第5話  秘密

 忙しい中にも充実した日々を過ごしている二人のある日曜日、図師の母親が来た。前もって知らせがあったので、朋美と支度を整えていた、楽しい夕食になるだろう。

 小樽営業所から本社備品庫室係へ、直ぐに教育部次長、大同警備次世代の教育を任せられ、身震いを覚えた。合同結婚式以来の久しぶりの母の顔。

「朋美さん、お久しぶり」

「お母さん、嬉しい」と抱きついた。


 楽しい夕食が済み、食後のコーヒーを飲みながら、母が話した内容に、図師も朋美も驚愕した。それは、故大同会長の事だった。図師は、父の顔を知らず母敏子の女手ひとつで育てられた。幾分気弱い幹夫を、時に父親代わりとなって叱り、時に母として存分に甘えさせた。紆余曲折はあったものの、今こうして夫婦となっている。もうあのことを話しておいていいだろう。

 大同会長は銀行員退職後、父が創業した大同警備に入社したのは40歳、直ぐに秋田支社長に転任した。東京生まれの東京育ち、就職先も大都会の東京、このように都会を離れたことは一度もない、何もかも新鮮だった。

 が、慣れない地方暮らしは一抹の不安があったが、幸い地元の大学を出た新卒採用の図師敏子が何かと世話をしてくれた。生真面目が取り柄の大同自身もまさか自分がと、思っていたが、何時しか敏子に引かれるようになった。秋田美人がぴったりの敏子は、その若さと美貌は朴念仁の大同も魅了されずにいられなかった。

 いつしか、二人は忍び逢う中となった。歳が離れていたが、大同も男盛り、その欲望に打ち勝てなかった。

 そして、敏子は妊娠した。しかし、敏子はそのことを大同に打ち明けなかった。1年の地方支社勤務を終えて本社に戻る大同を見送ったあと、敏子も会社を辞めた。

 敏子の実家は素封家で、敏子が妊娠していることを知った両親は誰の子かと詰め寄ったが、敏子は巌として打ち明けなかった。そして幹夫が生まれた。

 大同は本社に戻ってからは、仕事に忙殺し、秋田のことはすっかり忘れてしまった。図師のことも、何処かで聞いたことのある名前だな、と思ったこともあったが、それも一瞬、が何かと図師のことは気になっていた。

 

「幹夫、今まで言わないで、寂しい思いをさせて御免ね」

「お母さん、そんなことはないよ。お母さんこそ、寂しい思いをしたね」


 図師は間もなく父親になる。朋美は来月出産予定、お腹の子は女の子。






*   警察と警備業界の癒着、警察と暴力団の歴史


 警備業が初めて知られたのは1964年の東京オリンピック、そのとき僅か100名足らずの警備員の活躍が、やがてテレビドラマでも取り上げられるようになり、徐々に世間に浸透されていく。

 テレビドラマでは、二枚目俳優の鶴田浩二さんの渋い演技で、日の当たらない警備員の活躍が描かれ、警備員を志す者も増えた。世はまさにバブル突入時代、誰もが浮かれ、警備業も雨後の筍のように増加し、いかがわしい生業、所謂暴力団(やくざ)も参入した。そして、警備員はその服装が警察官に似ていることにより、遣りたい放題の無法状態となった。

 市民が警察官と思い届けた拾得物(金銭)をそのまま猫ババ、やがて労働争議に介入し一般市民を弾圧する等、国家権力の手先に。そして、昭和47年(1972年)、警備業発足してから10年経って、警備業法が制定された。

 結論から云えば、遅きに失した。何故、こんなに法整備が遅れたのか。それは、暴力団(やくざ)と警察官の癒着の歴史が。

 第二次世界大戦、所謂太平洋戦争前の日本社会において警察と暴力団は深い関係にあり、戦後、民主主義の現日本国憲法が施行されたが、その癒着が完全に断ち切られることはなかった。

 三井三池炭鉱争議(1959年)は、労働者が大量解雇に対し激しく戦った権利闘争で、その弾圧費用に国家は膨大な予算を投入し、その手先に利用されたのは暴力団、勿論主だって目立つ行動を取るのではなく、やくざ特有の脅しの常套手段で。

 今なら許されないそのような行動を警察は見て見ぬ振り。やがて、新しい仕事、警備業が生まれ、無法状態の警備業に暴力団が見逃す筈はない。

 だが、直ぐに取り締まることは出来ない、長い癒着の歴史がそれを後押し、また、警備業界自体も自浄作用が全く機能しなかった。それは、警備業が退職警察官の受け皿となっているから。

 警察、警備、暴力団の三角関係を断ち切るのに戦後40年を要した。警備業法の制定は、警備業は商法第502条五の作業及び労務の提供の商行為、物を売ったり、買ったり、製造したり、の商人だという意識を捨てた。

 商売は、常に世の移り変わりを敏感に感じとり、機敏に対応しなければやがてその存在を失う。

 自見は、警備が真に世に受け入れられるには、官僚主導の法体系に頼るではなく、商人道を貫き、需要と供給のバランスを構築し、そのために警備は何を提供していくべきか。日本の安全を担保するのは、警察、自衛隊、そして警備、だが警備は前2者の国家権力と一線を画し、むしろその動向を監視すべき側、常に国民目線で日本の安全はどうあるべきか、を警備業界全体で考えていく、今こそその時機だと捉えていた。

 しかし、その自見に対しバルザック内野社長は警備業法の遵守こそ警備業発展に欠かせない、それに補うに警察力を利用すべきと.

