第19話
結局、ミンウを加えたナリアラとシャルの立ち話は、補給を終えたジャニルが現れるまで続いた。
地下で「知覚」に慣れたナリアラにはジャニルの登場は衝撃だっただろう。
「岩壁」がライドにとっては一番しっくりくる。声をかけられた瞬間、ナリアラの「力」が大きく揺らいだのは面白かった。声を上げて飛びあがろうかと言う程だった。
ジャニルはナリアラに砦の状況を説明するにあたり、ザストーラ存在を疑った妖魔の件、昨夜の野営地での出来事、そしてこの砦を取り巻く6人の精鋭の存在について順に説明した。
まずザストーラの存在に疑いを持った切欠だ。ジャニルはこの砦の周りにいる妖魔を挙げる。つまり、シュールの陣にいた頃には疑っていた。妖魔の数は約千体。その中には10メール前後の巨人8体が含まれる。推定される巨人の年齢は約100才。知能も一般的な壮年に近く、体格柄生まれる「力」は戦士長と互角とか。体重は1万キをゆうに超え、歩くだけで地響きが生まれるし、動くだけで知覚の類にも「力」の移動を感じさせるだろう。
そんな存在が村人にも気付かれず集結する。これは異常だ。
疑念が確信に変わったのが昨夜の野営地の襲撃になる。川辺を避け、凡庸な野営に適さない場所をその場で選んだ。当然、周囲に妖魔等の行動痕のない場所だ。そして森の人がいる限り、その耳は、数が多いほど遠くから相手を発見する。300メール以内なら酒場の個人の声を聞き分けるそうだ。これは物理的な作用ではない。身に宿った精霊と同質の力だろう。
しかし、野営地は妖魔の「群れ」に奇襲を受けた。森の人が駆け出す音に気がついた時には100メールなかったという。予め移動不要で、息遣いを気付かれない距離に潜伏する以外には考えられない。その有効範囲はかなり狭い。
こんな真似をすれば、ジャニルにザストーラ自身の存在を誇示するようなものだが、行われた。それだけザストーラも苦慮していると見る。同様に本来なら騎士院生の調査や、風の柱を使わない未来を選びたかった筈だが選べなかったはずだ。
「私の補給も、ライドちゃんとナリアラちゃんの合流も、ザストーラちゃんが許す理由がないわ。周りに6人も精鋭がいるのに誰も1人で隙だらけの私の邪魔をしにこないし、補給品も無事。そしてこの砦の周りはローレンまで他に精鋭がいないわ。手の内を晒してでも私達を移動させたくないとしか思えないわ。その対象は空の渦でしょうね。」
狩は隠れての狙撃が基本だ。姿を見せるのは罠に追い込む時のみ。逃げられれば追撃は大抵成功しない。背を向ける相手にはそれ以上の速度で攻撃しなければ届かない。つまり獣以上の速度で追い越せなければ、武器を振るう間に離れてしまうし、水の中に入られれば元々身体機能の高い獣に追いつけるはずもない。戦士の歩法に到達するには800倍前後の「力」が必要だ。精鋭程度では不可能だ。
「多分、交渉に手段を変えたのね。森の人を人質に取れたんでしょうね。森の人と塀の人の間に亀裂を産みたいんじゃない?。現場で産んでも意味ないんだけど、後衛がいないもの。」
ちなみにレーヴェとは音信不通のままだ。空の渦に変化なく、生贄は無事だとは思われる。ローレンで準備が進んでいるかというと、キルケニー伯爵の号令で集められたが、その集結はまだ2割、夜に人手が到着しても5割に満たないとか。風の柱を作り出すにはまだ時間的に余裕がある。依然敵の方が優位なのに手段を変えた。
「ナリアラちゃんはこの変化をどう思う?。」
ジャニルは少し離れて壁に寄りかかるナリアラに意見を求める。
外壁が崩れ、青い空の見える外壁沿いの倉庫だ。その中でも影の深い場所で、ナリアラはジャニルを睨む。
「心臓の動いてない奴と、昔流行った戦場の噂話をするのかい?。この話に真面目な要素が見当たらないよ。何を、いつまでにやるのか。具体的な話をしな。」
昨夜ソドムがナリアラに話した今後逃げ延びる為の足掛かり。その交渉相手はジャニルだ。
説明はしているのだが、存在が怪しすぎるのは否めない。
「そもそも話せる死喰人なんざ気味が悪い。何なんだい?。」
「あら?。死喰人でも吸血鬼でもないわよ。王の近衛で脅威関係の部隊だって言ってるじゃない。」
「御伽噺にも、戯言にも興味はないよ。」
「あら?。私って、新たな出会いなのね。」
ジャニルは巫山戯た答えを返す。まともに取り合う気はないとの宣言だ。ジャニルは、ジュールから拝借して補給品に巻いていた布を、外套代わりに頭から被っている。その為に口元しか見えない。これが更にナリアラの気に障っているのだが、ジャニルは密偵は顔を晒さないと断固拒否だ。敵対しないなら、確認は難しいと見越しての強弁だ。仮に疑われても、王の名を使って「擬き」と言ってのけるのだろう。
「仕方ないね。私はライドの顔を立ててやりたいんだ。でも私にとってレドールは敵だよ。その手先と私の間に利が生まれるとは思えないね。」
「手を組めば仲良しじゃないでしょ?。王家には王家の都合があるの。望むのは一つ。王家の手札になって頂戴ってことよ。侯爵が調査の手を伸ばした時、ナリアラちゃんとシャルちゃんを追って遠くに連れてって欲しいの。それまで住む場所は用意するわ。来てくれるなら、ソドムちゃんとライドちゃんも招待する。ソドムちゃんは貴族の間で価値が高いし、ライドちゃんは知る人ぞ知る人よ?。仮に王が調略されても孤立させないわ。でも細かな話は後でしましょ。話し合える条件は多い筈よ。落ち着いた時にね。」
