武良前野行き武蔵野行き

美崎あらた

武良前野行き武蔵野行き

◆二〇一三年八月三〇日 武良前野より武蔵野へ◆


拝啓

 お手紙ありがとうございます。スマートフォンを使えば一瞬でやり取りは完結するというこの時代において、わざわざ手紙という連絡手段を選択する先輩は、やはり変わり者です。

 先輩がこの大学を卒業して「武蔵野の地へ帰る」と言ったとき、なぜか僕の頭には万葉集のある歌が浮かんできました。

「あかねさす武良前野(むらさきの)行き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖ふる」

 武良前野すなわち紫野とは平安京七野の一つに数えられた野原であって、京都市北区南部の地名です。もちろん武蔵野とは何ら関係がありません。京都生まれ京都育ちの僕にとっては、それほど武蔵野という地名になじみがありませんでした。先輩はずいぶん遠くへ行ってしまうのだなと心寂しく思ったものです。

 さて、京都の夏は相も変わらず地獄のように蒸し暑いです。山城盆地は夏蒸し暑く冬底冷えする恐ろしい地形です。昔の人はよくここに都を作る気になったものですね。昔は今ほどではなかったのでしょうか。しかしずっと住んでいるので、愛着もあります。たとえば朝方、賀茂大橋に立って鴨川デルタ方面を見ましたら、山々が京の都を抱いているのがわかります。それが僕にどこか安心感を与えるのです。広大な関東平野では、この心持は味わうことができないでしょう。

 こちらの話ばかりで恐縮です。新社会人としての先輩の生活はいかがでしょうか。僕もそろそろ就職のことを考えなければいけない時期に差し掛かっております。参考までにご教示いただければと思います。

                                   敬具

  二〇一三年八月三〇日

                                 田中淳太

鈴木文子様



◆二〇一三年九月二一日 武蔵野より武良前野へ◆


拝啓

 わが忠実なる後輩くん。お返事ありがとう。君なら面倒くさがりながらも書いてくれると信じていました。しかし変わり者呼ばわりはいただけません。

 さて、私は君からの手紙を読んで、京都から出たことのない平安貴族たる後輩くんに武蔵野の良さをレクチャーしなければならないという使命感に燃えています。

「恋しけば袖も振らむを武蔵野のうけらが花の色に出なゆめ」

 これもまた万葉集からの引用です。武蔵野の名が初めて史料に現れるのは万葉集第十四巻「東歌」だといわれています。ウケラはキク科の多年草で、武蔵野はかつて野草の野原だったことがわかります。

 また、このお手紙を書いている今日は中秋の名月です。武蔵野の原イメージにはやはり月も欠かせません。自宅のバルコニーから月がよく見えています。あなたも同じ月を見上げているとよいのですが。今の武蔵野で広大な原野を見渡すことはかないそうにありませんが、月はきっと今も昔も変わりませんね。

 君は大いなる偏見でもって関東平野がコンクリートジャングルと化していると思っているのかもしれませんが、必ずしもそうではありません。今の武蔵野には、林があります。これを発見したのは国木田独歩ですね。原野は失われたけれども、人々の生活と雑木林が交差する今の武蔵野もよいではないかと再発見したわけです。私も最近、休みの日は独歩のように散歩をするようになりました。実家の周りは昔からほとんど住宅街ですが、不意に現れる小川や雑木林が実に趣深いです。

 新社会人としてのアドバイスなんていうものは、特に思いつきません。さほど面白いものではないですから、期待せずに日々のパンのための仕事をして、堅実に生きるべきではないでしょうか。そんなことより、君も卒業したら武蔵野に来てみてはいかがですか? その折にはふらっと気ままな散歩に出かけることをお勧めします。

                                   敬具

  二〇一三年九月二一日

                                 鈴木文子

田中淳太様



◆二〇一三年十月十八日 武良前野より武蔵野へ◆


拝啓

 武蔵野へのご招待をありがとうございます。たしかに見聞を広めることはよいことですね。根が出不精なので、就職とかそういった機会に思い切って飛び出してみるのもよいかもしれません。

