第30話:社会が教えられること ⑦

 私はこれらの事件の背景に“幼少期からの親子関係”や“社会的要因”が関係していると感じている。


 その理由として、まず“幼少期からの親子関係”に関して考えてみたい。


 現在は家族形態がかなり複雑になっている家庭や家族形態は一見普通でも単身赴任や共働きといった子供とのコミュニケーションが十分に取れていない家庭も増えていると感じる。


 そうなると、子供たちは「両親は外に働きに行っているから、余計な心配をさせたくない」という心理が働きやすくなることや幼少期に夫婦喧嘩などを目撃している子供の場合、両親に心配をかけたくないために自分自身に何かトラブルがあったとしても相談出来ず、我慢する可能性があるのだ。


 現在はいじめの場合は“いじめ防止法”という法律が施行されたことで教育委員会への報告が義務化されているが、両親に伝えるかどうかも学校判断や教員判断になっている事も多く、子供にとってはどう対応することが良いのか分からないという現状もある。


 これらのジレンマがいじめをエスカレートさせてしまう要因や発見が遅れてしまい、手遅れになっていた事例や発生ケースも少なくない。


 では、なぜこういう心理が働くのか?


 これはあくまで私見だが、“幼少期からの親のしつけと受けてきた教育”・“子供たちの価値観形成過程における解釈基準“などが挙げられると思う。


 そう感じる理由として、幼少期から全員が同じ環境で育っているわけではないため、子供たちの感受性が十分に拡大していない事や親から正しいと言われてきた情報と実際に起きたときに知った情報が異なっているもしくは解釈のずれが生じているなど自分の未体験・未経験の情報との整合性で詰まってしまうことでトラブルが起きる可能性へと発展し、そこから自分の意見と相手の意見をぶつけることでお互いの立場を主張し、お互いがお互いに服従するまで追い詰めようとするのだろう。


 私はこの時に“なぜ、この行動を取るのか?”を大人の立場でかつ第三者として考え、分析しておく必要があると思う。


 なぜなら、このようになる背景に“両親の家庭内における序列”・“親戚などとの関係”・“近所における各家庭間のパワーバランス”など家族や親戚などの身近な人から地域に住んでいる人まで幅広い人間関係が起因しているケースも少なくないのだ。


 社会というのは教えることと教わることが共存している場所であり、社会が人を創っていく存在でもあるのだと思う。


 次に“社会的要因”に関して考えてみたい。


 現在は社会という基本的な基準が設けられており、その基準に則って物事を判断する事や法律など社会構造を安定的に構築するために必要なルールも存在している。


 しかしながら、日本というのは社会の価値観と違う価値観を持っている人を排除しようとする動きが強くなる事がある。


 例えば、年功序列などの社会的優越性や社会的地位に関する価値観に対して社会では“これは正しい”という価値観を持っている人が大多数だが、ごくまれに違った意見を持っている人や正しいと言われてきたことが大人になってから違和感を覚える人など精神発達における成長がもたらす新たな視点に関しても年長者が正しいと言ったことに対して服従するというのが日本の基本的な社会通念であり、社会における概念としての観点からも重要視される部分だ。


 それゆえに年長者の価値観をそのまま容認させることは時代における企業成長や社会成長に繋がらなくなるということを示している。


 また、以前からの社会体質がそのまま現代にも色濃く残り、見直すべき価値観がそのまま定着していることで、新しい価値観を社会に取り入れることが困難になり、新しい価値観を持っている人が社会などで自分の価値観を表現することが難しいだけでなく、仮に表現するには本人の努力で自信が有名になるなどして社会的影響力を手に入れなくてはいけない。

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なぜ悲劇は繰り返されるのか?~他責思考が創る未来~ NOTTI @masa_notti

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