1-1(5)目覚め




「遅いぞ! 新人。隊員ともあろうものが弛みすぎた!」


 ひとまず支部に足を運ぶと、開口一番来栖ハルトに罵声を浴びせられた。


「仕方ないだろ、歩きだったんだから」

 言い訳で返すと腹に鉄拳制裁が下る。


「歳は下だが位はオレの方が上だぞ、口を慎め」

「りょ、了解」


 初めて会った時から思っていたが、こいつとは絶対合わない。


「市内南区のショッピングモールに妖魔が現れた。数は二、駅前に出てきた奴とは別の個体という報告だ」


 普通の妖魔ね、普通の。あの刀使えば瞬殺だろうなぁ。


「現在土地神様が迎撃に当たっているが、店内に残った民間人がいるため新人含むDチームは………おい、聞いてるのか!」


 うわの空でいると、今度は無言の制裁を受けた。

 なんであれ、とにかく初陣だ。チャンスがあればこれでお使いはクリアだ!

 …………と浮かれていたが、皆さんお忘れないだろうか?

 俺は留年して呼ばれただけの、要は数合わせなのだ。


「ここにいるのはまだ現場経験の少ない者が多い。できることは限られるが可能な範囲で役立ってもらう」


 と、得物を受け取って車に乗り込み、現場へ急行した。


 ◇ ◇ ◇


 現場のショッピングモールについたものの、大して派手な命令はなかった。


「はいはーい、危ないからあちらに避難してくださいねー」


 初陣だからといって銃火器を持たされることはなく、代わりにヘルメットと赤色の警棒、連絡用のインカムを渡されて民間人の避難誘導に駆り出されただけだった。


(アホくさ………)


 適当に棒を振って市民を流す。今頃土地神様は妖魔をぶった斬っているのだろう。街で暴れる同胞が討たれようが、漆葉家には関係ない。


「だるいなぁ」

「ちょっと! 何してるの!」


 視界の端から若い怒声が飛んでくる。


「いい加減にやらないでよ! 市民の命がかかっているんだから!」


 来栖サナがヘルメットの上から頭を小突いてきた。


「まったく……どうしてアンタみたいな奴が配属されたのか理解できないわ」

「同感」

「ふん………ちゃんと誘導してよね、それくらいしか役に立たないんだから」


そう吐き捨てるとサナは現場に向かって行った。


「ご苦労なことで」


 なんであんな小娘に小言を言われなきゃならんのだ、とも思ったがこれも単位のためだ。肉体労働くらいは我慢しておこう。しばらくして、インカムに通信が入る。


『対象の無力化を確認、事態収拾まで避難誘導は続行。繰り返す……』


 バイトみたいなことをしていたら戦いは終わったらしい。これだけ離れていたら戦闘のどさくさに紛れて刀を奪うなんてできないなぁ。

 とまぁ実行できない計画を立てようとしていると唐突に建物が揺れた。


「な、なんだぁ?」


 揺れでズレたヘルメットを戻していると悲鳴に続いて避難客が一斉に踵を返して逃げてきた。


「お、おい!」


 飲み込めない事態を前に、民間人が前方から数人降って来る。床に鈍い音で叩きつけられ、身動きが止まる。

 ヒトの飛来した方向に目を向ける──俺がいた。いや、俺ではないが、俺だ。


「────」


 逃げ惑う人間を掴み無造作に投げ捨て、新たな獲物をゆっくりと追いかける。真っ黒な全身は鱗を纏い人類とは離れた存在であると主張する。誰が呼んだか、『二足歩行の黒蜥蜴』。