「ライドの坊やの価値は所詮個人の話だよ。役に立たないね。ソドムって奴とは接触済みだ。そんな価値のある奴が何で私に接触してきたんだい?。この状況を予期したあんたの差金かい?。悪いがこのまま巻き込まれたくないんだ。私を戦力としてあてにするなら、私とシャルの手配書との繋がりを今話な。」
ジャニルの話の大枠は、ソドムが昨夜話した内容で間違いなさそうだ。ジャニルとは話しもしないのに、ソドムは当たり前のように読み切って見せる。隠れ里で慣れたとはいえ、この辺は考えてもついていけない。
しかし、この話し合いはナリアラにとって重要だ。ソドムとジャニルでは、内容が同じでも質が違う。権限のないソドムの話は何処まで行っても提案止まりだが、ジャニルには権限がある。選択権がある。
『手配書との繋がりから疑うとはね。ナリアラ女史は薄々背後の思惑に気がついているようだな。気がついてもナリアラ女史からできることはないんだ。気がつかないでいて欲しかったね。』
ソドムの呟きにライドは唸る。
「そうねぇ。ナリアラちゃんとシャルちゃんには直面している問題以外に望まれてる思惑があるの。確かに、先にそれを消化しておいて欲しいわね。」
「勿体ぶるねぇ。」
「レドール家の望んだ立入はね。王や公爵も承認してるの。必要なのよ。でも、誰だって自分の領地は探られたくないわ。別件に使える情報の宝庫だもの。そんな調査の目を逸らす確実な方法は理由を奪うこと。この場合、ナリアラちゃんを探してるんだから、ナリアラちゃんが別の場所にいる証拠を示せればいいのよね。」
ソドムの話にナリアラは眉を潜める。貴族自身が必要と認め、なのに嫌がっている。当たり障りのない言葉だ。しかし、その言葉の裏側に理解が届くと口元を引き攣らせる。
ジャニルはナリアラは貴族の問題を片付ける為の出汁だと明言したのだ。その理解を視認してから、ジャニルは話を再開する。
「御遣いが現れても国中に暴動は広がらないわ。御遣いの出現なんて見えないもの。知らない方が普通でしょ?。御遣いだから声が遠くに届く?。天変地異に対して事前に準備はできない?。そうとは言えないの。初期の中心になった犯人に目星はついてるわ。暴動の初めの頃からね。でも犯人達は公にできない事情があるわ。代わりの犯人役がナリアラちゃんよ。犯人が捕まりませんじゃ締まらないでしょ?。」
シャルが追われる理由、ナリアラが逃げる問題に変化はない。ただそこに冤罪が上乗せされた。元々貴族殺しを疑われるナリアラだ。重罪が一つ増えても領民は疑わない。最後には犯人として死んで住民の安心に役立てられる。その後、御遣いの言葉と広まった噂は犯罪者の悪意と宣言し、真犯人は闇に葬るのだ。
侯爵がナリアラの捕獲を最優先に考えたのは、この調査で偽情報を封じる為だ。手元に本物がいれば、すぐに真偽が判断できる。だから隠れ里で逃げる時、千里眼で見えない地下に逃げ込むことは容認した。黒幕に協力する貴族に接触させる手段は失敗しても、ナリアラの確保だけは成立させる。この地域の精鋭の常識では、地下は救出作戦に必要な位置情報が得られない場所になる。地上を精鋭で抑えれば監禁が成立する。軍の追手は赤大蟻に忙殺されたのに、気がつけば周囲には別の兵士が手広く活動していたのは優先順位の問題だった。
ジュールがシャルの姉役を手の内に収めたのは、ナリアラ自身から自由を制限する為の人質だろう。例えば自害、例えば外部への発信だ。侯爵はナリアラやシャルが生きていてくれた方が犯人確保の利用価値が高まる。逃す危険は冒さないし、死んでも仕方ないと思っているが、現場には脅迫の手段を用意させたと見る。
しかし、ソドムはこの状況を利用する策を考えた。ナリアラの位置情報を推察だけで想定した。それでも普通は夜の短時間では不可能とみられていたが、ライドは穴掘りが得意だった。対して音を立てることもない。
ソドムの目的は、ナリアラを奪うことで侯爵に対する自分の価値を高めること。この行為は敵対的だが、今後は双方の折り合いを目指して敵対しない立場を作り上げるという。どんなにナリアラの代わりとなる事象を準備しても、計画を変更させる手間を取らせるほどの利は出ない。その最後の利を、ソドムは「手土産」で埋めようと考えた。手土産、それはソドム自身だ。
これはソドムにとって痛くも痒くもない提案だ。元々レドール侯爵側に立つ学院の研究員を希望している。価値のある人材が侯爵の側に学院が手綱を握る形で参画する。手土産になる為に必要な妥協点は初めから備えている。中途半端に敵対と同時に害意がないことを示すよりいいらしい。
傭兵団に懇意の連絡先まで与える侯爵だ。人材好きと見る。
「真犯人は貴族か。」
犯人を表に出せない理由で思いつくのはこのくらいだ。貴族の罪はその血筋と濃さで価値が変わる。
途方もない数の平民の命をもってしても表に出ない価値。平民の犠牲は暴動だけではない。ローレンを目指して移動したジュヌ教徒の多くは賊の餌になるという。その他にも、御遣いという名前がどんな暴走を引き起こすのか、ソドムにも想像がつかないという。
ライドはジャニルと向かいあって瓦礫の上に座る。小汚い男2人、瓦礫の隅で座る様は中々笑える。
『森の人の加担も公にはできないな。精霊術を売る行為や、それを進める学院に不満がある森の人はいるはずだ。だから声を飛ばすだけなら、手助けの感覚で加担する。数も少なくないだろうね。』
御遣いの襲来を利用するには、予め知っていることが大前提だ。つまりザストーラは少なくとも切欠を提供している。
