1-2(6)疾走・共闘・黒蜥蜴



 水の中は音もなく静寂に包まれていた。

 衝撃で頭が割れそうだ。叩きつけられた痛みが意識を保つ。


(落とされたなぁ……クソ)


 水中で目を開ける。

 腹部は赤く染まり、動かない体は沈んでいく最中。淀んだ川の底は誰かが捨てたゴミがいくつも埋れていた。


『ふん、威勢がいいだけで隙だらけだ!』


 妖魔らしく、偽物は暴れていた。おかげで迷惑極まりない。他人……他妖魔の姿を借りて暴れるのがそんなに面白いかね。


(………アホくさ)


 一丁前に人間の女なんぞ助けるからこうなる。…………いや待てと。何で人間を助けなけりゃならないんだ。勝手に動いたけども。


(あいつさえいなかったら面倒じゃねぇのになぁ)


 呼吸すら忘れ怒りが勝る。やがて酸素供給が停止した人体の活動限界に差し掛かった瞬間、漆葉の姿は変容する。ヒト型のフォルムこそ失われていないが、全身は黒く染まり、鱗がびっしりと揃えられた鎧となった。


(あー! 元に戻った! ………こうなったらまずやることはひとつ!)


 偽物を倒して、あわよくばそれから刀を奪う! 単純明快、即行動である。


(待ってろあの偽物野郎。白神と挟み撃ちだ!)


 水中に足がつく。ついでに足元にあった長靴を拾い上げ、飲み込む。膝を曲げ勢いをつけ、天に向かって飛び上がる。


 大量の水飛沫と共に河原へ着地する。ちょうど少年サッカーの試合中、ピッチのど真ん中に来てしまった。一瞬の沈黙の後、悲鳴と怒号が飛び交うが、それどころではない。白神の乗っている電車は環状型で市外に出ることはない。ないのだが今から後を追っても無駄な状況だ。思慮しつつ土手を上る。一周してくるのを待つのも愚作だ。前に来ていたよくわからん強化外装がない以上、白神が保たないかもしれない。


(なら!)


 反対側の土手を駆け下り、民家の屋根に飛ぶ。自分を見た人間たちの悲鳴があちこちから聞こえるが無視だ。そのまま屋根伝いに直進していく。


 環状型ならば先回り。普通の『人間』なら無理だが自分なら問題ない。


■■■飛ぶか


 風を切り、街の中心へ向かう。大通りを往来する車上を飛び移る。タイミングを見計らい、再び足に力を入れて大きく宙へ飛び建物の上を飛び越えていく。視界の右端、振り落とされた電車が映る。4両編成の先頭、白神は未だ交戦中だったが、慣れない足場でうまく立ち回れていない。


(チャンスは一回)


 接近する電車に合わせてスピードを上げる。線路の手前、雑居ビルの屋上に着地し、間髪入れず両脚で飛ぶ。前から二両目に着地したものの、揺れて足を滑らせる。


(うぉととと!)


 同じ轍踏むところを、今度は車両上部を爪で握り、留まる。新手の妖魔が窓に移り、車内からは悲鳴が上がった。


(ったく、誰のためにやってると………)


 ため息混じりにのそのそと自力で車上に登る。

 対面には一人、いや二人。車両に膝と刀をつく白神と、俺、漆葉の偽物。


「あ、新手──」


 少女と視線が合う。白神の表情が強張る。そりゃそうだ、どう見たって敵だもの。


(うーん、やることは一つだな)


 特に考えもなく前進する。口が利けない以上、手っ取り早く偽物の撃破を優先するべきだ。


「くっ、こちら白神。新手の妖魔が出現、このまま応戦しますっ──」


 白神が立ち上がろうとした瞬間、その背後の偽物が詰め寄り、襲いかかる。


「しまっ──」


 振り返って間もなく、白神は偽物に吹き飛ばされる。その先は言うまでもない。


「うっ…………え?」


 中空に浮いた白神を両手で受け止めた。握っていた刀まではキャッチできず、脳天に刺さった。痛みはない。


「………」


 咄嗟に抱きかかえたものの、電車の走行音以外は静まり返っている。ふと、偽物に視線を向けると、既にこちらへ踏み込んでいた。


(早速来やがった!)