「駅でぶっ飛ばされて以来か………」


 俺が碧海市から離れている間になにがあったかは知らんが、他の妖魔ならいざ知らず俺のなりすましとはやってくれる。

 が、人間の姿ではどうにもならない。

 避難誘導に回されていた他の職員も投げ飛ばされていた。人間がどうなろうと知ったことではないがこれ以上被害が増えるのも問題だな。


『こちらAチーム、そっちから大量の民間人がパニック状態で来てるぞ! どうなってる!』


 聞いたこともないおっさんの声が無線から届いたが、正直左から右に流れた。


 妖魔と目線が合う。いや、目は確認できないが、逃げ惑う人々に目をくれずこちらを見据えていた。


「脆弱な奴らだ………抵抗が無駄なことを教えてやろう」


 機械で作ったような変な声だった。そしてその声の主はゆっくりと、逃げる人々へ近寄る。


「アホらし──逃げるか」


 心の声が漏れた。避難誘導どころではない、パニックで安全を考えて逃げた……こう言い訳して逃げればいい。擬態ではどうにもならないしな。



 『だめ、助けてあげて』



 耳元で女の声がした。しかし傍には誰もいない。聞き覚えのあるような、ないような。 

「こちらDチーム、応答願います! こちぐぁ──」


 一緒に避難誘導していた職員が妖魔の拳で吹き飛んできた。


「お、おい!」


 声をかけてみるが返事はない。息はしてるようだが、助かるかどうかは知らない。


『こちらAチーム、一体どうなってる状況を報告しろ! こちら──』


 耳障りになったのでインカムを投げ捨てる。本来なら暴れる妖魔を止めたいところだが、目的を達成するまでは堪えるしかない。


「とっとと逃げるか」


 急いで踵を返して走ろうとするが、体がいうことをきかない。



 『命を、この碧海を助けて』



 また耳元で囁かれる。悲鳴を上げて逃げ惑う人間以外、周辺にはいない。声の主を探して視線を泳がせていると、妖魔の前で一人の子供が転んだ。


「あ………」


 小学生くらいの女の子だった。転んだ衝撃か、恐怖でなのか泣きじゃくりうずくまる。


「見ているか人間ども! 今からこのガキの息の根を止める! 貴様らがいかに非力か教えてやる!」


 声高に妖魔は叫ぶ。そして、子供の背後に立ち、拳を振り上げる。あの子供には運がなかった、それだけだ。


「………」


 目的を達成したらあの妖魔はぶっ潰してやろう。今は自分の命だ。そう胸中で呟きながらもう一度逃げようとするが、何か大きな力に顔ごと無理やり向きを変えられる。



『助けろ──漆葉境──!』



 声が叫ぶ。

 刹那、自意識とは真逆に、子供の元へ全力で両足が駆ける。振り下ろされる拳を掠めながら子供を抱き抱え、その先へ飛ぶ。


「────体が勝手に────なんだ………」


 視線の先、妖魔の拳は床を粉々に砕いていた。胸元に目を落とすと状況を理解できない女の子がしがみついていた。


「おい、あっちに逃げれるか?」


 無理やり女の子を立たせて人が逃げていく方を指差した。少女は黙ってうなずく。


「よし、走れっ!」


 妖魔は子供など目もくれず、こちらを見据えていた。


「驚いたな………自分の命を顧みず他人を助けようとするとはな。今の脚力………貴様、何者だ」

「随分舌が回るな。強い妖魔ってのは無駄口叩かないもんだぞ」


 断っておくが、俺のことではない………多分。


「まぁいい。不安要素は早めに摘むに限る」


 妖魔は標的を俺に定め、他の人間を放って詰め寄り始めた。


「やべ………」


 急いで走り出す。体の自由が戻り、妖魔とは正反対の方向へ逃げる。奴は動きが鈍い、なんとかなる。と思ったのも束の間。後ろに視線を向けると妖魔はベンチを片手で持ち上げこちらに構えていた。


「いっ………!」


 瞬間、飛来するベンチを咄嗟に屈んで避ける。今度は後ろを振り返らず、全力で疾駆する。


「せいぜい逃げ回るがいい!」


 妖魔は獲物を追い詰めるのを、まるで楽しむように重量のあるもので投擲を続ける。


「やろぉっ!」


 とにかく今は逃げるしかなかった。






「はぁ……はぁ……ったく、なんつー馬鹿力」


 店内を逃げ回り、隣接する立体駐車場の屋上にあった車の陰に身を隠した。辺りに人気はなく、避難自体は成功したらしい。


「どうした! 威勢が良かったのは最初だけか!」


 化け物は挑発してくるが、とても乗る気にならない。


「土地神頼りの人間どもでは歯が立たないだろうな ハッハッハ」


 本来妖魔の身分なので気にする必要はないのだが、偽物にそこまで言われる筋合いもないわけで。


「やかましぃな。お前らだってその土地神様が怖いから無抵抗の人間から襲ってるんだろ」


 妖魔の嘲笑が止まる。口が滑った。………もしかして、怒った?

