5-4(12)狼に桜の刃を①
赤い月が完全に空に昇った頃、俺は白神と真澄と共に現場へ向かっていた。走りながら真澄が声を荒げる。
「灰野コウジと思われる狼型の妖魔は県道を走行中、市内巡回中だった樹が先に行ってる!」
白神に頼んでいた青汁で英気を養っている最中に、連絡は入った。帰宅ラッシュの時間帯、車の往来の多い大通りを突如、狼の妖魔が現れ通行人に襲いかかったのだ。
通報の風体から灰野コウジと推測、焼けた腕は治せないまま人狼・灰野コウジの対処の為走っている。持ち帰っていた下半身の
「っ……これは……!」
「
通報のあった道も、既に人狼の通った後。焼けた血と鉄の匂いが立ち上っていた。
爪というには巨大すぎる車体の裂けた痕。徒に噛み砕かれた亡骸は、『明るさ』と水気を失っていた。それはまるで、干からびたような身体で……
「救護は職員と救急に任せろ、オレ達の仕事は妖魔討伐だ」
「……あぁ」
助けようにも生命が枯れていれば俺にできることはない。周囲を見渡すものの、人狼の強大な生命力は見えない。
「樹はどこだ……?」
さっきから通信すらない。
索敵に気を取られていると、遠方から女の悲鳴が上がった。
「あっちです‼︎」
間髪入れずに鳴り響く銃声。白神達と音の方へ駆ける。そこにいたのは蹂躙された職員と、奮闘する残りの人員、そして樹だった。
「ハハハハハ! あいつの好きにはサセネェ!」
相対すは気だるげな青年──灰野コウジの面影はなく。『明るさ』のない巨躯が……そこにいた。
返り血で赤黒く染まった毛並みが赤い月に照らされる。瞳は真紅に光り、動くたびに虚空に軌跡をなぞる。生命力を暴走させた右腕は、今も絶えず自壊と再生を繰り返している。
「あれが、コウジさん……⁉︎」
「妖魔本体、人狼の頭だ。気をつけろ!」
放置された車に擦れることなど意に介さず、生きているモノに向かって腕を振るう。対策課も民間人も関係なく、人狼はひたすらに暴れ回る。
「ヒャハハハ! 血ィッ、寄越せ血ィッ!」
「く、くっそぉっ……」
「樹、伏せろッ!」
接敵、充填済みの刀から生命力を放出。中央線上で暴れるコウジへ、桜色の斬撃。だが狼の額を割くだけで、両断には至らない。
「樹、無事かい⁉︎」
「
「負傷者と一緒に距離を取れ、なんかヤバいぞあれ」
「漆葉さん、援護します」
視界の端にちらつくのは狩夜市の対策課職員達。殻装を切り裂き、さらに中身を抉った形跡。致命傷には達していなくても、ある程度追い込んだはずのコウジの出力が上がっている……? なんだ、この違和感。
「土地神ぃ? 漆葉……土地神ィッッッッッッ!」
顔面から血を垂らし、狼は吠える。赤い残像を走らせ、標的を俺に変えて猛進する姿は、人狼のそれではない。
「やっかましいんだよ、クソ犬!」
出力をさっきの倍にして斬撃を放つ。確実に顔面を抉ったにも関わらず、反撃に繰り出されるは速度を緩めず重量に任せた体当たり。重さはそのまま威力に変換され、赤黒い毛並みが身体に衝突。
「漆葉さんっ!」
「体当たりどうもっ」
殻装フル稼働。両脚の膂力に補助が入り、道路を削りながらコウジの突進を受け止める。無駄にぶつかったわけじゃない、そのデカい図体の生命力、罰金代わりにもらってやるよ。
コウジの上腕へ刃を突き立て、権能は起動する。生ける者が等しく持つそれを奪うために──
『──収奪不可、生命力感知できません』
「なっ──ッ⁉︎」
「土地神土地神土地神ィッッッ!」
一瞬の隙。
反撃は不発に終わり、狼の
「漆葉さんっ──!」
側面から即座に白神が踏み込む。両手で握る蒼い刀身は薄紅色の光を纏い、赤黒い毛並みを容易く断つ。さらに追撃。斬撃直後、白神が射線を空け、合わせた真澄の散弾が狼へめり込んだ。
「チィィィッ!」
「まったく……専門は吸血鬼であって人狼は得意じゃないんだがね」
「そうでもなさそうだぞ上司」
さっきから妙な違和感があった。
あれだけデカい生命力を持っていたくせにまるで
簡単な話だ……灰野コウジは、もう死んでいる。
「WOOooooooooooooooooooooo!」
痛みか苛立ちか、赤い目の狼は天高く叫ぶ。身が震えるほどの咆哮は、周囲を揺らす。そして……ひとしきり吠えて吹っ切れたコウジは、再びこちらを見据えた。
「……せっかく
「どうしてその名を──⁉︎」
「WOOooooooooooooooooooooo」
再び咆哮。
音だけの威圧で前進を止められる。そして──
「な、なんだ!」
樹の方へ振り返ると、力無く倒れていた民間人が、致命傷はそのままによろめきながら立ち上がる。そこに『明るさ』などはなく、虚な赤い瞳でこちらへ目を向けた。
「……Vaaaaaaaa!」
「まずい──全員赤い目の奴から離れろ!」
後手に回っている……
声は届かず、かろうじてコウジの支配になかった人間達は、いま誕生した下僕に牙を突き立てられた。
「ハッハハハハハハ! いい色の餌だ、生きてる奴らから吸い上げろ!」
嗤う狼も、手近にいた人間の心臓を直接噛み砕く。直後……人狼と名乗っていた男の身体に『明るさ』が灯った。
「うめぇ、うめぇ……今までずっと喰ってきたヤツよりうめェッ! 血ってこんなに美味かったのか、ハハ、ハハハハハ! 土地神の力なんて要らなかった、オレは人狼も吸血鬼も超えた妖魔になったんだ! ヒャハハハハハハハハハハハハ!」
「ふざけるな――!」
少女の蒼い刃が振りかぶられる……が、距離を詰める前に周囲から、コウジの下僕となった
「邪魔を……するなぁっ‼」
立ち塞がる死者達を、白神は迷いなく切り裂く。しかし一刀振るわれるごとに、騒音に呼び寄せられて吸血鬼は集まって来る。真澄と俺も応戦するものの、
『──収奪不可、生命力感知できません』
肝心の権能がコウジの下僕にすら機能しない。刺しても、直接触れても、奪う事はできない。ずっと気になっていた、吸血鬼の謎がひとつ分かった。
吸血鬼は……死んでいる。生命力がないのは、そういうことだ。
命を持っていないから、生き血を啜って『
それは、自分のみならず……血を吸った者も同族とする。
『吸われた時点で死んでいるようなものだから操り人形、下僕化と表現しておこう。そして、一番重要なのが吸血鬼と化した人間が新たに人間の血液を吸うと……?』
父親の言葉が過る。
聞いた話とは少し食い違いがあるが、灰野コウジに噛まれた者は吸血鬼になる以上、本人の吐いた言葉も含めて導き出される結論は一つ。
「妖魔すら自分の下僕にするたぁ、鮮血姫の奴…………エグイ真似しやがるじゃないか」
「頼むぜ上司、
赤い月の夜、桜色の刃が煌めく。
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