第八章

 それからはあっという間だった。


 集会場で不安そうに俺達の帰りを待っていた三人にまず運命の文字について説明をした。


「じゃあぼくはもう……」

「ああ」


 力強く頷けば、泣いて喜んでいた。


 その後に皆で長老様の家に押し掛けた。夜に突然訪ねてきたことに最初眉をひそめていた長老様だけれど、俺達の話を聞くと静かに目を閉じて。



「……よく、やった」



 一言、そう言ってくれた。


 長老様が急遽召集してくれたおかげで住人全員に伝えることもできた。皆始めは信じられないと驚いていたが、俺の手袋の取れた手を見て納得してくれた様で。

 サクヤはありがとうとたくさん感謝されていた。


 翌日に喰字期が来た人が、自分の名前を喰字して無事に解放された。

 これでようやく家族に会いに行くことができる、と。その二日後に村を出ていった。


 その次に喰字鬼から村から出ていった人は、昔からの夢があるのだと言っていた。

 しばらくは政府の補助を受けることになるが、頑張るのだと張り切っていた。


 村に残ると決めた人もいた。


 アキラさんはこれからも食事係を引き受けるのだという。

 もとから料理が好きらしく、支給される食料以外の物も時々外に買いに行ってみようかなと楽しそうにしていた。


 村から出ていく人の方が、村に残る人よりも多かった。家族がいない人でも、仕事を見つけて働いて、普通に過ごしていくことを選んでいった。


 日に日に減っていく村の人口。誰も座らない座布団が目立つようになった夕餉の席。


 寂しさはどうしても感じてしまうけれど、笑う機会が増えたのは素直に嬉しい。

 憂鬱な表情をしなくなった皆を見ているとその気持ちの方が大きかった。




 そして運命の文字の正体がわかって二月が経った頃。


 雪成と春成が旅立つ日がやって来た。



「……和君、サク君、トウコ姉……」


 村と外を繋ぐ道の前で。向き合った俺達の顔を見た雪成は涙で声を詰まらせた。

 ポロポロと雫を溢す。


 そんな兄の手を春成がぎゅっと握った。


「大丈夫だよ、雪。いつでも来ていいって長老さま言ってたもん!」


 ね、と春成が微笑む。


「お別れじゃないって。和くんにもサクくんにもトウコねえにも、また会えるよ!」

「春……」

「春成の言う通りだぞ、雪成」


 ポンと頭に手を置き、そのままクシャっと髪をかき混ぜてやる。


「別れじゃない。また会えるさ、な」

「ええ。手紙でも何でも、連絡はいつでもとれるわよ」

「……うんっ!」


 まだ涙は流れていたが、僕絶対に手紙書くね、と雪成は笑っていた。


「サクくんサクくん、ぼくサクくんみたいに強くなったら帰ってくるからね!」

「ん、楽しみにしとく」

「何だよ強くって」

「えへへ、ないしょ!」


 シーッと口元に手を当てる姿はまだ子供だった。


 二人は道へと歩き出す。


「またねー!」

「バイバイ!」

「おう、元気でな!」



 何度も振り返り満面の笑みで手を振る雪成と春成の姿を、俺は決して忘れないように目に焼き付けた。


 二人は戻っていく。離れ離れになっていた家族のもとへ。

 しっかりと手を繋いで。


「泣いたの、雪成だったな」

「そうね。絶対春成だと思っていたわ」

「……最後まで賑やかな双子だ」


 遠ざかってもなお振り返る二人に笑って手を振り替返しながら、俺はそうだなと同意した。


 賑やかで、騒がしくて、楽しかった。


 だからどうか……

 二人の行く先に幸せがありますように。




 雪成と春成が村を出て一週間経った日。今度は藤子が村を出て行く日になった。


「べつに見送りなんてしなくてもいいのに」


 藤子は泣かなかった。


 余裕そうに軽く肩をすくめて見せたその瞳が、少し潤んでいたのは見なかったことにした。


「いいだろ、減るもんじゃないんだし。俺達が来たかったから来たんだよ」

「……」


 俺の言葉を聞いた藤子は黙り込んだ。

 そっと目を伏せて、胸元に下げたペンダントの縁を指でなぞる。



「この……このペンダントね、村に来る時にお母さんがくれたの」



 見せてくれた中には家族写真が入っていた。この村に来た時よりも僅かに幼く見える藤子が満面の笑顔を浮かべ、両親らしき人に抱きついている。


「側にいてあげられないから。お守り代わりにって、くれたの」


 ぎゅっとそれを握り締める。

 本当に帰れるなんて思っていなかった、と藤子は言った。



「やっと……やっと、会いに行けるの」



 そうふわりと笑った藤子は幸せそうだった。


「じゃあ行くわね」

「……気をつけろよ」

「元気で」

「二人もね」


 ありがとう、と。


 もう一度大きく手を振りかぶってから、藤子は振り返ることなく村を後にした。


 年下とは思えないほど、常にしっかりとしていた藤子。

 他人の体調不良にすぐに気が付いて、心配してくれた藤子。


 彼女が無事、家族に会うことができますように。





 ◆◆◆


 さわさわと揺れる葉の声。遠くの鳥たちの鳴き声。

 微かに聞こえてきた草を踏み締める音に、微睡んでいた俺は目を開いた。


 高い位置にあったはずの太陽がいつの間にか角度を変えている。

 本当に時間は長いようで短い。


