5-4(15)眠れる吸血鬼


 赤い月はまだ空高く在る。


 黒と黄色のストライプ柄規制線をくぐる。敷地には余力分の職員が配置され、警戒状態。碧海市であればここまで手が回らないと思うと、人員の多さは羨ましいものである。


「漆葉さん、こっちです!」

「……なんで上半身脱いでんの?」

「軽量化のために殻装キャラペイサーを外しただけです! 変な言い方しないでください!」

「おぅ漆葉ァ、無事だったようだね」

「お互いにな……樹は?」

「軽傷だし満月園の警備に回したよ。念のため」


 白神達が灰野コウジ──吸血人狼を撃破した連絡を聞いた直後のこと。

 波旬アンナの秘書である兵牙キョウコからの報告で、俺たちは新藤グループの廃工場、『新藤製鋼狩夜工場』で合流していた。


 『吸血鬼の残りが何かを守っている』と。


 仙に面倒事を押し付けたのは内緒。後始末に責任を持つのが統括である。それを聞かれる前に別の話題にしようとしたが、いざ再会すると驚いた。報告こそ受けていたが、真澄は血まみれのシャツのままだった。なんでも、コウジに吸血されたらしいが……せめて血くらい拭えよ。


「……がっつり噛まれてるな」

「安心しな、吸血鬼にはならないよ」


 そんな心配はしていない。

 なったらなったで斬ればいいだけだ。


「真澄さんの権能らしいですよ」

「へぇ……」

「元々はそれ専門の仕事だったからねぇ。さすがに狼の噛みつきはしんどいけど」


 対吸血種妖魔専用の権能ってところか。だから殻装なしであんなに突っ込んでたのか……それじゃ他の妖魔とどう戦うんだよ。


「気合だ気合」

 

 白神や仙も大概だが、こいつもこいつである。土地神には脳筋しかいないのか? とはいえ、真澄の肩から首にかけて残った歯形が擬態ヒトの感性を模して言えば痛々しい。


「まだ仕事あんだから手当受けろよなぁ……」

「このくらい平気さ」

「さっきからこれの一点張りで……」


 余計なこと言うんじゃないよ、と白神がデコピンをくらっている。上司がタフだと部下が困るとはこのことだな。怪我したら休んで欲しいものである。


「ブラック上司……」

「あんだってぇ──な」


 真澄の肩を右手で掴み、生命力を送り込む。すると傷口は速やかに塞がり、元の状態に戻った。


「お前なぁ……オレの言ったこと忘れたのか?」

「左腕の使えねぇ従者と、慣れない力ぶっ放して疲労困憊の土地神様……まともに動けるのだーれだ」

「わ、わたしは動けますっ!」


 空元気の声が良く響く。

 夜だってのにアホの顔はよく見える。顔面蒼白、どう見たって変だ。変なのはいつものことだが。真澄もいるしなんとかなるだろ。


「んじゃ、引き続き頑張って」

「他人事みたいに……」

「皆様、よろしいでしょうか?」


 気配を感じさせず現れたのは灰色少女──もとい、兵牙キョウコだった。


「おぅ、お疲れさん。ここにまだ吸血鬼がいるって本当なのかい?」

「はい、漆葉様の戦闘後に調査を開始。工場の二階から地下へ繋がる通路を発見。対策課職員が先行したところ扉の前に吸血鬼と見られる人型の存在を確認。会話の間も無く殻装に損傷を与えられた為、一旦離脱し今に至ります」


 タブレットを赤い瞳で流しながら、キョウコは述べる。簡潔な説明がありがたい。令嬢秘書の見せた画面には、薄暗い通路と扉、その手前に三体の吸血鬼らしき存在。目は赤く、肌の色もどこか褪せている。


「差し支えなければ私もサポート程度はできますが」


 懐の拳銃を見せたキョウコに、真澄が遮る。


「秘書になんかあったら申し訳ない。案内だけしてくれればいいさ」

「了解しました。では、こちらへ」


 昼に来たばかりの道を再び戻るとは……

 道筋はハルト救出の際に訪れたものと同じだった。


「この部屋、開けてありますね」

「我々が調査に来た時にはすでに開放状態でした」


 視線は俺の元へ。


「人狼が隠れてるか見たんだよ。いなかったけどな」


 それよりとんでもないもんを見つけたからすっかり忘れちまってた。痕跡とか……残ってない、よな?