 右脚を振り上げ向かってくる偽物を蹴り飛ばす。車上を転げ回る偽物を他所に、抱えていた白神が暴れる。


「は、はなして!」


 喚かれるのも面倒なのでゆっくり下ろす。頭に刺さっていた刀を引き抜き、少女に無言で返す。


「……………」

「……………」


 数秒の沈黙。こちらを見据える目には殺意がこもっていた。何か喋れ。立ち上がった偽物が迫ってくるので先に前へ出て押し返す。


『白神さん? どうしたの応答して!』


 妖魔としての聴覚が通信を捉える。白神は通信に応えつつ隣に並び、刀を構える。


「こちら白神。二体の妖魔は仲間ではないようです………お互い争いはじめたので利用します!」


 見据える先はお互い眼前の妖魔。幸いなことに優先すべき相手が合致した。


「お前も黒蜥蜴なら………あいつを倒したら、今度はお前だ!」


 白神が踏み込む。手負いの状態で妖魔に渾身の一振りを見舞う。右手で受け止めようとした妖魔のそれは簡単に切り裂かれた。


「アァァッ──く………土地神がぁっ!」


 籠った声で性別の判断はできない。腕からは、黒い霧ではなく、黒い液体──おそらく血液だろう──が漏れる。


(偽物は偽物ってことか)


 自分なら痛覚に悶えることもなく再生している。側だけ見繕っているなら好機だ。

 白神に続いて自分も前に出る。元の姿であれば遠慮はいらない。お返しと言わんばかりに右手で偽物の体を削り落とそうとしたが、冷静になった相手は後退して回避した。


(あら、外れた)


 次いで左手で仕掛けようとしたが、程よく屈んでいる背中を白神に踏み台にされる。


「邪魔っ!」


 宙を舞い、再び刃が妖魔を狙う。振り下ろされた刀を偽物は紙一重で避ける。


(達者なもんだ)

「ウウォオッア、フザケルナぁぁ!」


 悲鳴とも怒号ともわからない叫びとともに、偽物が左足を振るう。反応が遅れた白神の襟を引っ張り、後ろへ投げる。


(邪魔だなぁ!)


 妖魔の蹴りは当然のごとく右腕で受け止める。大した衝撃もない。庇うまでもなかったかも。空いている左手で反撃する。軽く小突くつもりだが、思いの外妖魔は吹き飛び、先頭車両まで追い込んだ。


「お、オノレぇ」


 身悶える偽物の体は不自然に凹んでいた。たった一撃で歪んだようだ。


(終わりだな)


 右手首から先はなくなり、体もボロボロ。恐らく詰みだろう。ゆっくり距離を縮めようとすると、偽物は高笑いを決めた。


「ウゥゥウ、勝ったつもりだろうが………そうはいかない」

(何言ってんだコイツ)


 言葉の真意は定かではない。妖魔は先頭車両の運転席へ降りた。白神と共に後を追うように一般車の窓を打ち破り車内へ下りる。


「裏切り者の妖魔君と土地神様は、せいぜい人様の為に犠牲になるんだな」


 運転席には、偽物が機器をめちゃくちゃに破壊した光景があった。高笑いとともに傷ついた妖魔は運転席から飛び出した。


「待てっ!」


 白神の言葉と同時に電車の速度が急に増す。車外の風景が目まぐるしく通り過ぎてゆく。


(さっさととどめを刺しときゃよかったな)


