Tips・Tap金輪際 1

 十月も半ばに入り、落ち葉やからっ風が寒さを告げてくる頃、僕は午前の講義を終えお昼ごはんを求めて歩いていた。


 あれから一週間。僕、宮城栄信と香川園花さんは友だちになった。男女間の友情が成立する云々は考えず、とにかくこの一週間は講義終わりにサークル活動に勤しんでいた。

 サークル棟の中にある『冷奴研究会』と名札のかかった部屋。しかしその実体は豆腐なんて関係なく、欠員状態で休止していたそこを間借りした香川さんがただ遊ぶスペースとして独占されていたのだ。

 特に秘密にしているわけでないようだけど、香川さんがそんな(一般的に)子供じみた遊びをするわけがないと周りから何とも疑われていないし、僕もその一人だった。

 それが先週、「あなたのことを知りたい」と香川さんに告白したことをきっかけに僕は知ることとなる。一緒にボトルキャップ野球で遊んだあと、僕は香川さんと同じ『冷奴研究会』に加入したのだった。

 あれからというもの、ふたりしてボトルキャップ野球にハマってしまい、今ではお互いの投球レベルが上がり過ぎてどちらも相手の球を打てなくなってしまった。

 これではあまりに打者側の精神衛生によくないため、ストラックアウト的な的あてゲームに興じるようになり、投げて打ってより変化球で真ん中や隅に当てられるかの勝負のほうが楽しくなってきた。

 その遊びも円熟してしまい、この前そろそろ別の遊びを考えようかと話し合っていたところだ。

 もうすっかりこの友人関係に慣れているが、僕は少しずつでも都合よく進展しないかなあ、と思案しているこのごろ。人間の欲深さよ。

 告白の返事は期待以上の結果だった。僕は友だちポジションで満足するのかね、いいやしない。かえってもっと彼女のことを知りたいと気持ちが膨らむばかりだ。


 ※


 お昼ごはんは行きつけの食堂で食べることにした。まだ香川さんとは、同じクラスの講義やサークル以外の場所で一緒になることはない。今日は男の友人と食べると約束していた。

『はせがわ食堂』という名前の、大学最寄りの駅近くに位置する、お昼は学生でにぎわう食事処だ。店主の長谷川さんは夫婦でこの食堂を切り盛りしていて、学生向けに五百円からの定食メニューを提供してくれている。追加料金で定食につくご飯を小さい丼物に変えることができ、ボリュームも保証できる。僕はよく親子丼と味噌汁を頼んでいて、今日もそれを頼んで席で待っていた。

 他の席も同じ学生で埋まってきた頃、店に入ってきた男が僕を見つけて歩み寄ってきた。和歌山わかやま鉄也てつやという彼もまた、香川さんと同じく大学で同じクラスになった友人だ。

 ツンツンとがった短髪で、ところどころ稲妻みたいに金色に染めている。やや小太りな見た目の割にフットワークが軽くて、ふだんはダンスサークルでラップしながら踊るように、持ち前の明るさで場を盛り上げてくれる気さくなやつだ。

「何頼んだ?」

「親子丼」

「あー、それな。じゃあ別のにしよ」

 話しながら和歌山は着ていたジャケットを脱いで、向かいの椅子に腰掛ける。

 彼はカツカレーを注文したあと、外で冷え込んでいた両手に「ふーっ」と息を吐いて熱をすり込んでいた。

「いやー、どうよ? 最近は」

「なんだその、話の切り出しに困った、困った切り出しは?」

「……こっちも結構気ぃ使ってたんだぞ。振られてたら『少し落ち着く時間が必要かな』とか、うまくいったらいったで俺も整理する時間が必要だったんだよ」

 眉をひそめて僕の嫌味を咎めてくる。いや急に怒られても。

「あんまり落ち込んでないところを見ると、香川さんとうまくいったのか?」

「まあ、うまく、いったのかな。ほぼ毎日、仲良く遊んでるし……」

「あそ…………しかも毎日!?」

 テーブルにまだコップしか置かれてなくてよかった。和歌山が激しく身を乗り出したおかげでコップから水が大きくこぼれる。慌ててコップを支えながら紙ナプキンで水分を拭き取るが、和歌山の勢いは抑えられない。

「遊ぶって、おま、お前遊ぶってことか? お前」

「どうしたのそのテンション」

 仕方がないので彼に告白の顛末てんまつを語った。香川さんが考案したゲームの対戦相手として遊んだこと、今後もこうやって遊ぶ友人として認められたこと、今はボトルキャップ野球にマンネリを感じていること……最後のは余計なので話そうとしてやめた。