そして、ライドが聞いた御遣いの意思は「頭に響く言葉」だった。それはハッシュベルの駐屯地にも届いたが、ハッシュベルに向かっていた物資運搬者には届いていなかった。そして、ローレンの住民が聞いた御遣いの言葉も、「頭に響く言葉」で「声」ではない。しかし、ジャニルは各地で響いた言葉は「声」だと言う。
御遣いにそれを調節する理由はない。ならば調節した別の者がいたとしか考えられない。
各地で聞こえた声は、現地で聞いた言葉を声に変えた遠話と見る。各地に響いた声は子供のものらしいが精霊術なら声音を変換できる。その声を大音量で上空から降らせた。これを実式でやるなら導師級の知識と技術が必要だが、精霊術であれば森の人なら誰でもできるという。そして精霊術は実式では実用に至らない精神への作用が可能だ。暴動に扇動が必要だったかわからないが、扇動が「できた」となれば情報は一人歩きする。知らないものほど精査しないとソドムは断言する。これが公になれば塀の人と森の人の間に大きな亀裂が入るだろう。そして森の人への悪意が広まれば森の人のいる学院は衰退する。
『今、学院を通じて人材を手に入れているのはレドール侯爵だ。戦場を変えたと言われる技術の元締めだな。これはセレ国の分裂を考えるなら潰さなくてはならない組織だ。人材は自分の領地で育て、確保しなければ戦えない。でも、領地に学院を作って人を集めようにも、森の人との関係が健在なら、森の人のいる学院が頂点になる。それは結局、長老を抱えるレドール侯爵だ。自分の領地に森の人を呼び寄せるだけでは既存の権威は奪えない。だから森の人との関係を崩す。人の社会全体の発展を停滞させて低い水準の中で優位を奪う。これは貴族の存在意義に反する禁じ手だよ。』
そして、貴族が仕掛ける時、知られるまでに纏まった時間を奪える未知の技術や特異は切欠になる。
ザストーラの存在と、未曾有の御遣いの出現は十分にそのきっかけになれる資格がある。実際、レドール侯爵の対応までに一年弱もの時間を奪った。これは仕掛けた側が次の動きを準備するには十分な時間だ。つまり、何もしなければ次の仕掛けは近い。それは森の人との関係を破壊する決定的な一手になるだろう。
『でも、レドール侯爵は黒幕の次の手を含めて潰しにかかった。それが立入りだ。森の人の関わりが示唆されても、犯人の謀略で片付け真相を探る。黒幕は、今下手に動けば加担者ごと洗い出される。大義を成立されるとは思ってなかったろうな。でも後手を取り戻すには王や公爵を賛同させた強力な大義名分以外にありえない。こうしてみれば、唯一無二の手段だよ。黒幕は追い詰められた。本当に都合が悪い情報を掴まれれば調査員を始末に動くしかない。そして、多分侯爵はその犠牲を待っている。情報があるとわかれば、そこに一気に雪崩れ込むさ。結果、黒幕は準備のない独立に追い込まれて滅ぶ。速さに拘るのは、黒幕が降参させられると見越しての行動だ。そして、ナリアラ女史の命あるうちに処刑したいんだ。』
王や公爵はこの件に加担していない。または立入を交わす準備を終えているかだと言う。
「潜伏場所は私と同じ心臓の止まってる人で固めるわ。侵入からの工作以外は表立って手は出されないと思うの。皆自分に都合のいい状況で国を割りたいから、準備の整わない今はないわ。仮にも王家は国の代表ですもの。ねぇナリアラちゃん。だこら、そんなに難しい顔しないで。慌てずに。まずは一つずつ可能性を広げていきましょう?。私が提供するのは時間。それは使い方次第で大きな力になる筈よ?。」
視線を向ければ白い顔で唇を震わせるナリアラがいる。その表情はジャニルの言葉がかけられると一瞬で元に戻る。
「少し手詰まりだったみたいだね。少し考えさせて貰うよ。協力する方向でね。さて、じゃ、私は少し身体を解させて貰おうかね。暫くはシャルの安全は見てくれるんだろ?。久々に好きに戦えそうじゃないか。」
ナリアラはくるりと背を向ける。その歩みに惑いはない。
「彼女は落ち込むより自棄を起こす性格みたいね。」
「自棄?。そうは見えないが」
「鈍感ね。まあ、貴方達は暇人だもの。鈍感じゃなきゃできないわ。でも暇に付き合わされる侯爵はどんな対価を求めるかしら?。彼女を奪われて、心中穏やかじゃないわよ?。」
ジャニルは、ナリアラとシャルの救助に腐心するライドとソドムの行為を呆れた声で嗤い、肩を竦める。
「暇だからな。」
指摘の通りだ。反論の余地はない。ライドとソドムの行為は無益だ。今回、仮に上手く行ったとしてもナリアラは行動を辞めないし、シャルはナリアラに追従する恐れが高い。つまり、これ程の労力を払って、得られる結果は上手く行ってもシャルの成人までの数年を稼ぐだけだ。2人を生かすなら逃亡させ続けた方がいい。事実、ソドムは初めそのつもりだった。
『ナリアラ女史は、自分が倒れた後はライドに跡を継いで欲しいんだな。場合によってはシャルの手助けだ。』
暇なら人助けをしないか?。
その言葉の理由はそう言うことか。
このナリアラの生活は自身の死でしか終わらない。侯爵を引き摺り下ろすことは不可能だ。
そのことはナリアラ自身が理解しているのか。なのに、なら何故拘るのか?。他人には解決できない理由ばかり思い付く。
『止められる可能性があるとすればシャル君だ。情を傾け過ぎてる。毎回これだけ情を傾けていたらこんな生活続くはずがない。いっそ本当の子だからかとさえ思う。でも、止まる気はない。ライドへの提案はその意思の現れだと見るね。』
「手はないのか?。」
『私ができるのは惚れたふったの遊戯だよ。シャル君に情を傾けても止まらないんだ。情や色恋では無理だね。後継を期待される君なら、もしかしたら理由を聞けるかもしれないかな?。多分、普通に聞いても理由は墓場まで持っていく型だよ。ナリアラ女史は。』