「こちら白神、対象は電車から飛び降りそのまま高架下へ逃亡。電車は機器が破壊され速度を上げて走行しています!」


『妖魔はこちらで追跡するわ。それよりもその電車をなんとかしないとまずいわ!』


 元の姿だと他人の通信機もよく聞こえる。


『他の電車の退避が終わってないの! このままだと衝突して大事故になるわ!』


 さっき偽物が言っていたのはこのことか。


『被害を抑えるなら、まず乗客のいる車両と先頭車両を切り離して!』


 白神が後部車両へと急ぐ。連結部分へ俺もついていくが、少女に静止される。


「あなたが来ると乗客がパニックになる! 近づかないで!」


 斬りかからないのは先刻の貸しのおかげか。長椅子に寝転ぶ。

 乗客に事情を説明したのか、数分ざわついていた。余計な騒ぎにならないよう、座席に埋もれる。


「緊急のため、連結部ごと斬ります!」


 低く、感情を抑えた声で白神が通信した。


「はぁっ──!」


 前の車両に乗っている俺を放って、金属音が車内に響く。

 数度聞こえたそれは、数を重ねるごとに鈍くなり、止まった。頭だけ出して覗いてみると、息を切らした少女が片膝をついて口から血を流していた。


「な………なんで」


 一振りの刀で車両を切り離すという考えがそもそも非現実的なのだ。例え、超硬度な妖魔の体を切り裂けるとしてもだ。


『土地神でない者でも使えなくはないが、それは充填する力を自らの生命力で賄うことになる。当然、エネルギー切れで役に立たないどころか、命の危険もある』


 そういえば、はじめに聞かされた時父親はそんなことを言ってたな。


(ガス欠か、あっけないな)


 乗客と白神がどうなろうが関係のない話だ。乗り合わせたのが運の尽き。とでも言っておこう。一人電車から逃げようと立ち上がった刹那、少し遠い過去の記憶が蘇る。


『キミのその手はヒトを傷つける武器じゃない。ヒトを、生き物を救える手だよ。キミが考えてる以上に、キミはすごい存在だよ』


 大層なことを言って死んでいった女の記憶。そういえば、今の白神と姿が似ている。血と傷にまみれ、ボロボロで情けないという点は。前にも引き出された記憶は、さらに鮮明に再生される。


(………アホくさ)


 分かり合えない相手を救えと、婉曲に言っていたのだろうか。

 ふと、上体を起こすと風景の先にさっき落ちた川が視界に入る。一瞬で案は浮かんだが、施行を止める。………あんまり良い手とは思わないが、人間が勘違いして迷惑したんだ。少しくらい手抜きをしてもいいだろう。


(割りに合わない慈善ボラン事業ティアだな)


 奉仕精神などない。たいして凝ってない両肩を回しながら席を立つ。首を左右に曲げ、一度脱力する。そのまま最後尾へ向かう。


「はぁ、はぁ………うっ!」


 口元は抑えていたが、白神の口から赤い液体が漏れていた。その光景を目の当たりにしていると、悲鳴が上がる。


(やっぱこうなるよな)


 もう慣れた。とは言いたくないが慣れた。


「さ、下がって! 乗客に手出しは! うっ」


 最後尾の車両との連結部でその背中の先にいる乗客を守らんがため、少女は立ち上がった。満身創痍の身体にはなんの脅威も感じられず、首を掴んで側の座席に投げた。


 一挙手一投足に叫びが上がる。改めて人数を確認する。幸い乗客は十人程度、しかも子供や老人はいない。運が良かった。


(ま、避難はさせる)


 とりあえず車両右側の扉を開ける。吹き抜ける風が全ての声をかき消す。

 勝負はほんの数秒だった。橋に差し掛かった瞬間、乗客の首根っこを掴んで二人ずつ川へ放り投げる。


(なんとかなるだろっ!)


 半ば適当である。元の漆葉にとって、複数の人間を投げるなど数秒あれば事足りた。


(あとは──)


 自分を顧みない土地神もどきの頭を押さえる。わずかなうめきが聞こえる。


「や……ぱり、よ……まは……よう──ま」


 助けたつもりもないし、目的は白神の持つ刀だけだ。少女から刀を取り上げ、青空へ放り投げた。


(せいぜい人様のために頑張るよ)


 既にいない敵に皮肉を返す。扉の外に顔を出すと、先を走る電車が見え始めた。


(おっと。もうひと働きだな)


 電車に刀を置き、車外に飛び出す。レールに足を下ろすと、擦れて両足から火花が散る。車両の下をつかみながら構いなしに車体を持ち上げる。


(結構重いなぁ! あとはしらねぇ!)


