1-3(1)白神朝緋



『やっほ~! 元気にしてた?』


 山中で木に背を預けていると、いつもの女がやってきた。なにやら紙袋を提げている。


『………』


 得体の知れない匂いを嗅覚が捉えたのは初めてだった。


『そうそう! 今日はキミにこれ食べてもらいたくてね!』


 女は袋に手を突っ込んでモノを取り出した。狐色の丸い物体だった。


『よく行くお店のなんだけどね、すごく美味しいんだよ!』


 人間の戯れに付き合うのもどうかと思うが、とりあえず丸々一個口内へ放り込んだ。

 味覚を強烈に刺激され、それが甘味と気付くのに、時間は掛からなかった。



◇ ◇ ◇



「今日も甘さ全開。最高だな」


 自分の甘味に対する感覚だけは生き生きと反応していることを認識する。その手前、二人の少女は七個目のケーキを食べ終えた俺を見て引いていた。


「漆葉さん、大丈夫ですか?」

「あんた………マジでイカれてるわ」


 抹茶を使った新商品ができたからと『ドゥ』に来てみたものの、やはり白神と来栖サナにはまだ早かったようで。


「だいたい抹茶といえば普通甘さ控えめでしょ! なにこれ緑色の砂糖じゃない!」

「やかましいなぁ。これがいいんじゃないか」


 碧海市妖魔鉄道襲撃事件から三週間が経とうとしていた。妖魔・偽黒蜥蜴は逃してしまったが、電車に乗り合わせ俺に川へ投げ飛ばされた人間達は全員無事。川に落ちた時に打撲や骨折こそしたが命に別状はなかったらしい。暴走していた電車を止めたのは誰でもない俺なのだが、公式の発表では暴走の末脱線したと報じられた。今回の事件を機に鉄道の全自動化は一時見送り、スタッフの配属が手早く行われた。


「完全に味覚が狂ってるな」


 隣にいたハルトが茶化す。


「甘味に鋭敏と言っていただこう」


 お気づきだろうか。俺を含め、白神と来栖兄妹でテーブルを囲んでいる。

 そんな折、耳につけていた通信機から連絡が入る。


『市内に犬顔の妖魔が出たわ、至急現場に急行して』

「「「「了解」」」」」


 事件解決後、従者扱いだった俺は現場での対応力のなさに指摘が入り、来栖兄妹二人のバックアップを含めた編成に変わった。というか、いきなり実戦投入する行政が悪いと思うのだが。


 擬態生活のなかで、今が一番充実しているかもしれない。聞こえはいいが、目的は一向に達成されない。


「ふぅ……大したことなかったな」


 現場に向かい、暴れていた妖魔は簡単に対処できた。白神が斬りかかり、それで終わり。


「バカ言うな、お前が狙われたから余計に時間がかかったんだぞ」

「ホンッと、成長しないわねー」


 兄妹揃って酷評。


「ま、まぁまぁ。漆葉さんだって力の使い方に慣れてきたんですから!」

 『処理』した張本人が強化外装の姿でフォローした。


 進級代わりの仕事は思いのほか順調だった。しかし、本来の目的は停滞してしまっていた。






 深夜。家に戻ったあと、妖魔の姿で実家である翠山を散策していた。やはり一番落ち着くのはこの姿、この山である。


(さてと……どうすっかなぁ)


 偽黒蜥蜴はあれからなりを潜めてしまった。それと入れ替わるように、俺はこの姿で市内や山の清掃活動に加え、山に不法投棄に来る怪しい業者を追い返すこともしていた。

 連中の動きが読めない以上、刀奪取を優先することもできない。まさか、もう碧海市からは逃げたのだろうか?


(なんでこんなに考えにゃならんのだ)


 帰ってくる前は思考停止で生きていたと言うのに、随分変わったものだ。

 山道の脇にちらほらと目につくゴミを拾い、口へ放り込む。掃除も板についてきた。この山なら環境省の連中が滅多に来ることもないから安心して元の姿で活動できる。

 と、辺りに誰もいないはずなのに空き缶が一本、足元へ転がってくる。


(ん………?)