何がそこまでナリアラを突き動かすのか?。今回より前から、似たような行動を繰り返しているとジャニルは話す。
1人で傭兵として貴族相手にして来た。その情報には驚いた。後衛、補助、前衛全ての素養があるのだと思う。そうでなければ、とっくに罠に捕まっている。少なくとも、ライドにはナリアラのように数をこなせる自信がない。
「ライドちゃんの考えの通り、彼女は結構な逸材よ。口説ければ仲間に欲しいわ。後衛、補助、前衛、全部2流だって言われてる。その上、斧槍を使わせれば、ちょっとした達人よ。「力」は中の上だけど、傭兵としての力量は上位よ。弱点は千里眼が弱くて、広いところじゃないと「霞」が使えないことって聞いてたけど、克服したみたいね。頼もしいわ。」
ジャニルはナリアラを高く評する。しかし、その評価と裏腹に遠ざけたい意向が滲む。
それはそうか。
吸血鬼に誘えば、単独行動の貴族の敵が生まれ、王家に誘えばレドール侯爵との関係は難しい。ナリアラとは、独立を画策する貴族しか立場の近い者もいないだろう。しかし、王家に属するジャニルにそれを許す理由がない。
ナリアラは黒幕には気が付いているだろうか?。気が付けば手配書が外れた後には合流を目指すだろう。しかし、今回の件が上手く行けば、ソドムはレドール侯爵の側だ。そしてライドも御遣い騒動を引き起こした貴族に味方する気はない。ナリアラは合流前に命日を迎えるだろう。まさに今のライドとドムの行動が無駄になる瞬間だ。
ナリアラのような若者をこのまま見捨てていいのか?。ライドは悩む。
「ザストーラは何故暴動の黒幕に加担したんだ?。この風の柱の行為は脅威に対する敵意だと思っていたが、塀の人の内部抗争は脅威に対抗する上で不利になる。困らないのか?。」
「暴動は気にしないでしょ。国の分裂は気がつかないでしょうね。能力以外は小物だもの。だから風の柱を起こす準備も成し遂げる力はないわ。天変地異を手土産に準備の協力を依頼したのね。達が観察しながら出し抜かれたのは、能力を甘く見過ぎだ結果よ。まさか上の貴族に交渉を持ちかけられる手段を得られるとは思ってなかったの。彼は平民だから。」
ジャニルは身に染み付いた身分に対する信頼を口にする。ライドにはそこが気に障る。
しかし、レドール侯爵は何処からこれ程の掴んだのだろう?。同じ頭を持っているとは思えない。恐れを示すと、ソドムは掴むまでは才能とは関係がないという。ただ資源が潤沢で、統治の責務に真摯で誠実。そして慎重なだけだと。
不利益をもたらす恐れのある勢力や個人には以前から手広く監視や内通者を置いてその情報を整理していた。そこに暴動が絡んで、ナリアラとシャルの件を結びつければ利を最大にして、目的を達成できると考えた。
『特筆すべきは案じゃない。それを実現させる精度と速度だ。侯爵に君のような記憶力があるのは間違いないな。その上で趣味のように蓄えられた無数の策が詰まっている。だから何が起きても適した策に繋ぐだけで方針が出せる。だから計画や投資する資源を初めから分かっている。だから早く、隙がない。年齢を重ねるほどその怪物度合いは増す侯爵なんて無敵だな。私は伯爵業務だけでも息抜きに逃げないと生きていけなかった。捌く案件が多すぎて、私の頭では整理しきれない。』
時間を戻せようが、計画の初期まで戻らなければ逃げられない。それが侯爵の網か。
『黒幕は多分、レドール侯爵と同じ侯爵だ。下手をしたら、レドール侯爵以外の侯爵が結託したかもしれない。でも王家の後援である公爵にはレドール侯爵が十分なエサを巻いている。完全に反乱が有利に傾かない限り、公爵は日和るだろうね。」
森の人への優遇がすぎるのは、おそらくレドール侯爵の版図だけ。ソドムはそう付け加える。
ソドムは王家は森の人の優遇に賛成していないとみる。これは精度の低い仮定というが、王家が立入がなければ隠せる行為と言えば、森の人に対する敵対の為の武器開発はやり易いという。表向きは森の人以外の対象にも役に立つ。研究過程を見られない限り、意図には気付かれない。
ソドムは精霊術を嫌っている。偏見にも聞こえたが、それはライドの故郷では精霊術師は多く相互監視で十分だったからだと思い至る。精霊術は精神に働きかけられる。洗脳ではない。対象の行為を好意的に受け取らせ、逆に嫌悪させる。それだけだ。しかし、たった1人の精霊術師しかいないなら、誰にも知られず常に感情を好きに制御されることになる。それは心を操作されるに等しい行為だ。嫌悪されない筈がない。
ソドムは領主だった頃、使者を除けば森の人とは交流を拒んだと言う。森の人にとって居ずらくなれば領地を避ける。その為に領民の森の人への軽犯罪は積極的に不問にしたと。
しかし、普通は精霊術に対する知識がない。だから、森の人の華奢な見た目を理由に恐れない。寧ろ領主が森の人を絡めれば罰を与えないとの誤解が森の人に対する優越感を与え、不満の吐口になったのだろうと思う。
レーヴェが精霊術の利点を捨てたのは、塀の人から敬遠される限り、森の人への野蛮な行為は止まらないと考えたからかもしれない。「かやく」と呼ばれる新たな文明を滅ぼしても、森の人を標的とした次の脅威が生まれる。そして、その期間はどんどん短くなる。塀の人には文明と、怪物じみた数の暴力がある。対応は加速するに決まっている。だから学院という場所で塀の人の監視下に入り、精霊を感知させる手段を研究した。塀の人の社会で精霊術師が好きに振る舞えない仕組みを与える為だ。それは塀の人との共生の為。共存ではない。学院で森の人に塀の人の生活習慣に慣らし、発生する問題の責任を持とうとするレーヴェの姿からは、その思想が伺える。今回の御遣い騒動には、居ても立っても居られない危機感を覚えたのではなかろうか?。