 機嫌を伺う前に、空から軽自動車が落ちてきた。駐車してあった車と衝突し、激しく爆発する。


「うぉっ!」


 爆風に流され、転げ回る。体勢を立て直して立ち上がろうとするが、目の前に大きな影。


「遊びは、ここまでダァ!」


 右脚で蹴り上げられる。すかさず左腕で構えたが、妖魔の足はその腕を折りながら俺を吹き飛ばした。受け身も取れず、アスファルトに叩きつけられる。


「がはっ…………や、やばい」


 肘から先がきれいに九十度曲がり、直後激痛が襲う。


「力もないのにでしゃばるからこうなるんだ」


 妖魔は地面を踏み鳴らしながらこっちに近づいてくる。そして、倒れた視界の上で止まる。

 力はある。ただ出せない状況だから出してないのだ、なんてことを返すこともできない。


 仕方ない──妖魔もとに戻るしかない!


 妖魔に戻るのに、特別なことはいらない。ほんの一瞬、ひと呼吸で前触れなく戻れる。


「終わりだ!」


 頭蓋を潰そうと妖魔は腕を上げる。両目を見開く。妖魔に戻る合図で酸素を吸い込む。コンマ数秒後には反撃する瞬間に、割って入る影があった。


「はぁッ──」


 銀色の軌跡が弧を描き、妖魔を切り裂いた。そのまま奴はよろめいて後退する。


「大丈夫ですか!」


 青白い甲冑のような出立から、女の声。前に聞いた。土地神、白神夕緋だ。


「大丈夫、じゃないかも……な」


 痛みを我慢しながら左肩を上げて怪我を見せる。


「すぐに応援が来ます、じっとしててください!」

 少女は俺の前で、再び剣を構える。

「来たな土地神ィ! そこの人間を守りながらどう戦う!」


 停めてあった車からタイヤを二つもぎ取り、妖魔が一直線に放る。


「はっ──!」


 白神は投擲物に怯むことなく突っ込み、二つとも刀で切り裂く。そのままさらに踏み込み、妖魔の間合いに入る。


(すげぇ)


 感嘆を漏らすまもなく、人間が妖魔を追い詰めている。やはり白神の持つ刀は脅威だ。

 視界から二者の姿が消え、衝撃音のみ耳に届くようになった頃合いを見て、上体を起こした。


「く……思ったよりヤバいな」


 本当は絶叫したいくらい痛いが歯を食いしばる。どうせ元に戻れば擬態も修復される、それまでの辛抱だ。

 気合を入れて立ち上がった途端、何かが車に飛来した。フロントガラスに白神が叩きつけられていた。兜は割れ、身を守る外装も壊れていた。


「…………マジかよ」

「土地神とはいえ、結局一人だと大したことないな」


 視界の端から妖魔が現れ、白神を片手で吊り上げる。


「こ、この………!」

「ぬん!」


 なすすべもなく、白神は俺の前に投げ捨てられる。


「ち、力が……出ない……」


 状況理解が追いつかない様子で、白神が呟く。


「お、おい!」

 左手を押さえつつ、白神に駆け寄る。

「う、うるは、さん………逃げ、て」


 覚えてたのか、俺の名前。


「逃げる必要はない。ここで土地神もろとも消し去ってくれる!」


 妖魔は白神を叩きつけた車を持ち上げようとする。不意に右手を少女に掴まれる。


「逃げ、て!」

 こんな状況でも、少女は他人の心配をしていた。

「………はぁ」


 脳裏に似たような光景がフラッシュバックする。白神に似た女が、俺の両腕の中で静かに眠った奴の──遠い過去の記憶。



『キミのその手は、生き物を傷つけるものじゃないよ』



 傍らにあった刀に視線が移る。


(………アホくさ)


