覗き×挨拶

 小中学生と高校生で別れている。というよりも、高校生である一人が受験生のために集中出来る環境を作っているというのが正しいのだろう。


 子供の声で騒がしい教室の前に立ち、ミナに窓越しに手を振られながら教室の中に呼ばれるのを待つ。


「あー、静かに、静かにー。この前に言ってた西郷のお兄さんが引っ越してきましたー。おい、そこ、静かにー、宿題増やすぞ。受験生で忙しいからあんまり邪魔をしないようにな。おーい、西郷、入ってくれー」


 教室に入る俺にミナがバタバタと手を振って、それに軽く振り返しながら教室の前に立つ。

 生徒たちは当然ながらかなり幼く年齢幅がある。これでここにいる子供全員か……などと思いながら、特に緊張などもなく口を開く。


「どうも、西郷良九です。紹介された通り、そこの初の兄で今日から一年間共に学ばさせていただきます。どうぞよろしくお願いします」


 敬語を使うべきかタメ口でいくべきか迷ったが、初の手前あまり雑にしたくなかったので敬語で名乗ったあと、ぴょこぴょこと跳ねるミナに「ちゃんと座れよ」と声をかける。


 それから初の方に目を向けると、あまり興味なさげにこちらを一瞥したあと教科書とノートを取り出していた。


「んじゃ、西郷、3階の3-1の部屋に高校生のクラスがあるからそこに行っていてくれ。普段の授業とかに関してはそこにいる北枕に聞いてくれ。基本自習だが」

「はい。分かりました」


 とは言っても参考書などは持ってきていないので自習と言われてもやれることはないな……。出席日数は誤魔化してくれるらしいし、挨拶したら帰ってもいいかもな。

 いや、流石に初日はいた方がいいだろうか。


 ダラダラと階段を登り、扉に貼られた『3-1』の貼り紙を見て扉に手をかける。廊下との窓にはカーテンがかかっていて中の様子が窺えないことを怪訝に思いながら中に入ると、ひとりの少女と目が合い彼女は「あっ」と口にする。


 机の上に置かれたジャージのズボン。

 ピンク色の下着しか履いていない下半身が教室の照明に照らされていて、上半身もジッパーが開けられているせいで下とお揃いのピンクの下着が胸を支えているのがよく見えた。


 混乱と思考の停止の数秒後、少女はパッと前を押さえて「きゃあっ」と高い声をあげる。


「わ、悪い。着替え中だとは……」と慌てながら謝ると少女は近くにあったジャージのズボンを俺になげて、俺の顔にボスンっと音を立ててぶつかる。


 そのままのけぞるようにして教室から出て、顔に張り付いていたジャージを取る。


「の、覗き!? と、というか誰!? 不審者!?」

「いや……転校生……」

「転校生……? あ、そう言えば先生がこの前言ってたような……。て、転校早々に覗きとはなかなかロックだね」


 ジッパーを引き上げるジジジという音を鳴らしながら女子生徒はそう言い、小さく扉を開けて俺の方に手を伸ばす。


「ず、ズボン返して……」

「ん、ああ……はい」


 見ないようにしながらズボンを頭の後ろに回すと女子生徒は「もうちょっとこっちにー」と言い、俺が手を動かすと「違う違う、こっち」と否定する。


 指示に従って渡そうとするが、見えないとどうにも要領が得ずふたりしてバタバタと動いていく。


「あー、もうこっちだってー!」


 と、女子生徒が言って必死に手を伸ばしたところで、彼女が体の支えにしていたらしい扉がガタッと揺れる音を立てた。


「っ! わわっ!」


 瞬時に振り返ってこけかけた女子生徒の身体を抱き止めて支える。


「っと、危ないな。大丈夫か?」

「あ、ありがと……って、わわっ!」


 女子生徒は俺にお礼を言った後、こけそうになっていた身体を起こそうとするが、自分がまだ着替え終わっていないことに気がついてジャージの裾をギュッと引っ張って下着を隠す。


 羞恥で赤らんだ顔を俺に向けて、足元をモジモジとさせながら「ジャージ返して」と口にする。


「あー、おう」


 ジャージを手渡すと彼女は恥ずかしそうに片手で受け取って教室の方に戻り扉を閉めた。

 少し衣ずれの音がしたかと思うと再び扉が開き、服をしっかりと着た彼女が赤くした顔を覗かせる。


「もう入っていいよ」

「あー、おう」


 再び教室に入ると、学校の教室という場所には似つかわしくない戸棚や冷蔵庫が見える。それどころか端の方の一角には畳が敷かれていてこたつが堂々と鎮座していた。


 他にも電気ケトルがあったりとどうにも生活感が見て取れ、教室らしさがない。


「それで……覗き君は転校生だっけ?」

「覗きじゃない。ああ、西郷良九だ。よろしく」

「西郷?」

「ああ、中学生の初は妹だ」


 女子生徒は少し気まずそうな表情を浮かべてから「そっか、はっちゃんのお兄さんなんだ」と口にして微笑む。


「でも、はっちゃんみたいなお人形さんみたいな美少女のお兄さんにしては……なんというか……こう、普通だね」

「普通で悪かったな……」


 まぁ血の繋がりがないし、容姿が似ているはずがない。


「いや、普通というよりも……スケベそう?」

「それ覗きに引っ張られた感想だろ。いや覗きはしてないけど」

「あっ、私は北枕きたまくら 小夜さやだよ。えっと、今、高校三年生。えーっと、ヨクくんは?」

「同い年だな」

「はー、受験とか大変な時期に引っ越してきたね。あ、こたつ使う? 四月だけどまだ肌寒いでしょ」


 言われるままコタツに入ると、北枕は電気ケトルからお湯を出してコーヒーを淹れて俺の前に置く。

 さっき飲んだばかりだが……まぁせっかく出されたのでもらっておくと、北枕はこたつの上に乗っていた勉強道具をしまいながらこたつに潜り込み、わざとらしく脚をつついてくる。


「いつ引っ越してきたの? どこからきたの?」

「昨日。色んなところを転々としてきたな。家庭の関係で」

「へー、転勤族?」

「まぁ似たようなものだ。多分受験が終わるまではここにいるけど」

「へー、私もひとりだと寂しかったから嬉しいな。ヨクくんもこんな美人とふたりで勉強出来てラッキーだねー」


 北枕はからかうような笑みを浮かべて「にひひ」と声を出す。ぱっちりとした瞳や人懐こい笑み、それに白い肌と整った顔立ち、化粧っ気などはないけれど美人であるのは間違いない。


 可愛らしいピンク色の下着のことを思い出して気まずく思っていると、北枕は顔を赤らめてじとりと俺を見る。


「何その顔は……文句あるのー? まぁそりゃあんなに可愛い妹がいたら私なんて変なのにしか見えないよねー」

「いや、可愛いとは思うぞ。ただ初対面であんまり容姿を褒めるものでもないかと思って」


 コーヒーを飲みつつそう返事をすると、北枕は少し顔を赤らめて「そ、そっか」と照れたように口にする。

 これからかなり長い期間ふたりきりと思うと少し気まずいな……。まぁ、三日もすれば慣れるか。

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