「危ういんだな。この国は。」
ソドムから何度か指摘はあったが、ライドは初めて実感する。
「理解してもらえて嬉しいわ。本当にライドちゃんは見た目の若さに違和感があるわね。枯れてるわけじゃないのに全てが他人事。末期症状の時越えの人みたい。私は今の時代の人の行く末には興味ないって言い出しそうだわ。」
ジャニルの言葉に自然に口元が歪む。改めて言葉にされると目が泳ぐ。塀の人には思い入れはできる。同じ褐色肌で見た目も変わらない者が多い。それでも生き物として別の種だ。この地域で言う土の人や森の人と同じような位置付けになるだろう。
ライドには、今は正しくこの地域の行く末に興味がない。居候の自分は、どんな形の行く末でも、その隅で生きていくだけだ。
「国を割ろうとするのは、レドール侯爵の過ぎた理想も大きな原因よ。その理想を回せる仕組みが今の貴族にはないの。」
ジャニルはソドムと同じ言葉を話す。理由は理解できないが、そんな状態でよく統一を考えたと思う。初めから破綻している。統一は正気を失うような熱狂でしか生まれない。ソドムはそう言った。それを稀代の実力者が、王を巻き込んで強行したらしい。
「この統一に一番上手く対応したのは商人よ。貴族を強制的に追い出した罪人の領地だけど、貴族にとって領地運営の試験場ね。貴族の仕組みにこの新たな状況を取り入れるまでは罰は預けられたの。勿論、ミラジの商人には、協力の対価として罰の不問をちらつかせてね。」
見方が変われば景色も変わる。ライドはナリアラとロニに出会った日に感じた想いを改めて胸に刻む。
そんな話をしていると、倉庫跡で油探しをさせていたミンウとシャルが戻ってきた。この場を去ったナリアラに丁度会い、報告している。油は残っていない。水に押し出され、地面を黒くしているらしい。
「ミンウが千里眼を使うとはね。血の涙が出そうだよ。どれだけのことか分かってるのかい?。素直に褒めてやれないよ。」
「ひでぇな。褒めてくれよっ。さっきだって人骨どかしながら頑張ったんだぜ?。もう気持ちわりーの何の。」
「生意気だよ。」
側に顔を出すミンウの肩を、小さな体当たりでナリアラが小突く。戯れているようにしか見えない。ナリアラも楽しそうだ。この光景のナリアラからは、レドール侯爵との敵対に人生を捧げる理由が見えてこない。
そして、対するミンウも何かに怯えたような暗い眼をしていない。
(立ち直れるといい。)
短い期間に多くのことがミンウに訪れ過ぎた。
「ライドちゃん。話し易くなったところで聞きたいわ。交渉はやるならローレンじゃない?。でもここを交渉の場に見定められてる。私は相手の目的はライドちゃんの除去、交換材料はレーヴェ導師だと思うの。ソドムちゃんの意見は?。」
黒幕の思惑は見当がついても、目の前の吸血鬼の行動は謎が残ったままだ。ライドにとっては頭の痛い問題で、交渉で望まれるなら、交換条件としてその場で死んでみせろと言われかねない。
レーヴェは塀の人にとって重要人物だ。それはライドにも分かる。
「レーヴェ導師が隙を突かれた。そう考えて準備しましょ。でも、そんな相手にライドちゃんは強硬を諦めさせた。そして、同時にトドメはさせなかったのね。貴方の練気は動きに不釣り合いよ。大したものだけど残念な結果ね。」
ザストーラを仕留めきれなかった。その言葉をライドは反芻する。俺はジャニルの言う通り失敗したのだろうか?。俄に信じられない。それほどの「力」は近辺に存在しない。
一瞬ならいけないか?。全力で戦ってみたい。
そんな欲求が立ち上る。瞬間なら危険は低い。確信とまでは行かないが、その根拠は増えている。
まずローレンでは外向きの「力」を制限しなかったにも関わらず、戦士長が接触してこなかった。ジャニルに気がつかれたのは、土の人の居住区で包囲の前に上に逃げる動きだろうと思う。遠く離れれば、間にいる戦士長の影に隠れて適度の小さい動きは目立たないからだ。これは千里眼でも同じだろう。遠くに離れればここの「力」の距離は縮まり、似たような場所の「力」に集約される。しかし、ローレンにいる戦士長は違う。誰かがソドムへの接触を禁止した可能性はあるが、確認に会話の必要はない。
だからおかしい。「力」だけで個人の特定は難しいし、判断材料にする為には感知した「力」がどんな状態で生まれたのか、それが分からなくては判断できない。例えばジャニルがジュールの駐屯地で殺気を放ち、ライドを強制的に動かして確認したようにだ。全く近づいてこない理由がない。
更にナリアラは地下でライドの「力」を感じていたという。ナリアラが個人を特定したのは、才能だろう。共に行動していた時間も短い。何より漏れているのは内向きの「力」と証拠を突きつけられた気分だ。外向きの「力」に個性はないが、内向きの「力」には体臭程度に個人差がある。それが距離のある地下に顕在化していた。
このことから、ライドは何かの理由で戦士長がライドを特定できない状況だと疑う。
今の「力」を顕在化させない対応は、元々安全策だ。
なら、今の状況はどうなっているのか?。最早ライドの常識は通用しない。どんな理由でも、あり得ないなどとは思わない。
ライドは「力」が広範囲に顕在化して、「知覚」で方向が掴めなくなっていると仮定した。
