2-2(1)『明るい』



 それは朝靄あさもやの中で────ある少女といた、過去の記憶。最近になってそういえば、と思い出すことが増えた。擬態生活の中で埋もれてしまったのだ、仕方ない。


「キミはさ────もう少し命をよく見たほうがいいよ」


 いつだったか、生きていた頃の白神朝緋しらがみあさひは言った。早朝五時のことである。


『山の命は見てるぞ』


 少女に以前渡されたホワイトボードに殴り書き、少女に向けて掲げる。


「ううん、そうじゃなくて……………えーとなんていうのかなぁ………命の輝き? 煌めき?」


 うまく言語化できない様子で、逆にこちらへ聞いてくる。………知るか。

 漆葉家の玄関前で、朝緋はくるくると回りながら地面に転がる妖魔の亡骸を避けて舞う。その左手には白木の鞘に納められた刀を握っているが、殺気などはない。


 今にして思えば人間でいうところの美人だったのか。


 線の細い端正な顔立ち。飾り気のないヘアゴムで一束にまとめた黒の長髪が少女を追いかけるようにふわりと浮いた。無邪気に舞う姿は見た目よりもずっとあどけなく映る。

 朝緋あさひがいる理由は知らない。朝目覚めると、玄関前に両親へ挑みにきた妖魔がいて──全員丁重に『もてなした』。自慢の爪や牙で挑んできたやつはそれをへし折り、速さを誇るヤツにはそれを捥ぎ、奇妙な能力を披露しようとした奴は出すのを待つ間もなく潰した。


『早朝に押しかけてくるヤツらに気つかってどーする』


 急いで水性マジックの軌跡を消し、新たに言葉を紡ぐ。その様子を朝緋は楽しげに眺める。


「あはは、確かにそうだね! じゃあ…………キミは私のこと、どうもてなしてくれるのかな?」


 ピタリと踊りをやめ、上目遣いで朝緋は問うた。期待の眼差しに、もう一度ホワイトボードをまっさらに戻し、


『帰れ』


 一言突きつけると、少女はもう一度妖魔の亡骸の隙間でご機嫌でステップを踏む。


「あははははっ──つれないなぁ、もう!」


 残念がる様子もなく、少女ははにかむ。


「ほら──周りのこのひと達はもう明るくないけど、これとか! すっごく明るい」


 朝緋は転がっている妖魔の隙間に咲いている小さなタンポポを指さした。そもそも妖魔が『明るくない』という言葉の意味が分からない。


『その花がなんだよ』


 淡々と疑問を文字に起こして見せると、少女は頬を膨らませて不機嫌になる。


「もぅ! 見てわからない? 明るくてキレイでしょ!」


 鮮血に染まる地面に、静かに咲くタンポポを見ても………特に何もない。人間の感性だとただの黄色い花でも『明るい』なんて表現するのか。


『全然わからん』


 軽く手を左右に振って理解できない仕草と共に伝えると、少女は仕方ないな、とため息を吐いてみせる。


「じゃあ────わたしがあのひと達をもてなし終わったら、教えてあげる!」


 ぞろぞろと森の茂みからさらに大量の妖魔が現れる。人のなりを崩し、未知の異形と化した奴らがこちらへ迫る。

 朝緋が左手に持った得物を引き抜くと、人格が変わったように表情は冷たくなり、切れ長の目には先刻の幼さは失せて、どこか……くすんでいた。


「キミにも見てもらいたいな、命がぱぁっと輝くとこ!」


 漆葉家を訪れた命知らずは本来、黒蜥蜴おれがあしらうべきなのだが、少女は勝手知ったる様で妖魔達へ斬りかかった。その横顔は、楽しんでいるようにも………苦しんでいるようにも映った。


『散らかすなよ』


 注意の言葉を見せ、あとの相手は朝緋に任せた。こっちはこっちで自分が散らかした妖魔の残骸を、片づける事に取り掛かる。

 結局、妖魔の始末に追われ、朝緋の言っていたものが何だったのかはうやむやになり朝緋ごと、しばらく忘れてしまっていたわけで。


 擬態にんげんを何年か経験したが、あいつの言っていたことはついぞわからなかった。



 ◇ ◇ ◇



「────明るいってなんだよ………………ん?」


 スマホの着信で目が醒める。さっきのは夢か………久々の戦いで、擬態が疲れて眠ってしまったようだ。液晶画面には五時半と表記されている。

 周囲を見渡す。環境省妖魔対策課碧海市部、第一会議室である。つまりいつも作戦会議に使っている部屋なのだが、今は仮眠室扱いだ。名前の覚えていない職員たちもうつらうつらとしている者や、床で横になってぐっすり眠るやつ、机に突っ伏している人間もいた。


