復讐というか、見返したいんだろうなあと思う。

 その為に真剣に、騎士団の訓練に混じって土埃に塗れて走り回っている。


 ちょっと呆れて、少し笑える奴。

 ここにいる間は彼女が王都のように嫌われるなんて、あり得ないだろうと思った。

「暫く様子を見ようと思う」

 トマスにはそう言って、下がらせた。


 ◇


 ここに来たばかりの頃、ビビアは純粋な厚意を受けた事が無いようだった。

 だからか最初ウィンドーラの者たちの意図が分からず警戒しては空回っていた。比較的大らかなこの領の人間は、ビビアの緊張が解けるのを待ち、親切に接して、この地に慣れるように沢山構い倒した。


『……ねえライアン。あなたのご両親と私の両親は、期待の仕方が違うのね』

『うん?』

『うちのパパもママも……あんな風じゃなかったわ……』

『……自分の親じゃ無いからそう感じるんじゃねえの?』

『そうなのかしらね……』



『お姉様、お姉様!』

『ミリア、ビビアはお前の姉ちゃんじゃないぞ』

 そう言いながら俺は口元を引き攣らせる。

 周りに流され齢八歳の幼い妹も盛大に勘違いしているよいだ。

『ごめんなさいライアン兄様……でもお姉様ができたらミリアはとても嬉しいの』

 怒るかな……そう思いチラリとビビアを窺い見れば。嬉し恥ずかしそう身を捩る我が家の末っ子のミリアを、ビビアは身を固くして食い入るように見つめていた。


 ◇


 がたごとと揺れる馬車に乗り、今俺たちは向かい合い王都へ向かっている。

 お互いの腰にはウィンドーラの辺境騎士が持つ一振り。


 王都に向かう馬車は三台。

 いずれもウィンドーラの腕自慢が乗り込んで気持ちを昂らせている。あれから半年、そして三年ぶりの合同大会だ。


『ライアン! 今年は俺が勝つからな!』

『いやいや、俺がお前の記録を塗り替えてやるよ!』

『……おう。そうか、頑張れ』

 やる気に満ちた辺境騎士たちの意気込みを適当な相槌で受け流し、視線をビビアに向ける。


 改めて両親から切り出された、俺との婚約をビビアは嫌がらなかった。

 王都の話を聞いていた俺には、それがかなり意外だった。俺は王子様みたいな容姿をしていないし、貴族としては人並みだ。それに辺境の地じゃ騎士なんて名ばかりで、ずっと泥臭くて野生じみている。

 婚約書の提出が終わった時、ビビアは一瞬だけ俺に申し訳なさそうな顔をして、直ぐに目を逸らした。



「……別に、目的の為に手段は選ばないし……」

「ふうん」

 むすっと口をへの字に曲げるビビアに俺も、特に否という気持ちは無かった。


「……あんたの事、嫌いじゃないし」

「うん?」

「何っでも無いわよ!」

「よく聞こえなかっただけだっての。いちいち喚くなよ、うるさいなあ……」

「〜〜〜……っ! それよりちゃんと勝つのよ、勿論私が優勝するけど、あんたもちゃんとウィンドーラ領の力を見せつけてよね!」

「……分かってるよ」


 そう言って首の後ろを掻こうとして、手を止めた。

 この癖。

 ちらりとビビアを見る。


『ビビア様の前の婚約者も、その仕草をされていたそうですよ〜』


 そういえばと言う風に告げた調べに走らせたトマスの台詞が蘇る。

 へえ、ほう、そうだったのか。

 そう言われたらもう二度とやりたくないな。


 前の婚約者は伯爵令息。

 ラッセラードと聞けばその名を知らない者は、国の端にもいないだろう。短期間で叙爵から陞爵まで遂げた新進気鋭の若手かつ有望貴族の代表格だ。


 ただなあ、そいつがどれ程の富も名誉も持ってようと、別にどうでもいいけれど。


 ……今のビビアの婚約者は俺なんだよ。


 だったら俺は「見る目の無いダセエ奴」でいる訳にはいかないだろう。


 こいつはどうやら運動神経が良く、剣士としての勘も鋭く才能があった。

 けれど、それ以上に努力した。


 体力をつける為、吐くまで走り込んで。

 打ち負かされて転んで泥まみれになりながら。


 白い柔肌は日に焼け、細かった腕はしなやかな筋肉に縁取られ。王都で育った庇護欲を唆る、儚げな容姿は今や見る影も無いかもしれない。けれど、

 あいつが猪突猛進のただの馬鹿だって笑っていいのは、もう俺やウィンドーラの奴らだけなんだから。


 