それをジャニルから確認したい。今手に入る証左でこれ以上のものはない。
ライドは足掛かりとして、ジャニルが何故1人でライドを追って来たのか問いかけた。1人では不意打ちの成功率も下がる。この答えは予想通り、事前に情報を得ていたとの答えを返される。ジャニルは遠話の象形図を体の何処かに仕込んでいる。吸血鬼ならではの保管方法だが、何とも不気味だ。
逆にジャニルからは頭の怪我の治りの遅さを指摘された。この地域の中にも回復の普通の者はおり、「忌子」と呼ばれるらしい。
忌子の精鋭は初耳だという。忌子は10万人に1人か2人。普通は大人になれずに怪我が元で死ぬらしい。
「連呼しないでくれ。俺はそれ程特別だと思ってない。」
ライドは興味深々で「忌子の希望」豊英ジャニルを静止する。忌子だと知れ渡って欲しくはない。今更遅いだろうが。
「そう?。質問に戻ろうかしら。話の流れからすると、聞きたいのはライドちゃんが千里眼でどう見えてるのかってことかしら?。これ、一つ貸しでどう?。」
「情報で返そう。」
「限定しないで欲しいけど、ま、その時に相談するわ。そうね。事実だけ伝えるわ。精鋭の間では、ローレンの方角に異常が生まれたって国中の噂になってるの。丁度、調査隊が夕方に帰ってきた日の朝からね。でも分かるのは離れたところからの漠然とした方向だけ。近くだと方向がわからなくなるの。私で大体1000メールね。どっちを向いてもいる気がするわ。普通の精鋭だともっと遠くから分からなくなるでしょうね。」
ローレンで精鋭が近づいて来なかったのは、ライドのいる方向が分からなかったからか。
更に、その漂うものに阻害され、千里眼の精度が国中で落ちているとジャニルは語る。力の弱い者を上手く感知できなくなったと。千里眼は元々、距離が近ければ、動いていない子供や病人でも分かるらしい。使用者との相対比較の「知覚」とは大違いだ。ライドは「知覚」を全力で使っても、止まっていたら大人でも分かりにくい。子供では動いても小動物と区別がつかない。識別となると、視界外の距離なら戦士長に近い身体機能がなければ姿形は不明確にしか見えない。
「ありがとう。参考になった。」
聞きたい言葉は聞けた。
(千里眼への阻害があるなら、一瞬、全力を出しても遠くの格上に欠陥までは把握され難いと見たい。)
問題はそんな極端な入り切りができるのかだ。
そこまで考えてライドはふと気がつく。仮定の中で自問自答を繰り返すが、結論はもう出ていると。
ライドは全力を出し切る為の理由探しに終始していた。
貴族の教育を受けてきた者との違いを感じる。何を知れば何が確認できるのか、それが明確にできないから無駄を繰り返す。
ジャニルとの会話が途切れると、続いてソドムが確認の為にライドに情報を求める。
『ライド、ここを囲う精鋭はもしかしたら全員1000メール程度離れているのか?。遠くも近くもなく。ついでに廃城の方向にはいないとか。』
「両方当たりだ。あー、もしかして俺をけしかけたのか?。」
『人聞きが悪いな。今の私は未遂だ。やられっぱなしは嫌でね。爪痕を残す方法を考えていた。一度にやるのは一つと決めていたのに両方残すとは過去の行動を絶対視しすぎだな。敵は。』
ソドムはジャニルの衛兵との話を聞いてる時、この躾について考えたと言う。何をするかと順番を決め、時間を戻った時には新たに一つ、小さくても有利な仕掛けを残す。上手くいけば戻った回数の目安がつくと。決行は夜の争いを計画していた。つまり半日程度、時間が戻っていると見る。
距離の躾は一定距離の相手だけを攻撃しないような逃げ道を作ったのだと思う。しかし、言うのは簡単だが成立は難しい。ライドには成功に辿り着く道が見えない。だが、ソドムはこの程度は3流の「補助」の範疇だという。3流との言葉は、ライドの故郷では悪口だ。しかし、この地域では実力の指標らしい。
ただ、この行為はライドにとっては賭けを含むことになるだろう。時間が戻らなければ危険に陥る可能性を懸念する。だから、ソドムに「けしかけられた。」と聞いたのだ。案の定、ソドムはライドをけしかける準備をしていた。
『行動前に結果を見せられるのは何とも気味が悪いね。』
「そうは体験できないぞ?。」
『したくない。これが優秀な敵だと資源で上回らない限り手がつけられないな。この特異が領主のものじゃなくて良かった。』
資源で上回る。今回の経験からソドムは、英雄のような個人の資源に頼る相手なら伯爵で対応可能と見ている。仮にレーヴェが森の人を率いても、どの侯爵でも単独で互角以上に運べると。
「なになに?。私にも教えて欲しいんだけど。」
「相手の理解し難い精鋭の布陣はソドムの仕掛けの成果だ。それと可能性だが、ザストーラは半日以内には戻れない。」
「あら?時間を戻す度に首が締まる仕掛けなの?。面白いわ。それに随分能力の見通しがよくなってきたわね。直ぐには利用できないけど、留意していきましょ。」
ジャニルの言葉に頷く。知恵の回る敵は御し難い。人を相手に狩りをするとはこういうことだ。
「じゃ、話は戻るんだけど、交渉に来られる前に、認識を統一しておかない?。」
何の話か?。ソドムとジャニルにはそれほど大きな違いがあるとは思えない。しかし、話してみるとそうでもない。交渉人は吸血鬼、ソドムに乗っ取られることを防ぐ対応をしてくるとの読みは同じだが、手段は随分違った。
「ほらね?。認識は合わせておかないと、始まれば確認してる時間無いんだから。」