「漆葉さん? 行きますよ」

「おう、今いく」

「しっかりしてくださいね……でも、こんなサクッと進んで大丈夫なんですか?」

「ご安心を。目的地の前から対象達は動きません」

「何か守ってるのかもね」


 ハルトを助け出した時には行かなかった通路。各自持ったライトを頼りに闇の中を進む。すると、突き当たり曲がり角となり階段が現れた。


「地下、ですか?」

「えぇ……一階への道はなく地下直通です」

「臭うな、血の匂いだ」


 真澄は嫌そうに言うものの、鉄のような匂いはない。むしろ埃っぽい。


「止まってください」


 下りた先、まだ通電しているのか蛍光灯が薄暗く通路を照らした。そこに立ち尽くすように、三体の人影。階段の影に身を隠しつつ、妖魔を観察する。

 白目を剥き、血のついた口をわずかに開けている。格好こそヒトだが、一目見れば全身に付着した血液が異常だとすぐに分かった。もちろん『明るさ』は見えない、とっくに終わっている。


「手遅れだ、さっさとやるよ」

「先陣はわたしが行きます」


 こちらに目配せしてきた白神の得物に、生命力を注ぎ込む。空っぽだった銀色の刃は、再び桜色の光を放つ。生命の明るさに感づいたのか、前の吸血鬼達は大口を開ける。


「Vaaaaaaaaa」


 狭い通路に響く声。

 救いを乞うわけではなく、それは単純に生ける者を求める妖魔の叫び。妖魔達が一歩踏み込むよりも先に、白神が突っ込む。


「Veaaaa」


 一体が白神の頭上へ、二体が左右から迫る。


「上は任せなっ!」


 白神は既に天井を見ていない。中空の吸血鬼の頭を、真澄の銃撃が吹き飛ばす。一体は始末。

 左右同時、地面へ押し付けるような妖魔の殴打を、少女は身を翻していなす。砕かれるコンクリートの床を飛び退き、そして最小限の回転で、二体の吸血鬼の首を薄紅色の刃で薙いだ。


 その鮮やかな動作は、どこかの誰かに似ているようで。

 なんだ……今の動き。踏み込みまではいつもの白神だったが、さっきよりも鋭いというか……コウジとの戦いで何か掴んだか?


「大丈夫そうですね、先に行きましょう」

「……そうだな」

「キョウコさんはここで待機していてください」

「了解しました」


 土地神一行で扉の前へ。鍵はかかっていない。いつでも出入りできるように最初からなかったのかもしれない。わざわざ吸血鬼達が守っていた存在……それが何かなど、大体予想はついていた。重い扉を開けると、強い照明の光で一瞬眩む。


「これって……」

「吸血鬼……で間違いないね」


 真っ白な寝台に横たわるのは、細い……というより、骨と皮しかない一体の生物。渇いた白髪にミイラのような干からびた姿には無数のチューブが繋がれ、その先には赤い液体の詰まったパック。わずかに、ほんのわずかに『明るい』その妖魔は、生きているのか生かされているのか。

 

 ともかく、その生物がそこに在る。

 

「鮮血姫、ですか?」

「さてね。ただ、吸血鬼ってことは間違いないよ……それにこんなご丁寧に看病してるんだ、じゃない」

「こんなところに隠れてたなんて…………」


 誰がどうやって、いつまで面倒を見ていたのかは分からない。意識があるのか知らないが、俺達を見るなり瞼を少し上げ、赤い瞳でこちらを見る。


「ぁ…………ぁ…………」


 機器のついた右手を伸ばし、俺達へ爪を向ける。

 ナイフにも見紛うそれが、人間の物ではないと分かる。いや、吸血鬼も元は人間だった奴もいるのだから表現が違うかもしれないが。新鮮な血の匂いでも嗅ぎ取ったのだろうか。


「ここで身動きできず、暴れる為に灰野コウジへ力を渡したってとこかね」

「なんでそんなことわかるんだよ」

「人狼……というか、妖魔が吸血鬼化するにはその親となる本物の吸血鬼がいるはずなのさ。普通に噛んだだけじゃ妖魔は吸血鬼にならない。自分の意志で血液を注ぐと注いだ妖魔を自分と同じ吸血鬼にできるのさ……『血を分ける』、なんて言うね」


