最終話 特急
気づいたら、私は特急列車に乗って、どこかへ向かっていました。どこに向かっているかはよくわかりません。
ドアの開く音がして、車掌さんが来たのかと思い目を遣ると、しかしそこにいたのは司でした。
司は私の隣の席に座ると、
「特急券買った?」と聞いてきました。
私が首を横に振ると、
「俺もなんだけど、これってキセルになるのか?」とさらに質問してきました。
「知らないけど、車掌さんが来たときに買えばいいんじゃないの?」
「そうなのか……」
「多分だけど……」
特急列車はカーブにさしかかり、スピードを落して、それにともない、がたん、がたんと車両が揺れました。
「これって俺の勝ちってことでいいんだよな」
「勝ち? 何が?」
「今夜、理絵を捕まえたのは俺だ。だから俺の勝ち」
「そういうルールだったっけ?」
「でも、あいつはここにいないだろ。俺はいる。だから俺の勝ち」
「そうなのかなあ……」
がたん、ごとんと揺れています。
「なんで私がこの特急に乗ってるのがわかったの?」
「……ごにょ」
「は?」
「……ごにょにょ」
「何、聞こえない」
「……理絵は逃げるような気がしたから尾行した」
「うわあ……尾行とかちょっとキモイ、いや、怖い」
「でも正解だったろ。男からぐいぐいと体の関係を迫られるの、理絵は嫌いなの知ってるから」
「うん……」
「婚活の勉強しているとき、本に相手の気持ちを考えましょうって書いてあったんだ。実際に婚活相手から言われたこともあった。それで改めて理絵の気持ちを考えてみたら、いままで俺は理絵のことが見えてなかったんだって気づいたんだ。文句を言われても聞こえてなかった」
「それはまあ、ね。サプライズ的に人と会わせられるのは嫌だって幾ら言っても聞いてくれなかったもん」
「悪かった……。俺が悪かったってことがやっとわかった」
「うん」
「だからさ」
「?」
「もう一度やり直したい。俺と、もう1回結婚してほしい」
イケメンが板に付いてきた夫にそんなことを言われて、正直ちょっとどきっとしてしまいます。
「本当のことを言うと、俺は離婚したくなかったし、婚活していても理絵のほうが気になって仕方がなかった」
「司……」
「ずっと一緒にいてほしい。みんなに自慢したいって思えるような女はほかにはいない。もちろんもう自慢したりはしないって約束する。だから夫婦に戻ろう」
そのとき車内に車掌のアナウンスが響きました。
「ただいま強風のため徐行中です」
列車はかたん、かたんと軽い音を立てて、スピードを落していきました。
「……そんなの、すぐに答えは出せない。まだ司の信用ってそんなに回復してないから」
司は信じられない! という顔をしました。
「いやいやいや、待って待って、これまでに信用回復ポイントってなかったよ?」
「……あったと思うんだが……」
「ないない」
「うーん……。ああ、一つ思い出した」
「何?」
「……してない。ずっと一緒に暮らしているけど手を出してない」
それはつまりその、セックスレスのことでしょう。
「理絵の気持ちを尊重して、俺がしたいときも我慢した。こんなに信用できる男はいないだろ!」
すごい力説されましたが……。まあ、確かにそこはねえ……。うーん。でもそうじゃないような。私はセックスレスを受け入れてくれる信用できない夫が良いのではなくて、セックスしたくなるぐらい信用できる夫がいいんだけど。でも無理にしようとしなかったのはたしかに優しさだろうし。離婚後も一緒に暮らしていて、司に襲われるかもしれないなんて考えたこともなくて、それは信用なのかもしれません。
司は婚活の勉強をして、相手のことを思いやる気持ちの大切さに気づいたらしいですが、私も司の気持ちをもうちょっと考えるべきだったのかもしれません。
――
その後。
三井さんとは距離ができてしまいましたが、かといって気まずくなることもありませんでした。きっと三井さんが配慮してくださっているからでしょう。プライベートで会うことはなくなりましたが、社内で会うとにっこり微笑んでくれて、たまに雑談をします。そのたびに司とのことを聞かれるのですが、私はうまく答えることができません。なぜなら二人の関係は、相変わらずだからです。
いや、だってね? なんか特急列車の中で良い雰囲気になったから流されかけたけど、一度は離婚までいった関係ですからね。そう簡単には元サヤってならないもんですよ?
でもまあ、彼氏候補予備軍ぐらいの感じで一緒に暮らして、休日は一緒に出かけたりしています。歩く速度とか食事のペースとか、一応合わせてくれようとしてはいますが。うーん。これって今だけなんじゃないのかな……という気もします。結婚したらまた戻るのでは? 嘘をついて人と会わせようとすることもなくなりましたが、これはただ単に自慢する相手がもういないだけかもとも思ったり。
いつかまた司のことを信じられる日もくるかもしれないけれど、今まだ……。だけど半年以内には答えを出したいと思います。子供も欲しいわけだし、あんまり悠長にもしてられません。
――
追記。
あれから半年が経ちました。いろいろありまして、今は三井さんと司と私の3人で同居しています。おかしい……ほんとおかしい……。どうなってんのこれ……。経緯をざっくりと説明しますと、一時期、私と三井さんが急接近して同棲を始めたところ、例の契約書を持った司が押しかけてきて……という流れになります。いまでは3人暮らしもすっかり慣れて、三井さんが家賃を負担してくれて、私と司が光熱水費等、そして家事は主に司がやっています。ちなみに肉体関係は誰ともないです。何かできるわけがないです、この状況では。もうホント何なんですかね、これ……。
――
さらに追記。
あれから2年がすぎました。私は再婚し、出産しました。子供がずっと欲しかったから、ほんとうに嬉しかったです。え、再婚相手は誰かって? もちろん司です。やっと信用が回復しました。ここまで長かったあ。三井さんとは同居解消しています。そうじゃないとおかしい……。というか、今までがおかしかった……。
以上で、私が夫と離婚して再婚するまでの話はおしまいです。なんか結局のろけ話になっちゃったような? 離婚したときは本当に悩んだし悲しい思いをしたんですけどね。
最後までお付き合いいただきましてありがとうございました!
<おわり>
嘘つき夫の改心~ついでに脱モッサリ ゴオルド @hasupalen
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます