自害×ワガママ

 夢とうつつの狭間、俺はこの時間が嫌いだった。

 眠るのは怖いし、起きているのは辛い。その両方だなんて気分が悪い。


 起きて何か食おうかとも思ったが、飯を食うのが嫌いだ。柔らかいものは気持ち悪いし、固いものは顎が疲れる。味が濃ければ不快だし、薄いは薄いでつまらない。


 人が嫌いだ。うるさく、面倒で、手間ばかりがかかる。構っても構わなくても面倒なんて、やっていられるかと思ってしまう。


 春が嫌いだ。浮かれた人間が増えて、否応なく周りの環境が変化していく。

 夏が嫌いだ。暑さは耐え難く、薄着ではしゃいでいる人間は小汚い獣のようだから。

 秋が嫌いだ。枯れ落ちていく葉も、生き延びようともがく虫も。

 冬も嫌いだ。寒いし何もないし、雪が降ったら歩きにくい。


 だいたい何もかもが嫌いで、不快なものばかりだ。

 歩くのも寝るのも走るのも立つのも座るのも嫌いで、テレビもネットも現実も見ていて疲れるから嫌いだ。


 学校は面倒で、何もかもがつまらないから嫌いだ。

 晴れが嫌いだ、曇りが嫌いだ、雨が嫌いだ、風が嫌いだ。


 初が好きだ。初のくれたビー玉と、タクシーの運転手の山本さんのロックが好きだ。

 ミナはついつい甘やかしてしまうし、ウドはなんとなく頼ってしまう。

 ツツの言ってることはよく分かるし、星野の言ってることはよく分からない。


 ほんの少し視界に入るものに嫌いじゃないものが増えてきた。


 幸せだ。今、きっと、俺は幸せだ。

 微笑んでいると初が「んぅ」とこちらを向いて、薄く目を開けると顰めていた表情を柔らかいものに変える。


「あ、兄さんだ、えへへ」

「起きたのか」


 俺が声をかけるが初からの返事はなく、幸せそうに笑むだけだ。きっとまだ夢の中にいるのだろうと思い、頭を撫でてから体を起こす。


「あれ、ヨクくん起きるの?」

「ああ、初も平気そうだしな」

「ヨクくんも初ちゃんと添い寝したいものかと思ってた。そういえば、一昨日も初ちゃんが潜り込んでたね」


 ベッドの縁に腰掛けながら伸びをする。


「まぁ、俺の方からってわけにはいきませんから」

「……なんで?」


 新子は体を起こしながら心底不思議そうな声を出す。


「いや……まぁ、歳上の男ですし、それに……」

「それに?」

「いつか、初が俺を必要としない時が来るでしょうから。その時、俺から抱きしめたら、初の負担になるでしょう」


 ゆっくり立ち上がり、それから近くに置いていた財布を手に取る。


「下の自動販売機で飲み物でも買おうかと思いますけど何か要りますか?」

「……ヨクくんさ、初ちゃんはヨクくんのことが好きなんだよ」

「知ってますよ。気持ちは伝え合いましたし」

「……その、別れる時のことを考えて行動するって、初ちゃんが可哀想だよ」

「いや、初のためですよ。初がずっと、俺のことを好きでい続けてくれるなんてないでしょうし、いずれは嫌になると思います。そのとき、俺は初に縋りつかないようにしないといけないので」