 獲物が辿ってきた道を視線でなぞると、鏡で写したように自分の姿があった。


「ようやく見つけたぞ」


 のそのそと歩きながら、偽物の妖魔はこちらへ近寄る。よく見ると、胸元には斬撃を受けた痕が残っていた。


「貴様が街に現れてから狂いが出ている……なぜ〝また〟土地神に手を貸した?」


 あぁ、電車で戦ったこと根に持ってるのね。……また、ってのはよくわからんが。


「………」


 軽口でも叩いてやりたいところだが、喋れないので沈黙を通す。


「だんまりか、まぁいいだろう」


 偽物は勝手に話を進めてくれる。


「この山には臆病な雑魚しか同胞がいないらしいな……オレ達の計画を持ちかけても、誰も乗ろうとしない。そもそも人語を理解しているかも定かではないな」


 そりゃそうだ。人間に干渉したくないから山に住んでいる。


「だがそんなことは些細な事だ。もうすぐ各地から同胞がこの街に集結する。まずはここを、オレ達のための国にする為土地神と、目障りな従者を葬る」


 なんだか急に大それた話になっている。それに目障りって。


「貴様が手を貸さないのは良いが………果たしてこのまま、この土地に住み続けられるかな?」


(めんどくせ、帰ろ)


 収穫した獲物を提げ、帰路へ向かう。が、回り込まれて道を塞がれる。


「このまま我々によって黒蜥蜴の悪評が広がれば、いずれこの山には国の大きな組織が介入する! どうせ人間と争うんだ、早い方がいい! ………どうだ、オレ達と共に、人間と戦わないか? そうすれば、昔のことは水に流してやる」


 散々偉そうなことを言っておいて、結局は勧誘だった。しかしさっきからよくわからない事を言う。なんだ昔の事って、知らねぇぞ。


(…………アホくさ)


