1-1(3)ヒトと妖魔
人間との夜戦から三日後、駅前の襲撃で擬態が負傷していた設定の為時間をおいて、俺は碧海市中心部に設立されている『環境省妖魔対策課碧海支部』で訓練と講義を受けていた。外観は学校の校舎にも見えるが、ずいぶん頑丈そうなグレーの建物。単位取得、ひいては人類側から刀を奪取するための潜入──もとい入庁である。
興味もないが、とりあえずネットで調べたところ──なんでも防衛省だけでは手が足りず、『特別警戒区域の保護』を名目に環境省に割り当てられてとか。
手続き自体は日本のお役所仕事らしさ満載でずいぶんザルだった。簡単な身体検査の後、緑色の制服が支給された。以降は制服の着用が義務付けられるそうな。
……とまぁ、スパイ紛いの進級をかけた戦いが始まったわけだが………入ってすぐやることはなんてことはない、基礎体力作りと敵対する〝
「〝
室内のホワイトボードに、スラスラと妖魔について書き出すのはこの支部の長である榊という女だった。年齢は二十台後半といったところか。茶髪のショートカットに細身ながらも引き締まった身体が制服の上からでも分かる。
「多くの妖魔は昔から人間を食糧とする種が多く、意味なく人間の集落を襲う凶暴性から人類は今日に至るまで妖魔との戦いを続けています。時が経つにつれ、数の多い人類側に押され妖魔達の数は減少。加えて人間のように組織化することをしなかった妖魔は絶滅の一途を辿る寸前まで追い込まれました」
そう──妖魔はヒトと異なり群れることをしなかった。強いて言えば縄張り意識が強かった、とでもいうのか。
「窮地に立った妖魔達は進化を余儀なくされ、他の生物に〝擬態する〟という方法で人間社会に紛れ、争いを避けるようになりました」
天井から吊るされたスクリーンが下げられ、画像が映る。一人の男と、その右側には背丈の似た馬の顔に筋骨隆々の存在が表示されていた。
「これは碧海市で数年前現れた妖魔の一例です。いわゆる擬態の状態であれば人間なんら変わりない見た目ですが、右側はもとの姿に戻った状態です」
周りからは『うわぁ』と驚きと嫌悪の混じった声が上がった。そりゃあ、お前らとは違うけどなぁ。
「主に人間の見た目をした状態を擬態、妖魔の姿を本体と呼んでいますが戦前くらいからこの擬態のまま身体の一部を本体にして活動することも判明しています。また、人間をかく乱するために『他の妖魔の本体』に擬態する種類の存在も確認されています」
画像から動画に切り替わり、画像として出ていた男が顔だけ馬のように変化している映像が流れる。
「特に自分の武器とする部位……例えば爪を含む手や足だけ本体にさせて人間を襲うということもあります。これは他の妖魔に擬態した時にはその特徴を利用します」
映像に映っていた馬の顔をした妖魔が蛸のような頭に変わり、腕は触手に変化し暴れていた。
「ただし……通常、妖魔は自分の存在に強烈なプライドを持っており、このように他の妖魔の姿をすることは彼らにとって屈辱的な行為であると言われています。加えて擬態を何度も変えると本来の自分を見失い元に戻れなくなるとも考えられています」
もとより自分以外の『何か』に変わるなんて考えもしないが、妖魔の中には突飛な行動をする輩がいたもんだ。脱線した話を戻すように、榊がリモコンで次の映像に切り替える。するとそこには数日前に襲ってきた、そして俺の本体と同じ姿をした存在が映し出された。
「そして………現在この碧海市で猛威を振るっているのがこの爬虫類のような見た目をした妖魔、〝
一瞬俺かと思ったが、どうにも違和感が拭えない。……というよりも、ここ数年は実家のあるこの街には寄り付きもしなかったのだ。出ること自体がないのである。
「現在日本では各市町村ごとに妖魔の対策に乗り出し、特にここ──碧海市の環境省妖魔対策支部では近年数多く報告される妖魔の被害を抑えるため皆さんのように実戦に志願したり、サポートをしてくれる人材を招集しているわけです」
