第18話


「な、何を考えているっ!。操られたのか?!。目を見るなと言っただろっ。くそっ。」


石造の外側と違って、砦の内部は木製部分が多い。この部屋の床もそうだ。元は倉庫か何かか?。ただ広く、そして荷物らしい荷物はない。光は天井の隙間から薄らと差し込むが、ほのかに部屋を照らす程度で暗い。その為、昼前だというのに扉の壁にはランタンがかけられ、煌々と光を放っている。


ライドは砦に入ってすぐ、疲れと興奮で、目の前のことに反応しているだけのような兵士の集団と、怪我でまともに動けない見知った兵士の集団を見かけた。見知った兵士は、ジュールから借りた特殊部隊だ。疲れた顔の兵士に見覚えはない。怪我で動けない特殊部隊兵を制圧し、その武器を奪って品定めしていた。


動けない奴が持っていても意味がないと。


しかし、突然現れた不審者ライドに対しては態度が違った。上から聞こえる声の主を尋ねると、1人、品定めを中断して案内を買って出た。動ける人材は歓迎するとのことだ。しかし、案内した兵士は扉の外で恐れて入らず、立ち入ったライドに警告を発して下に降りて行く。


そのただ広い部屋の主。中央に転がるジャニルの様子は散々だ。自分の手足を背中側で結われて悶絶している。何かを使って縛られたわけではない。強引に手足の骨を互いに引っ掛け、ねじ曲げ、4本の手足を卍の形に組まれた。自分では千切らなければ取れない。また、その胸には木の杭が埋め込まれ、体内の血を吸い上げては床に血を垂らす。


「まだ正気か?。」

「い、今はね!。早く、早く杭と手足を解いて頂戴っ。もう、血が、足りないのよっ。早く!。」


肺で空気を押し出す声には、水気が混じる。血だろうが本人は苦にしない。当然か。


「手足は折るぞ?。」

「ほ、骨がっ!。」


歯を食いしばり、血走った目をライドに向ける。ジャニルは血で固まり、顔に張り付つく髪を、首を振ってどかす。


ライドは胸の杭を抜くと手足を折って拘束を解いた。その度に喉で叫び声を上げるようなくぐもった声を上げる。


胸や手足の傷が修復される。血管が網を張るように、何もない空間に伸びる。気持ち悪い。しかし、その速さには驚嘆する。時間にして瞬き一つ。大抵の戦士長同士なら実戦で使える範疇だ。一手時間を稼げば修復が終わる。


ジャニルはうつ伏せに寝転がり、床で釣られた魚のように跳ねる。更に暫くすると目に見えて手足が萎み、骨と皮のようになった。


血を、体に集めたのだという。


『心臓に杭をうつ。成る程、血を抜こうにも穴を開けただけじゃ抜けないからか。』


ソドムは1人感心する。


「ありがと、ライドちゃん。変な感じだけど、この展開がザストーラちゃんに見過ごされて助かったわ。できれば補給したいけど、後ね。この砦で頑張ってる衛兵ちゃんとお話ししないと。ちょっと手を貸してくれる?。手足を包帯で巻いて、そこの台車に乗せて欲しいの。」

「どういう状況だ?。特にあの部屋の端にある人の皮が分離した死体は?。」

「ごめんなさいね。もう階段登る足音聞こえるでしょ?。説明は後にさせて。」


ライドはもう一度、部屋の隅に転がる瑞々しい人の皮に目を向ける。分厚く、弾力を感じる皮膚だ。表皮ではない。厚みがある。それが全身を包み、ダブダブに弛んでいる。微かに見える色のない瞳に光はない。年齢や性別も分からないが、片方は騎士院の鎧を着ている。


軍が壊滅して捕らえられたとは考え難い。少なくともジュールや石人形は動いていない。


なら移動中に捕縛されたか。


(ミンウはどうした?。)


一緒に居なかったのか?。騎士院生が2手に分かれた?。風の柱の生存者?。ミンウを始め、「力」が弱すぎる相手は「知覚」し難い。こういう時、「千里眼」を羨ましく思う。難しいだろうが、時間をかければ子供でも判別できる筈だ。ただ原理が分かってもライドは使えない。練習がいる。今まで手で探って来たことを、音で聞き分けろといわれるほど難しい。


「貴様っ!。そのまま動くなよ?。動くな!。」


革製の汚れ、傷だらけの兜と鎧、小手に脛当てと一様の格好をした衛兵だ。似た格好の兵士が扉の外でひしめく。


「嫌ねぇ。私は吸血鬼じゃないわ。擬きよ。擬き。血で回復できるだけ。催眠もできないし、不死じゃないわ。たった今死にかけてたんだから。私の身分証転がってない?。あとで領主様に問い合わてよ。今朝私を連れてきた男も同じ実験兵よ。私達は王の指定した罪人から血を貰ってるんだけど、いやで逃げた子もいるの。私はそれを捕える為に派遣されて、返り討ちにあったとこ。ここまではいい?。部屋の彼女達は今朝の男の犠牲者で私じゃないわ。」


ライドはその言い分に苦笑する。ミンウの話す怪物が吸血鬼だとすれば、ジャニルはその下位互換で間違いない。


しかし、擬き、とは。


「ねぇ。手伝ってくれない?。無事に戻れたら、酒屋貸し切り飲み放題で手を打たない?。このまま今夜、妖魔のおもちゃになるよりましでしょ?。」

「し、信じられねぇ。」


疲れ、飢え。衛兵の声や動きにはそれが溢れている。追い詰められるとこの2語からは逃げられない。それは体調不良と判断力の低下をもたらす。ライドは地上で震えながら逃げて延びた幼い日々を思い出す。


