21、1年

 夢を見ていた。なんで夢かわかったかと言うと、周りの建物が時代劇に出てくるようなものばかりだったから。そして、見覚えのない神社に静華さまがいた。静華さまの前には傷だらけ、血だらけで膝をつく男。男の頭には角が2本あった。

『口惜しや。いつの日か、必ずお前を闇へと引きずり堕としてやる!』

憎しみに満ちた声で言い放つと角がある男は姿を消した。

『いつか、お前の大切なものを奪ってやる!』

姿は見えないのに声だけが響く。静華さまは顔色ひとつ変えずにそれを聞いていた。


 ハッとして目を開けるとそこは見慣れた自分の部屋だった。まるで全速力で走ったかのように心臓がドキドキしている。起き上がった俺は汗だくなのに気づいて着ていたTシャツを脱いだ。

「夢、だよな。一体何なんだよ…」

ハアッと大きく息を吐きながら呟く。夢にしてはやけにリアルで、目が覚めた今でも内容をはっきり覚えていた。

「今日、バイト休みでよかった」

ふと、今日はバイトが休みなことに気づいてまたため気をつく。あんな夢を見た後ではなんとなく静華さまと顔を合わせずらかった。

「買い物行かないとな」

俺は時計を見るとノロノロと起き上がった。汗でベタついた体が気持ち悪くてシャワーを浴びる。そのおかげかすっきりした俺は濡れた髪を拭きながら冷蔵庫を開けて牛乳を出し、ゴクゴクと一気飲みした。賞味期限が近くて安くなっていた食パンを一切れ出して噛りながらまた牛乳をコップに注ぐ。食パンと牛乳で簡単に朝食をすませると、財布とスマホ、アパートの鍵だけ持って俺は外に出た。財布には白羽さまからもらったお守りだという羽根が入っている。


 外はいい天気で暖かかった。そろそろ初夏になろうかという季節。気がつくと俺が神路神社でバイトを始めて1年が経とうとしていた。

 バイトを始めてから色々あったが、隆幸さんにも静華さまにも感謝しかなかった。あの時隆幸さんに拾ってもらわなければ今頃どうなっていたかわからない。そう思ったとき、俺は隆幸さんに何かお礼をしたいと思った。仕事はいつも以上に頑張るとして、何か物を贈るとしたらどんなものがいいか、静華さまや白羽さまになんとなく相談したら、筆はどうかと言われた。値段などは知らないが、筆なら日常的に使うだろうと言われ、確かに祝詞を紙に書くのに筆を使っていたなと思い出した。

 筆なんか今まで買ったことがなかったから、どこで売っているかもよくわからない。とりあえず散策がてら百貨店に言ってみようと思ったのだ。

「文具屋?」

少し歩いていると、ふと文具屋が目に入った。そこは普通の筆記具も売っていたが、どちらかと言うと筆や硯、墨といった書道の道具のほうがたくさんおいてあった。少し覗いてみようと中に入ると、店内は墨の匂いがしていた。

「いらっしゃい」

レジに座っている優しそうなおじいさんが声をかけてくる。俺は会釈すると筆がたくさん並んでいる棚の前に立った。

「筆を探しているのかい?」

太さだけでなく色々な種類があることに驚いて固まっていると、おじいさんが立ち上がって声をかけてくれた。

「えと、人に贈る筆を探しているんですが、筆なんて買ったことなくて」

「ふむ。ちなみに、その人はどんなことに筆を使うのかな?」

俺の隣に立っていくつか筆を選びながらおじいさんが尋ねる。俺が「祝詞を書くのに」と言うと、おじいさんは驚いたように俺を見た。

「あんた、もしかして神路神社のバイトさんかい?」

「え?はい、そうですけど…」

俺も驚いてうなずくと、おじいさんは「そうかそうか」と笑って何本かの筆を選んだ。

「話には聞いていたんだよ。神路神社に若いバイトの子がいるって。少し無愛想だが丁寧に仕事をしていて感じがいいってね。わしは足が悪くてもうお詣りには行けんが、昔はよく行ったもんだ」

おじいさんの話になんと答えていいかわからず黙っていると、おじいさんは選んだ筆を差し出した。

「神主さんが使うんならこの辺がいいだろう。この中から好きなのを選ぶといい」

そう言われて筆を見た俺は、1本を手にとった。選んだ理由は特にないが、なんとなくこれがいいと思った。

「これにします」

「じゃあ包んであげよう」

おじいさんはにこりと笑うと俺から筆を受け取ってレジに戻り、箱に入れて綺麗に包装してくれた。幸い値段も手頃でそこまで痛い出費にはならなかった。

「神主さんによろしく伝えておくれ」

「はい。ありがとうございました」

「気が向いたらまたおいで。神社でバイトをしているんだ。将来はあんたも神主になるんだろう?」

「え、いや、俺は…」

おじいさんの言葉に自分が神主になるなんて考えたこともなかった俺は口ごもってしまった。おじいさんは「まだ若いからな。色々な選択肢があるさ」と気にしたふうもなく笑っていた。


 店を出てアパートに帰りながら、俺はおじいさんに言われたことを考えていた。俺には将来就きたい仕事なんて今のところない。だが、確かにいつまでも隆幸さんに甘えてバイトをしているわけにもいかない。ずっと考えないようにして先延ばしにしてきたが、そろそろ将来について本気で考えたほうがいいのかもしれないと改めて思った。

 文具屋での思わぬ出来事に、俺は今朝見た夢のことをすっかり忘れてしまった。


 翌日、いつものように白羽さまと神社に向かいながら、隆幸さんに贈る筆を買ったこと、その店のおじいさんに神主になるのかと言われたことを話すと、白羽さまは『きみが神主になれば静華が喜ぶな』と言って笑った。

『人の一生がいくら短いとはいえ、きみはまだ若いんだ。そう焦ることもないかと思うが、きみくらいの歳ならもう家庭を持っている者もいるか。それこそ神主に相談してみたらどうだい?』

『そうですね。そのうち隆幸さんに相談してみます』

白羽さまの言葉にうなずいて神社の鳥居をくぐった俺は、白羽さまと別れていつものように社務所に入った。

「おはよう、冬馬くん」

「おはようございます」

社務所にいた隆幸さんに挨拶して作務衣に着替える。着替えがすんだ俺は筆が入った箱を持って隆幸さんのところへ行った。

「隆幸さん。あの、これ…」

うまく言葉が出てこなくて包装された箱を差し出す。隆幸さんは不思議そうな顔をして「僕にくれるの?」と言った。

「そろそろ、俺がここでバイト始めて1年なんで、隆幸さんに何かお礼したくて」

「そんな、お礼をしたいのは僕のほうなのに」

隆幸さんは驚きながらも箱を受け取ってくれた。

「開けてもいい?」

尋ねられて無言でうなずくと、隆幸さんはその場で包装を剥がして箱を開けた。

「筆だ。僕ね、いつもこのお店で筆を買ってるんだよ」

「え、そうなんですか?」

驚いて顔をあげると、隆幸さんはにこりと笑ってうなずいた。

「ここのお店の店主さんは僕が子どもの頃からよくお詣りに来ててね。父もこの店の筆を使ってたな」

「そうだったんですか。店のおじいさんが隆幸さんによろしくって言ってました」

「ありがとう。しばらく筆を新調してなかったから、そろそろ買いに行こうと思ってたんだ。大事にするね」

隆幸さんがそう言って嬉しそうに笑うのを見て、俺もなんだか胸の辺りがぽかぽかした気分になった。

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