結局、改めて話し合った結果、交渉人は吸血鬼3人で、レーヴェを盾に砦に乗り込んでくる方向が最も難しく、対応を準備することにまとまる。吸血鬼側はソドムへの対応は勿論、ライドとジャニルの出席を求め、動きを拘束したいはずだとみる。
その他の可能性は厄介にならない理由があるから、漏れたのだ。その理由をつく。
「任せるけど逃げちゃダメよ?。ソドムちゃんの昔話は他じゃ手に入らないと思うわ。」
「逃げない。だが死ぬ気はない。水辺も近いしな。いざとなれば逃げる。」
「ライドちゃんは展開を勘違いしてるわ。レーヴェ導師は大切で、その命の価値が重いのはその通りだけど、ソドムちゃんと比較してどう?。ライドちゃん1人なら私はザストーラちゃんの側について、ライドちゃんと4対1何て展開も否定しないけどね。」
ジャニルはあっさり、レーヴェ導師の後継は森の人から立てられると言い切る。
「レーヴェ導師とティパーツちゃんの救出作戦には発展しないわ。うまく行くはずがないもの。」
試す前からか?。ハニハルとサミュエル伯爵の手勢は何かに利用しないのか?。
ライドの声なき疑問にはソドムが答える。
『もう1人、精霊が使える吸血鬼がいるのを忘れてないか?。何故3人で来る可能性が高いと見と思う?。敵にはもう1人、人材がいるからだよ。その吸血鬼にサミュエル伯爵の手勢を突っこませたら、手駒に献上するだけだ。』
ネビュラのことか。ライドは眉を曇らせる。吸血鬼が複数で来るのは憑依に対する警戒というより、この場に釘付けにする為か。
「ナリアラちゃんもライドちゃんも、守るものがあるじゃない。目を離してぶらぶらできる?。乗り込む方が得られるものが多いわ。吸血鬼が守りたいものはお空の上。この過剰な精鋭の配置もお空の雲の下にいかれると弱いからね。精霊術師を警戒してるわ。」
「それは・・・レンドレルは砦にいるとみてのことか?。」
「いるとすればレーヴェ導師の指示でしょうね。隙があれば発動前の風の柱の下に行く為だわ。1人でも崩せるのかしら?。でもこれはザストーラちゃんの動きから見た憶測よ。レンドレルちゃんはこの会話も聞こえてるかも知れないけど、レーヴェ導師が捕らえられるなんて信じないでしょうし、合流は難しいわね。ハニハルちゃんもそうだけど、長老様への信頼は教会の信者よ。」
ジャニルは疲れた声で首を振る。ハニハルとは遠話で何度も話をしている。その感想だろう。
「こっちも人手を補充するわ。ジュールちゃんにネビュラちゃんが身代わり作って逃げてないかの確認してもらってるけど、逃げたでしょうね。そのかわり応援を頼んでるの。これはナリアラちゃんには内緒よ。勿論、彼女との接触は避けるわ。ネビュラちゃんの討伐に行って貰うつもり。ハニハルちゃんに手引きしてもらってね。サミュエル伯爵の手勢は砦の応援に来て貰うわ。」
「監視がいないサミュエル伯爵の手勢を繋げるのか?。どんな褒賞で?。」
「そこはローレンの本部に丸投げよ。私が出せるものはないもの。」
色々案は出たが、結局、吸血鬼と精鋭の排除が遅れれば砦の兵士は全滅するという。サミュエル伯爵やジュールからの応援にこなければその猶予は絶望的に短くなる。それはミンウとシャルの命の終わりも意味する。そして、敗色が濃くなれば、ナリアラはシャルを連れて離脱するだろう。何とも分の悪い展開だ。
「残念だけど、私、補助苦手なの。ナリアラちゃんを動かせれば違う展開になると思うんだけど、無理じゃない?。残った私の発想だと、砦を利用する正攻法から離れられないわ。本当、砦ががこんなにボロじゃなければねぇ。」
ジャニルは何度目かの愚痴を溢す。ソドムは愚痴の多さは補助の弱さの指標になるという。
『補助を下に見るのは昔からの傾向だ。補助は成長しにくいし、突き抜けないと花形にならないからな。普通は物資調達役止まりだ。ただ成長は何でも初めは急激に伸びて、後はなだらかになるだろう?。そのなだらかになった部分に人材が溜まって指標の一つになる。一人前とか、一流とか。でも、現実には同じ程度の実力のはずなのに並列に並ばない。勝ち続ける人材が生まれる。それが補助の差だ。似た実力同士の勝敗は7〜8割は補助が決める。戦力は似た実力同士が敵味方に分かれて集まる。人材が溜まった部分が戦力の核になるからね。補助は基本で要だよ。』
ソドムは戦場で名を馳せる軍略家は須く一流の補助だと言う。資源の扱いを中心に見れば、前衛は手持ちの資源の利用。後衛は資源をはめ込む理想の枠組みの作製だ。しかし、現実に流れる時間の中で一瞬でも早く実現に漕ぎ着けた方が有利になる。中身の無い早さに価値はないが、早さ自体は勝敗を決する価値になる。ライドには未知の単語が多く、この時は聞くだけだったが、補助は敵味方関係なく資源を操ることが役割だとは理解できた。レドール侯爵が「軍神」と呼ばれるのも傑出した補助が理由だと。
『ディーン君が地下で見せた働きを思い返して欲しいね。』
ただ、この見解は体験しないと伝わらない。言葉にしても受け取られないとか。補助は単体では効果が薄く、前衛か後衛と結びつかなくては方向が定まらないからだ。教育段階では、全て等しく重要だとしか教えない。
ソドムは勉強嫌いの子供に、学ぶ理由を将来の試してというようなものだと例える。ライドには分かり難い例えかだが、学びや訓練に終わりはない。常に争う相手がいるし、自分の成長は基本的に喜びだ。その類のものかと理解する。
「さっきから俺を買い被りすぎだ。俺だって重要だと感じるが補助の理解には届かない。」
『ライド。分かっていると思うが私は近々体を得る。同じ立ち位置ではなくなるんだ。私は君と考え方の根幹が近い。だからこの先も大抵のことは互いに良き理解者でだし、協力者だと思う。』