「他の人も意見は同じ?。」


一瞬だがジャニルから強い「力」の塊が部屋中に走り抜ける。


衛兵が呆気に取られたような顔をした後、別の衛兵が少し首を振って呟く。


「人手は必要なんだ。俺は乗る。死にたくねえ。」


何だったのか?。衛兵から緊張感が失せ、平常心を取り戻して見える。


「ありがとう。異論がなければ進めるわ。まずは自己紹介ね。私はジャニル。貴方達はローレンから派遣されてきた駐在兵でいいかしら?。外の惨状は私も見てるわ。この辺りの村は全滅したのね。ここには追い立てられたの?。それとも捕まって?。自己紹介兼ねて、皆教えてくれる?」


ジャニルの声はよく通り、かつ早くも遅くもなく聞き易い。奇妙な女言葉で耳障りだが、衛兵がそれを気にしたのは初めだけだ。


妖魔の役割について、衛兵は考える余裕がなかったと首を振る。


「3日やりあってるが、妖魔は増える一方だ。こっちは生かさず殺さず遊ばれてる。参加できる妖魔を誰かが制限してるらしい。お仲間の擬きだろうな。昨日食うもんは尽きた。これまではあんたの同類が、少しは食糧寄越したんだが、今日持ってきたのはあんたと怪我人だ。俺達に人でも食わせる気かね?。」

「砦の役割は今夜までだからでしょ?。彼らはローレンを壁ごと壊滅させる気なの。妖魔はその後の蹂躙部隊よ。」


ジャニルは淡々と敵のこれからの動きを予測する。


衛兵も先日の風の柱は見ていた。今夜か明日にはそれが再度出現する。より大きく、強く。だから妖魔の襲撃は今夜で最後。襲撃の規模は制限されない。好きにさせるだろう。


「見方を変えましょ。今夜が最後。もう一踏ん張りよ。」

「昨日の夜のでかい音はあんただろう?。精鋭だな?。あんたがやれば妖魔は問題ねぇはずだ。」

「この砦に引きつけるとこまではいいと思うけど、ね。」


ジャニルは侯爵家の対策はまだ1日以上後手に回っていると伝える。つまり、今、風の柱が今夜生まれれば、防ぐ手立てがない。逆撃退しなくても、1日以上遅延させる被害を与えられれば勝ちだ。尤もその1日以上を稼ぐ手段が分からない。今わかるのは吸血鬼の撃退だ。


「気になるんだけどさ、あんたはなんで生かされたんだ?。その後ろのでかい奴は?。」

「王を敵にしたくなかったんじゃない?。放置されて死んだら、見かけは貴方達が殺したことにできるし。後ろの彼はストール=レドール侯爵のところから借りてきた地理に詳しい現地の猟師よ。」


ライドは心の中でジャニルのわざとはぐらかす返答に反論する。


血を失えば見境なく吸血するただの怪物として動き出す。犠牲になるのは当然、砦の兵士だ。効果は分からないが、王の近衛騎士団脅威討伐別働隊への信用失墜に繋がるだろう。与えられた食事以外口にしない。そこに例外があれば、誰が吸血鬼を信頼するのか?。


ジャニルと権力の協力関係は、ライドなら最優先で潰したい。


吸血鬼の存在を信じない衛兵は、ジャニルのいい加減な推測に、仕方ないとの雰囲気を漂わせる。


「生き残ることと、帰る場所を守ること。両方熟してみない?。提案するわ。」


両方熟す。ものはいいようだ。ローレンを守る為にこの砦を利用する。その手段がこの砦の者が生き残る可能性を上げる訳ではないだろう。ライドはジャニルの言葉に耳を傾ける。


これはライドの想像との答え合わせだ。そして、相手に伝える為の言い回しを知る機会でもある。


「聞かせてくれ。」


衛兵の言葉にジャニルは説明する。この砦て妖魔を相手にしながら、吸血鬼を引きつける、だ。その餌はジャニルと砦の兵士が務める。夜になれば精鋭が1人合流予定だとか。ナリアラのことだろうか?。姿を闇に隠して戦力として利用する気か?。


『ジャニル殿はずっと連絡取って考えてたのかな?、我慢強い。』

「戦士長、いや、指揮官なら当然だ。痛みに負ければ大勢を巻き込んで死ぬ。」

『前衛は丈夫さと根性か。目の当たりにすると揶揄できないね。お陰で森の人が風の柱に対処するなら、妖魔を分断できれば優位が得られる。』

「俺はそっちに合流したいね。ザストーラの能力を考えれば、手の届く場所まで近づきたい。その場所からなら未来は選ばせない。」


頭を失えば動けないだろう。頭が回復のを待つ気はない。頭を破壊し続け、失血させる。血を求める獣に遅れを取る気はない。どんなに「重い」相手だろうが仕留めて見せる。


ライドの小声の呟きに、ジャニルは楽しそうに首を上げる。声ではない。「知覚」に乗せた言葉だ。


『頼もしいわ。ライドちゃん。その自信、頼らせて貰おうかしら?。裏手の湖に廃城があるんだけど、そこに精霊を使える擬きは集結してるの。集結といっても相手は2人と10匹程度の妖魔だけどね。向こうの指揮はレーヴェ導師に任せて、ライドちゃんはまず、隠れてティパーツちゃんの救出をお願い。ハニハルちゃんの交渉が終わったらね。その後は、近づいて潜伏。ザストーラちゃんの隙は森の人で作るから。』

「何を失敗すれば捕まるんだ?。3人固まってたんだろう?。」

『精霊術は大抵精霊術で無効化できるの。精霊のない体力勝負なら森の人は衛兵程度よ。ポーエンがいるって分かってても、傍に潜伏されるとは思わなかったのよ。気がついた時には目の前。耳は役に立たないわ。』


野営地を正確に先取りする。これはザストーラあっての作戦だ。森の人を責めるのも酷か。


しかし、殺すのではなく、ティパーツを狙い、連れ去った。ライドは生贄を連想する。


故郷では集落存亡の危機に行われる神聖なる最終手段がある。


「歪」の獣を集め、その付近の精霊の存在力が偏らせ、体積の大きな精霊を顕在化する手段だ。それが生贄た。そして、生贄には適した人材がいる。若い女、特に初潮後が最大と聞く。子供を産む能力の高さが関係しているそうだ。