 どうして日本で妖魔が少ないかわかってないらしい。この山にいる同種を見ても理解できないなら意味ないな。反対の意思表示として暴れることもできるが、沈黙を貫いた。


「土地神殺しとも言われた妖魔がこの様か………」


 なにやら聞き捨てならない台詞を吐き捨てられた。


「貴様がこの山で燻っているだけなら、オレ達が世界を変える! その前に、土地神と貴様に復讐を果たしてやろう!」


 言いたいことだけ言って、俺の偽物は闇夜に消えた。

 しかし、土地神殺しとは……とっても心外である。それに、復讐される筋合いはない。そんな記憶はない。


 復讐されるくらいなら、相手は全部消してきたからな。


 気がつくと、周囲がざわついていた。野鳥や犬猫に擬態していた同胞が集まってきたらしい。場を鎮めるために擬態し、発声。


「解散解散! 大丈夫だ、俺はこの山の味方!」


 渋々動物達は巣へ帰っていった。

 戻ってくるまでは平和に擬態していたと言うのに、全くツいていない。


「はぁ………アホくせ」


 ようやく本性を現し始めた偽物のことは置いといて、再び妖魔に姿を戻しゴミ拾いに戻った。


 ひと仕事終えて家に戻ると、母親が出迎えた。


「お疲れ様。山の掃除、ご苦労様」


 妖魔のままでは返答もできないので、擬態となる。


「はいはい、ただいま」


「あらぁ、どうして擬態ヒトになっちゃうの? 我が家なんだから楽にしてればいいのに」

「元の姿だと会話できないだろぉ! 誰かさん達のおかげでな!」

「まぁまぁ、そんなにママとお話ししたいの?」


 母はやけに上機嫌だった。思春期男子のような反応をするのも億劫なので適当に流した。


「オヤ、お疲れかな?」


 居間に入ると父がワイングラス片手に窓の外を眺めていた。


「まぁね。外に置いてあるゴミ、捨てといてもらっていい?」

「ん? あぁ………」


 歯切れの悪い返事。父は続ける。


「山の掃除か………精が出るね」

「え! あーほら就活の時、ネタに使えるかなぁ……と思って」

「深夜に?」


 なんだか尋問されているような。眉を潜める父を納得させるために話を逸らす。


「そういや、また俺の偽物に会ったよ」


 母も呼び、先刻のやり取りを両親に説明しておいた。


「……フム、最近の若者は行動が過激だネ」

「乱暴ねぇ」


 現代人間社会に叛逆する同胞に嘆くだけで、なにか対策しようという雰囲気ではなかった。


「……あの、なんかしてくれないの?」


 一応相談の意味も込めて話したのだが、両親は大きくため息をついた。


「境くん……」

「だめよぉ、もう二十歳なんだから自分のことは自分でやらないと!」


 この街の話なんだが………なんだろう、一枚壁を感じる。


「前に言っただろう? 『やり方は任せる』ってネ」


 いくら任されたとはいえ、ここまで広義に任されるとは。というか、この二人なにもしたくないだけだろう。


「はぁ………もう寝るわ」

「「おやすみ〜」」


 ベッドに倒れ込み、たいして働かせていない思考をクールダウンさせる。妖魔と人間、特に人間に擬態しての行動は制約が多い。加えて土地神ときた。


「どうすっかなぁ」


 山の中とはいえ、さっさと始末しておけば良かったのだろうか。土地神の仕事もやらないとだしなぁ。本当に余計な機能である。


「アホくさ……」


 一人悩むのもバカバカしくなり、まぶたを閉じた。



◇ ◇ ◇



 ふと、眠りについたその夜。

 何のきっかけもなく、無くしたモノが見つかるようにぽっと、何の前触れもなく記憶が鮮明に呼び起こされた。





 まだ街を出る前、人間に興味などなかった頃──黒蜥蜴おれは翠山で静かに暮らしていた。そんな折、山中で怪我をした人間の女と出会ってしまった。


「────」


 本体の姿に、女は恐怖も敵意も向けることなく、ただ困ったような表情で、


「ごめん、足挫いちゃったみたい。肩貸してくれない?」


 と、笑いながら手を伸ばしてきた。


 正直、山で人間と関わることは気乗りしなかったが妖魔の俺を見て何の反応もしなかった女に若干の興味が湧いた。気まぐれに女を麓まで運んでやると、後日わざわざ会いに来た。


「やっと見つけた! この間のお礼言おうと思ったのに全然見つからないんだもん……ねぇ、名前教えてくれる? 私は──アサ、あなたは?」


 人間の名前なんてどうでもよかった。話そうと思ってはいなかったのでしばらく無視していたが、女──朝緋は毎日のように俺の元へ訪れた。仕方ないから擬態で名乗ると、少女は屈託のない笑みを浮かべた。


「妖魔のお友達なんて初めて! よろしくね、境くん」


 家族以外に名前を呼ばれるのは新鮮だった。

 それからしばらくして、朝緋が妖魔を狩る存在だと知った。けれど標的にしているのは翠山の下にある街で暴れる妖魔だけで、山に来ているのは純粋に俺と話しに来ているだけだった。


「だって、山でひっそり暮らしてる境くんたちを消す理由なんてないでしょ?」


 もっともな意見だった。


「それに、キミはトカゲさんみたいで可愛いのにね!」


 これについては同意しかねた。

 それから朝緋とは翠山で何度も交流を重ね、街に現れた妖魔退治にも協力する真似事もやって見せた。もちろん、両親やほかの人間には見られないように。

 人間との交流も悪くはない──そう思い始めた頃、別れは急に訪れた。


「────」


 翠山で好戦的な〝獅子の妖魔〟と呼ばれる同胞が暴れていた時だった。説得を試みたものの、家族を守るだの他人は信用できないだと山を縄張りにして人間だけではなく、他の妖魔も脅かしていた。ちょうど両親が街を離れていたタイミングに一人で対処しようとしたところで、朝緋が割って入った。なぜか悲しそうな表情で少女は俺を止めた。