「………おつかれさんでーす」


 音を立てないように席を立ち上がり、部屋を後にする。着信はまだ続いており、相手は白神からだった。




 猿妖魔暴動事件の後、現場の収拾と土地神の『お仕事』を終えたその日は、支部で待機命令が出された。妖魔がいつ出てくるかわからないため、戦力になりそうな職員は支部で夜を明かしたわけである。


 涼香に至っては、白神を病院へ送り支部に戻るとすぐに殻装を纏い市内全域のパトロールを買って出た。これは意外だった。


『市内警戒を兼ねて殻装の走行機能テストを行うだけです………他意はありません』


 とは言っていたものの、昨日の白神への態度から察するに気を遣ってやった………と言うことだろうか。

 いい加減うるさい呼び出しに応答すると、小さな声で「おはようございます」、と少女の声が届く。


「このアホ、何時だと思ってんだ」

『えへへ………なんだか病院のベッドってうまく寝付けれなくて…………』


 いい迷惑である。おかげでまぶたが少し重い。


「それで…………こんなに朝早く土地神様はなんの用だよ?」


 安心したのか、少女の声に明るさが戻った。


『一応昨日も診てもらったんですが、内臓に損傷はなかったです。でも痛みが続くようならしばらくは安静にって………黒蜥蜴に受けたダメージがまだ残っているみたいです………』

「昨日の今日で出てきてすぐ動けた方がおかしいんだよ」


 俺としてはかなーり手加減をしたがそれでも妖魔の状態の攻撃は致命傷になりかねないはずだ。少なくとも普通の────いや、組織とは関係ない一般の民間人なら骨が粉砕していてもおかしくない。


『で、でも、私が戦わないと………!』

「少しは支部の人間を信頼しろよ…………いつまで経ってもボロボロになるまで戦うことになるぞ…………白神、お前黒蜥蜴を倒すんだろ?」


 気にしている単語を言ってやると、『わかりました』と小さな返事と共に通話が切れる。相変わらず扱いやすくて助かる。


「ふぃ────我らが土地神様は働きすぎだねぇ」


 ………独り言に他意はない。決して。


 三十分後、自販機でお茶を買っているところを榊女史に見つかり、そのまま支部長室へ連行された。白神の容態について報告はあったが、俺個人に電話があったことを話すと朝食と引き換えに内容を説明する羽目になった。


「だ、そうです──高校生の癖に立派なワーカホリックですね、アレは」


 支部長室でなんの味もしないおにぎりを口に運びつつ電話の内容と、所見を述べた。白神のは、仕事というより宿命なのだが。あまり暗い内容にしてもめんどいからな。


「………確かに、無理をしているのにも気づかなかったのはこちらの責任です」


 苦虫を噛み潰したような顔で榊女史は俯いた。


「まぁちょうどいいんじゃないすかね。土地神として活動始めてからまともに休んでないでしょ、あいつ」

「それは、確かにそうだけど………」

「同感です」


 隣に座していた涼香が口を開く。そう――驚いたことに涼香も何故か、先にいた。そしてわざわざ用意されていたおにぎりに七味唐辛子をまぶして頬張っている。

 やっぱり普通じゃねぇよ、こいつ。


「地方の土地神が行うタスクは多すぎます。まして、碧海市は近年妖魔のホットスポットと言えます。有象無象の妖魔に偽の黒蜥蜴、果てはその本物が戻ってきている現状────」


 自分のターンになって涼香の舌がよく回る。そんな状況に気づいたのか、涼香は咳払いをして食事に戻った。涼香の指摘に唸っていた榊女史は大きく息を吐き、


「…………そうね、じゃあ────」


 なんだか………とっても嫌な予感しかしない。


「とりあえず……漆葉君と桧室さん、バディになってもらえるかしら?」


 唐突な提案に、しばらく身体がフリーズしてしまった。

 そんなことはお構いなしに、涼香は自分で赤く彩ったおにぎりを黙々と食べていた。

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