2-1(5)激辛と辛口



 中華料理店・紅龍ホンロンとは碧海市駅近くにある飲食店である。駅前には居酒屋や他飲食店が並んでいるが、そこから徒歩五分ほどで着くところにある。大通りから外れていたせいか、存在自体知らなかった。

 入店早々、桧室親子が常連のように慣れた様子で注文したのでそれに合わせたが、俺はそこで既に選択肢を間違えたらしい。注文を終え食前に水で喉を潤わせながら周囲を見渡すと、なぜか泣いたり悶絶しながら食事をしている客がいたからだ。

 改めてメニューに目を通すと『四川料理』と『香辛料をふんだんに使った』というフレーズが目に入ったが、特に気にしていなかった。


 まぁ何が言いたいかというと、その香辛料である唐辛子が織りなす辛味とは、痛覚──要は痛みだ。


 開始早々間もなく白神は強烈な辛味にダウンした。俺はただ、奢ってもらえると思っていただけなんだ。俺は悪くない。


「か………ッ! ミ……みず」


 隣で煙でも出そうかというほど悶絶する白神。まさかこうなるとは予想していなかった。……面白いからいいけど。

 かくいう俺もとりあえず頼んだ棒棒鶏を食べたら口の中が麻痺してしまった。味覚ではなく痛覚の話だ。もはや何を口に入れても身体を虐めているような気がする。もはや食事どころではない。一旦口へモノを運ぶのをやめた。


「追加を!」


 そんな俺たちの事は目もくれず、対面の涼香はいたって平静に真っ赤な麻婆豆腐を平らげおかわりまで注文している。テーブルには他にも餃子やエビチリ、酢豚など定番の中華料理が並んでいるが、なぜだかどれも赤い。明らかに赤い。