その先で言葉を止めるソドムに、ライドは求められるがままに続きを口にする。試されている。
「だから、譲れない内容で対立した時には妥協点はない。それを防ぐ手段を俺に求めるか?。18の子供に。」
手段はある。ソドムが感じる親しみも、問題も、ライドには手に取るように分かる。
ライドは諦めて受け入れた。しかし、ソドムは拘った。
『君には未来がある。成長という伸び代だ。だから、君という存在を、私に仰ぎ見させてくれ。君ならなれる。君は、君がどれほど信じ難い成長を見せているか認識しなくては。』
自尊心はないのか?。ライドはこんな歳の離れた若造にそこまで求めるソドムに絶句する。ライドがソドムを仰ぎ見るのが普通ではないだろうか?。ソドムこそ、ライドにとって伸び代のある若い才能だ。30半ばでこれほどの思慮深さと、こんな身体に変質できる手段を作り出した天才を見たことがない。
しかし、ライドはこの先の未来に過剰なほど期待するソドムを振り解けなかった。ライドの見た目は実際に若く、今の状況を説明できる言葉がない。何よりこの若さが齎す教えを受ける機会を欲しているから、明かしたくない。
だからソドムはライドの見た目と中身の違いを誤解した。それ故に伸び代に過剰な期待をする。
「努力する。だが期待はするな。俺はソドムが思うほど成長できる自信はない。」
『なれる。初めはライドが時越えの人だとは信じられなかった。多くの若者は今ある現実が誰かの青臭い理想が現実と折り合った姿だと理解しない。自分の掲げる理想がまるで世界にとって初めて生まれたかのように勘違いする。だから、誰かと同じ道を辿り、当たり前の結果を不条理と嘆く。馬鹿らしい。新しい道は既にある道を理解し、咀嚼し、初めて生み出せるものだ。古いものを壊す?。大いに結構。だが、それは先立が辿った変節を理解しなければただの空想で、私は空想家が死ぬほど嫌いなんだ。』
胸と心が痛い。ソドムに誤解させてしまった。無表情を保てるのは年の功か?。
「子供が嫌いだろ?。」
『基本的に嫌いだよ。ライドは違うのか?。』
「苦手なだけだ。だがソドムには子供がいたと思うが。」
『我が子がそうならない教育をする。でも君は違う。教えられた成長とは別の場所にいる。まるで経験してきたかのように理解が深い。隠れ里で見せた若さも若さが引き起こした訳じゃない。』
ライドは聞いてられずに手で止める。
「その期待は重い。手加減してくれ。それよりソドムも補助はできるんだろう?。ジャニルに言うことはないのか?。」
『すまないな。でも覚えておいてくれ。ライド。私は君に期待する。さて、現実に戻ろうか。でも残念だけど、言えることはない。ジャニル殿も条件を顕在化できないし、計画の管理の単位が広くて曖昧だ。私と同じ3理由だろうね。でも私よりは上だ。』
ソドムが特に意見はないと伝えると、ジャニルは現在の対応計画を説明し始める。
ライドはその情報を、補助を必要とする問題との見方で整理した。ソドムの言葉から逃げる為だ。
一つは衛兵内の問題。実務で信頼を集める者と指示を出す地位の高い管理者に軋轢がある。これはジャニルを開放した時の話し合いの時から端々に見られたという。ライドは気が付かなかった。本来、衛兵は内部で起きるであろう後述の問題に対応させたいが、砦がこの状態では前線に立たせざるを得ない。
二つ目はナリアラへの行動範囲の説明だ。砦の兵士と動線が交わらない範囲は、此方が提供しなくては狭く見積もられる。精鋭を引きつけて欲しいのに、連れてこいと動かないだろう。これは「知覚」では解決できない問題だ。
三つ目はミンウとシャルの安全。ミンウの「知覚」はまだ数メール。障害物を挟まなくては逃げる役に立たない。しかし、ジャニルは内側に入る妖魔を砦を崩しながら撃退する計画だ。ミンウに障害物を使わせてシャルと逃げるのは危険すぎる。
4つ目はカミルの妨害。カミルは結局、兵士と融和する道を選ばず、砦内に潜伏した。砦から1人で脱出し、逃げ帰ることしか考えていないだろう。しかし、騎士院生の若者の取れる手段など限らている。騒ぎの間に生まれもしない隙を伺うか、少し頭が回るなら、1人でも2人でも、帰る家を思い浮かべる衛兵を巻き込み、囮に使って闇に紛れるだろう。
ジャニルは差し当たって、火の手を同時に挙げて混乱の隙に逃げようとか持ちかけるのではないかと推測見ている。騎士院生なら現地での油の簡易精製は学ぶらしい。この砦の道具でも土からでも油は抽出できる。そして言いくるめた衛兵の側で火の手を上げさせる仕掛けを作る。予定外のことが起きれば動揺するし、家に帰ることを夢見た者が妖魔に目をつけられれば無駄に声を上げて注意を集めるだろう。その隙に闇に紛れる。これでも砦から逃げるのは難しいと見るが、まだ可能性はある。
5つ目。これ程多くの問題を解決する時間はない。だからジャニルは、ナリアラの問題だけを片付けて、ミンウとシャルの問題は衛兵の1人を引き抜くという。引き抜くのは現場の信頼を集める衛兵をだ。最も実務能力が高いと見込んでいる。そして、指揮官の地位にある人望のない衛兵を最前線で指揮させる。これは組織の形を考えれば問題のない選択だ。つまり、衛兵の問題には一切触れず、その力を発揮しにくい環境に貶め、妖魔に当たらせる。
砦を中心とした戦場は初めから荒れることを約束されていた。
脆く不安定な世界のある時代の記録 @hayau3
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