だとすれば、レーヴェが今潜伏するのは生贄の傍か。救出できなくても、レーヴェが傍にいれば生贄の儀式は行えない。精霊の偏りを利用できるのは吸血鬼ではなくレーヴェだ。取り合いではなく、一方的にレーヴェが勝つだろう。


ただ精霊の使役は一度に一体。今ある偏りを利用すれば隠れていても精霊使いには位置が暴露る。更に併せてティパーツを生贄にされればその時生み出される偏りは利用できない。そして、位置の暴露た森の人は吸血鬼から生き残れないと思われる。偏りで顕在化させる精霊は強力だが未契約。顕在化させた精霊使いに交渉権があっても、交渉する時間が必要だ。2人の吸血鬼にはその時間に精霊使いを仕留める力がある。


潜伏した結果、現場では互いに決め手がなくなった。膠着だ。吸血鬼が砦を無視して救援に行かないのは、隠れた森の人をどの道見つけられないからか?。なら、このまま放置すれば時間は稼げそうだが、妖魔の物量で潜伏先を埋め尽くせば隠れられない。精霊で隠れるには一定距離、誰も居ない空間が必要だ。そして期限を知るザストーラは膠着を好まない。


特殊部隊の兵士は潜伏の隙を作るのに利用されたのだろう。指揮官がハニハルなら考えられる話だ。ハニハルは塀の人の立ち回り方に慣れて見えた。この地域の人らしい立ち回りを好むだろう。潜伏したのはレーヴェの他にレンドレルも可能性がある。


もたらした利点は大きい。ザストーラは森の人をどうにかしなければ先手を取る未来を制限された。


「擬きを抑えた後は妖魔を討伐するんだな?。」

「目指すわ。ても、擬きを撃退が目的じゃないの。戦力不足よ。」


衛兵の提案に首を傾げる。妖魔はここに足止めできれば拘る理由がない。日中のうちに逃げたいということだろうか?。ジャニルの護衛があれば可能だ。ただレーヴェを見捨てれば、森の人との今の融和関係は厳しくなる。被害はローレンより重いのか、軽いのか?。


「明日の朝までに風の柱の発生を十分に遅れさせる被害を与えること。ローレンを助ける為には外せないわ。」


ジャニルは砦では敵の吸血鬼との睨み合いを目論んでいる。砦では相手も均衡を崩すジャニルの足止めが目的だ。


しかし、ジャニルはナリアラを戦力として数えた。なら妖魔の撃退は簡単に思える。


戦士長が戦士の歩法を維持できるなら、妖魔は敵ではない。しかし、今外にる妖魔でも、大型の約10匹の「力」は戦士長並みだ。「力」の制御を考えないために頑丈さと打撃力に特化し、その分、足を止めての打ち合いなら同格の戦士長より強い。戦士の歩法なしでは、普通の戦士長では勝ち目がない。だが、この問題は戦士の歩法が維持できなくなる前に休めばよく、こんな平地でその機会を作るのに苦労はない。


戦士の歩法を維持できるのは5呼吸程度。その間の妖魔の処理数は200匹前後。休憩を挟めば体力は失っても時間的には短時間で処理が終わる。この地では武器がある分、持続時間は短くても殺傷効率は良いだろう。更にナリアラは熟練の戦士長だ。7、8割に抑え、戦士の歩法中に休憩を挟めば半刻は連続で維持できる筈だ。


『敵に人の精鋭がいるんじゃないのか?。ジャニル殿にライドが勧誘されたみたいに。でもいるなら此方と戦力が拮抗する。普通なら乗り込んで交渉に持ち込むな。正直、交渉で衛兵とこちらを分断させるのは簡単だし、交渉を避けるのは難しい。衛兵の誰かは受け入れる。交渉の線に気がついてないね。後は、ジャニル殿が補給出来ない状態にするか、ナリアラ女史を害しに来る線か。」

「両方罠を張った。俺が気が付けないことはないはずだ。」

『成る程ね、敵は「後衛」不足か。砦から妖魔の一部を引き剥がすくらい、今でも出来そうなのに。此方は森の人が交渉に成功すれば、サミュエル伯爵の軍が自由だ。昼間から動ける。これを制限しないのは失態だ。ライドを侵入させる隙になる。』

「森の人がザストーラの選択肢を奪っている。」

『どうかな?。期待しよう。それにしても意外に穴のある特異だね。時間を戻せる相手が策士だと手がつけられないんだろうけど、常に此方に手の内を見せてる。考えた側から結論が見える。』


ライドにはない見方だ。それでも時間を戻せる能力は、暴力で劣らなければ決め手がない。不利な立場に追い込むだけだ。暴力の補助もできる万能な援護手段だが、それでも届かない暴力に対しては即効性はない。


ライドはジャニルに擬き以外の敵の精鋭の人数を聞いてみる。


答えは近辺に最低2人。ソドムの懸念の通り、現状、砦の戦力と拮抗している。


『使者が来ることを懸念してるのかしら?。そっちは多分大丈夫よ。今回は衛兵含めて若くても20半ばでしょ?。経験の浅い子はいないからなんとかなるわ。あとはサミュエル伯爵の兵とハニハルちゃんの交渉成立待ちよ。』


ジャニルの「知覚」に乗せた言葉に、ライドは苦笑する。ここにその若造がいる。


若さは自分の正しさを信じて走る衝動だ。交渉役に耳障りの良い言葉をかけられれば、皆が助かる道だと信じないとは限らない。ソドムは中に入れば、妖魔の撤退を条件に何人かの命を求めると言う。誰も乗らなくても、約束を守る気は無いのだ。相手は困らない。しかし、招き入れた者は判断が正しかったと証明したがるだろう。交渉はその悩みと亀裂を作れれば結果はどうでもいい。立ち去り、後で結果を聞き、嗤うだけだ。そして亀裂は新参者との間に入り易い、遠慮もなく、過激になりやすく、深く溝が作られる。衝動は誰か成功すれば大きな打開力になりえるし、領内の活力が高まる。領地には良い面が多いが、一部隊に限れば危険でしかない。


