犯人逮捕はドキドキです
「っあぁ……。吐きそう……」
――――おい、次は外から登れ。下から音が聞こえたら飛び降りろ――――
――――えぇ? 飛び降りろって……。僕、魔力尽きかけで吐きそうなんですけど――――
――――は? おまえが言ったんだろうが。なぁ、これはいったいなんなん――――
イラついたベントさんの声がショート寸前であろう脳に耐えられないほど重くずしりと響く。申し訳ないが状況は把握できたので回線を切らせてもらった。一方的に、だが。
この倦怠感といい吐き気といい、なにより首をまっすぐ保っていられないほどの頭痛。間違いなく僕はまた《
ほんの数秒前の僕が何を考えていたのかは知らないが、せめて冴えたやり方を思いついていることを願い屋外の避難用階段へ向かう。
「クッソ……。これ上るのかよ……」
建物の裏手側には赤く乾いた錆が目立つ簡素な階段が雨ざらしの状態で備え付けられていた。
一段一段の段差が大きく、疲弊した僕の体には少々手厳しい造りだ。
仕方ない、と足を踏み出し上へ向かう。
《
結局、マッポは体力勝負なのだ。
ぜぇぜぇと息を切らしながら四階までたどり着き、あと少しで屋上へ上る最上階が見えた、と少しの達成感を感じた時、真下から〝ジリリリリリリリリリリリリリリリ"とけたたましく鳴り響く警報装置の音が聞こえた。
受付の女性が鳴らしたのであろう警報装置は正しく機能したようだ。
「目覚まし時計かよ……」
うんざりしながらも下をのぞき込む。
なるほど。飛び降りろっていうのはこのシチュエーションのことか。思ったよりも一枚も二枚も冴えてないなぁ。
勘弁してくれ。もう魔力尽きちゃうよ……。逡巡も一瞬のことで気が付けば手すりを乗り越え身を投げていた。
突然の落下に内臓はついてこれなかったのか、ふわ、と魂が浮く感触がした。胸に空気の塊を感じながら体は地面に引き寄せられるように落ちていく。
最小限の魔力消費で抑えるべく《
本来はこの高さから飛び降りるなら全身にかけるべきなのだが背に腹は代えられない。
あぁ、落ちるぞ、落ちるぞ。体を起こして着地に備える。
「ッッッッ! ぐっ、ぬぬぬぬ…………」
地面のレンガをぶち抜きながらも、なんとか両足で踏ん張り、耐える。
ぶちぶちと体のあちこちから何かが切れる音が聞こえてくるが、もう気にしてしまったら負けだ。
「………っし」
気合を入れなおすと、ふらつきながらも受付へつながる裏口へ向かい、扉に手をかける。
すると、ひとりでに扉が開いた。
「!」
ローブのフードを目深にかぶり顔を隠した男が、まさに同じタイミングで裏口から出てくるところだった。
もちろん僕も心臓が止まるほど驚いたのだが、疲労困憊が幸いしたのか相手ほど大きなリアクションをとれずむしろ落ち着き払っているように映ったことだろう。
お互いにドアノブを握り見つめあう僕たち。
鳴り響く警報。
僅かな間の後にお互いに必死にドアを引っ張り合う。
外開きのドアを犯人と思しき男は閉めようと、僕は開けようとしているのだ。
「ぶへ」
綱引きのようなやりとりをしていると思った次の瞬間、気が付いたら地面へひっくり返っていた。
どうやら律儀にドアを閉める必要はないと男は気づいたようで、ドアノブから手を放し踵を返して堂々と宿屋のエントランスから逃げるつもりのようだ。
たしかに、ちょっと落ち着いて考えればその通りだ。なんてマヌケなんだ僕は。
「待てコラァ!」
恥辱を与えられ頭にきた怒りを理不尽にもむき出しにして、急ぎ立ち上がると必死に男を追う。
男がエントランスの大きなドアから逃げ出す後ろ姿が見えた。こっそり逃げることは諦めて往来に紛れ込もうというつもりだろう。
まずい。このままだと追い付かない。逃がしてしまう。
「待てっつってんだろがこの野郎!」
僕も慌てて後を追い、通りへ出たところで立ち止まった男がまた振り返りこちらを見る。
なんだ、諦めたか?と思い男の背後へ視線をやると黒いローブの小柄な男性が男の行く手を塞いでいた。
「お手柄だな。クソガキ」
「その声……ベントさん!?」
初めて男性フォルム(?)で僕の目の前に現れた彼は男性にしては小柄で目鼻立ちの整った美形だった。悔しいほど美形だった。男性とは思えないほどの艶を湛えた長い黒髪をたなびかせている。
その容姿でドスの効いたバリトンボイスなものだからギャップがすごい。
路地裏でのお手々すりすり誤射事件を思い出し、なんとなく目を逸らす。
こんな美形なら多少出ちゃってもしょうがないかも、なんて絶対絶対感じてないんだからね。
「お、おい、前見ろ、前!」
なんだか女性に見えてきた美形がなにか叫んでいる。
ぼうっと彼に見とれていた僕を犯人(推定)は「こっちなら何とかなるぜぐへへ」とでも思ったのか見事なターンを決めて突っ切ろうと向かってきていた。
無言のままこちらへ明確な殺意を向けて突進してくるローブの男の背後からベントさんが何か魔法を放つ。
「!?」
「まぶしっ!」
ベントさんの手元から眩しい光が爆ぜたと思った時、男が何かに躓いたかのように転び、足を抱えた。
あまりの光量に視力を奪われた僕はのたのたと四つん這いになり、手探りで男の確保を試みる。
むにゅ、という感触があったのでとりあえず掴む。
徐々に視界が開けてくると、今つかんでいるものが例の男の脚だとわかった。よくよく見るとローブから覗く足首から薄く煙が上がっている。どうやらベントさんは何かの魔法で彼のアキレス腱を焼き切ったらしい。
怖すぎる。
「おい、落とせ! 魔法使われるぞ!」
落とせ、とは気絶させろ、ということだろう。
なんて物騒なことを言う治安維持組織の人間だろうか。反社会勢力と治安維持組織は紙一重、とはよく言ったものだと中にいる人間は感じることが多いはずだ。
「とりあえずおとなしくさせます。たぶん僕ふらふらになるんで肩、貸してくださいね」
「…………おまえの魔法はなんなんだ?」
それは後で説明します、と心の中で応えながら例の男と目を合わせる。
「よくもこんなボロボロになるまでやってくれたな。素敵な記憶をプレゼントしてやるよ」
「………燃えろ!」
「《
男の魔法が顕現するその一瞬前、彼の脳内へ忍び込んだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
男が、目の前で僕に向けて手をかざしながらなにか喚いている。
なかなか戻らない五感に異変を感じつつもうまく脳が働かない。なにもかもがぼんやりと感じられてまるで水中にいるような感覚だ。
騒ぎ立てていた男が脚をつかんでいた僕の手を振り払い立ち上がる。どこかから取り出したナイフを手に取りこちらへ向かってくるのを、僕はどこか他人事のように突っ立って見ている。
ぼやついた視界でもわかるほどくっきりと横から一筋の光が走ったように見え、男の手に小さな穴が開いた時、世界に輪郭と音が戻ってきた。
身体に二か所も風穴を開けられた男はもごもごと何かを言いながらその場に突っ伏す。
「なにボサッと突っ立ってんだ! おとなしくさせるんじゃなかったのか!?」
「…………。あぁ、ベントさん」
「おまえ、マジでどうした?」
呻きながら蹲る男を跨いで困惑したようなベントさんの綺麗な顔が近づいてくる。
その背後に足の腱と掌を魔法によって撃ち抜かれた男がベントさんに向かって再び手をかざし魔力を込める姿が目に入った。
まずい。
そう思ったのだが、魔力は不安定に上昇と下降を繰り返し、『魔法』という形を取れないまま霧散していった。
「魔法が、使え、ないっ! おまえ、俺に何をしたぁ!?」
「……悪いね。覚えてないんだわ。予想はつくけど」
その男は憎しみの籠った眼を僕に向けるがわざわざ答えてやる義理はない。
「何をしている!? って、ブルム!? 何があった? こいつは?」
僕らの起こした騒動を聞きつけて駆け付けた同僚がようやく到着したようだ。
「事情は後で説明する。とりあえずそいつを拘束して詰所へ連れていけ。門に押しかけてるバカ貴族の手先にばれないようにな」
「あんた一体誰だよ? てかこいつ連れてくならまず病院だろ」
「その人はマトリの方です。 共同捜査の最中に戦闘に巻き込まれまして……。倒れてるほうは超重要な被疑者です。命に別状はないはずなので詰所で適当に手当てしといてください」
あんた呼ばわりされたベントさんは面白くなさそうに、ふん、と鼻を鳴らす。
怒っている顔も美しい。
「マトリぃ? おまえそんなことに首突っ込んでたのか。こいつの魔法の系統は?」
「大丈夫です。もうその人、魔法、使えないんで。詰所にアンネ先輩がいると思うんで、その男は極秘でよろしくって伝えてください」
「あぁ? まぁいいや。 おい、コイツ締め上げて連れてくぞ」
同僚が手際よく男を縛り上げていくのを横目に僕は救護部隊の担架に担がれ近くの病院に運ばれていった。
驚いたことに砂漠のようにドライであろうと思っていたベントさんの付き添いで。
わっせわっせと運ばれる僕と並ぶように歩いていたベントさんはしばらく押し黙っていたが、我慢がきかなくなったのか口を開いた。
「今のところ意味がわからんことばかりだ。情報の扱いに長けたこの俺がお前にこき使われて気分も悪い。しばらく待ってやろうかと思ったがやはり腹が立つ。今すぐ話せ」
魔法世界の傭兵ですが魔ッポと呼ばれて辛いです。~記憶術師の日常事件簿~ さんご2世 @t-sango
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。魔法世界の傭兵ですが魔ッポと呼ばれて辛いです。~記憶術師の日常事件簿~の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます