1-1(2)天敵




 夕食を終え、家を出る。別に夜の街へ繰り出すわけではない。


「…………………」


 沈黙。いつから人語を口にするようになったのか。覚えていない。

 自宅は海外の洋館をイメージした建物だが、周囲は木々に覆われた。山の中だ。車やヒトの騒音は届かず、虫の音が響く。


「帰ってきたなぁ」


 両腕を天に伸ばし、大きく背伸びする。対して嬉しくもないのに口角が上がる。


「よし、戻ろう!」


 家にではない。先刻と同様に擬態から元の姿へ、である。特に戻るための合図はない。瞬き一つで世界が元に戻る。

 全身は二回りほど大きくなり、黒く変色する。両腕・両足も擬態の三倍ほどの太さと大きさになる。頭からつま先まで鈍く輝く鋭利な鱗に覆われる。


『トカゲみたいでかわいいね』


 そういえば、昔あった女にはそう言われた。誰が蜥蜴だ、とも思ったが、ナリ自体は間違っていないのかもしれない。


(あぁ、体が軽い)


 さっきはつい一瞬戻ったが、やはり元の姿の方が気楽だ。自然と足を踏み出し、森の中へ入る。気持ちが逸る。木々のにおいも、やや湿った土の感触もすべて、すべてが気持ちいい。


■■■■■イヤッホゥ!」



 獅子の叫びよりも低く、そして大きな咆哮が木霊する。叫んだところで足を滑らせ、山の下りを転がってゆく。分厚い鱗で痛みはない。むしろ好きなだけ動ける喜びが勝っている。

 転び落ちた先には、大きな樹木が一つ。この山中にある大木である。以前と比べると心なしか元気のないように見える。と、闇夜に紛れていた影が雲間の月光で照らされる。

 自分と同じ姿をした黒い妖魔──黒蜥蜴が大木の寸前に静かに佇んでいた。その足元には、大量のゴミが積まれていた。


(あ! こいつ!)


 漆葉家としては、自分達の住む山は美しくを信条としている。『数少ない妖魔の住処を大事に』とは父による家訓。山を汚すそれどころか自分とうり二つの姿をして暴れた奴を見逃すわけにはいかない。


(この野郎──!)


 とっ捕まえようと距離を詰めたが、碧海市街の方向へ逃げてしまった。追いかけて正体を暴いてやる。………のだが、眼前の状況を見て身体が止まる。視線は積まれたゴミに向き、脳は注視を命令した。


(な、なんだ?)


 勝手に身体が動いた。右手がゴミの山に伸びるが、気合で止まる。


(今はこんなことしてる場合じゃねぇ!)


 ふいに、体の中から何か力がこみ上げる。街中での暴れっぷり、そして山にいながら目の前のゴミを片づけない所業。ついでになぜか俺の模倣。自然を荒らしたものへの怒りか、身体が震える。

 頭を左右に振り、両手で顔を叩いて気合を入れる。そして偽物の飛んだ方角を追いかける。暗闇の木々を抜け、街に飛び出る。闇夜に紛れ、住宅街の屋根を伝う。しばらく飛び回り市内を巡ったが、結局見失ってしまった。


(…………何だったんだ? あいつ)


 人間と同じく、妖魔でも全く同じ見た目の存在はいない。人間に擬態する以外に、同胞にも擬態できるなら話は別だが。


(ま、そんな奴らこんなトコにいるわけないか)


 ある程度の力を持つ妖魔は都会に住もうとする。単純に力を誇示しやすいからだ。

 碧海市もが街を出る前は比較的平和だった、はずだ。もともと件の土地神とやらがいたのもあっただろうが、両親が人間、妖魔双方が勢力を伸ばさないように方々を牽制していたからである。


「………………」


 まぁいいか。この街に再び住むのなら近いうちに相対すこともあるだろう。明日からの事もあるし、さっさと山に帰ろう。そう思って踵を返そうとしたが、足が動かない。


(な、なんだ? 足が一歩も動かないぞ!)


 妖魔の姿では、身体能力だけが自慢である。しかしその自慢も、今はまったく動かない。両腕で持ち上げようとしてもピクリともしない。さっきのことといい、何なんだ!


■■■■■動けよォッ!」


 絶叫と共に下半身を持ち上げようとしても不動。


(何なんだよ。帰ってきてからツイてないなぁ)


 落胆とともに地面に視線が移る。そこには土まみれのへこんだ空き缶。あたりを見渡すと、公園であることに今更気が付いた。


(ごみ位捨てろ、人間よ)


 どうにもならない状況から、特に意味もなくかがんで缶を拾う。と、どういうことか足が動きその場に倒れた。


(ぐぷ)


 何が起きたかよくわからないが、どうやら金縛り? は解けた。


(アホらし………疲れたしさっさと寝よう)


 缶を後方に放り投げ、山へ向かおうとした途端また全身が硬直した。


(なっ…………)


 無理やり一歩踏み出すと、強制的に二歩後退させられる。そのままズルズルと捨てた缶の位置で止まった。再び缶を拾うと、脱力した。


(なんだ、なんなんだ? ゴミ拾わないと動けなくなる呪いか!)