「聞かせてくれ。できるよな?。討伐だ。妖魔は引きつける。あんながお仲間の擬きを倒すと信じてな。だから妖魔をやってくれ。それが協力する条件だ。」


妖魔への拘りは私的なものか?。いや、ローレン蹂躙への嫌悪か、今後の仕事への懸念か?。衛兵は改めて拘りを見せる。


「分かったわ。妖魔は明日のうちに必ず壊滅させる。約束よ。」


衛兵は何の確約もないジャニルのその言葉に満足したらしい。疲れた顔で休憩する権利を主張し広間に消える。実際、夜通し戦っていた衛兵には休憩が必要だ。緊張が解けれ身体を襲う疲れには勝てない。幸いこの砦には井戸がある。水だけは豊富だ。最低限の飢えは凌げる。


しかし、ジャニルの話では、この水もあと数日だと言う。もうすぐ決着のつく今回は関係がないが、辺りに散らばる妖魔の排泄物は毒を含み、徐々に地下に浸透する。井戸水が汚染されるのはそう遠くないとか。


ジャニルは次に怪我だらけの特殊部隊のところに向かう。怪我人を労い、状態を聞き、配置を臨時指揮官と打ち合わせる。兵士の多くは饒舌だ。家族や友人との約束。飼ってる犬の世話の心配。憧れや将来について楽しげに話す。皆、話を聞いて貰いたがった。遺言の代わりだろうか?。


ジャニルは話すことで共有できる何かを得ようとしている。聞くだけのライドにも信頼を感じさせるものだ。ジャニルについていけば自分の命は無駄にはならない。耐え抜けば希望を見せてくれる。そう思える信頼だ。同時に兵士が何を恐れていたのかにも理解が届く。囮として捨てられることだ。耐えても駆け抜けた先に崖が待っている。生きる未来を拒絶されては無気力から立ち上がれない。


「こんな手段は初めじゃないと効果がなくてね。訓練で信頼や自信をつけられないんだから、私を信じて貰うしかないの。私、夜は指揮しながらレジェラフの牽制よ?。疲れるわ。」


ジャニルは首を振る。睡眠は要らないとはいえ、長時間頭を休めないと不具合で出るのは生きている時と変わりがない。ジャニルは本当でも兵士に無駄死にを疑われないようにすると事がコツだと話す。


「士気は最低限の戦う準備。なければ簡単に崩壊するわ。でも方針を示せぼ、彼等は勝手に進むわ。みんな他にやることないし。次は衛兵が休んでからね。明日には武器借りてきた兵士に返して貰わないとね。砦なのに使える予備の武器ないのよねぇ。」

「ある程度は死んでくれた方がいいんじゃないのか?。擬きだと口にされるには人数が多すぎる。」

「あら貴族的ね?。でも私は貴族じゃないの。だから、いざとなれば別の街に逃げればいいし、暮らすだけなら簡単なこと。それより自分の生きる理由の方が大切よ。なくなると自分を見失うわ。」


ジャニルの言葉には既視感がある。一月前、ライドも似たようなことを考えた。しかし言葉の中身が違う。ただの楽観視と貴族を知るジャニルの言葉。ライドは肩をすくめて苦笑する。


「酷いもんだな。」


ライドは話題を変えるように高台から見下ろす丘陵に目を向ける。


和やかな雰囲気と裏腹に、現実は面白くない。この戦いはまだ負け戦だ。理由は前線にザストーラが出てこないこと。今回を諦めて過去に戻らないこと。情報を得る必要がない、予定通りの進行ということだ。不利なら逃げる。そんな報告もない。


解せない。ライドはザストーラに近づく自信がある。なのに、失敗するのか?。


ジャニルにも精査されない短時間の「力」なら、ジャニルが無警戒なら欠陥を気が付かれない筈だ。つまり最初の一度は使いやすい。それでもザストーラの命には届かないのか?。信じられない、


しかし、兆候は現れない。


丘陵を吹き抜ける風を浴びながら、ライドは彩鮮やかに映える光の下で、腹を見せて地面に寝そべる大小の人の形を見下ろす。深緑の肌で、腰巻き程度に布をつけた歪な生き物の群れだ。剥き出しの牙に食い残しの肉の筋を残し、額には申し訳程度に突き出した2本の角を生やす。寝姿に遠慮がない。我が物顔だ。


腐敗臭に似た焦げの臭いが鼻をつく。その発生源は、数の多い巨大な囲炉裏の跡だ。周りに並べられた串には手足、頭、そして胴体といった人の体の一部た。焼け爛れ、古いものは焦げて炭になる。


女は生殖に利用するのではなかったのか?。そのような捕虜も見当たらない。子供も、赤子も、等しく犠牲になっている。


怒りを通り越して、純粋に殺意を覚える。そんなライドの目に、囲炉裏の中にひしゃげた鎧が2つ目に入る。騎士院生のものだ。


死者を呼びつけて怒鳴りつけたい衝動に駆られる。馬鹿なのか?。戦わない権利を謳いながら何故死地に飛び込むとは、自分にとっての死地も理解できないのか?。それで戦士か?。喉に飲み込む言葉の代わりにライドの拳は、握り込まれ、拳の周りに湯気が立つ。


衝動を抑えるのにも一苦労だ。封印前と比較して、全ての衝動が数倍強くなっている。最早疑いではない。


若返りのとんだ副作用だ。ライドは堪え、何とか疑問を口にする。


「今回の吸血鬼の行動はおかしい。ローレンを滅した後追い詰められる道しかない。ローレンの壊滅が最終目標ではないだろう?。何処かに逃げ道を用意したはずだ。権力に取り入れるか?。俺には見えない。」


