大魔女だった町娘は前世の敵に迫られています

仲室日月奈

転生した大魔女は今

 突然ですが、私には前世の記憶があります。

 前世の私は、十歳のときに魔法の才能を開花させ、当時の魔法史を覆す偉業を成し遂げました。複雑な魔方陣を同時に展開し、大魔術をいくつも作り上げ、国王にも一目置かれる存在となっていました。

 衣食住を保障された私は魔法の研究に没頭し、時の魔法に干渉しました。

 19歳の姿のままを保つことに成功し、数々の弟子を従え、やがて魔法省の最高顧問として迎えられました。大きな魔力を保持した身体は衰えることなく、二百年の時を生きました。

 時に、国土の小さい小国を侵略する他国からの攻撃を圧倒的魔力でねじ伏せ、祖国を守り切りました。いつしか私は“大魔女”として恐れられるようになりました。

 そんな前世に悔いがあるとすれば、ひとつだけ。


 ——普通の女の子として恋がしたい。


 権力も魔力も欲しいままの私でしたが、近づく男性はご機嫌取りに来る防衛大臣か、弟子入り志願の魔法使いだけ。老いを知らない身体は畏怖の象徴として見られ、私を恋愛対象として見てくれる殿方はいませんでした。

 多くの弟子に看取られる中、私は来世に夢を託しました。


 ——来世は田舎にひっこんで、慎ましやかに生きて死にたい。


   ◇◆◇


 行商の荷馬車の後ろに腰かけ、ガタンゴトンと揺られること、数時間。

 ずっと続いていた未舗装の道が石畳に変わり、ラウラは瞳を輝かせた。


「わぁ、人がいっぱいだわ!」


 公都をぐるりと囲む城壁の中には所狭しと家が建ち並び、頭上には収穫祭の旗がはためいている。どこからか香ばしい匂いが漂ってきて、お腹の虫がぐうと鳴る。

 乗せてくれた行商人に礼を言い、ラウラは地面に足を降ろした。


(ここがクラッセンコルトの公都! 花の都というだけあって、どこも花だらけね)


 とんがり屋根は赤や青といったカラフルな色に彩られ、赤レンガの壁には緑の蔦が這っている。噴水の周りにも花壇があり、出窓や通りには鉢植えの花が並ぶ。

 小さい紫の花や、鈴なりに咲く白い花、丸い形のオレンジの花。どこを見ても花が咲いている。花冠をした少女が、黄色の花が詰まった籠を腕に下げて、愛想よく笑いかけている。


(ここは昔と違って、平和ねえ……)


 前世を過ごしたマルシカ王国よりも南に位置するクラッセンコルト公国は、不可侵の国として平和を保ち続けている。ここは双子の創世神が誕生した聖地とされているため、争いとは無縁の国だ。

 あれから五百年の時が流れた。

 マルシカ王国は、大魔女の死に際の魔法により、敵対する者をはねのける結界に今も包まれているという。かの国は、周辺国と友好条約を結び、大国からの脅威を退けることに成功した。


(一度、今の王国の状態を確認してみたいけど。転生して、ただの町娘になった私では、そうそう行けるところじゃないのよね……)


 硝子職人の娘として転生したラウラが行ける範囲といったら、この公都くらいだ。

 ラウラは露店をひとつひとつ見ながら、家で待っている家族の土産は何がいいか、首をひねる。先ほど見た虹色に輝く魔石は興味を引かれたが、値札に書かれた金額が予算をはるかにオーバーしていた。


(予算内で何かいいものはないかしら……)


 両手を後ろで交差し、大通りの横の東通りを歩く。

 と、ふと数歩先を歩く青年の鞄からはみ出た羊皮紙が目につく。ひらひらと揺れる紙はパンパンに膨れた鞄から押し出されるようにして、今にも風に乗って羽ばたきそうだ。

 目の前の男はそれに気づいた様子はなく、のんびりと歩いている。旅行者だろうか。だが、赤銅色の髪はクラッセンコルトのものだ。ラウラのように収穫祭を見物に来たのかもしれない。