「和光」


 その声にゆるゆると視線を下ろせば、ゆったりとした足取りで近づいてくる、顔立ちのよく整った黒髪の青年の姿が視界に映った。


「またここにいんのかよ」

「落ち着くんだよここ。咲哉も登れば?」


 呆れたように見上げてくる咲哉を木の上から誘う。

 ふざけて手を伸ばせば、絶対使わなくても登れるだろうにグッと握り返され、予想外の事に俺は慌ててもう片方の手で木の幹を掴み踏ん張った。


 咲哉が上がってくる。木登りなんて昔以来なのだろう。子供の時とは意外と変わってしまっている感覚に苦戦しているのか、その動きはややぎこちないもので。


 あの頃とはまるで立場が逆だなと気が付いて俺は笑みを溢した。


「……狭い」

「だな。昔は全然余裕だったのに、やっぱ俺達も成長したなぁ」

「こんなとこで成長感じんなよ」

「あはは」


 のんびりと、穏やかに流れていく時間。

 常に背負い続けていたものが無くなって、ここ最近の気分は軽かった。


 鬼であるという重さを完全には理解していなかった昔。自由に、思いのままに日々を過ごしていたあの頃に戻ったかのような。そんな感覚だった。



 ……生きていて、良かった。


 隣には咲哉がいる。数年前と変わらずに。


 けど、これも最後なのかな。


「咲哉はさ、これからどうするんだ?」


 俺は随分と低くなった日を眺めながら、隣に声を投げた。頬に視線を感じる。


 ここ数ヵ月で多くの人が村を出ていった。藤子も、雪成も春成も。

 皆、新たに始まる日々に期待に満ちた瞳をして。前を向いて出ていった。だから。


 咲哉がどちらを選んでも、笑顔でいようと思った。


「オレは」


 笑顔で見送ろう。


 引き留めたりせずに、笑顔で。

 頑張れよって、送り出してやろう。


 たまには帰ってこいよって、冗談めかして笑って。

 嫌だと面倒臭がれたら、冷たいなーっていつものように笑って……


「村に残る」

「……え?」


 予想とは違った答えに思わず振り返れば、何だよ悪いかよ、と軽く睨まれて。


「え……出ていかないの?」

「何だよ、出てってほしいのかよ?」

「いや、いや違うけど、ええ?」


 出ていかないの?

 もうどこにでも行けるんだぞ?


「なんで?」

「お前こそ、何で出ていかねえんだよ。真っ先に外へ出ていくとオレは思ってたけど?」

「俺が?」

「いつか外行こうって言ってただろ」


 確かにそんなことを言った覚えはあるけれど。


「俺は……この村に残りたかったから」


 どうしても、村を放置して外の世界へ行く気にはなれなかった。


「特には外でやりたいこともなかったし。あまり惹かれなかったんだよな。会いたいと思うような家族もいないし」


 喰字期が終わってから改めて開いてみた自分の記録。家族欄に記されていたのは墓の場所だった。俺を生んですぐに事故で死んだらしい。外へ出ても、藤子達のように会いに行ける家族という存在は俺にはない。生きていたら会いに行っていたかと聞かれたらそれも微妙なところだけれど。


 それにさ、と俺は少し暗くなった空気を追い払うように声を上げた。


「これからも、喰字鬼はこの村にやって来るだろ?」


 喰字鬼は、いつどこで誰から生まれるかわからない。

 全く生まれない年もあれば多くの喰字鬼が村にやって来る年もある。

 つい先日も、新しい住人が数人やって来るらしいと長老様に聞かされたばかりだ。



「長老様みたいにさ、そんな人達を俺も助けたい。何か力になりたいなあって。そう思ったんだよな」



 死に怯え絶望する人生ではなく、生に前向きな明るい人生に。



「……そうか」

「まあ、俺にできることなんて限られてるけどな。それで、咲哉の理由は?」


 なんだか自分だけ張り切っているみたいで少し気恥ずかしい。

 俺はサッと話題を変えた。


「何で村に残んの?」

「言わねぇ」


 一瞬の間を空けて。


「……はあっ!? ちょっ、それはないだろ、気になるじゃんか!」


 何だよそれと突っ込めばうるさいと顔をしかめられた。ひどくないか。


「言うの俺だけかよ。ずるいぞ、吐け」

「嫌だ」

「おい」


 持ち上げた右手で咲哉の肩を軽く小突く。

 始めは無反応だったが、しばらく粘っていれば身をよじって避けようとしてきたから、段々と面白くなって俺は笑った。


 こんな些細なことで時間を使える今が、嬉しかった。幸せだった。



 刻々と迫り来る死に怯えなくていい。

 生きるも死ぬも、もう強制されない。



 俺達は……自由なんだ。



「ねえ咲哉」


 ふと懐かしい思い出が甦ってきて、俺は咲哉に視線を向けた。



「この村は、好き?」



 唐突な俺の言葉に咲哉は僅かに目を見張った。


 遠くの方で鐘が鳴る。

 赤に照らされた髪がさらりと揺れて。



『俺は……』


「ああ。好きだよ」



 咲哉は柔らかく目を細め、花が咲くように笑った。

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人と鬼を繋ぐ文字 詠月 @Yozuki01

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