4-2(4) 特定妖魔・大喰らい ①


 人間が存在し続けることのできない母なる領域。陽光が差す水面近くでもこの世界は濁り、外界の音はほとんど遮られていた。


 その混濁した世界――腐海で黒蜥蜴おれは苦戦していた。


■■■■■■■■■いい加減離せっての!」


 その中で、再生した左腕を振り回し大喰らいの拘束を引き剥がす。


「ハッハァッ! 同胞はらからの言う通り最強の妖魔とやらの名は伊達ではないな、我が牙を以てしても一筋縄ではいかないとは!」


 上下からの圧を膂力で押し返し、ムカついたついでに歯を一本引き抜く。おまけにもう一本ぶち抜くと、顎の拘束が緩み放り出される。


「ぬぉっ! ハッハァッ! 同胞や土地神を見境なく殺す実力は嘘ではなかったようだ!」


 だいぶ誤解をしているが……面倒だし黙っておこう。何より、俺の邪魔をするなら容赦はしない。


 水中で対峙しその姿を再び見据える。

 体の至る所に彫られたような傷跡。前後へ足のように伸びたヒレ。濁水に紛れた『明るさ』の持ち主は人間一人簡単に飲み込めるように、上下の顎が伸びる。


 ……妙だ、触手がない。

 幼女を襲った青い触手は、大喰らいの身体には見当たらない。


(どういうことだ……?)


 迷いの間に大口を開けた妖魔が迫る。

 踏み出そうにも慣れない水中は俺のフィールドではない。緩慢な動きで先手は取れず、大喰らいの口へ誘われる。


(くそ、動きにくい!)

 

 ええい、やりにくい。

 正拳をやめ、爪を伸ばし槍に見立てて内側から妖魔の口内を貫くと、どす黒い血液が海へ漏れ出す。


「ハッハァッ、やるではないか!」

■■■■■うるせぇっ!」


 口を振り回した鮫によって回転しながら海へ放り出される。完全に相手の領域だ、自由の利かない土俵じゃいくら妖魔本体でも不利だな。……もう一回喰ってくれれば内側からぶち破ってやるんだが……


「さすがは黒蜥蜴、どう喰い千切ってくれよう……ん?」


 対峙した大喰らいが俺の背後へ視線を変える。

 刹那、振り向いた先からもう一つの『明るさ』が急速に接近する。


「pyyyyyyyyyyyyyyyy────!」


 水中に木霊こだまする甲高い咆哮。

 

 大喰らいと似た流線形だが体長は数メートル。目元と腹は白、顔から尾ビレまで黒い表皮に包まれたもう一体の海の戦士。

 左右のヒレに無数の蒼い触手を携え、溟海を切り裂き俺たちへ突進する。


 シャチ……それに、鯱に似つかわしくないあの触手。こいつも間違いない、妖魔だ!


 螺旋を描きながら迫る海棲型妖魔を止める術はない。 

 正面から鯱の突撃を受け、海中でさらに縦回転。触手の主はそのまま大喰らいへ辺りに行くが、鮫の妖魔は尾ビレを振り回し強烈な水流で押し返す。


小魚! まぁいい、ここに来るまでたらふく喰ってきたからな、今回は挨拶代わりだ! 我が名は『大喰らい』、下等な人間からそう呼ばれている。喰われたくなければ、大人しくこの領域を明け渡すんだな、黒蜥蜴! ハッハァッー!」


 一方的な宣言だけ残して、『大喰らい』とやらは大海へ消えていった。出会い頭に噛みついて挨拶とは……変わった妖魔もいたもんだ。


 押し戻された鯱はこちらへ視線を向けると数秒沈黙し、そして──


「pyyyyyyyyyyyyyyyy────!」


 左右の触手を伸ばし、こちらへ襲い掛かる。


(でけぇ鮫の次は触手付きの鯱だぁ? B級映画でももっと捻るぞ!)


 手数の多い攻撃に水底へ沈む。

 足元にはさっき砕いた殻装の破片が妙な泥の上に四散していた。


 なおも続く鯱の攻撃。


(うっとうしい!)


 素早く動く触手を両手で掴み、大喰らいを真似て噛み砕く。


「pyyyyyyyyyyyyyyyy────!」


 怯んだ隙にフリーの触手を左で手に取り鯱を無理矢理引き寄せる。昨日のお返しだ!