「これは私の使命だから!」


 啖呵を切って妖魔に挑んだ少女の末路は、血まみれの姿に成り果てていた。なんてことはない、弱肉強食の世界でこの女が負けただけだ。

 僅差で生き延びていた獅子の妖魔は朝緋にとどめを刺そうとしたが、俺は咄嗟に朝緋を庇い妖魔を返り討ちにしてやった。


「あ……境くん。はは、結局──君に助けられちゃったね」


 倒れそうな少女を受け止めた。弱々しい声と共に、朝緋は笑みを浮かべる。恐怖はなく、絶望もなく、柔らかく笑った。


「はぁ……やっぱり私ひとりじゃダメだったなぁ」


 一人バツが悪そうにする朝緋を黙って見つめた。流れる血を止めることもできなければ、人間相手に励ましの言葉をかけることもない。



「──────────どうして」



 自分でも一瞬気づかなかったが、擬態になり思わず朝緋に問う。



「どうして────笑ってるんだ?」



 発声したことに自分で驚いていると、少女は俺の右手にそっと触れた。


「なんでかな? わかんないけど、キミに看取ってもらえるなら────いいかなって」


 非力な手からわずかに、俺へ光が流れ込む。それが何かは当時わからなかった。


「きっとね、キミに会えたのも運命なんだ………」


 朝緋が空を見つめる。


「妖魔とか、人間とか関係ない。キミのその手は──」


 満足気な表情を浮かべた少女は、そのまま瞳を閉じて動かなくなった。

 山の中で生物の生き死には何度も目の当たりにしてきた。両腕の中で命の灯火が消えた少女も、その一人にしか過ぎない。

 正直、なぜ死に瀕して笑っていたのか理解できなかった。考えようにも、人間のことなんて何も知らなかった。


「はぁ、アホく──いや、やめとこう」


 それからすぐ山を出て、朝緋の体を一度だけ案内された碧海市にある彼女の家の庭に運び安置した。突然の妖魔と少女の亡骸を目の当たりにして、人間達は怒り狂っていたが気にならなかった。


「………おねえちゃん?」


 妖魔である俺を見るより前に、地面で静かに横たわる朝緋にひとりの子供が近寄った。


「おねえちゃん、風邪ひいちゃうよ?」


 そいつは死んだんだ。風邪なんて引きようがない。呼びかけようとしたが、黒蜥蜴の姿をした俺は口が利けなかった。


「………」


 やがて武装した人間たちが周囲を囲んだので、面倒になり咆哮し威嚇の意をみせる。


「ねぇ、おねえちゃん! おねえちゃんてば!」


 必死に朝緋を呼びかける子供が少し気になったが、これ以上いても朝緋の言葉の解を得られないことは明白だった。


「────!」


 剣に槍に銃に、様々な武装が襲い掛かったが、全て受け止めて弾き返し、ゆっくりと跳躍してその場を後にした。

 その後は朝緋の言葉の意味を求め、両親に頼み込み人間の世界へ飛び込んだ。わざわざ県外まで足を伸ばしたが結果はつまらないものだった。

 朝緋のような存在もいなければ、彼女の残した言葉の意味も分からずじまい。無為に時間が過ぎ、気づけば擬態生活は怠惰な日々となり今に至る──記憶が戻らなければ、白神朝緋という人物を思い出せないほどに。人間を学ぶために擬態で過ごしていたというのに、その目的となった根本を忘れていたというのは、なんとも情けない。

 そんな記憶が蘇ったのころには、窓から朝日が差し込んでいた。


「白神朝緋って…………朝緋あいつのことか」


 思えばあの看取った時に流れ込んだ光、あれが土地神の力といえばそうなのだろう。しかし今でも、今だからこそなおさら謎だ。


「どうして────」


 何故俺なのか。今更考えたところで答えが見つかるわけないが口に出てしまう。堂々巡りの末、解を得られるわけもなく。


「アホくさ………さっさと起きるか」


 気だるさを気合いで振り切り、支部へ向かった。


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