絶望×弱体化
初を追って荒れたアスファルトを踏み砕くように走る間に、嫌な予感は徐々に現実へと近づいていき、家の近くにきたときには避けようもないほどの現実がそこで燃えていた。
夜の暗さも、春風の寒さもそこにはなかった。
パチリ、と、木材が爆ぜる音が聞こえる。パチリ、と、プラスチックの何かが燃える音が、バキリと、家が崩れる音が、聞こえる。聞こえてしまう。
俺にも、初にも。
初は、自分の家が好きだった。俺のような怪しい奴を住まわせてでも離れたくないと思うほど、家の中で思い出を語るときには自然と笑みが溢れるほど。
母も父もなくし、天涯孤独の身となった彼女に残された両親との思い出の詰まった家が、彼女が人生のほとんどを過ごしたそこが、彼女に残された唯一の場所が、赤い炎に蝕まれていた。
呆然と立ち尽くしながらも、どこか冷徹な俺の頭が火の勢いの強さから油が撒かれていることを察する。
炎の光に照らされた初は、赤い炎に照らされているのに青白くした顔色でふらりと炎へと近づこうとして、俺は無理矢理その手を掴んで止める。
「っ! 初っ! やめろ、危ない!」
「……あ、やだ……だって、あそこ……お父さんと、お母さんが……」
「落ち着け! 無理だろうけど、落ち着け!」
「だ、だって……お父さんとお母さんの骨……まだ、家に……なく、なっちゃう……」
「っ……」
回収は……無理だ。もう火の手はまわりきっていて、とてもではないが中に入れるような状態ではない。
よほど丁寧に油を撒かれたのか酷い燃え方だ。
もし今から回収出来たとしても、中の骨壷なんて跡形も残っていないだろう。
だが……そんな「正しい判断」を俺が下していいのか。親の大切さも理解出来ない俺が一方的に説き伏せていいなんて理屈があるのか。
「や、だ! やだ! いやだ!! いやぁ! もう、なんで、なんで……全部、全部……なくなって!」
「っ……初っ! やめろ! 死ぬぞ!」
纏まらない頭の中、ただ初に怪我をさせてはならないという思いのまま抱きしめて燃え盛っている家に近づけないようにする。
「っ! なんで、なんで……」
俺の腕の中で暴れていた初は、抵抗することにすら疲れたようにへなへなとその場に座り込む。
初は赤い炎を幼い瞳に映して、何もかもを絶望したように目を開いたまま涙を溢す。
俺がいる。などと……安易に言えるはずがない。
会ったばかりの血の繋がりもない兄が、父や母や彼女の居場所に代われるなどと、口に出来るはずがない。
……俺は、無力だ。何も出来ない。初を守ると決めたばかり、そのすぐ後に彼女の心は炎に侵された。
煙と灰が風に流されて、舌先に気色の悪い味としてへばりつく。
それでも、初の身体を抱きしめてやらなければ、道理がなくとも無力でも無理矢理抱きしめなければ、今にも自分を薪に焼べてしまいそうだった。
「……俺が、いるから」
炎の前だというのに、薄ら寒くなるような薄くて軽くてつまらない言葉を吐き出す。何の価値もないなんて、自分自身にすら分かっている言葉を無理矢理に絞り出す。
「初には俺がいる。俺が……いる。だから、その……大……丈夫、だ」
馬鹿な言葉は途切れ途切れになって、言った側からその言葉の軽薄さに後悔していく。俺がいるからなんだ、何が大丈夫なんだ、と、自分の言葉を自分で否定しながら、それでも馬鹿みたいに寒々しいセリフを吐き出していく。
「これから、きっといいことがある。俺が幸せにする。何がなんでも命を賭して君を幸せにするから……。そっちに……行こうとしないでくれ」
初からの返事はない。ただ呆然と炎を見て、心が壊れたように涙を落としていくだけだ。
……この時、俺は火事という異常な事態と、初の心配のせいで何一つとして頭が働いていなかった。