 ポケットからビー玉を取り出してそれを眺める。

 新子はそんな俺の方を見て、酷く悲しそうな表情を浮かべた。


「……嫌いになられたら、どうするの?」

「そのとき、初が安全だったら……俺が必要なさそうだったら、まぁ、去りますよ」

「去るって……どこに?」

「まあ、どこかに」


 話はこれぐらいでいいだろうかと思ってそのまま向かおうとすると、新子も急いで立ち上がって部屋着の上に上着を羽織る。


 ついてくるのか、と、思って二人で部屋から出ると、新子はゆっくりと真剣そうな声を出す。


「ヨクくん、探索者のスキルは、願いと人格に強い影響を受けて出来るの」

「ああ、なんとなく気がついてます」

「だから、師匠として聞きたいんだけどさ」


 新子の小さな手が、俺の手を握りしめる。それから新子は同じ質問を繰り返した。


「……去るって、どこに?」


 師匠として……というのは、俺が誤魔化せないようにするための方便だろう。明らかに師匠として授業のためではなく、心配だから本心を聞きたいという様子だ。


 俺は一瞬誤魔化そうとして、誤魔化してもすぐにバレるだろうことに気がついて新子から目を逸らして口を開く。


「まぁ、初にとって俺が必要なさそうになったら、見つからなさそうなところにいって死ぬよ」


 一瞬、新子の呼吸が引き攣ったようなものになり、グッと俺の手を握って続きの言葉を促す。


「なんでか、聞いていい?」

「修行の一環なんでしょう、ちゃんと答えますよ。……「フラれたら悲しくて死んじゃう」みたいな話じゃなくてですね、元々死ぬつもりだったんですよ、俺。今まで生きていたのは、預かってる子供が自殺なんかしたら、世話になってる叔父とか叔母の評判に傷つくでしょうから、保護から外れて数年したら死のうと」


 新子は何も言わない。けれども少し感情的になっているのか、俺の手を握る力は強くなっていた。


「だから、初に必要とされなくなって、叔父や叔母に迷惑をかけない状況になったら……当初の予定通り、と」

「……生きたいと思わないの? 新しい彼女作ったり」

「思わないですね。まぁ、初の研究とかもあるんで俺が必要なくなるのは遠い未来ですよ。これでも優秀なんで、よほどじゃない限りは俺は役に立ちますし」

「フラれないかもじゃん」

「それが一番嬉しいな。まぁ、フラれないように頑張りますよ」


 新子は、ゆっくり、ゆっくりと下手な人が編み物をするかのように慎重に言葉を発していく。


「あ、えっと、その……うん、ヨクくんは、自分のことが大切じゃないんだね」

「……他の人がどれくらい自分を大切にしてるか分からないですけど、ちゃんと死なないようにはしてますよ」

「……その答えが、証拠みたいになっちゃってるよ。そっか、だから……別れた時のことを考えて、自分からスキンシップは積極的にはしない……と」

「まぁそうですね」


 新子は俺と指を絡ませていき、甘やかすように親指の先で俺の手の甲を撫でる。


「……ヨクくん、その時はさ、私が初ちゃんの代わりになるよ。だから、もっと……初ちゃんとさ、ちゃんと接しなよ」

「……ちゃんと接してるつもりですけど」

「人と人との関わりって、ワガママ言って、ワガママを聞いて、すり合わせていくんだよ。初ちゃんに「別れたくない」って縋りついてもいいし「えっちなことしたい」って頼み込んでもいい」

「……初が別れたい時に別れて、何かをしたい時にしてあげるのが、初にとって一番でしょう」

「……初ちゃんにワガママ言われるの、ヨクくん好きでしょ。初ちゃんも同じだよ」


 そんなものだろうか。家族も恋人も、初めてのことなのでよく分からない。


「……あと、初の代わりになるって?」

「死ぬなら、私のために生きていてほしいってこと」


 …………実質的にプロポーズされた気がする。いや、初とは別れないように頑張るので、仮に結婚しようという意味でも関係ないが。


「不老不死をやめたがってるのに、人が死ぬのは嫌なんですね」

「……まぁ、ワガママなものだよ。私はいつか死ねるようになりたいけど、他の人が死ぬのは悲しいな。大切な人ならなおさら」


 大切なんて……俺なんて会ったばかりの人だろうに。今すぐ死んだとしても気にするほどでもない関係だろう。


 ……まぁでも、フラれてしまったときに、何もない状況で死ぬのよりかは、そちらの方が幾分かいい気はする。

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