 やがて、真っ向から対立していくこととなる。  





 *   空港不祥事案


 大野警務部長と泉業務課長が部屋に飛び込んで来た。

 「取締役、大変な事が発生しました」


 自見は、図師教育部次長と新卒採用正社員教育カリキュラムについて細部を詰めていた。その骨子は、兎角頭で考える傾向にある若者に先ず現場を知ること、そのために本社での教育は必要最少事項に留め、それが終了後直ちに現場に配属する。各支社長には、それに対し十分な受け皿として、現場重視の教育計画を提出させていた、その話の最中に。


 その報告は、自見が大同警備の備品庫室係として、大同会長へ助言した東京湾岸ビル警備隊の不祥事案に似ていた。

 空港警備の警備室、主に空港関係者車両の出入管理中、その隙間を縫って、一人の男が敷地内に侵入した。車両の整理をしていた警備員はそれを覚知、同時に警備室内の警備員も。

 しかし、あまりにも忙しくそれを停止することなく、時間が過ぎた。その10分後、空港関係者が、滑走路に立つ男を発見した。直ちに、空港は発着を停止、空港内は騒然となった。

 男の身柄を確保し、男に何処から入って来たかと問うと、正面からと。そう警備員が男を見ていたのにも拘わらず放置したあの正門から。


 自見は社長に報告し、直ちに北海道千歳空港に飛んだ。北海道支社長の三木と空港管理センター所長安藤氏に面会。安藤氏から、今回の件は、看過出来る事案ではないことは御社も十分ご承知のことと存じます。然るべく行政処分を受けることとなります、と。

 自見は、当然です、弊社の警備体制の不備にお詫びの言葉も見つかりません。警備体制について再構築をし、二度とこのようなことを起こさないように致します。誠に申し訳ありません、と平身低頭した。


 言い訳は利かない。例え、どんなに車両整理で忙しくても、人を空港敷地内に侵入させてはならない。直ちに、業務を中断し、空港関係者に連絡し、警備員は男を追跡しなければならない、基本を怠った、弁明の余地はない。



 *   三鬼元生活安全課長


 内野社長が三鬼元生活安全課長に

 「この度の大同警備不祥事案で罰則はどれくらいでしょうか」

 「そうですね、東京都公安員会に公示され、罰金100万円となります」

と、三鬼が。

 

 三鬼は元警視庁生活安全課長として警備業法に深く関わり合ってきた。その仕事ぶりから“”剃刀三鬼”として恐れられている。警備業法違反に対し容赦なく取り締まりかつ重い処分を求めている。三鬼は、乱立気味の警備業者とその警備員の劣悪さに嫌悪を感じている。

 だがその三鬼もこのバルザックの不祥事に目を瞑った経緯がある。え、今大同警備のことではないのか、と思われただろうが。

 バルザック創業者は元警察官僚だ、その繋がりで三鬼のように警視級の警察官を顧問として歴代迎え入れてきた。そして、何かしら拙い事案が発生する度、内内で処理してきたことも事実だ。

 バルザックも空港保安警備を担当している。ある時、保安警備員が足りなくなり、止む無く事務職を保安警備に当たらせたことがある。保安警備は、ハイジャック防止法の関連から厳しい資格が求められている。

 警備会社は、警備員に都道府県公安委員会が検定する各資格試験を受験させ、合格すると資格手当を渡し、スキルの向上を図っている。また合格することにより、その検定資格に応じ、年1回の現任教育の全免除または基本教育免除を設けている。

 が、逆に資格なき者がその職に配置されている場合は警備業法違反として厳しく取り締まっている。

 特に先程の空港保安警備は、1級検定合格者は何名、2級検定合格者は何名と厳しく基準が設定されている。

 簡単に言えば、事務職の者が初任研修(現行20時間)を受けただけで、現場に配置されても、その配置資格基準を到底満たす事は出来ない。生活安全課が立ち入り、調査すればその不正は直ちに露見する。しかし、その立ち入りは生活安全課の裁量だ、如何様にもなる。

 現実、生活安全課は忙しい。増加傾向の警備会社を適正に立ち入ることは不可能だ、三鬼はそれが苦々しい。


 内野社長が、顔を改めて

 「顧問、大同警備の自見取締役のことはご存じですか」

 「否、全く知りません」


 そこで、内野社長はこれまでの大同警備と自見取締役の関係について話した。



 *   警備業界懇親会


 大河原取締役が

 「明日の懇親会、いよいよ内野社長と初見ですね。取締役を見たらどんな顔をするでしょうね」

 「驚くでしょうね、こんな年寄りだったとは」


 二人で大笑いした、そう明日は年1回の警備業界懇親会。特に自見は皆の注目の的となるだろう。バルザック内野社長がどのような形で接触して来るか、見物だろう。互いに腹の探り合いになることは必至だ。しかし、プライドが高い分、自分から寄って来ることはない。


 しかし、その予想は外れた。座が賑やかに成り始めた時、内野社長が眼光鋭い偉丈夫と大同警備の卓を訪れた。大同社長と軽く挨拶を交わしたあと、内野社長は

 「自見さんですね、内野です」と

 これには、流石の自見も驚いた。当然此方から挨拶に向かおうと準備していた矢先の先制攻撃、そして傍らには自分を射るような男が。


 「自見です、ご挨拶が遅れまして誠に恐縮です」

 「否、自見さんには色々手ほどきを受け、私も目から鱗です。なるべくお手柔らかにお願いします、あはは」


 内野社長は席に戻ると、

 「顧問、どうです」

 「隙がないですね、容易ならざる相手ですね」


 一方大同警備も

 「社長、内野社長は本気ですね」と大河原が

 「そうですね、厳しい戦いとなるでしょう、自見取締役」

 「あの三鬼顧問は、綽名が剃刀と聞いていましたが、鉈です」

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自見耕助の歩いた道 取締役就任 伊眉我 旬 @03haru

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