『負けたく無い! クリフ様にもリオンにもフェンリーにも……お姉様にも!』

 ふと出た姉への対抗心に首を捻るも、その内心は良く分からない。

 ただいつからかビビアはミリアに構うようになり、少しずつ歩み寄るようになっていた。最初は強張っていた顔も、少しずつ優しいものになっていく。


『ねえ、ライアンは兄なんだから、ミリアの為に頑張らないといけないわよね』

『え? うーん』

 といわれても、妹の為に何かをした覚えはあまりない。

 ただすぐ泣くもんだから、「お兄さんなんだから」という親の常套句で無理矢理に面倒を見させられた記憶はあるが。


 けれど、そんな事ないと口にしようと振り向いた先のビビアは、何故か切なそうな顔をしていて。

『そうだったんだわ……』

 そう呟いた彼女に対し、否定の言葉は口に出来なかった。


 対抗心のように聞こえたビビアの言葉が、決意のように響く。

 そんな彼女の心情を、いつか知る事が出来るとしたら、なんて思っていたけれど──


「心配しなくても俺が勝つよ」

「何言ってんのよ、勝つのは私よ!」

 不敵に笑うビビアに俺もにやりと笑う。


 三年ぶりの合同大会。

 きっと腕自慢の野郎ばかりの猛者の中で、こいつの評判は一転するだろう。

 ウィンドーラじゃ女騎士なんて珍しくないけど、王都の淑女の中じゃその注目は辺境の比じゃない筈だ。


 そしてきっとその風評は、ビビアが伝えたい人のところまで届くから。

 その時、ビビアの婚約者が女より弱いなんて、頼りない話は添えられない。


 だから、

「俺が勝ったらお前は俺と結婚するんだろう」

 絶対負けらないのはこっちの方だ。


「……それはだって、優勝するのは私なんだから……て、何言ってんのよ。もう……」

 確かにビビアは良い線まで行く事だろう。でも。

 ぼそぼそと口にするビビアに笑みを深めて言ってやる。

「そしたらまた三年待たなきゃならないなー」

「ちょっと! そしたら私はいくつになると思ってんのよ!」

 はっと息を飲み気まずそうに視線を逸らすビビアに悪戯っぽく笑いかける。


「じゃあ手加減すんのか?」

「……する訳無いでしょう、私は一番強い男と結婚するけど、その男より絶対に強くなるって決めてるんだから」


「敵わないのは腕っ節だけとは限らないだろ」

 それはガタンと鳴る車輪の音に邪魔されて。


「勝つ勝つ勝つ勝つ……見てなさいよ、あいつら……」

「……」


 爪を噛みながらぎりぎりと歯を食いしばるビビアに、はあと大きく溜息を吐いた。


 ……全く以て気に入らない。

 その妄執、全部断ち切ってやる。


 俺はとっくにこいつと対等になりたいのに。全く目に入っていないのが酷く歯痒い。


 だから俺は今年記録を塗り替えなきゃならない。

 合同大会で最年少の十五歳で優勝したのが六年前。

「十代」で「連勝」したのが三年前。

 歴代の優勝者の中で三連勝した者はいない。それさえ手に入れれば、公爵なんて目じゃない。王の覚えもめでたいだろう。


 馬車の窓枠に凭れ、王都へと続く街道からの先行きを、俺は一人、そんな少し先の未来を描いて過ごした。



 ◇



お付き合い、ありがとうございました〜^_^

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出戻り令嬢の奮闘と一途な再婚 藍生蕗 @aoiro_sola

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