幕間 赤い月夜、令嬢の慰問



 狭い路地の上、赤い月が空に座す。

 太陽の時間は終わり、月は我が物顔で宙に浮かぶ。科学の進んだ現代で、人間が恐れることもなくった単なる自然現象の色は、どうにも苦手。


「自分に見られているようで好みではありませんわね」

「ハァ……なん、の……用だ⁉︎」


 足元を這う青年は、ひどく醜い姿で唾を飛ばした。

 働いてくれた部下を見舞っているというのに、人狼の青年は鼻息が荒い。わずかに膝を曲げて目線を下げながら、青年に微笑みかける。


「せっかく仕事をした方を労いに来たというのに、ずいぶんな言われよう」

「余計な、お世話だッ……ハァ…………はぁ……っ!」


 自壊と再生を繰り返している姿は異様だった。これは……生命力の暴走だろうか? 本来器に収まるべき容量を超えた生命力が、上限を超えたために誤動作を起こしている……とでもいうべきか。少なくとも、の力ではない。

 振り払おうとしても、ぐちゃぐちゃの腕がら届くことはない。私の下にいれば、もう少しまともでいられたのに。


「……固有名を持った妖魔が滅んだ理由も頷けますわね」

 

 自分という存在を残したい、世界に刻みたい。人類史の1ページにいたという矛盾した願い……その意味では、『人狼』として既に名が残っているたちの生ける目的とは?


「お嬢様」

「あら、キョウコ……栞はちゃんと送り届けたかしら?」

「抜かりなく」

「そう……ご苦労様」


 怯えていなければいいけれど……心配は後にしましょう。


「二人で粛清に来たのかよ……偉いもんだな、あぁッ⁉︎」

「慰問だと言っていますのに」

「お嬢様、これ以上の会話は無意味です」

「ハッ……ご主人様に尻尾振るだけの犬は楽でいいなァッ! 人狼の誇りも忘れた長のクソア──」


 口汚い言葉が連なる寸前、月の反射で光沢する革靴が青年の胸を打つ。灰色の髪の少女は、さらに灰野──兵牙コウジへ回し蹴りを浴びせる。


「あガっ……」

「誇りを忘れたのはどっちだ……徒に人間を喰らい、恐怖で支配した仲間すら喰らい、それでも人間から敗走した貴様は誇れる妖魔なのか⁉︎」

「おやめなさいキョウコ。で暴れる彼を止めなかったのは、わたくしにも非がありますわ」


 手を下す前に命が終わってしまいそうなので少女を諌めると、我に戻ったのかキョウコは頭を下げた。


「申し訳ございません。幼い同胞を守れなかった自分が不甲斐なく……」

「『動くな』と命令したのは私です。辛い役目をさせてしまいましたわね」


 小手調べにいつきや漆葉境に送り込んだ仲間、そして兵牙コウジに連れ去られた若い仲間の最後に何もできなかった彼女にはとても申し訳ないことをしたかもしれない。

 けれど……それも私には必要なこと。いつか必要になると思ってきた犠牲が、ようやく出たというだけだ。


「いえ、全てはお嬢様の為に」

「ふふ……やはり貴方を拾って正解でしたわね」


 人間に追われ、ボロボロの姿で倒れていたのが昨日のよう。私の計画に、ここまで忠実に従ってくれて感謝は尽きない。


「やっぱ……てめぇらイカれてやがる……消えた妖魔同士仲良くして……何になるってんだ……!」

「それはこれから分かる事ですわ……事態を進めてくれた貴方には、心ばかりのご褒美を差し上げます」

「な、に――ッ⁉」


 静かに、速く、青年の口を右手で塞ぐ。青白く細い指が青年の頬を圧迫し、月夜に伸びる爪が皮膚へ食い込む。ゆっくりと肉を裂き、両頬から月と同じ色の血が滴る。それは臭く、醜悪な液体。人間のソレとは比べ物にならない。


 やはり、妖魔の血は嫌いですわ。


「全ては我が悲願の為……もとは貴方も私の部下、もう一仕事頑張っていただきましょう。さぁ、我が血を受け入れなさい」


 左手の爪先で兵牙コウジの首を貫き、我が血を注ぎ込む。血管が怒張を始め、人狼の青年は悶える。


「――ッ、――――――!」

「ふふふ……光栄に思いなさい。貴方も今宵から、私のですわ」

 

 擬態は解け、人間の青年は狼の姿へ返っていく。

 瞳は光を失い、くすんだ赤色だけが残るその姿に誇りとやらはもうありませんが……これで人々の記憶には残るでしょう。立派な妖魔として。


「ぁ、あぁぁああぁぁaaAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」

「ふふふ……頑張ってくださいね、吸血鬼さん?」

 

 

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