 勢いに任せて両腕を上げる。連結していた全ての車両は一度宙に浮き、横向きになり落下した。線路を二つ、跨がるようにして暴走電車は停止した。


(こんなもんだろ)


 両手の土埃を払う。人助けも悪い気はしない。そう思ったのも束の間。車内に刀を置いてしまっていたことを思い出したが、泣く泣く放置して撤退した。



◇ ◇ ◇



 事態の収拾はかなり手早いものだった。結局偽物妖魔には逃げられたが、手負いにできた。


「で、君は川に落とされて通信機も落としたあと………その場で待機していたと?」

「ま……まぁちょうど人がポンポン落ちてきましたもので、地域住民とともに救助しました!」


 支部に戻り、俺はずぶ濡れの擬態で憎き榊女史に叱責を受けていた。怪我もないから大丈夫だろうと、かなり適当な診断を受けた。元の姿に戻った時点で、擬態の体はリセットされ傷が消えていた。あの後刀を回収しようとしたが、目の前の環境省支部の奴らが来ていたので急いで擬態に戻って川に落とした乗客を引き揚げていたのだ。


(これなら最初から電車を無理やり抑えてりゃ良かった)


 作り笑いをしつつ反省する。人助けに手抜きをしたツケが擬態にまで回ってくるとは思わなかった。


「幸い怪我もなく、救助活動に貢献していたようだし特別に不問とします」

「あの、白神の容態は?」


 せっかく説教が終わったのに、不躾な質問で榊の冷淡な視線を浴びる。


「力を使った反動かしらね………川で救助してすぐに病院へ搬送されたわ………今までもあったけど、今回の消耗は異常という報告だったわ」

「そ………そうですか」


 数秒の沈黙の後、榊支部長は窓の外を見ながら独り言のように語った。


「あの子はね、周りに支えてくれる人はいても頼れる人はいなかったの。偶然呼ばれたあなたが従者だった事に、本当に喜んでいたわ」

「そりゃ……どうも」

「そして夕緋の姉……白神朝緋は私の友人だった。あの子は私にとっても妹のような存在なの……だから私は、朝緋のようにあの子には姉のように孤独でいてほしくない」


 いきなりの説明に、一人だけだが置いてけぼりになる。


「明るく振舞って見せているけど、ホントは寂しいはずだから………」

「寂しいって……ハルトやサナがいるでしょうに」

「分かってないわね………来栖さん達は従者をしていたと言っても仮。特別な力を持った存在が隣にいるのとは違っているのよ。皆、〝土地神様〟って呼ぶから」

「あ……あー」


 そういえば、市内の人間だけではなくこの機関の職員も全員名前どころか苗字ですら読んでいるところを見たことがない。強いて言えばこの榊支部長と、あと俺くらいだ。


「これは支部長としてではなくお節介な人間としてのお願い………強くなって、夕緋のこと、助けてあげて」

「はぁ………まぁ死なない程度にがんばりますわ」


 また頼まれごとである。しかし話の前提としてご理解いただきたい。俺が黒蜥蜴だ。しかし支部長の発言に乗っかることも必要かもしれない。まだ刀は奪えない訳だし、もう少し白神から信用を得るよう努力してみるかな。


 着替えを済ませ、支部を出て家路に向かう。夜空を見上げながら、今日の出来事を反芻する。今思えば、投げ方が雑だったと少し罪悪感が湧いた。後ろめたく思っているのはあくまでこれだけである。従者としていきなり前線に実戦投入されたのだ、文句を言われる筋合いはない。


 不意に、川へ投げる直前の少女の発言がよぎる。


『や……ぱり、よ……まは……よう──ま』


やっぱり妖魔は妖魔。わかり合うことはないのだろう。

 理解しあえない────が、しかし。


「………見舞いくらいは行くか」


 一応、土地神として。代わりに戦ってはくれているわけだしな。


 こちらとしては居なくなってほしいが、死なれては──それはそれで困るというのは中々──というか、かなり面倒な少女である。


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