ライドの問いかけに2つの言葉が返される。ソドムとジャニルからだ。しかし、ジャニルは短く、分からないと首を振る。


『吸血鬼の立ち位置、これまでの実績。色々情報不足だよ。』


それでもソドムは彼等の背後に貴族はいないと見る。理由はローレンが壊滅すれば神の代理統治の責務に反し、貴族に逃げ道がない為だ。できるとすれば、大義を自由に主張できる独立だが、勢力が劣ればすぐに鎮圧される。かと言って、ソドムは自身の考えるもう一つの可能性にも難色を示す。吸血鬼の隠れた自治区の入手。つまり独立だ。裏組織に公にされたくない傷を持つ貴族は多く、裏組織と協力し、裏組織には利を、貴族から譲歩を引き出すことは可能と見る。しかし、この均衡は難しく、貴族が実力行使に踏み切れば負けになる。貴族は実力行使を躊躇しない。吸血鬼に責任を被せ、美談にしながら殲滅できるからだ。吸血鬼にそんな均衡を制御できる人材がいるのか?。


「後衛がいないからか?。情報を集められないからか?。」

『両方だな。いても武器を振る失う状況では負ける。考える為の精査も集中も難しい。そして情報は立場のある人間が集めないと集まらない。それは社会的地位が絡むことが多い。だから貴族が務めるんだ。吸血鬼は貴族か?。ほぼ元前衛だ。』

「先のことは考えない。子供の正義感かな。」


ライドの言葉にジャニルが笑う。


「面白い言い回しね。実際、彼らにあるのは貴族への反感半分。地下が騒ぎに先手を打ちたい正義感が半分かしら?。貴族は統治代行組織よ。どんな脅威を前にしても、領民の生活を守る業務は捨てられないの。でも、本来、脅威ってそんな余裕がないから脅威でしょ?。彼らとしては、弱者への支援を止めて、全力を脅威に傾けて欲しいのよ。」

「人が滅ぶならその考えは正しいと思うが、滅ぶのか?。」

「滅ぶのは文明だけよ。人はしぶといの。でも確証は持てないわ。ましてや今は古い脅威を駆逐する力がある。どんな脅威でも負けると思う人は少ないでしょ。」

「吸血鬼は人が負けると思ってるんだな。」

「それでも貴族と対立したら、協力は得られないわ。」


まるで脅威が何なのかわかっている口ぶりだ。


「去年、伯爵以上の貴族には脅威の姿は伝えたわ。でも信じる信じないは別問題。それに公にはならないものよ。市井に広がれば勝手な生存条件をつけて混乱させる集団が跋扈するし、ない逃げ道を盲信して、物資の流れを混乱させる人が溢れるから。」


この手の情報統制は貴族は慣れているという。


そして、ジャニルは教えないわよ?。と先に釘を刺す。疑問は尽きないが追求しても無駄だろう。


そんな話をしながら、ライドはできることを始める。ジャニルの指定する場所に柵を作り、崩れかけた最上階の壁に潜む特殊部隊の兵士に手を振って見せる。下からでは兵士の姿が見えない。しかし、手を振り返すその手は見える。よくできた構造だ。


『私は指揮官の能力は平均化した方がいいと思ってた。成功も失敗も予測し易い。でもそれは兵士に力を発揮させないで、疑いを持たせたまま死地に追いやったみたいだな。』


この地には他に比較対象がいないが、ジャニルには指揮官として魅力を感じる。ライドもその指示を待つ1人だ。指示待ちは指揮官にとって好ましくない性質だが、育つ前の部下が勝手に考えても指示に勝ることはない。未熟なうちは聞かねばならないし、動けても連絡や報告は必要だ。集団は指揮官に情報を集めて判断させることで成立する。


例えばこの崩れた塀の上部の一部に兵を集め、下に簡易の柵を作り、袋小路を作り出す。そこに上から弓矢や鉄の棒と毒を渡して待機させる。寿命は短いが一方的な狩場の完成だ。その為の柵はジャニルの指示でライドが作って回る。ジャニルの指示する柵は、ライドの考えより深く狡猾だ。作りも丈夫で、場所によっては態と崩させ、足場に絡めるものもある。


ジャニルの指揮する軍にライドは挑む気にはなれない。


「あ、やっぱり干したのね。」


そんなジャニルが日除けの布の奥から、熱いと文句を言いながら屋根の上を指さす。指差すジャニルの手は骨と皮だ。一体いつ補給するのだろう?。その指先を追って目を向ける。


屋根に広げられるのは、ジャニルの拘束されていた部屋に転がっていた人の皮の塊だ。騎士院生の鎧は外され裸でだ。人の皮の下には骨があるのだろう。ダブダブの着替えを着せられたような形をしている。


「吸血された相手は、吸血鬼になって蘇る、か。」

「本家の私にもできないわ。」


衛兵の恐れもわかるが、死者の冒涜には賛成できない。しかし、ここで文句を言っても説得できる材料はない。


「ジャニルはさっきの交渉中、いきなり「力」をぶつけたな。衛兵の視覚狭窄が消えた気がする。本当に精神を操れないのか?。」

「ただの鎮静化よ?。指揮官なら誰でもやるでしょ?。一瞬でも恐怖を感じれば、生き物は身を縮める。何かに拘って前のめりになっても瞬間の恐怖には勝てないわ。精神を一度平坦にするのに便利よ。ライドちゃんもやってみたら?。実力で結構劣る相手じゃないと意味ないけど、落ち着いて話ができるから。でも使うのは一瞬よ?。そして一度使ったら、間を開けないとね。相手に恐怖を自覚されたら逆効果だから。」

「覚えておく。で、いつ補給するんだ?。」

「せっかちねー。でも粗方終わったから、補給の場所に案内お願いね。ライドちゃん。「窓」の中はどう?。」

「「まど」か。地上は獣だらけだ。この前の風の柱より多い。ティパーツ以外にも生贄がいる。」


レーヴェは自信家だ。本人の実力とは関係なく、挑発に乗りそうで怖い。


「獣、ね。私達は猟犬って呼んでるわ。まだ交渉はかかりそうよ。誰かの救援に向かうって。今のうちに荷台の精鋭にも話をしに行きましょ。レンドレルちゃんは多分レーヴェと同じで隠れてるわ。」


