2-1(1)桧室涼香



 明くる日。集めたゴミは無事に市の収集車に渡せたが回収した中にあったエロ本が見つかり、両親が妙によそよそしい態度だったことは早く忘れたい。


「………平和だねぇ」


 壁のガラス越しから行き交う一般人に独り言。今日も洋菓子店『ドゥ』のケーキが甘いことを認識。相変わらず砂糖の量は多めの域を超越している。


「従者様がこんなところで油売ってていいのか?」


 『ドゥ』の店長が追加で頼んだワッフルを運んできた。小言は余計である。


「いいんだって、もう妖魔騒ぎなんて起きてないから」


 来栖兄妹の事件から一ヶ月、黒蜥蜴としての活動を除けば平穏な毎日を送っていた。本来なら大量の妖魔を捕縛、撃破した功績でさっさと大学に戻れたのだが、逃走を許してしまった為に妖魔対策課の上層部は御立腹。『力があるなら働け』というお達しで未だに環境省妖魔対策支部所属になっている。


 ────まぁ、逃したの俺なんだけど。


 果たして大学復帰はいつになることやら。


「呑気な奴だなぁ………サボってたら、ハルトとサナに叱られるぞ」

「間違いないな!」


 ハッハッハ、とお互いにわざとらしく笑う。

 来栖兄妹がいなくなったのは表面上、別地区への異動ということになっていた。まさか内部に妖魔がいましたなんてことは公表できないのだろう。


「ほらみろ、噂をすればだ。くわばらくわばら………」


 店長は逃げるように店奥へ消えた。振り返ると眉間に皺を寄せた、セーラー服姿の白神が壁のガラス越しに土地神の刀、『さくらみこと』を携えて仁王立ちしている。


「あ………お疲れっス」


 勢いよくドアを開けて、白神が対面に着席。


「うーるーはーさん? 巡回をサボってお茶なんて随分お・ひ・まなんですね!」

「い、いいじゃねぇかちょっとくらい。これでも毎日の清掃活動はきっちりやってんだぞ!」

「良くないです! その活動後ぜぇったいにここに来てケーキ食べるじゃないですか! 昨日また黒蜥蜴と別の妖魔が現れた報告、聞いてないんですか!」

「それは知ってる。けどそれはそれ。あとこれはケーキじゃない! ワッフル」

「どっちでもいいです!」


 大した剣幕である。うるさいので空いていた口にワッフルを突っ込む。


「………あまぁ」


 甘味でとりあえず黙らせた。


 目の前にいる少女は白神夕緋しらがみゆうひ。ここ、碧海市の守り手である土地神を名乗る人間だ。ただ実は本物ではなく、元々白神家が土地神を担っていたから戦えるだけで本来はこいつがお供の従者、俺が本物の土地神なのだ。非常にややこしいが、これが現実。


「もう………毎日食べてたら体壊しますよ?」

「食わなきゃテンションが上がらんのだ」


 もし悪い妖魔が出てきても白神を使って戦えばなんとでもなる。それに、土地神とバレると仕事増えそうだから嫌。だからこの少女にはまだまだ土地神として振る舞ってもらわなきゃ困るわけで。