 なんとなく気になって様子を見守っていると、不意に横から風が吹いた。危惧したとおり、羊皮紙が風で飛ばされる。ラウラは駆け出し、その紙をパシッとつかんだ。


「ねえ、これ。落としたわよ!」


 男が振り返る。紺碧の瞳が驚きで丸くなっている。ラウラの顔と無造作に差し出す紙を交互に見つめ、文字がびっしりと書き込まれた羊皮紙を大事そうに受け取った。


「……すまない、助かった」

「大事なものなら、もっと気をつけなさいよ」

「忠告、痛み入る」


 ラウラより年上だろうに、青年は朗らかに笑う。紙をくるくると丸めて、肩から提げた鞄に押し込む。再び目が合うと、彼は目を細めた。


「よければ、名前を教えてくれないかい?」

「名乗るほどではないわ」

「お願いだ」


 切実な響きに面食らって、ラウラはおずおずと口を開いた。


「……ラウラ・コントゥラよ」


 名乗った瞬間、青年の目がゆっくりと見開かれる。瞬きすら惜しいというほど、見つめられてラウラは逃げ腰になる。

 しかし、次の言葉で踵を返そうとした足が止まった。


「やっと……やっと見つけた」


 不穏な雰囲気を笑顔で切り替え、青年は一音一音を確かめるように言った。


「僕は、君を知っている」


 知らず、身体が強ばった。

 言霊に支配されたように、緊張の糸が張り詰める。


(なに、この人……)


 もう一度、目の前の男をじっくりと眺める。記憶を振り返るが、やはり見覚えはない。初対面のはずなのに、この瞳を知っている気がする。


(一体、どこで……?)


 しかし、その答えは見つからない。第一、大魔女として二百年を生きてきた過去を持つラウラが今さら、何を恐れるというのか。

 自分を叱咤していると、青年が笑みを深めた。


「君の前世の名前はイリス・ユルハ。そうだろう?」

「な……っ!?」


 ラウラは金茶の瞳を見開き、言葉をなくした。

 口を薄く開いたまま動けずにいるラウラを見下ろし、青年は言葉を続けた。


「僕の唯一の魔法は、現世の名前から前世の名を知ることができる。だから、君がかの大魔女の生まれ変わりだってことは隠せない」


 魔法が息づくこの世界には、誓約に縛られず、自分にしか扱えない魔法が誰しもある。

 それは些細な魔法から国家存亡に関わる魔法まで多岐にわたり、唯一の魔法、またの名を始まりの魔法とも呼ばれる。

 だが魔力を持って生まれる者が少なくなった現代では、それを扱える者は少数派となった。唯一の魔法を知らずに生を終える者も珍しくない。

 ちなみにラウラの唯一の魔法は、触れた相手の魔力量を知ることができる魔法だ。


「あなた、一体……」

「僕のこと、もう忘れちゃったの?」

「え……?」

「僕だよ。エルメル・シルヴォラ。覚えてない?」


 その名の響きは懐かしくて、古い記憶を呼び起こす。忘れていたはずの記憶の扉が開かれる。


(……そうだわ。その名前は)


 大魔女に匹敵する魔力を持った、唯一の男で。

 なぜ今まで忘れていたのか、何度となく対峙した因縁の相手の名前だった。


「……魔法騎士シルヴォラ? 特攻隊長で先陣切って挑んできた、あの?」


 おそるおそる尋ねると、エルメルは心から安堵したように肩の力を抜き、胸に手を当てた。


「よかった、覚えててくれて」

「本当に……? だけど、彼はもっと厳つい感じだったはず」

「魂は同じでも、姿形は違うからね。イメージが違うのは当然だよ。君だって、昔の威厳は今はないだろ?」

「……それは」


 言葉に詰まっていると、エルメルは昔を懐かしむように遠い目をした。


「僕の編み出した魔法は最初こそ敵をなぎ倒したものの、大魔女の容赦ない火球攻撃で、撤退を余儀なくされた。シルキアの魔法中隊長と自国では名を馳せていたけど、君には本当に敵わなかった」