いつもなら「なんでアイツらが放火したのか」程度のことはすぐに考えて「俺たちを炙り出すため」という至極単純な答えぐらい簡単に導き出せるはずだった。
そんなことも考えられないほど、冷静さを欠いていた。
視界の端に何か高速でこちらに向かってくる物体の影を捉えた瞬間、俺の頭は危機に反応して初を地面に押し倒して物体を避ける。
「っ……!」
コンクリートの破片が地面に転がる。遅れて足音が響き、先程に比べて明らかに不機嫌そうな柳下が姿を見せる。
「ッ……お前、何をやったか分かってんのかッ!!」
「……本意ではない」
それは放火をしたのは自分達であるという告白に他ならない言葉だ。燃えたぎる炎よりも熱い怒りが腹から沸騰して溢れ出そうになるが、初が俺の手を掴んでいることで罵倒しようとした言葉が止まり、荒い息だけが吐き出される。
柳下はギリッと歯を噛み締めて、もう一度口を開く。
「……本意では、ない」
「んな……ことを聞いていると思っているのか!? こんなことをやらかしといて、言い訳をして!」
「ッ……なすべきことがある。手段を選べるほど、俺も、九魔三頭も強くねえんだよ」
柳下は言い訳を重ねて、自身の頭をぐしゃぐしゃと両手で掻きむしってから呆然としたままの初に目を向ける。
「ッああ! クソ! クソ! クソクソクソがっ!! 終わらせる! 終わらせるから……! だから、かかってこいよ!!」
「ッ……自分がやったことに苦しむならやるんじゃねえよ!!」
初を庇いながら立ち上がるが、初は動こうとしない。
「初、逃げるぞ」
「……もう、いいです」
「っ……よくないだろ! 逃げるぞ!」
「……もう、いいですよ。なんでも」
いくら初が軽いと言っても初を背負って逃げられるはずはない。けれども初を説得する言葉なんて持ち合わせていない。
「っ……初、悪い」
無理矢理抱きかかえて路地裏に飛び込み、急いでスマホで人工迷宮のURLを打ち込んで初の手に握らせる。
「初、少しの間……少しの間だけ、待っていてくれ。初は、俺が……守るから」
無理矢理人工迷宮に初を送って、それから追ってきた柳下を見る。
「……妹を逃したか」
「ああ」
「追うつもりはない」
ああ、柳下には今の瞬間を見られずに済んだようだ。おそらく今路地裏を走っていると勘違いしているのだろう。
ゆっくりと身体を起こして柳下を見る。悔しそうな表情はただただ不快だった。
「……頭が、おかしくなりそうだ。初を巻き込むわけにいかないから……必死に、必死に、耐えていたが……ああ、もう我慢できる気がしない」
「……ああ、来──!?」
一瞬で数メートルの距離を詰めた俺の脚が柳下の腹に突き刺さるような蹴りを叩き込む。
まるでボールのように柳下の体が吹っ飛んで地面に転がるが、けれども【
「ッッッ!?!? はあ!? 見えなかった!?」
……今は加減してやる気分には、到底なれなかった。
柳下は困惑の声をあげながら俺を見る。
「……お前のスキルは「攻撃を拘束に変える」……だよな? ああ、これ、ONOFFが効かないのか、はは、お前にスキルがなかったら、一瞬でノックアウトだったな」
何が面白いのか柳下は笑いながら、炎を光源として自分のスキルを発動させて、現れた影に鎖を壊させようとする。
「……自分が弱体化するスキルなんて、そんな馬鹿げたスキルは初めて見た。はは、いや、何もかも……めちゃくちゃだ」
弱体化するスキル……ああ、そうだな、俺のスキルは「俺を弱くするスキル」だ。
そして願いに関連してスキルを得るのだから……そのような自己弱体化スキルなんてものは滅多に発生しないのだろう。
まぁそれでも、弱くなっても……こいつらぐらいならいくらでも仕留められる。
俺は柳下の後を追ってきたらしい奴らを見て、そう思った。
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