 何度も説明してきたような口ぶりで、真澄は銃に弾を込めながら言う。


「じゃあ何か、目の前の吸血鬼様は最後の力を振り絞って部下に力を託したってか?」

「そりゃ今考えることじゃない。後でレポートにでも纏めな」


 真澄は銃口を静かに上げトリガーを絞る。

 引き金は一度、銀色の弾丸がベッドで呻く存在の身体を無数に撃ち抜いた。それは吸血鬼狩りを名乗る土地神としての介錯なのか、知る由はない。


 純白のベッドは、脳天を撃ち抜かれた吸血鬼の血によって赤く染まる…………しかし、頭をぶち抜いた程度では呻き声は止まらない。


「普通は刎ねなくても、なら効くんだがね」


 銀の弾丸、か……伝承も当てにならねぇな。至る所に風穴が空いててもまだ生きてやがる。銃で仕留めることを諦めたのか、真澄は剣を構えてゆっくりと吸血鬼へ近づいていく。


「ぁ……! aa…………!」

「もう充分啜ったろ」


 尖った歯を剥き出し、なおも妖魔は血を求める。その姿に、真澄は深く息を吐き、そして……銀色の剣を振り下ろす。伸ばしていた手は緩やかに重力に引かれ、目の前の妖魔は眠るように、ゆっくりとベッドに沈んだ。


「………………」

「呆気ねぇな」

「妖魔との戦いが全部派手に終わるわけないだろ」


 推定ではあるが、特定妖魔・鮮血姫と思われる存在は、これで討たれた。来栖サナの逃亡から実に1週間弱のことである。『狩夜市血煙事件』なんて仰々しい名前だったが、俺達が邪魔しに来てからスピード解決…………どうも違和感が拭えない。


「……………………」


 疑問は置いといて、傍らの相棒は青い瞳で妖魔の亡骸を見つめている。得物を握る手にはしっかりと力を込めて。


「おい、白神」

「…………」

「アホ!」

「え……あ、なんですか漆葉さん」

「なんですか、じゃねぇよ。大丈夫か?」

「無理もないよ、さっきまで灰野コウジの相手してこっちまで急いできたんだからね。見たらぶったまげるよ、夕緋の活躍」


 予想通り、白神の力が出たワケか……そりゃなによりだ。さっきの動きも納得できなくもない。権能の無い偽りの土地神なら、一体どうやって倒したんだろうな……って、誰に言ってんだか。


 アホらしい皮肉は胸中に止め、仙に通信を繋ぐ。


「仙、恐らく今回目当ての妖魔を仕留めたぞ」

『そうか……良かった。これで、朝緋の残した仕事も片付いたね』


 あいつの残した、か……こんな老いぼれみたいなヤツを朝緋は取り逃したのか? 少なくともそんなヘマをするとは思えないんだが。


『……どうかしたかい?』

「いいや、別に」


 そんな事より目下やることが多い。考察は真澄の言う通り後回しだ。

 

「白神、今日は徹夜だぞ。頼んだ」

「なに言ってるんですか、漆葉さんもちゃんと仕事してもらいますよ」


 の顔に戻った白神に、すこしほっとする。終わったのか? どうにも引っ掛かるが、真澄の言う通り後で考えよう。仕事が山積みだ。


「へいへい、そんじゃ片づけ始めますかね」


 まもなく赤い月の夜は終わり、新しい朝を迎える。しかし違和感は消えない。問いに対して、首から上のなくなった吸血鬼は、答えを教えてくれるはずもなく。


 擬態ヒトとしての仕事が、その疑問を押し流していった。

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