何かあったのか?。ジャニルは聞こえないほどの小声で誰かに呼びかけている。


待つ間、ライドは教会で朝を迎えた日に、ローレンに妖魔が侵入したことを思い出した。こんな場所に幾つも勢力が隠れられるはずがない。妖魔を侵入させた犯人はサミュエル伯爵か。そして、そのことを誰よりも早く知っていたキャシーは協力者だ。そう確信する。


ソドムも同じことを考えたようだ。しかし、その到達点はずっと遠い。ただ、言い難いのか雑談から始まる。


『妖魔を利用してるつもりで裏切られたかな。こんなところで包囲されるのは少し間抜けだね。ローレンで教会から逃げた日のこと、覚えてるかい?。あの時点で誰より早くライドを特定してた人はキャシーの他にもう一人いる。教会で一緒に子供を助けた青年だ。キャシーが情報源だろうな。他の勢力はライドの姿もあやふやだった。私の時代だと、土の人は頭が硬いほど義理に拘る種族だったけど、地上に出た土の人は性質も人に近いのかな。恩人を罠に嵌めるとはね。ただ、私としては彼女が君の戦いの唯一の目撃者だ。その点も気になる。』

「買い被られたか?。」


ライドは苦笑する。キャシーが怖がる理由にはなるが、内向きの身体機能は英雄並みでも、技術は素人だ。比較されると困る。


『精鋭でなくても、有名どころの戦士は同じ人とは思えない。武術大会は時々観戦した。片手で体の何倍の大きさの岩を投げるし、瞬き一つで100メール近く移動する。離れて見てても消えたかと思うよ。更に走っていればそれだけで強風で物が飛ぶ。』

「鍛えれば強くなれる。その確信は楽しいものさ。明日は自分に何ができるのか考えただけで心が躍る。初めの頃はそれが楽しみでやり過ぎる。」

『で、本題だけど、今更気がついたことがある。ジャニル殿が奇襲隊の打ち合わせをする前にネビュラが仕掛けた仕掛けについて。』

「ああそうか。催眠にかかった精鋭が他にもいるのか。ネビュラは森の人が全員出て行った後、ジュールの陣に催眠を仕掛ける為に捕まった。初めから中にいた方が警戒も緩い。石人形は風の柱に効果が高いのかもな。今から思う納得だ。でも奇襲隊を知る前に気がつけるか?。ザストーラは知ってるからできた。」

『切欠はあった。それを見落とさないのが優れた担当官だよ。執務室で余計な情報を遮断すれば私も気がつく。仕掛けも作れるかもしれない。でも現場だと無理だね。情報が多すぎる。』


ジャニルに確認すると、遠巻きにこちらに向かう「力」が3つあるとか。全員精鋭だ。ジャニルにとっても狙わないと遠い距離だという。今のライドの「知覚」では全く届かないが、精鋭が走れば、散歩に出かける支度をする程度の時間でたどり着く。


「これで精鋭は5人にレジェラフね。豪華っ。昼間でも私とレジェラフを除いて2対5よ?。意味不明なローレンの騎士院の対応も、ネビュラの仕込みかしら?。ザストーラちゃんって、どこまで遡れるの?。嫌ねぇ。」

「ジュールに警告はいるか?。」

「しておくわ。でもそんなに心配は要らないわ。ジュール卿の石人形を統括してるの、ちょっとした有名人だから。それにストールちゃんも切れる子よ。一部は崩せてもそれ以上の隙はないわ。」


そう言いつつもジャニルは不安気だ。理由は別にあり、レーヴェと連絡が取れないのだという。


「他言はしないでね?。後で相談したいからライドちゃんとソドムちゃんには話すけど。」


そんな話をしていると、通り過ぎかけた扉から子供の声が聞こえた気がした。


衛兵が休む広間。そこに隣接した小部屋だ。外から閂がかかっている。


「この中に誰かいるのか?。」


ライドは通りかかった衛兵に尋ねる。すると、衛兵はハッとした顔をする。


「ああ、話だと子供が2人いるはずだ。昨日の夜逃げ込んで来たんだ。1人は騎士院生だったと聞いてる。戦力にと思ったが頭がおかし奴でな。もう1人は見るからに足手纏いで錯乱が酷かったって。そうだ、丁度いいところに来たよ。元気な若者の出番だ。中の子供を外に放り出してきてくれないか?。」

「外に?。早贄が増えるだけじゃないか?。」

「誰も守る気はない。その余裕もない。忘れられてただろ?。言っておくが君は戦える。だから変な気は起こすな。戦える奴は敵を倒すことだけに集中するんだ。そうすれば皆が生きる可能性が高くなる。でも役立たずでも子供がいると気が散る。だから君が捨ててくるんだ。おじさんは怪我と疲れで大変でね。じゃ、よろしく。」


衛兵は答えに窮するライドの背中を軽く叩くと広場に戻っていく。


「ミンウか?。」


ライドは閂を取り払って中に入る。呼吸が荒くなる。


中にミンウはいた。


湿り、カビの臭いが充満する暗い倉庫の中で、消えかかったランタンが床に転がる。その薄明かりに照らされ、部屋の端にいる頭を抱えて蹲る子供の姿を浮かび上がらせる。間違いなくミンウだ。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。」


扉を開いた音にも反応しない。体には複数の打撲傷。


それを作ったであろう騎士院の少年は部屋の端で天井を見つめて放心している。


「重症ね。もしかして、レジェラフの食事を見たのかしらね。」


ジャニルは中を見ると、台車を押すのを止めて絶句するライドを見上げる。


何故ここにいるのか?。叱る言葉が脳裏を走り回るが、口から出てこない。


「ミンウ。」


ライドは近づき、頭を抱える少年の手を掴むと無理矢理引き起こす。ジャニルとソドムから乱暴なと非難が上がるが、顔が見えなくてはライドとしてもミンウの状態が分からない。ミンウの目は焦点が合っておらず、手足が少し震えて体に熱が篭っている。風邪?。いや、水不足だ。