 状況はまったく掴めないが、解決のヒントは提示されている。しかし………このまま片手に持ち続けるのも嫌である。


(うーん……)


 あんぐりと口を開け、缶を口の中へ入れる。丸のみはせず、強靭な顎と歯で噛み砕く。味はなく、粉々にしたところで呑み込む。


(なんか複雑)


 擬態を長くしていたからか、普段ヒトが口にしないものを食べるというのは奇妙に感じる。……まぁ、妖魔もアルミ缶なんて食わないけど。ただ食べたところで周囲を見渡すとまだ缶以外のゴミがチラホラ。結局身体はまた重くなった。


(チッ……こうなりゃやってやるよ!)


 解決の糸口がとりあえず見つけられたのは確かなので、手っ取り早く目に見えるゴミを貪り始めた。土まで食っていると、パトカーのサイレンのような警報音が接近してきた。やがて音は公園の近くで止まり、人の気配が多数。そしていつの間にか、俺がライトアップされた。


「こちら対策班Aチーム、通報のあった現場にて妖魔を確認。これより目標を対処にあたります!」


 背後から聞こえたのは若い女の、子供の声。振り返った先、蒼い金属の鎧を身にまとった小柄な人間がこれまた青白い両刃剣を片手に、腰には時代遅れの日本刀を差して現れた。


(やべ、人間じゃん)


 しかも沢山。昼間駅に駆け付けた服装の人間が俺を取り囲んでいた。


「目標を捕捉、黒蜥蜴で間違いありません!」


 間違いないって……確かに妖魔ですけども。昼間の奴じゃないぞ! 弁明しようと両手を上げるが、胸に数発銃弾が撃ち込まれた。鉛弾は空しく地面に転がった。


(なっ……こっちが無抵抗なのになんて失礼な!)


 胸部に残る鈍い感覚を手で払いのけ、正面に視線を直す。蒼い鎧姿の隣に、同じく小柄な、銀髪の少女が煙を立てる自動小銃を構えていた。


「……銃弾が効かない!」

「サナさん、下がって! 前に出ます!」


 蒼鎧が両手で剣を振り上げ、俺に迫る。勢いに押され後退してしまい、間合いまで詰められる。


「もらったぁぁぁぁあ!」


 下から刃が襲い掛かる。右の掌で受け止める。身は裂かれることなく、鉄塊を握り砕く。


(こいつ……昼間に俺を助けた女と同じか!)


 あどけない少女の姿がフラッシュバックする。しかし眼前で構えているのは明確に殺意を持ったヒトだ。


(俺はお前らの敵じゃねぇっつーの!)


 再び両手を上げる。急いでこの場を脱出しようと思案するが、一瞬のうちに両手の手首から先が切り落とされた。


■■■うっそ――」


 痛覚はない。腕から黒い液体が溢れる。突然の出来事に呆けてしまう。得物を失ったはずの少女は、否、一つ目の得物をなくした少女は二振り目の日本刀を握りしめていた。


「くらえ妖魔ァッ!」


 月夜に照らされ、刀が鈍く輝く。少女の絶叫とともに、刃が振り下ろされる。


(えぇ────)


 こんなあっさりやられるのかよ!

 頭の中が真っ白になったが、頭の上で甲高い金属音が鳴り我に返る。


「なっ──」

(あれ……生きてるぅ!)


 刀は頭を切り裂くどころか輝きを失って弾かれた。頭を触ってみるが、傷一つついていない。


「土地神様、下がって! 全員撃てッ!」


 サナ、とかいう女が叫ぶ。鎧の少女が跳躍し間合いから離れると、周囲から一斉射撃を浴びる。先刻の斬撃とは打って変わって豆鉄砲だった。


(チャンス、今逃げるしかねえ!)


 銃撃の雨が止む前に、咆哮を轟かせ銃弾の飛来する出どころへ突っ込む。同士討ちを避けるため射撃が止まったところで大きく地面を蹴り上げる。


■■くそ■■■■■なんなんだ……」


 車が追いかけてきているが、俺が民家を飛び移る方が数段早かった。それにしても、偽物を追っていたらずいぶん災難な目にあってしまった。


(う………なんか胃もたれしそう)


 腹をさすろうとするが、肝心の手がないことに気づく


(久々だからできるかな……)


 両腕に力を込める。すると、コンマ数秒の間に手が完全に復元される。いや、生えたというべきか。


(あーあ。明日から大丈夫か?)


 思考しても疲れるだけか。とりあえず考えることをやめ、自宅へ逃走を急いだ。



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