擬態生活をしていた時に妖魔の被害はテレビで取り上げられているのを目にしたことはあるが、収束が早かったのはこうした人類の組織力によるものというワケだ。ところでこんな血なまぐさい戦いに自分から志願する奴がいるとは………なんだか自分が参加している理由がとんでもなく不純な気がしてきたぞ。
「今はこの黒蜥蜴を筆頭とした妖魔に我々が対応している状況です。もちろん、銃火器の武装での対応も政府から認可されていますが、この黒蜥蜴が強力な個体であり中々苦戦を強いられています。例え皆さんが訓練したとしても倒すことは難しいでしょう………ただし、人間側にも対抗できる存在はいます……それが〝
映像終わり、スクリーンには次の画像が出力される。一人の少女だった。
「土地神というのは現代の定義でいうと『各市町村区に存在する、その土地に奉られ、地域に殉じる人類の代表、妖魔と対抗する戦闘能力を持つ者』とされています」
碧海市の公立高校の制服に、右手には日本刀を携えた写真。切れ長のキリっとした目元に、全体はあどけなさの残る丸みのある輪郭。表情こそクールに構えていたが、左手はピースしていた。駅で俺を助けた鎧娘であった。
「…………コホン、彼女が碧海市現土地神・
そう……これが大学側から提案されていた進級の方法である。つまるところ、人手不足の街で妖魔と戦って来い──ということである。
◇ ◇ ◇
「では、本日の講義は終了とします」
講義の直後、他の連中がぞろぞろと退室するところに榊女史に止められる。
「漆葉君、怪我の具合はどう?」
「あーもーそりゃ完璧に治りましたよ」
俺の擬態と妖魔の体は通常の同胞と異なりリンクしていない。正確に言うと本体に戻った時点で擬態の傷は失せる……がそんな場面に出くわしたことはない。
「そう……あなたは通常のカリキュラムの他、一応課外学習の体面を繕っているので今日は追加の訓練を行ってもらいます」
「え?」
拒否権もなく、榊女史の先導でまだ入ったことのない武道場へ案内される。入る前から竹刀のぶつかり合う音が聞こえる。榊女史が道場の扉を開けると、そこには三人の少年少女。その内二人には見覚えがあった。
「あ、綾ちゃん!」
一人寄ってくる。聞き覚えのある声に黒髪の少女は屈託のない笑みを浮かべている。
「だから夕緋あなたねぇ………施設内では榊さんか支部長って呼ぶように言ってるでしょう?」
榊女史が諌めるついでに夕陽にデコピンをお見舞いした。
「ぁだ! もぅ容赦ないんだからなぁ」
自分の額を撫でる少女は、先日俺の窮地を救った存在であり、先日俺の身体をぶった斬った存在でもある。
「あ、あなたはこの前の!」
ハッとした表情で、少女は俺を見やる。
「その節はどーも」
軽く頭を下げると少女の後ろからお供よろしく男女が近づいてきた。
「なんだその態度は、土地神様に失礼だろ」
染めているのか、珍しい銀色の短髪少年が俺に指を差す。
「支部長、なんなんですその人」
そしてもう一人。同じく銀色の髪で少年より頭ひとつ背の低い少女が訝しげにこちらを睨む。こいつは夜の公園で俺に銃撃をかましてきた奴だ。
「先日から碧海市支部に配属になった漆葉君。元々この街出身の縁で召集された一人です。彼だけ怪我で、まだ土地神様とは挨拶していなかったので」
憮然とした表情で、ユウヒと呼ばれた少女の後ろ二人は黙った。
「えーっと………漆葉境二十歳です。よろしく」
なんとも面白みの無い自己紹介である。
「〝
改めて実物を見ると、かなり整った顔立ちである。三度目の邂逅にしてようやく名前を知る。こいつから刀を奪うらしいが……持ってもいないし、周囲にも見当たらなかった。
「なんだ、僕らよりも年上なのか。
銀髪の少年・ハルトは無愛想に吐き捨てる。
「同じく来栖サナよ……でも支部長、わざわざ個別に寄越さなくても別の日でよかったのでは?」
少年の隣にいた銀髪のツインテール少女も名乗る。おそらく兄妹だろう。