 気を取り直してワッフルを追加し楽しんでいると、思い出したように白神が話を切り出す。


「そういえば今日、本部から新装備が支給されるみたいですよ」

「へぇ………そう」


 焼きたてのワッフルは良い。『ドゥ』のは特にこれでもかと甘みを行き届かせているのが憎いところ。生クリームやメープルシロップなどいらんのだ。


「なんでも、黒蜥蜴に有効な装備を──って漆葉さん聞いてます?」

「ん? あぁ聞いてはいるよ」


 次何食べようかな………生返事していると両頬を掴まれ白神とにらめっこ。


「ハルトさん達がいなくなってとぉってものんびり屋さんになっちゃいましたねぇ?」


 白神の引き攣った笑顔に緊張が走る。


「今日はその本部の方々と立ち会うんですから! さっさと行きますよ!」

「アホらし………んなもん土地神様のお前だけ──うわ、なんだ!」


 襟を掴まれ無理やり引きづられる。


「もぅ、本当の土地神様はマイペースでいけませんね!」


 ニコニコと、目の笑っていない笑顔で白神に支部へ連行された。


 ◇ ◇ ◇


「白神夕緋、漆葉境ただいま戻りました!」

「も、もどりました……」


 抵抗虚しく支部に到着し、支部長室で榊女史に報告。今日も異常はない。


「ご苦労様。伝えていた通り、今日は本部から新装備と、そのモニターがもうすぐ来るわ」


 十分もしないうちに、支部へ二台の大型トラックがやって来た。その後ろからはもう一台、黒のセダンが遅れて現れる。


「やぁやぁ、出迎えありがとう。本部開発担当の桧室光清ひむろこうせいだ、よろしく」


 車から登場したのは白衣姿の初老男性。痩躯で頬はややこけ、枠の太い黒縁のメガネが顔よりも主張してくる。


「お待ちしておりました、桧室博士。このたびは──」


 博士とやらは榊女史の堅い挨拶を素通りしてずかずかと俺に距離を詰めた。


「おぉ、君があの刀を使いこなす従者クンかね! 確か名前は……」

「漆葉境です、博士」


 博士の後方を見やると車からもう一人。冷たい声で俺の名を口にしていたのは物静かな雰囲気の少女だった。


「そうだそうだ、漆葉君だったね! 君とはじっくり話したいと思っていたんだ」

「いや俺は別にまったく………んぎっ!」


 本音が出る前に白神が脇腹をつねって止めた。


「お久しぶりです博士!」

「おぉ! 夕緋君は相変わらず元気そうだね!」


 元気よく握手を交わす二人を他所に、俺は車から降りる少女の方を気にしていた。白神を初めて見た時凛とした印象があったがこいつはまた違う、ただ冷たい氷のような雰囲気だった。


「紹介しよう、娘の涼香りょうかだ。今回の新装備モニターでもある」


 博士の娘とやらは光合成も知らないような生っ白い素肌を妖魔対策支部配給の制服に袖を通していた。身長は白神より高くスラっと、モデル体型。栗色のセミロングの髪はキレイに切り揃えられていた。見た目は例えるなら西洋の人形のよう。無表情のまま会釈だけして、涼香は静かに佇む。


「ま、新装備とはいっても端的に言えば白神君の真逆……中遠距離の戦闘に特化した重武装の強化外装だ──」


 ウキウキで博士が語っている時に警報音が支部から鳴り響いた。


『ひすい公園に妖魔が出現、交通トラブルから本体に戻り暴れています! 至急現場に向かってください!』


 ………んなことで本体を出すなよ。と言いたいところだが感情の昂りで戻ってしまうのも妖魔の性か。


「ちょうどいい! 新型のこけら落としと行こう。涼香、いけるね?」

「はい、おと──博士」


 少女は返事と共にトラックの扉を開け中へ消えた。暗闇から機械の駆動音が唸る。


「なんかやかましいな………」


 薄暗い影からゆっくりと、新装備とやらが現れる。



 出てきたシルエットは、白神の蒼と対になるような真紅の装甲。両肩に複数の銃口を担ぎ、両腕にも単身のそれが装着されている。さらに両手で持つライフルとまさに火薬づくし。兜の部分には二本のアンテナが角のように左右後方へ突き出た輪郭をしていた。


「桧室涼香────出撃します」


 装甲両足についている車輪が駆動し、涼香はトラックから飛び出す。


「いっちまった………」


 追う間もなく、深紅の強化装甲……というより赤いロボットもどきは目的地に向かって消えていった。いきなり現れた兵器にぽかんと呆けていたものの、明らかに戦争でも始めようかという装備の量にツッコまずにはいられない。