 ただのおつかいがとんでもないことになってしまった。



『人間もキミの仲間もみんなを幸せにできる、だから──だからあとは、キミに任せる』



 昔看取った女の言葉。……結局『みんな』を幸せにしたためしはないが、この状況を打破しなければ幸福など訪れないだろう。


(まったく…………アホらし)


 答えはまだ探している。さっきとは状況が変わった。土地神のいるここで擬態を解くわけにはいかない。


「ちょっと借りるぞ」


 白神の握っていた刀を奪い取る。何かできるわけでもないが、擬態での最後の抵抗だ。


『新たな土地神を認識しました。仕様を変更、緊急充填を開始します』


「うおっ! 刀が喋った!」


 刀からさっきから俺に語り掛けていた女の静かなと共に、刃の根本、柄から切っ先に向けて刀身がゆっくりと桜色に染まり始める。


「な、なんだその光は!」


 こちらの光景を目の当たりにして妖魔は動きを止めた。


「しらねぇよ!」

『充填完了しました』


 声と共に、全身に活力が巡る。折れていた腕が一瞬にして元に戻った。


「今更足掻こうが無駄ダァ!」

 妖魔は一気に車を持ち上げ、こちらに放り投げた。放物線を描かず、真正面に襲いかかる。


「ふぅ……」


 唐突な状況にも関わらず、とても落ち着いている。まぁ、いざとなれば妖魔に戻ればいいか。

 両手で刀を握りしめ、真上に振り上げる。


「ラァァッ」


 力任せに、一気に振り下ろす。半円を描いた切っ先から桜色の閃光が放出され、飛来する車両を真っ二つに切り裂く。分断された車は左右に飛び、屋上から落下していった。爆発音が届く前に、一直線に疾駆する。


「あぁぁぁぁぁぁぁ──」


 絶叫と共にもう一度刀を構え、動揺する妖魔に斬りかかる。


「な、お前は──」


 言葉を交える前に、斬撃を浴びせる。鈍い衝撃が両腕に走る。刃は右肩から袈裟斬りに軌跡を描いた。


「ぐはぁっ!」


 妖魔の口から黒い液体が吐かれ、全身に浴びる。構わず刀で刺突を繰り出そうとすると、妖魔は後退した。


「ぐ、ぬ、ぬぅ……予想外だが計画に狂いはない……命拾いしたな人間ども」


 追い詰める前に妖魔は屋上から飛び降りた。


「あ、おい! ………あの偽物………」


 ここまで自分の姿で滅茶苦茶に荒らされるとおつかいどころではない。


「…………」


 いつのまにか回復した左手、そして銀色に戻った刀を見つめる。


「一体なんだったんだ………」


 無我夢中で暴れていたから今になって疑問が浮かぶ。女の声………夢に出てくる女のような………


「………あ、あの! ………その、力」


 背後から兜を脱いだボロボロの少女がよろめきながら歩み寄ってきた。体勢を崩しそうになるので、やむなく受けとめる。


「おっと……動くなよ、危ないぞ」


 ふと受け止めた拍子に白神の頭に触れてしまう。その瞬間、自分の体から力が抜け、白神の方へ流れ込んだ。ような気がした。


「あ………え? 体が」


 ついさっきの状態が嘘のように、白神は元気に立ち上がった。


「な、治ってる!」

「………マジかよ」


 これも土地神・白神夕緋の力か。と、一人驚いていると、白神に両手を握られる。



「うぇ?」

「やっと見つけました──本物の、土地神

様!」



 突拍子もないセリフに開いた口が塞がらない。


「は? え? おれが?」


 妖魔だぞ? お前らの敵だぞ? 確かに今は人間に擬態しているが…………こいつは何を言ってるんだ?

 混乱する俺を前に、白神は満面の笑みを浮かべていた。








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