「挨拶のほかにもう一つ。本部からの命令でね。大学生のモデルケースに選ばれた彼には通常召集した人とは追加で訓練を受けさせるように言われてるの」
榊は置いてあった竹刀を手に取り、俺に渡した。
「貴方達に彼の初期戦闘訓練を任せます。漆葉君は実践訓練の内容をレポートにして後日提出をお願いします」
「は、はぁ」
覇気のない返事をすると、榊女史は道場を後にした。
「下らないな。何でただ招集された人間の為に土地神様の時間を割かなきゃいけないんだ」
露骨に面倒くさそうにハルトは吐き捨てた。
「土地神様は少し休んでてください、こいつはあたしと兄さんで対応しておきます」
雑な扱いを受けながら、ツインテ少女のサナに竹刀と防具を渡され準備を急かされる。ヘッドギアに軽量の小手、胸当てなど簡単な装備だった。装備を終えると、道場のど真ん中にサナと向かい合う。
「さぁ……さっさとかかって来てよね」
ツインテールの右側の髪束をいじりながらよそ見する少女。かかって来いと言われたものの、呆然とする。
「いやぁ……そう言われても」
正面の少女は防具を一切付けず、配布された制服だけで叩いたら絶対痣になる。擬態の倫理観としては、あまり気乗りしない。人生で初めて竹刀を持たされていきなり戦えと言われても……話が急すぎる。
「新人、大丈夫だ。お前には一太刀も浴びせることもできないよ」
道場の隅から、ハルトに冷たく罵られる。
「が、がんばってください!」
その隣で正座しながら、土地神・白神夕緋は両手の拳を握って応援していた。
「はぁ……アホくさ」
聞こえないようにぼやきながら、竹刀を構えた。相変わらずサナはこちらを視界にすら入れていない。
「じゃ、じゃあやるぞ」
そこからはほんの一瞬だった。一歩踏み込んだ途端、サナが消えて脳天に衝撃が走った。
「ひぎっ」
「はい、あたしのは終わりね」
数秒の訓練。片膝ついてうずくまる俺をよそに、サナは白神の隣で正座した。
「なんつー速さだ」
頭に竹刀をぶち込まれたことは分かったが、防具越しでも激痛である。ほんとにただの人間か? など考えていると、サナとバトンタッチでハルトが正面に立った。
「おい、早く立て。支部長指示だから付き合ってやるが、お前を構っている時間なんてないんだ」
2番目の立ち合いを急かされる。訳も分からず叩かれてムカついた怒りで竹刀を握りしめる。
「ぶっ叩いていてやる……!」
眼前を見据える。妹と違い、兄・ハルトは竹刀を構えこちらを睨み返していた。
「な……なんだよ」
「素人が入れば入るほど、土地神様の負担が増えるんだ。用が済んだら僕たちとは距離を置いてろ」
こっちはレポートの為に連行されただけなんだが。妹にやられた分までお返しだ!
「はっ!」
竹刀を振り上げながら間合いを詰めた。ハルトは微動だにしない。一気に得物を振り下ろすが少年は冷静に受け止めた。
「くそ………」
「甘い!」
握っていた竹刀が力ずくで押し返される。ハルトはゆっくりと、両手で竹刀を持ち上げ構えた。
「おっそ」
緩慢な動作に対して竹刀を横にして頭上で構える。今度は脳天にくらうわけには――
「せい!」
サナの攻撃よりも圧倒的に遅い一振りで拍子抜けだった。だったが構えた竹刀ごと脳天一撃を叩きつけられた。
「ひぐぅっ!」
目の前がチカチカして白目をむく。痛みというより熱が頭に集まる。うずくまって防具越しに頭をなでていると、肩を叩かれる。
「土地神様の休憩している間だけだ。さぁ、どんどんいくぞ」
「えぇ………」
一体この内容でなんのレポートを書けばよいのか。傍らで俺を応援する白神はファイトと言わんばかりに、手を振っていた。
結局、その後何度も竹刀で立ち会わされたがひたすら来栖兄妹に扱かれた。
そして、ただ殴られただけの内容で『実戦訓練について』という何の捻りもないタイトルのレポートを書くのに徹夜をさせられたのは言うまでもない。
すべては単位取得・
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