「……でも、何度撃退しても、すぐにまた反撃してきたわよね。正直呆れたわ」

「それが国からの命令だったからね」


 昔の凜々しい顔とは違い、今は緩みきった顔をしている。素材はいいのに残念な男だ。

 ラウラの心の声が伝わったのか、エルメルは顔を引き締めた。


「でも今は、君と同じ国の人間だ」

「…………」

「もう争う必要はない。前世とは違うんだ」


 まるで自分に言い聞かせるような口調に、ラウラは眉をひそめた。


「……どうして私を探していたの? 復讐のため?」


 いつだって、勝負は自分の圧勝だった。

 魔力量は五分五分だったかもしれないが、魔法を操る技術はイリスのほうが上だった。

 見た目はか弱いレディでも、中身は魔法戦争の常勝軍の総指揮官。向かうところ敵なしだった。

 しかし、ずっと辛酸をなめる敵側にとっては、何としてでも屈服させたい相手だっただろう。恨まれても不思議ではない。


「昔、僕はどうしてシルキアに生まれてきたんだろうって、ずっと思っていた」

「シルキア大国は……あなたにとって生きづらい国だったの?」

「いや、食事も美味しいし、魔法を高め合う場所としては最高の場だった。いい仲間にも恵まれた。……だが」


 そこで言葉を切り、エルメルはジッとラウラを見つめる。

 紺碧の瞳に不安げな自分の顔が映っていた。

 急に不安が足元に忍び寄り、逃げなければ、という思いに駆られる。だけど足が地面に縫い付けられたように動かない。焦りばかりが募る。

 いっそ耳を塞ごうかと思ったときだった。逃げ道を塞ぐように、彼の言葉が耳に滑り込んでくる。


「戦場で見る君は美しかった」


 恍惚とした表情で述べられ、ラウラは息を呑んだ。

 どうしようもなく、心が揺さぶられた。

 視線がそらせない。彼が一歩前に進むたび、心臓が大きく跳ねる。息が、苦しい。


「同じ国に生まれてきたら争うことなく、口説けるのに。僕は来世でこそ、君にこの想いを伝えたいと思っていた」


 いつのまにか、距離は腕が触れあうほどに縮まっていた。

 赤銅色の髪が夕日に染まり、金色に輝く。

 魅了の魔法にかかってしまったように、彼の言葉に心がとらわれる。何か言い返さなければと思うのに、言葉が口の中で空回りする。

 この状況はよくない。冷や汗をたらしながら、何か活路はないかと必死に頭を働かす。

 けれど、その行動すら見透かしたように、とん、と頭の横に長い腕が伸ばされる。両手を壁につき、エルメルの長い前髪がふわりと瞼に落ちる。そっと視線を上げれば、薄い唇が蠱惑的に笑みをかたどる。


「……っ……」


 ラウラの心臓は破裂寸前だった。

 できるならば卒倒したかった。けれど、なけなしの理性がそれを邪魔する。


(こ、こうなったら……)


 今世では穏やかな余生を過ごしたい。慎み深く生きて、ささやかな幸せを手に入れたい。

 そのために身体の奥底に封じ込めてきた魔力を解放すると、地面が淡く光る。エルメルが驚いたように三歩後退した。

 ラウラは薄く息を吐き、すっと屈んで石畳に手をつく。

 長い詠唱はいらない。前世の記憶が最適解を導き出す。世界の理にたどり着いた者だけが扱える古の魔法。それを頭に思い描き、古語を短く唱える。

 どこからともなく金粉が舞い降り、身体を包み込む。その数秒後、ラウラの姿はそこから忽然と消えた。


   ◇◆◇


 風の手が伸びて、一斉に稲穂が揺れる。

 のどかな風景を眺めても、まだ心臓の音は大きく脈打っている。すーはーと息を大きく吸いこむ。胸に両手を添えて、荒れ狂う鼓動をなだめる。


(お、おおお落ち着いて。ラウラ。落ち着くのよ)


 大魔女だったときの威厳を思い出せ。あんな若者の言葉を真に受けてはいけない。彼はそう、きっと女を口説くのに慣れているのだ。だから、あれほど余裕のある顔をしていたのだ。

 彼に踊らされてはいけない。

 罠の可能性だってある。彼の言葉を鵜呑みにはできない。

 そう思うのに、紺碧の瞳を思い出すだけで、火を噴いたように顔が熱くなる。火照った頬を手のひらで覆って身もだえていると、焦ったような声が聞こえてきた。


「……まさか逃げられるとはね。はぁ、追跡魔法を仕込んでおいてよかったよ」

「な、な、なんで……!」


 悲鳴に似た言葉を発すると、エルメルは困ったように笑った。


「せっかく会えたのに、逃がすとでも思った?」

「……っ……!!」


 エルメルに向けていた人差し指がぷるぷると震える。ぱくぱくと口を動かし、声にならない叫びを上げるが、目の前の男は眉尻を下げて切なげに言う。


「目をそらさないで、僕のことを知ってほしい。逃げるかどうかは、それから決めて。……僕は前世に会ったときから、君に惹かれている」

「…………うそ」

「嘘じゃない」

「し、信じられない……」

「うーん。どうすれば信じてくれるのかな。でも、僕もそんなに君のことを知らないし……」


 顎に指先を乗せて首を傾ける仕草は、本当に困っているようだ。

 ラウラは良心の呵責を覚え、代案を提案した。


「だ、だったら、昔話をしましょう。それなら付き合ってあげる。く、口説くのはなしで」

「……わかった。じゃあ、公都までゆっくり語ろうか。時間はたっぷりあるし」

「ええ……そうね」


 二人並んで、田んぼのあぜ道を歩く。

 細く伸びた影が寄り添うように、二人の後ろに続いた。

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