ライドは腰の水袋を開くと、ミンウの口に無理矢理当てがい、強引に飲ませる。しかし、精神的な衝撃が強いらしく、言葉が止まらない。水が口から溢れる。ジャニルの話した鎮静化を思い出し、一瞬、弱い殺気を走らせる。


次の瞬間、ミンウは溺れたように咳き込む。しかし、床に隔たりこむ姿は、憑き物が落ちたように見えた。これは便利だ。


「身体を動かせ。どこか痛むか?。しっかりしろっ。」

「あ、あぁ。にいちゃん?。」


ライドがミンウの掴んだ肩を振ると、ミンウは焦点があった目で、ライドを見上げる。


「まずは自分の体を確認しろ。そして、水を飲め。」


矢継ぎ早なライドの指示に、ミンウがノロノロと動く。


「身体は、いてぇよ。でも俺よりにいちゃんは頭から血、出てるし、足、腫れてねぇか?。」

「それだけ見えれば十分だ。」


ミンウはしっかり「知覚」で見ている。自然に使えることが重要な技術だ。何があったのかは分からないが、糧にはなったか。


そう思いながらライドはミンウに指摘された自分の頭に触れる。血が滲む。昨夜の精鋭との殴り合いで負った傷だ。


「そういえば、怪我してるけど、いつ怪我したのかしら?。」


ジャニルも言われてみれば、と覗き込む。


「昨夜だ。ネビュラを捉えたとき、戦士と殴り合った。」

「んっ?。大怪我だったの?。」

「初めからこの程度だが?。」


上手く話が噛み合わない。怪我の治りが遅いことが頭にないらしい。つまりこの地域の回復の速さは常識。つまり全員だ。ライドは「力」で止血する。回復の遅さが知られるのは、良い方には転がらない。小さな傷だと無視せずに、早めに対処すれば良かった。


「君は?。」

「騎士院生のカミル兄ちゃん。走るの早いんだぜ。」


答える気のない黒髪の青年に変わってミンウが答える。


この黒髪、褐色肌の騎士院生はジュールを老害と罵っていたと思い出す。


「何があった?。聞かせてくれ。ゆっくりでいい。」

「吸血鬼に拐われたんだ。ユイの姉ちゃんとカミルの兄ちゃんは飲み物だって。おれは予備だって。もう1人の兄ちゃんは逃げ延びた。その後、ユイの姉ちゃんが・・・飲まれた。」


ミンウはそこまで口にするとボロボロと涙を流して顔をくしゃくしゃにする。


「おれの、おれのせいで。」

「ああ、ユイはお前の口車に乗って死んだんだ。」


騎士院の青年が天井を見ながら小声で吐き捨てる。ライドはゆっくり近づくと、青年を観察する。


「何だ?。平民。」


眉を潜めて見上げる少年の頭に拳骨を落とす。


「お前はミンウの何歳年上だ?。お前と仲間は目指す目的の為にミンウの口車を利用した。目的のあルのだろう?。意に沿わない提案を受けることはない。それが年下に責任転嫁とはな。見苦しい。」


カミルが剣を抜いて、ライドの首元に牽制する。勝ち誇ったように口角を上げてライドを見上げるカミルに、ミンウが慌てて間に入ろうとする。ライドはそれを押し留める。


「昨夜は激戦だったそうだ。3人死んだ。だがお前の剣は随分綺麗だな。」

「当たり前だ。俺達階層者は貴族の意思を平民に伝えて動かす身分だ。身分は生きる役割。履き違えるなよ?。平民。領地の為に身を粉にして上の者を守るのがお前の本分だ。俺は階層者だ。」


カミルの見た目はライドより年上だろう。しかし、身長のせいか、年下に見える。


『連れて行けないし、残しても邪魔になる、か。』


ソドムはカミルの威嚇するような視線に呆れた声を出す。


「階層者とは何だ?。平民のはずだが?。教えてくれるか?。」


カミルは鼻で笑い、剣を突きつけたまま話し始める。どうしても優位な立場でないと気が済まないらしい。


カミルは理想を語る。それをこれまでの知識と合わせて要約すると次のような存在だ。


階層者は貴族ではない。平民に分類される。しかし、礼儀やしきたりと言った貴族の教育を受けており、貴族にとっては使いやすい下地がある。この為、今や貴族の屋敷の執務、領地の維持管理は実質階層者が担っている。なのにその立場は弱い。現場を知る者が適切な発言や指導ができない為に、領地の発展妨げている。それが解消されれば、領地はもっと円滑に運営できる、だ。


これは一部の主張ではない。組織があり、カミルもその一員だという。


『それなりの規模があるね。指導者がいて教育されてるよ。』


ソドムの感想にライドは頷く。ジャニルは小さく首を振って黙っている。


「主張は戻ってからだ。今は貴族でも血を流す局面に見える。どうなんだ?。元貴族。」

「此処で私に振るの?。そうね。動くわよ。先陣を切っるといいつつ、後方に転進するとか。」

「そう言う答えは要らない。」


ライドが不平を述べると、ジャニルは曖昧な苦笑いで謝罪する。そして、苦笑しながら立ち上がると手でライドを制した。


「私に話をさせて。」


ライドの目論見を分かった上で、中途半端だと判断したようだ。


「カミルちゃんの階層者のお話も大事なことね。分かるわ。平民スレスレの男爵は階層者を使い捨てにするから領民の苦労が絶えないもの。身分を傘に来た冤罪は平民じゃ跳ね除けられないし、多くの子爵は明日は我が身と思って黙認するし。」

