幕間 眠れる令嬢は赤い月に何を想う


 漆葉達が廃工場にて吸血鬼と対峙していた時と並行して、赤い月を眺めていた妖魔が一人。


「あら……?」


 繋がっていた血の感覚が途絶えた。

 どうやらキョウコは、手筈通り案内してくれたよう。門番がわりに濃いめの血を入れた者を用意したはずですが……人狼を討った彼女には物足りなかったかもしれませんね。


 すべて、順調。

 流石に満月園ここへ栞を狙って来た時は肝を冷やしましたけれど。

 空を眺めていると、背後からよく知る少年がやって来る。


「先生……怪我してるんだから早く休んでください」

「樹様、お身体は大丈夫?」

「そうやって人の心配してさぁ……おれはほら、殻装キャラペイサーのおかげでピンピンしてますって!」


 打撲程度で済んだのは科学の賜物だろう。量産化の出資に協力して正解だった。こうして少年を守れたのであればいくら掛かっても安いもの。


「だから先生、もう今日は休みなって。あとは土地神のおれと、対策課のみんなで見張っときますから」

「ふふ……では、お言葉に甘えて。おやすみなさい」


 まだ未熟。現場を放り出して身内を優先した判断は子供だ。それでも時間を稼いだことには感謝している。

 

 本当に……噛むのを我慢していて良かった。


 施設内は灰野──兵牙コウジの影響で一部破損したが、寝泊まりするには問題ない。本来の居室の扉をゆっくりと小さく開ける。子供達は疲れてしまったのか、ぐっすり眠っている。血は繋がっていないけれど、私にとっては家族同然だ。誰も犠牲とならなくて良かった。


 全員の寝顔を見て回った後、自室へ。簡素なデスクとパソコン、そしてベッド……最低限の仕事と睡眠をとるだけの部屋も、最近はあまり使っていないが埃はついていない。わざわざこの部屋まで掃除しなくても良いというのに…………


人間ヒトは本当、お世話好きですわね……」


 いつの時代も、彼ら彼女らは優しい。

 忌み嫌っていた日の光と似ていて、けれど嫌いにはなれない。同じ見た目をした、異なる種族の存在は私にとって眩しい存在。


 カーテンから覗く赤い月。

 私にとっては、こちらの方がなじみ深いですけれど……やはり……


『えー、宝石みたいで綺麗だけどな~』


 いつの日か、対等と思えた少女はそんなことを言ってくれた。それはこの園の子たちが私を見た時と同じ、純粋な眼差し。

 

「ふふ……やっぱりヒトは、面白いですわね」


 昔はつまらないモノだと思ってましたけれど、同胞たちが言うほど悪いものじゃない気がします。でもどちらが上かとするならそれは――


 不意に二回、ドアが小さく叩かれる。警戒する必要はない。「どうぞ」と静かに呟くと、そこにいたのは……


「栞…………どうかしたのかしら?」

「あ、うん……ちょっと昔を思い出しちゃいまして……」


 あはは……と、下手な作り笑いは昔から変わらない。妖魔に両親の命を奪われてやって来た時と、何も。


「仕方ありませんわね、こちらへいらっしゃい」

「ははっ、久しぶりだね」


 一人用のベッドに二人。

 少女は大きくなり、やや手狭に感じる。これが成長というのだから、悪くはない。


 あぁせめて、

 せめて願いが叶うその時までは……


「疲れたでしょう? さぁ、お眠りなさい」


 栞の目に映るのは、暗い部屋でも光る赤い瞳。そのまなこに射抜かれた少女は、静かに、ゆっくりと瞼を閉じる。


 枕に乗せた頭の下……首筋の健康的な白い肌は扇状的で、反応を煽る。


「駄目……いけません。この子は、あの子達だけは……!」


 傍にあったビターチョコを食む。

 糖分の一切入っていない『気付け薬』……その苦味に混じり、中身の鉄の味が喉を潤す。


「はぁ……ハァ……ッ!」


 大丈夫、まだ大丈夫。

 本能に身を焼かれたとしても、私は大丈夫。だからせめて、大切なものを壊させないで。


「そう……大切なものは」


 そっと、少女の頭を撫でる。

 肉親でもなければ、同胞でもない。それでも一度手に入れてしまったものは、もう壊したくない。あの日、あの時彼女を失った気持ちを、もう二度と繰り返させないでと、願う。


 例え、もう戻れないとしても。

 歪な願望は、本能と相反することも知りながら、目を閉じる。


 愚かな狼は消え、赤い月の夜は終わる。

 令嬢は己の本能を鎮めながら、両腕に抱く大切な者を想いつつ、意識を闇に落とした。


 

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