 頼んだ親子丼とカツカレーがテーブルに並べられる頃には、彼の興奮は落ち着いていた。

「なるほど、まずはお友達からってことか……危ねえ危ねえ」

 やけに神妙な面持ちでつぶやく和歌山。さっきの気の動転ぶりはなんだったのだろう。腕を組みながら安堵の息を漏らしている。

「なんにせよ、思いのほかうまくいってるようでよかったよ。香川さんって度量の大きい人なんだな」

「……もしかして僕を言外に貶してない?」

 香川さんの器についてはケチをつけないけれど、対して卑しさが目立つ僕へのフォローを忘れていないかな、この友人は。

 トンカツを一切れ、器用にスプーンで拾い上げて口に運んだ和歌山が、そのスプーンを僕に向けながら咎める。

「いやいや告白してきた相手と遊ぶって、ふつうに超気まずいだろ」

「た、たしかに」

 それは、そう。実際「照れた」とか言われたし。そのときは僕も照れた。香川さん、かわいさ発揮しがち。

 自惚うぬぼれもあるけれど、香川さんには「一足飛びで関係を深めるのはもったいない」と言ってもらえたほど、人として評価されていると思う。具体的に何が要因になったのかまではわからないが、香川さんが友人としてお互いを知っていく猶予をくれたことには、それだけ彼女が気になるポイントが僕にあったということだろう。

「ま、あの香川さんに構ってもらえてるんだ、一応応援しといてやるよ」

「うん、頑張るよ」

 和歌山なりの激励をもらいつつ、僕も親子丼を本格的に食べ進める。食べごたえのある鶏むね肉と、それを半熟にとじた玉子、ときおりシャキッと主張してくる玉ねぎ。粒だったほかほかのご飯にしみ入る甘塩の出汁もベストマッチだ……。

 それに向かいを見ると、こいつと食事をすると毎度思うんだけど、ほんとに美味しそうに頬張るなあ。行儀がいいわけではないけど残さず綺麗に食べきって見ている方も気持ちがいい。

 次来たときはカツカレーで決まりだな。


「ほんじゃ、またな」

「うん、四限で」

 今日は午後にクラスでの講義があるのでまた一緒になるんだけども、とりあえず別れのあいさつをする。なんだかんだ僕の面倒を見てくれるのだから和歌山はいいやつだ。

 午後は三限から始まるので、次の次になる。その三限は香川さんも選択している『防災学』の講義だ。

 食堂から講義棟に向かう道は横断歩道を一つ渡ればほぼ一本道で、ゆるやかなカーブとなだらかな坂をまったり上っていくと木々に囲まれた我が大学が見える。

 名前は知らないけどよく公共施設で植わっている広葉樹や低木を眺めていると、講義棟への階段に収束していく人の波が視界に入る。

 自分もその波に自然と飲み込まれながら石の階段を上っていると、ふと目の端にふわっと輝く栗毛が映った気がした。香川さんだろうか、人だかりにちょうど埋まってしまう背丈だから、一瞬で見失ってしまったけど。

 またちょっと浮ついた気持ちになってしまった。午後の講義は二コマとも一緒だ。会話はしないだろうが同じ時間を過ごせることに幸せを噛みしめる。

 僕が向かっているそこは小・中・大とあるうちの小講義棟といって、小規模の人数で講義を行う教室が並んでいる。小講義棟の二階まで行くとさすがに集団が十数人に落ち着いた。同じ『防災学』の受講者たちだ。みんなにならって僕も適当な席に座る。

 五分前くらいになって、担当の猪垣いのがき教授が教室に来てテキストを広げ準備を始める。毎時間プリントが配られるのだが、僕を含む学生がまばらな席に座るので前から配るのではなく、教卓にどんと置かれた紙の束を各々取りに行く形式になっている。

 今日はプレゼンテーションソフトのスライドが印刷されホチキス留めされたのと別に、机の広さより大きめの紙があるようだ。

 一枚の大きい紙には地図が描かれていた。手触りがいつもの印刷プリントと違ってなめらかで厚く、破れにくそうだ。地図の角に『5万分の1』と記されている。

 プリント類を取って自分の席に戻る途中、同じくプリントを取りに立った香川さんとすれ違った。向こうも気がついてふっと微笑んでくる。なんだこれは、神か。女神なのか。いま僕の顔を見たら溶けたスライムみたいになっていることだろう。ふにゃふにゃの笑顔を返す。

 それから僕が持っていた地図の方に目をやって、興味深そうに眺めながら歩いてゆく。自分で地図を取ったあとも、その紙をじぃっと見つめていた。……って、香川さんがわざわざ鞄を持って席を移動して僕の隣に座ってきたんだけど。この意図を三百文字以内で答えてください。

 どきどき間もなくして講義の始まりのチャイムが鳴る。猪垣教授があいさつをしながら話しだした。

「みなさん赤ペンとか色付きのペンは持ってますか? 持っていない人はここにあるので前から借りてって。今日は配った地図をペンで塗って、該当地域のハザードマップを作っていきます」

 はへー、と声を漏らす僕。まっさらな地図に書き込んで自分だけのハザードマップを作るのか、楽しそうだ。

 手元には筆箱の中から取り出した三色ボールペンと、朱のサインペンがある。使うのは黒以外の色だそうで、まあ手持ちのペンだけで足りるだろう。

 教授の指示に従い色を塗りながら、ふと隣の聖天使さまを見ると、せっせと色塗りに励んでいた。心なしか頬を上気させ、童心に帰ったように様々なペンを駆使してぬりぬりしている。全部自前のペンなのか……。

 自分だけのハザードマップが完成してもその作業は続いていて、というか、なんだか色塗りの範囲が横目で見ても独特で、教授の指示お構いなしの芸術作品みたいなのができている。うーん、元の地形図がもはや跡形もない。ハサミも入れ始めてるし。ハサミ?

「か、香川さん……?」

 思わず声をかけるも、聞こえちゃいない。集中力半端ないって。

 ここまでくればもうわかる。

 香川さんは初めからハザードマップを作ってなかった。別の工作をしている。切って折ってたたんで組み立てて、組み立てたら開いて……。だけど何を作ってるんだろう。

 集中しっぱなしの彼女の邪魔をするのも悪いと思い、結局最後まで聞くことはかなわず、午後の講義は会話なく終わってしまった。


 ※


 お互いの講義が終わるころ、特に連絡し合うわけでもなく僕らはサークル棟の角の隅、『冷奴研究会』の部室で落ち合う。このいつもの流れみたいなの、自然な関係で僕はとても心地よい。

「いい材質の紙が手に入ってね、ピンとひらめいたんだ」

 開口一番にそう言って、香川さんは鞄から丁寧に折りたたまれた厚紙を取り出した。うん、厚紙の裏地がさっきのハザードマップのなり損ないだね。それと、同じ厚紙で小さな紙片も二つ並べられた。

「それ、防災学の講義で配られたやつだよね?」

「ああ、心配ない。見て聞いた内容はすべて頭に入っているから。それにハザードマップなら住み始めた頃に市役所からもらっているんだ」

 それなら心配ないかあ……。香川さんならほんとうにあの集中力を発揮しながら講義の中身を理解していそうだ。

 陽光にきらめく栗色の前髪をさらっと手で払い、香川さんはあらかじめ付けられていた折り目に沿って厚紙を組み立て始めた。にこにこ笑顔からわくわくが止まらないって伝わってくる。僕もなにが出来上がるんだろうと期待に胸を膨らませながらその様子を見守る。

 好きな人の一挙手一投足っていつまでも見ていられる。薄紅色のカーディガンの袖を荒っぽくまくり、部室に似つかわしくない高級そうな椅子に座りながら、テーブルに肉薄するくらいに屈んで組み上げる姿なんて、彼女を知っているどれだけの人が想像できるだろうか。

 やがて台地のような形の箱が出来上がる。地面と水平か、また強度を確かめるように箱の上部をとんとん、と叩きながらうんうん、と頷いたところで、香川さんは僕に顔を向けてきた。

「さあ、今日から二人でこれを極めようじゃないか!」

 同時に手渡されたのは、左右対称の厚紙のかけら。背中合わせにをまとう丸みのある人型だ。ちょうどその背中を基準に真ん中で折ると、その正体が現れた。

「お相撲さん? …………あ」

「そう、とんとん相撲だ」

 デフォルメされたまんまるボディがかわいらしい、力士のイラストだ。香川さんはデザインのセンスもあるんだなあ。

 ……星型の眼鏡をかけている点は少し尖っているけれど。

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香川さん遊びがち いちみんればにら @spice453145

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