「ふん。」

「でも、今のカミルちゃんはただのお荷物よ?。適切な指示ができる能力もなければ地位もないもの。予言してあげるわ。今夜を迎える前に殺される。カミルちゃんがいるだけで士気が落ちるのよ。ゴミね。処分しないと腐って気分が悪いでしょ?。もう食糧もないし、皆、気力と士気だけで生き抜かないといけないの。仲間から死者の出た衛兵は、カミルちゃんが生きてることが嫌なのね。だって私、食事にあなたを勧められたの。ほら?あなたも見たでしょ?。敵にも吸血鬼がいるの。私もよ?。吸血鬼の相手は吸血鬼がしろだって。」


ジャニルは口を開き、牙を作ったり無くしたりする。カミルの眉が怪訝に狭まり、言葉の内容を理解するにつれて怯えと怒りに変わる。同じ騎士院生が血を吸われて死んだのをカミルも見ている。その反応で確信する。


「ふ、ふざけるなっ。」

「ふざけて信用を無くしたのはカミルちゃんよ?。信用はね。兵士や戦士には命と同じくらい大切なの。その信頼に命を預けないと戦えないんだもの。」

「くるなっ。俺は、俺はっ!。ユイの分まで階層者の地位を、領地の為にっ!。」


ジャニルが壁に寄りかかりながら不恰好に立ち上がる。その細すぎる手足は人ではあり得ない。フラフラするジャニルが足を踏み出すと、カミルは後退りから、壁側まで逃げ出し、必死で逃げ道を探す。此処は倉庫だ。出入り口は、ライドやジャニルの反対側にしかない。ミンウはジャニルとカミルを見比べ、動く気配のないライドを見上げて後ずさる


「に、にいちゃん?。嘘だよな?。」


ミンウの声が上ずっている。ライドは沈黙したまま事態を見守る。


カミルは「くそっ。くそっ。」と表情のない顔で壁よ動けとばかりに背中で押す。近づくジャニルの姿を見上げながら、恐怖で瞬きを忘れ、舌の根も合わなくなる。そして目の前までジャニルがきた時、ただ震えて固まる人形に変わる。


ミンウが突然、叫び声を上げて、ジャニルに体当たりを敢行する。が、ライドはその体を腕で掴み上げる。


「うがぁっっ!。」


ジャニルに覆い被さられたカミルが断末魔の叫びを上げる。しかし、ジャニルはカミルの頭を撫でるとよろよろと立ち上がる。


「いやねぇ。若い子にすりすりしたかっただけ。」


ジャニルが、気持ち悪いシナを作って「おほほほほ。」と笑い声を上げる。カミルの股は決壊中だ。


ライドはジャニルを改めて台車に座らせる。


「ありがと。全く。ライドちゃんの中途半端な対応には困ったものね。理解させるくらい1人で完結なさいな。」

「俺はカミルより年下だと思うぞ?。」

「あら?。ごめんなさい。そうだっけ?。でもやることなすこと年寄り臭いのよね。下手なのに。」


憮然とするライドは年齢を言い訳をする。当然、本当は遥かに年上なだけに、ジャニルの指摘は胸に刺さる。


しかし、いるだけで畏怖された故郷と全く違う。子供と見られることは楽な反面、交渉がやり難い。強さが権力だった故郷なら、どんな言葉も相手が勝手に重く受け止めたが、今はそれがない。


ライドの腕の中で、ミンウが呆けた声を出す。


ライドは「よく動けた。」とミンウを下ろすと、その頭を撫でる。まだ呆けているのか抵抗しない。


「さて。カミルちゃん。安心するのは早いわ。話した内容は全部本当。私からも言ってあげるから、まずはカミルちゃんを知らない侯爵家の兵士に協力して、信用を得ましょ。彼らを味方にできなけばお終いよ。」

「・・・何で?。」

「貸しにしとくわ。活かせなければ、もう会えないわね。」


ジャニルは行動するかしないかは任せると言いつつ、外で待機する特殊部隊の怪我人に水を供給しながら、包帯に使える布の準備、矢の予備の材料集めと言った仕事を貰って熟すように伝える。夜までに信頼が得られれば、妖魔の襲撃後も仕事は尽きない。使える人材を手放す兵士はいない。


「でも聞く気はなさそうね。」


ジャニルは去っていくカミルの姿を見送り、ぽつりと呟く。


その後、ライドはミンウを連れ出し、ジャニルに補給品に案内する。場所といっても「歪」の先、場所は地下だ。此方の下方向には「歪」の獣が少ない。しかし、この砦まで地下は広がっていない。少し離れた場所になる。


補給品は布で簀巻きにされ、頭にズダ袋を被され、口には猿轡まで噛まされている。その扱いにジャニルは人生の最後の扱いを憐れんだが、すぐに自業自得かと苦笑する。この補給品は無慈悲な死だけでも10人以上に齎したとか。罪人だけが尊厳ある死を迎えるのは不公平だ。


ライドはジャニルと別れ、砦の裏手の地下倉庫に置いた荷台に向かう。中からは食物の匂いと寝息が聞こえるが、食糧は食い尽くした筈だ。残されては騒動の種になりかねない。しかし、ミンウがいると知った今は少しとっておくのだったと後悔する。


「ナリアラ、いいか?。」


ライドがそう声をかけると、ミンウが「ナリアラのおばちゃんがいるのか?!。」と驚く。当然シャルもいる。


寝起きの不機嫌な声に、この倉庫内なら出てきていいと伝える。外の見えない荷台は、内側からは開かない構造だ。ナリアラが地面を足でつかむとのと同じ要領で、壁に手を当て外から操作し、あっさり開く。そして、ナリアラがシャルと固まった体を解しながら現れる。こうしてみるとナリアラが茶髪、シャルが黒髪。共に白肌だ。似て見えなくもない。流石に本当の親子はないだろうが、一緒に生活することで似てきたか?。


「ミンウかい。おかしなところで会うもんだね。」

「おばちゃん!。シャルも!。2人共やつれたな。」


ひとしきり、ナリアラ、シャル、ミンウで話させる。ただ待っていても中々終わらなかった。


まだ余裕はあるが困る。

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