(刺身にしてやるよ!)


 右手の爪を構える。しかし、引っ張られた勢いを利用して、鯱は猛然と突っ込みを仕掛ける。右手を突き出し鯱の左頬を捉えたものの、浅い。

 突進が直撃して後向きに縦回転させられる。


(これが海棲型か、面倒だな)


 隙だらけの俺に対して、追撃はなく頬から血を撒きながら鯱も沖の方へ消えていってしまった。


 散々なダイビングだ。

 しかも厄介なことに大喰らいとは別の妖魔までいる。欲しくもない新情報だ。

 白神との戦いを邪魔されただけではなく余計に対処することが増えてしまった。


(ったく、邪魔しやがって……)


 とか言いつつ、正直ホッとしている。

 あのまま続けていれば白神はタダじゃ済まなかっただろうし……


 俺は一体、何の心配をしてるんだ?

 何が悲しくて斬りかかってくる奴のことを考えにゃならんのだ。


 しかし、


(あの瞳……)


 窮地に俺自身から緊急の移譲をしてもいないのに、白神自身が力を示した。本当に俺が純粋な従者だったなら、喜ぶべきところなんだろうが……


朝緋あいつ……なんかやってるな)


 脳裏に浮かぶのは、舌を出して悪戯っぽく笑う少女。謎を残し、呪いをプレゼントしてくれた先輩の宿題は、まだまだ解けそうにない。


(今回もめんどくさそうだな……んぁ?)


 濁った水の底で、これまた汚泥を踏み抜く。サラサラではなく、ぬるっとした感触が独特。


(なんじゃこりゃ)


 底に『明るい』モノはいない。あるのは殻装の破片と流れ着いたであろうゴミ、そして魚の亡骸。


 見渡す限りの大海までの地が、すべて汚泥に満ちていた。


  ◇ ◇ ◇


 一面に広がる汚泥はぬるっと足元に纏わりつく。

 

(これが腐海の中身……?)


 敵が去った後、浅い海底の散策を始める。

 これなら市内の川の方がよっぽど綺麗である。澄み渡る……ほどではないが、ある程度先を見通せる場所と、ここは全く異なる。妖魔本体――黒蜥蜴の姿のおかげで、かろうじて識別できる程度だ。


 何より、『明るさ』――つまり、命の形跡がない。

 海底には誰にも啄まれることのない魚だった存在が静かに横たわる。

 

 生きている海藻や魚類がいない。おそらくもっと先、沖の方へ向かわないといないのだろう。いや、よく目を凝らせばいる。が、どいつもこいつも蝋燭の灯火よりも小さな明るさしかない。


(……こんなことあるのか?)


 母なる海とも言う、が。

 まるで命を感じないここは、何故だか居心地が悪い。これも土地神としての影響か。


 足元の泥を掬い上げる。

 砂、ではなく歴とした汚泥である。土色ではなく黒色の混じったヘドロのような。


(きったねぇ……)


 ひとまず目につく殻装の部品を集めて口に含み、人目のつかない浜辺へ上がった。

 現場の砂浜では厳戒態勢が敷かれ、海へ銃口が向いている。全員殻装をフル装備、余念のない状態で榊支部長が指揮を取っている。


 海の家は放ったらかしなのだが……

 あ、臨時休業って書いてある。


 隙を見て殻装の欠片を砂浜へ投げ、一部が気を取られているうちに分身の擬態と合流。すんなりと一体化しアリバイは完成である。


「ふぅ、なんとかなったな」


 大喰らいだけではない。

 今回の脅威は2体だ。しかも海の中。

 さすがの黒蜥蜴おれもガチンコで海中戦は不利だ。攻めても逃げられるのが関の山だろう。


 めんどいから爆弾でもないものか。

 涼香の殻装より強力な、魚雷とか……


「ま、無い物ねだりは良くないな」


 擬態を起こすと倦怠感は失せ、元通りになっていた。


「働けってことか、朝緋先輩?」


 少女達をわからせ、水族館よろしく海のお友だちと戯れた後は無給のバイトである。と言いたいところだが、既に日が暮れ始めている。今日はもう終わりだ。


 一応、あいつらの様子でも見てくるか。

 

 呑気に構えているが、自分のに身をもって知るのは、割とすぐの話であった。


 

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