産毛教

和泉眞弓

産毛教

 いなかで巧く生きるには、素直・率直・正直が優れた基本戦略だ。腹に一物あるほうがかえって不利に働いた。隠せるほどの木の葉などあろうはずなくプライバシーなどは筒抜け同然だ。生き抜くために素朴だがつよくただしい戦略を一つ覚えで引っ提げて、おのぼり上等さあ出会え、その気構えで高層のビルがひしめく都会へと志学少女がやってきた。

 いなかの子らにありがちな、野にあるものの胆力は、文化を浴びた洗練とやさしい語尾のみやこびとしぐさにすべて黙殺で、産毛を剃らずいた顔は野卑に見えると親切なクラスメイトに教えられ、少女は産毛を週一で剃る習慣を身につけた。心に産毛があるならば、とうにきれいに剃っていた。目的以外そぎ落とし、ただ本質を観ればよい。枝葉は措いておおもとの幹を忘れなければよい。この世を統べる法則がきっと地上に存すると、少女は夢見、問い歩く。答えるおとなはまずなくて、若さ故よと微笑まれ、長く生きてもここまでと、軽侮の念が先に立つ。求道の途におのずからいざなわれるは必定で、郵便受けに舞いこんだ布教のための小冊子、『はばたき』とあるその表紙、開けばそこに待ち望む福音の書の薫りたち、白刃の心で進みだす。祈りとともに巻頭に十二の数の法則が宣べ伝えられ、対称に曼陀羅をなす口絵から、まさに現世と彼岸とを統べる秘法はここにある、その直観に導かれ、少女は深くみ教えとその関連の書籍など漁り取りいれし始めた。宗教など、というようなざわめく風はそよりとも感じず道をひた走る。

「十二の数は天然のことわりをなす聖数せいすうだ。十二ヶ月は一年で、干支も十二で一周し、十二星座の占星術、半日は十二時間だ。昼と夜とがあるように、すべてに陽と陰がある。仏教では六道りくどうという六種の世界があると説く。六道りくどうにも陰陽があり、うちの三つを三善道、あとの三つを三悪道、六の世界を魂は因果に正しく照らされて輪廻転生するという。釈尊はまたことわりを次のようにも説いている。この世のあらゆるものごとは因縁により生起する。『因』と『縁』とを見ていくと、『因』は直接原因を『縁』は間接原因をそれぞれ指して、例えると、人においての親が『因』であり、とりまく環境が『縁』であるともいえるだろう。苦悩が生起する因と縁との元を遡り悟りに至るその道は十二因縁と呼ばれる。……」

 少女はすぐに何事も「十二」の数に従った。学校までの歩数計、テストの点に至るまで、十二の倍の数ならば天啓として欣喜した。『はばたき』定期購読で、ときに引用されている明治天皇詠歌にも人智を超えた才を見て、天皇皇后おふたりが毎朝夕に祈られているお姿を知ってまた、ちかしく思い畏敬する。六芒星の魔法陣、ダビデの星が伊勢神宮内宮の中あちこちに隠れていると教えられ、十二の数の真言をさらに確信したものだ。

『はばたき』の裏表紙には教団支部のアドレスが記されており、少女にも最寄りの支部があると知る。産毛を剃った少女には、止める術などとうにない。教えの門を叩いたら、その若さから驚かれ、あれよあれよと二世の子たちと纏めて将来の幹部候補に挙げられた。

 婦人の会の後押しで、総本山で開催の幹部育成研修会参加がかない、み教えのいよいよ内に至れると、少女は胸を躍らせる。

 玉砂利、敷石、枯山水。総本山の庭園は侘び寂び深く圧巻だ。広くて長い廊下から続く畳の大広間、その広いこと、百畳はあろうかという会場で、選りすぐられた東京の高校生の顔つきはいかにもエリート然として、心密かに、負けるか、と、対抗心を燃やしだす。

 一泊二日の研修は、笑いの練習から入り十二の神秘を説いてのち神を想いて地を感じ最終的に天地人一体として捉えんと只管打座しかんだざして一時間、何ら苦もなく安らかで、これはますますみ教えの中枢に近づいている、その確信はいや増して、少女を鼓舞し焚きつける。

 精進ものを夕食に感謝とともにいただいて、夜の講義は、なぜだろう、天皇陛下に関してで、総帥みずから直接に、いかに陛下が私心なく国に捧げておられるか、熱を帯びたる演説を幹部候補の学生を前に滔々語り出す。感極まった学生のすすり泣きすら漏れ聞こえ、はたと少女は一毛の疑問がうちに芽生えだす。わたしは産毛を剃ってきた。日本は平和国家だと、世界に誇る憲法と、天皇は神の座を降り、人間たるを宣言し、崇拝はせず象徴として尊敬を集めたる、それが習った真実と、根からつるりと思ってて、今目の前で総帥が、日の丸の前、堂々と、

 天皇陛下、ばんざあい

 天皇陛下、ばんざあい

 唱和している集団に少女はうまく混ざれない。腕が水平から上に、いくら挙げよう挙げようと思ってみても上がらない。剃った産毛が立ちあがり、挙げようとする両腕を、全力で重力の向く下へ下へと引き下ろす。

 お世話係の青年部幹部女性に身のうちの違和を眠れず語らえば、「頭で考えてはだめ。祈りの中で見えてくる。祈りの中でしか見えぬ真理があるの、どうしても」——

 解体する心地だった。考えることを、放棄せよ、そう、言われたかの、ようだった。わたしは、頭で理解する、範囲を、越えたくは、なかった。洗脳と、信仰の、線引きが、わからなくなった。わたしは、どれだけみ教えに、納得し、賛同しても、おそらく、信仰には、至っていない——少女は今、はっきりそれを覚った。

 十二の数の縛りをやめ、少女は宗旨替えをした。密かに「産毛教」と名づけている。心の産毛を剃らずに生やし、そよと風を感じたら全力で躊躇し考える。すっきりはっきりとものが言えなくなり、決断できないことがうんと増えた。今のところこれで、空気を読めている人らしく、俄然うまくいっている。頭が悪くなったと言われる。そうかも。そうだな。少女は風を感じる。少女は笑う。

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産毛教 和泉眞弓 @izumimayumi

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