惑星からの手紙

田中健

第1話

もう合計金額を覚えて久しい発泡酒とつまみをコンビニで無造作にレジに並べる。そういう、いつも通りの木曜日。すっかりコンビニには、おでんが並ぶような季節。

 いつも通りのバックのポケットから鍵を取り出し、いつも通り空のポストを何となく確認してドアを開けるはずだった。

 金城様と書かれた封筒をみた。それは私が熱帯魚のエサを与え忘れるには十分なイベントだった。宛名には、私とは違い、サラリーマンになった古谷の名前があった。古谷は大学時代――もう十年は昔だろうか―同じ研究室に所属していた。毎週末は互いのアパートで朝まで飲み明かしたのも一度や二度ではない。幾度も夢を語り合った。夢はいつも私たちを押しつぶそうと背中にピッタリとくっついていた。先に酔いから醒めたのは古谷だった。

卒業した大学とは違う大学院に進学してからは連絡をとってはいなかった。それは、学問を諦めた古谷への気遣いと、新天地で必ずや成功してみせるという自分の決心、そして自分の夢に人生を賭す覚悟がなかった古谷へのほんの少しの失望。これらが私を新天地へと向かわせた。ある面で、私はこの賭けに負けた。

研究者として駆け出しの頃、世間からも注目されるような、いわゆるコメンテーター的な立場になった。発言はその都度、世間の耳目を集めた。業界人との付き合いもどんどん増えていった。TVには当然、出ていた。しかし世間は鉄と一緒だ。熱しやすく冷めやすい。いまや忘れられた男だ。だからこそ手紙に期待した。まだ自分は忘れられてないと思った。自分に関わりを持とうとする存在の全てに有難みを感じる程だった。

「封書なんて久方ぶりにみたぞ。それもまさか古谷から来るとはな。十年ぶりくらいか。懐かしい名前だ。しかし奴に住所を教えた覚えはないが・・・・・・。まあ大方、大学辺りから聞いたんだろう」そう呟きながら靴を脱いだ。

 単なる封筒ではあったがまるで友人が来訪したかのような感覚があった。少し興奮しながら筆立てから定規を抜き、丁寧に封筒を開けた。そこには一枚の写真と一枚の葉書が入っていた。写真には愛想のいい女と写った少しばかり老けた古谷があった。いい笑顔だった。 

葉書にはこの度、結婚式を挙げることになったから是非、出席してほしいとの旨が書いてあった。私は丁寧に欠席の前の“ご”の部分にバツを書いて、そのまま机に置いた。

 目が覚めると、空の発泡酒の缶とカルパスの梱包ビニールが散乱していた。アルコールによる入眠特有の浅く、質の悪い眠りから覚めると周囲はまだ暗く、もう一度眠りにつくことができることに喜びを感じながらも、やはり手紙が夢ではなかったことを机の上に実在していることから確認した。

 朝、例の文章を投函した。その日は一昨日と何も変わらない日でありそのことに安堵しながら過ごすことができた。

 また例の日課をこなしてドアを開け、熱帯魚に昨日エサを与え忘れたことを謝りながら、フレーク状のエサを与えた。多少、そのエサを食む姿に癒された。そうしてふと、部屋の中に目をやると目を2つの光が平行に並んでいた。

「猫か、どこから入ったのだろう。今度から戸締りに気を付けないといけないな。泥棒に入られても盗られる程ものはないと油断していた。

俺は魚を飼っている。食われてしまっては敵わない。猫を飼えるほどの広さも金もないし、命を預かる覚悟もない。大体、こういう野良猫を見つけたときってどうするのがいいんだ。

気の毒だが少しばかり脅かして部屋から追い出すか」猫が机にいるとしても明らかに違和感のある高さに目があったことは気になりながらもそう呟きながら、部屋のスイッチを押した。

 自分の中にある罪悪感がなくなってしまった。猫ではなかったからだ。猫ではなく、異様な人型生物が、胡坐でこちらをじっと見ていたのだった。その人型は、頭がちょうど、トウモロコシのように細長く、顔?の中心には口吻があり、その口吻は半透明で呼吸する度に上から下に発光していた。先ほどの光は、これの目であったことも同時に理解した。するとその人型は、手招きしながら口吻の半透明部分を光らせながら、どこからか声を出し、自分に語りだした。

「勝手に上がり込んですまないね。金城君。君の部屋で私がこう言っては変だが、まあ落ち着き給え。別に君をとって食うために来たわけではないのだ。こうして対話しにきたのさ。紳士的にね、だから取り敢えず座り給え」私はその異形のいうことに従った。この状況でいうことに逆らえる人間がいるのだろうか?それを抜きにしてもその声は落ち着くような低音で、紳士然としていた。自然と従う気持ちになれた。言われるままに自分は座った。

 確かに驚きはした。それは見知らぬ他人が家にいたから、というような性質から来るものであって、異形が相手だから驚いたわけではないということに自己分析を済ませながら同時に、むしろ自分のつまらない日常が変容していくことへの興奮すら感じていた。日常という安定した水面に異形の訪問という石が投げ込まれた。

 彼は、おもむろに缶のお茶を机に置くと、ただ「どうぞ」といった。それにも自分は従った。普通のお茶で拍子抜けしたような表情をみせると、彼は苦笑したように「異星人が出すものに期待しすぎだよ。我々だって君らとは姿形は違うが、人間に近いからね。飲み物だって当然、近いものになるよ」飲んでみると確かにただの烏龍茶だった。