 ………見ているだけで目が痛くなってきた。


「いやぁ、娘はこういうジャンルのものに目がなくてね!」


 そう言いつつ、博士も真っ赤な坦々麺を平然と口に吸い込む。なぜ二人とも汗すら出ていないのか。


「う…………あ、ぁ」

「やかましいぞ、白神」


 『中華ですか? 大好きです!』と意気揚々で餃子や唐揚げをつまみ、不幸にも真っ赤な麻婆豆腐に手を伸ばした結果がこの少女である。


「すまないねぇ! 妖魔が出現したらいつ来れるかわからないものだから早めに来ておきたくてね」

白神こいつのことは気にしなくていいですよ。大抵食って撃沈してますから。………すいませーん店員さん、杏仁豆腐二つ」


 仕方ないので食事を切り上げデザートに移る。ついでに白神の分も注文。

 改めて涼香を見ると、食事している様はあどけなく映った。年齢自体、白神とさほど変わらないだろう。


「…………漆葉境、わたしに何か?」


 手が止まった涼香に見つめ返される。端正な顔立ちと切れ長の吊り目で睨まれているようにも感じたが、眉間をひそめているわけではない。


「辛い物好きなんだなぁと」

「単純に辛い物が好きなわけではありません──高められた辛味の奥にある旨味………その刺激を求めているだけです。碧海市ではこのお店が辛さでは有名だったので」


 やや早口で説明する涼香に対する印象は、


「…………変わってんなぁ」


 となりの少女にツッコみを期待したがいまだ辛味で意識が飛んだままだった。ほどなくしてやってきた杏仁豆腐を白神の口に放り込み、意識を復帰させてやる。


「────は! 辛くない!」

「ったりめーだろ。ほら、おまえの分」


 皿を渡すと、頬を緩ませて白神はデザートを堪能していた。さっそく俺も口に運ぶが、いつも体感できる甘味には届かなかった。


「…………甘味が足りないかなぁ」

「十分です! このくらいが普通の甘さなんです!」


 そんなやり取りをしている間にも、桧室親子は黙々と料理を追加して食していた。


 それからしばらく。何品か平らげると桧室親子もようやく発汗していた。


「しかし君たちの関係は変わっているねぇ………土地神と従者というのはどこか関係に隔たりがあるパターンの方が多いんだけど」


 突拍子もない博士からの指摘に飲んでいた水で白神と二人むせる。


「き、気のせいですよ………漆葉さんの方が年上ってこともありますし」

「そうそう! 白神こいつは親しみやすい土地神様なんですよ、ハハハ……………」


 平然を取繕っておけばいいのに、お互い不自然なほど声を張り博士へ弁明する。


「そうか! なら、娘もすぐに馴染みそうだね! なんたって白神クンの従者候補として追加招集で来たわけだからね」

「え? 新型装備のモニタリングを碧海市で行うだけじゃないんですか?」


 桧室博士は中年らしく、メガネを外しておしぼりで顔の汗を拭きながら説明を続ける。


「まさか! 単純な装備の実験なら都内の方がよっぽど適しているよ、妖魔ももっと出現頻度は高いしね………首都圏を離れた地方になると妖魔の事件率もぐっと低くなるけど、前から言われていることで、碧海市はよく出る……そう言われているね。まぁ少し前の騒動も踏まえると、身分の明るい〝人間〟を補填したいというのが国の考えだろう」

「……………確かに、そうですね」

「果たして補充要員を用意できたとして………次の問題が土地神の戦いについていけるかという話になる………現在白神クンが使用している強化外装は涼香が使用している殻装キャラペイサーのプロトタイプなんだけど、要は殻装をつけて戦績を上げれば碧海市だけではなく人員不足の市町村区でも妖魔への対処に困らなくなる………その検証も兼ねて、『普通の人間』であるボクの娘――涼香をモニターとした殻装の実証を行うわけだね!」

「単に碧海市このまちだけの話じゃないのか…………」

「うん。実際に殻装を量産化できれば訓練の時間を減らして教育コストを削減することができる。特に遠距離型の殻装は人を選ばないからね」


 実に迷惑な話である。通常の妖魔なら十分な性能だし文句はない。ただ対黒蜥蜴用に仕上がった場合に今のままでは面倒になること間違いない。それにこれ以上街を荒らされるのも御免被る。


「そういうわけだ、これからは白神クン、漆葉クンと娘の3人でしばらく頑張ってほしいね!」


 面倒ごとの負担が減るなら俺としては歓迎だが。そううまく行くかねぇ?


「必要ありません」


 一人で盛り上がる博士を他所に、涼香の方は実に冷ややかだった。


「先日の戦闘結果では白神夕緋との連携は取れず、わたしの殻装は性能を充分に引き出せませんでした。あれなら最初から単独で戦闘を継続していた方が有益です」

「なっ────」


 白神が虚を突かれたように目を丸くする。


「わたしの目的はあくまで殻装のモニタリング。性能実証の邪魔はして欲しくありませんね……………それにおと──博士、土地神の従者というのもあくまで検討中というだけということをお忘れなく」


 涼香が食後の烏龍茶で口を湿らせる。無口かと思ったが、意外によく喋る。透き通った声は冷淡に白神を煽った。


「へ、へぇ………あれだけ乱射しても対して有効打には見えなかったんですけどぉ?」


 ぷるぷるとお茶の入ったグラスを震わせ白神が返す。引き攣った笑顔と若干紅潮した顔に寒気を覚える。まだ沸点には達してない。


「アレは通常妖魔用に装填していた銃弾で、黒蜥蜴に対して本来は威力重視の特別なライフル弾を使用しますので…………昨日あなたが流れ弾に当たらなかったのも単にこちらがスペックをセーブしていたからです」


 ────なんだが不穏な空気。しかし博士は楽しげだった。段々額に青筋の浮き上がる白神は負けじと煽る。


「そうですか〜…………で、でも実際まともにダメージを与えたのは私の攻撃だけじゃないですかぁ?」

「お、おい白神………」


 立場くらい弁えてくれ。お前、体裁は一応土地神なんだぞ………そろそろ落ち着け。

 そんな必死の論戦も空しく、涼香は冷ややかに白神を見据えた。特に嘲笑するわけでもなく、苛立つ様子もなくクールなまま切り返す。


「数度の斬撃でエネルギー切れを起こす武器なんて非効率的です────ごちそうさまでした」

「な、な────な!」


 わなわなと震える白神を放って涼香は席を立ち、店を出て行ってしまった。去っていく涼香に何も言い返せずあわあわとたじろぎ、そして


「なんなんですかあのひとぉッ────!」


 怪我をしていることも忘れ、白神は叫んだ。


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