脱学校的人間(新編集版)〈31〉

 そもそも教育が意図するところを遍く普及させるためには、一定の整った環境がなければならない。逆に言えば、そのような環境がなければ教育なるものは成立しえない。学校という具体的な社会的構成体は、まさにそういったような発想にもとづいて設計されていると考えられる。そしてそのような発想はまた、「教育が成立しえない環境においては、人として学ぶ機会も奪われている」といったような発想にもつながっていく。

 たとえば内田樹は、「世界には戦争や災害で学ぶ機会そのものを奪われている子どもたちが無数におり、他のいかなることよりも教育を受ける機会を切望している数億の子どもたちが世界中に存在する」(※1)のだと主張する。

 さらに、子どもたちが教育の機会を奪われているのは、何よりもまず「親からの収奪」が原因なのであるというようにも内田は言っている(※2)。そして、教育において親という存在はむしろ邪魔なものでしかなく、「親がなくとも教育には何の支障もないし、そればかりか近代公教育について言えば学校の歴史的使命は、親から子どもを守ることにあった」(※3)とする。

 教育を受ける権利が子どもに保障されるようになったのも(※4)、親が子どもに教育を受けさせる義務が発生するようになったのも(※5)、いずれにせよそれは「子どもたちを親による収奪から守るため」(※6)であったのだ、親が私的に自らの利益のため、子どもたちをあたかも我が私有物であるかのようにして、自らの意のままに利用し収奪するような蛮行を防ぐため、子どもたちは「社会的に」かつ「社会によって」親から守られ、保護されなければならない、それが「教育」の、ひいては「学校」の使命なのだ、というのが内田が主張する論旨である。


 ところで、「大人による、子どもからの収奪」とは一体どのようになされるものなのか?

 それは「労働の強制」によってなされるのだ、と内田は言う。

 彼はまず、「産業革命以来、子どもたちは労働力として消耗品に近い扱いを受けていた」(※7)とし、その上で「子どもたちは、その意に反して大人たちから無理やりに働かされているのだ」と、そういった強要的な児童労働を成り立たせている「一定の社会的環境」を批判する。

 しかし一方で内田は、別のところではこのようにも言っている。

「…近代までヨーロッパでは貧しい階層の親たちが子どもを幼児期から労働力として使役するのが当然だった…。」(※8)

 「近代まで」労働力として使役させられていたはずの子どもたちが、まさに「近代以後であるはず」の産業革命を経た後、あたかも消耗品のように労働力として扱われるようになったとする、この議論の矛盾については、しかしここであえて揚げ足をとるつもりはない。「教育者の立場」から見れば、子どもというものは近代までであろうと産業革命以来であろうと、歴史的にも現実的にも断絶などというものはないのだ、ということなのであろう。たしかにそのような立場の視点から見れば、結局のところ「どちらでも同じであるかのように見えてこざるをえない」わけである。

 ただし、もし「近代まで」と「産業革命以来」という区分をあえてつけるというのであれば、そこに見出されるはずの「子どもの労働」は、明らかにその間で意味を変えていることを見逃すべきではないだろう。むしろ割合に「決定的な断絶」がそこにはあったのだと言っていい。そしてそのことは実に、上記の内田によるそれぞれの言葉からも読み取れるものなのである。


〈つづく〉

 

◎引用・参照

※1 内田樹「下流志向」

※2 内田樹「街場の教育論」

※3 内田樹「街場の教育論」

※4 内田樹「下流志向」

※5 内田樹「街場の教育論」

※6 内田樹「街場の教育論」

※7 内田樹「街場の教育論」

※8 内田樹「下流志向」


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