 彼のいうことに意外なほどに納得しながら、茶を飲み干してから、このように切り出した。「しかし、なんだってあなたはここにいるんです?そう近い惑星ではないでしょう。あなたの星」なぜ私のところにきたのか。この質問をぶつけるだけの勇気も、覚悟もまだなかった。私であるという理由を聞くことは核心的な内容になるからだ。そこで先ずは、大きい話題を振ることにした。

「答えよう。なんってたって私には答える義務があるからね。当然さ。私、いや我々は君らの名前でいえばシリウス系第三惑星から来た。そんなに遠い星ではないよ。太陽から一番近い恒星だからね。もっともこの恒星間移動自体はつい百年前に可能になったにすぎないよ。

目的も君は質問していたね。それはね、私のような工作員を用いて君らの科学を停滞させるのが我々の目的というわけだ。答えはこれで満足してもらえたかな?」

「不思議です。あなた達からすれば私たちの科学力なんてものは初歩の初歩ではないですか。妨害工作をするほどでもないと思いますが」

 彼は少し回答を考えているようでもあったし、思い出しているようでもあった。暫くの間、熱帯魚の浄水器のやかましいポンプ音だけがあった。彼は口吻をゆっくりと光らせはじめた。「君、それは自らの科学力を軽んじすぎだよ。我々の故郷が君らのことを発見したのは千年前のことさ。我々はその事実を歓喜したよ。この広大な宇宙で自分達と同じ生命体を発見したにとどまらず、その生命体は知性と文明を持っていることがわかったからね。それだけで学術的興味を抱かせるには充分だったよ。それに千年経った今でも生物は、シリウス系第三惑星太陽系第三惑星でしか確認できていないのさ。

ところが百年前に君らが動力飛行を実現し、その四十年後に原子力を使い、さらにその二十年後には衛星にその足跡を残した。いまや君らは太陽系第四惑星に進出せんとしているわけだ。

 これで納得してもらえたかな。なぜ当初は学術的対象でしかなかった太陽系第三惑星人を我々の母星は脅威になりえる生命体と認識を改めたのかを。そしてなぜ私がこの惑星にいるかが」

「なぜ武力を用いらないんです?あなた達なら一方的に地球に攻撃できるでしょう?」この質問には即座に、彼はつまらなそうに答えた。

「それは愚問だよ。さっきこの星の希少性を教えてあげたじゃないか。」

 私はそのあとも幾つかの質問をした。彼は、惜しげもなく全てに明確に回答した。曰く、彼らと我々の知性には差がないということ。当然、科学技術には差があるが彼がいうには「なあに、年長者の特権さ。」ということらしく知的生命体に進化するのがあっちの方が単純に速かっただけということだった。また彼がかれこれ百年近く潜伏してきたのもわかったのだった。

「もう質問の方はいいかな?」

「いや、最後に聞かなきゃならないことがあります」そう私がいうと彼の動かないはずの口吻がニヤリと笑ったように見えた気がした。

「あなたは、何故私のもとを訪れたんですか?あなたの目的と自分とに関係があるようには思えないんです」

「やっと聞いてくれたね。私はね、その質問を待っていたんだよ。

 君、そこそこ有名な学者先生じゃないか。私はそれに目をつけたのさ。もっと具体的にいうべきだね。

君を使って人類を仲違いさせようと思ってね、こうしてこの家に不躾ながら勝手に上がらせてもらったんだよ。で、これが君に発表して貰いたい内容だね」

 そういいながら、コピー用紙をホチキス止めしただけの簡単な作りの冊子をみせてきた。文体や構成自体は丁寧ではあるが、明らかに似非科学で知ったぶりの一般人を騙そうとする内容であった。そして内容を要約すると、黄色人種と白人、黒人の文化の違いが遺伝子の分岐を促し、最終的に生物として別種というべき程に違うものになっていくというものだった。

「つまらない内容ですね。これが年長者の特権の結果でしょうか?だとすれば、お笑いです」私はそう毒づいた。そしてそれは私の必死の強がりであった。

「そう言わないでくれたまえよ。大方察しは付いていると思うがね、君にこれを世間に公表してほしいんだ。無論、その場は我々が準備するよ。我々の仲間は、メディアにも入りこんでいるからね。そんなに難しいことじゃない。それを公表するんだ。簡単だろう?」そのままUSBもどこからか取り出した。「SNSで発表できるように電子化もしておいたよ。用意周到だろう?仕事はしっかりする方なんだ」彼は事が自分の思い通りに進んでいることにとても満足気であった。自慢気ですらあった。

「やったとして私になんのメリットがあるんですか。金でもくれるんですか」

「当然、お金は差し上げるさ。でもね、君は大して金が欲しいわけでもないだろう?私の知る限り大学を卒業してからずっとこのアパートに住んでるだろ?君に一番お金があったであろう時期にもこんな所に住んでいる。それが君の本性、いや、欲望を実に表しているのさ。私は知ってるよ。君が欲してやまないものをね。」どきりとした。自分のことを調査していることに対して動揺ではなかった。彼は私の動揺を見抜いてか、そうでないかはわからないが、間髪入れずに、こう続けた。

「君はね、他人からの注目が欲しいんだ。他人に自分を知って欲しいんだ。だから我々はそれを手に入れる機会を君にあげよう。その代わりに君は発表する。いいね?」私はそれには回答できなかった。「そろそろ私はお暇させてもらうよ。来週の頭には、私の仲間が君を迎えにくるからね。それでは」そういうと彼は景色に溶けるようにして消えていった。


 月曜日、水槽はゴミ捨て場にあった。

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