「いやいやいやいや! あんな装備ぶっ放して暴れたら妖魔よりあぶねぇよ!」


 ワンテンポ遅れて博士たちが乗ってきた車で涼香を追う。が、しばらくしても影すら見えない。


「心配いらない、安全性は検証済みだよ。娘の装甲頭部にはカメラを搭載しているから映像を出そう」


 光清博士が自前のノートパソコンを広げ映像を見せた。そこには現れた妖魔にけたたましい音とともに銃撃の雨を浴びせる光景が流れた。


「うるさ………」

「は、博士、もう少し音量を──!」

「ハハハ、すまんね。あれ、もう終わったみたいだ」


 適正音量におさまった頃には、車は現場の公園に到着していた。急いで車から降りると、公園一帯は戦場跡のようにボロボロに変わり果てた姿が広がっていた。

 この光景を見たせいなのか、胸のあたりに違和感が沸き上がる。


「マジかよ………」


 公園一面に生い茂っていた芝生は涼香の駆けた後でひどくめくれ、逃げる妖魔を追いつつ銃撃をしたせいか、せっかく咲いていた花々は無情にも散ってしまっていた。違和感は喉元まで迫って来て、ようやくゴミを拾わなかった時の吐き気と同じものだと勘付く。


「妖魔は……………!」


 白神が一足先に走る。

 深紅の機体が直立不動で佇むその先。おびただしい弾丸を受けたであろう妖魔がうずくまって地面に伏していた。


「目標制圧──任務完了です」

「ハッハッハ! 見たまえ、これが〝対妖魔強化外装・殻装キャラペイサー〟の力だよ」


 得意げに語る博士には申し訳ないが、未だかつてない吐き気が口内まで昇っていた。


(や、やべぇ…………これ、来るかも)


 擬態ヒト側として必要以上に命を荒らした罰なのか、〝黒蜥蜴〟に戻る前兆がいつにも増して強い。


「ちょ、ちょっとトイレ行ってきます」


 博士に一言断りを入れ、すぅっと後退り。急いで公園にあるトイレの個室に立て篭もった。鍵を閉めると目眩で壁に背を預ける。


 最近なかった筈の症状が、ここにきてまたぶり返した。


 出るはずもない胃液をぶち撒ける間もなく、擬態ヒトのシルエットは形を崩し、漆黒の異形に成り代わる──否、戻った。


「………」

 あーあ。

 戻ってしまった。


 視認せずとも感覚で分かる。それに目線が数段高くなっているし、個室が窮屈である。

 どうせこのまま居ても見つかったら強襲は免れない。出るか。

 個室の鍵に手をかけるとしっかりと真っ黒な異形の手に変わっていた。ため息を吐きながら開けようとすると、扉は蝶番ごと外れてしまう。


「………!」


 いやいや、これは不可抗力。普通に開けようとしただけだから。

 仕方なく扉は壁に立てかけトイレを後にする。



(あぁ〜あ………どうすっかな)


 本体・黒蜥蜴もとのすがたでは感じたことのない倦怠感が全身を包んでいた。普通に動くだけなら何ともなさそうだが、全力疾走は難しそうだ。周囲を見渡すとぞろぞろと支部の人間が事態の収拾に取り掛かり始め、見つからずにこの場を去るのは不可能。


(しかもなぁ………このまま帰ったらマズイよな)


 トイレに行ったっきり漆葉境が消え、入れ替わるように黒蜥蜴が出た! わかりやすい伏線である。ハルトやサナのように、代わりもいない。うーん、実に困った。


「………」


 トイレの入り口で腕組みをしていると右のこめかみに何かが飛来・衝突した。


(あだッ)


 首だけのけぞるが痛みはない。地面には潰れた弾丸が転がっていた。


 確認の為にゆっくり右に振り向くと、深紅の強化装甲を纏った──桧室涼香がこちらにライフルを構えながら接近を始めている。


(やっぱりこうなりますか)


 ついでに──桜色に輝く刀を携えた白神も、桧室涼香の後方から参戦。


(帰りてぇ……………)


 八方塞がりのまま、黒蜥蜴おれは二人を迎え撃つ。

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