 散歩で思い出したのですが、琵琶湖疎水沿い、西田幾多郎が毎朝歩いて思想にふけったという哲学の道。文学哲学にかぶれた人はとかく散歩をしたがるものです。西田先生の『善の研究』は未だ読破できず本棚に眠っていますが、あの道は僕も好きです。というより、琵琶湖疎水にただならぬ引力を感じます。滋賀県大津市の取水点から長等山をトンネルで抜け、山科北部の山麓をめぐり蹴上に出る。山を貫通させて人為的に引かれた水の流れですが、なぜこうも惹かれるのでしょう。一度蹴上から山科、そして大津へと自転車で峠を越えたことがあります。疎水の源へ向けて逆流を試みたわけです。僕のような文系人間がそのような体力仕事に打って出るのは大変珍しいことです。道中、断片的に遭遇する水の流れが、見えないところでつながっているのだと思うと、どこか壮大な気持ちになったのです。

 学園祭の準備が忙しく、今回はこのくらいで失礼します。先輩もお忙しいかとは思いますが、都合がつけばぜひいらしてください。

                                   敬具

  二〇一三年十月十八日

                                 田中淳太

鈴木文子様



◆二〇一三年十一月一日 武蔵野より武良前野へ◆


拝啓

 そういえば、もう学園祭の季節なのですね。残念ながら仕事の都合がつかず、遊びに行くことはできません。きちんとOGらしく酒樽をもって後輩たちを襲撃すべきだったのに、それはまたの機会とします。

 さて、京の都に琵琶湖の水をもたらしたのが琵琶湖疎水だとすると、江戸の町に多摩川の水をもたらしたのが玉川上水です。羽村からいくつかの段丘を這い上がるようにして武蔵野台地の稜線に至り、そこから尾根筋を通って四谷大木戸まで。国木田独歩の言う雑木林の趣を作り出したのも、この玉川上水でしょう。

 私が通っていた私立の中高一貫校の近くには、玉川上水が流れていました。最寄りの駅から学校までは、車の行きかう街道沿いを行くか、玉川上水沿いを行くかの二択でした。夏なんかは虫刺されもひどいし、天気が悪いと足元がぬかるむというので、慣れた生徒たちは皆街道沿いの通学路を選択するようになっていきます。しかし私は虫に刺されようと靴が泥だらけになろうと、玉川上水沿いを歩きました。

 あまり気の合う友達もいなかったから、自然と人気のない方を選んだのかもしれません。しかしそれもまぁ、今となっては良い思い出です。以前にも書いたかもしれませんが、武蔵野と呼ばれる地域で仕事をしていると、ふとしたときにこの玉川上水と雑木林に遭遇します。君の言う「断片的に遭遇する水の流れ」というやつですね。私もなんとなく、その気持ちはわかります。点と点がつながって一つの流れになる。それが心地よいのですね。

 さて、肌寒くなってきました。お体にはお気を付けください。若いからと言ってあまり無茶をしてはいけませんヨ。

                                   敬具

  二〇一三年十一月一日

                                 鈴木文子

田中淳太様



◆二〇二〇年八月十五日 武蔵野にて◆


 この手紙には何と返したのだったか。メールなら送信履歴を見返せばよいのだが、手紙ではそれができない。内容はともかくとして、返事を書いた記憶はたしかにある。しかし先輩との文通はいつのまにか途切れていた。そわそわとポストの中身を確認していた記憶があるから、今度は先輩の書く番だったはずだ。

 先輩には東京で恋人ができて、なんなら結婚もしているかもしれない。だからお遊びの文通はおしまい。単純にそういうことなのだろう。僕と先輩は付き合っていたわけではない。だからそんなことは気にせずに、こちらから手紙を送ってしまってもよかった。どこに行くにも何をするにも、先輩に報告する手紙の文面のことばかり考えていたのだから。しかしそれはしなかった。こちらも就職や転居、新生活に慣れることにエネルギーを消費していた。

 僕は何の因果か、今や武蔵野の地に住んでいた。京王線芦花公園駅の近くにアパートを借りて一人暮らし。忙しくしかし退屈な会社員をやっている。やはり関東平野は広大で、なんだか不安になる。

 新型コロナウィルス感染症の影響で遠出が憚られる中、つかの間の夏季休暇を迎えた。僕は先輩のかつての教えに従って、朝方散歩に出かけた。芦花公園駅からしばらく南下すると、蘆花恒春園という公園に行きつく。徳富蘆花は雑木林にかこまれた自然の中での生活を好んでこの地に移り住んだという。茅屋の説明書きに、蘆花の書いた『国木田哲夫兄に與へて僕の近状を報ずる書』からの引用があって、また先輩のことを思い出す。

 南下するのに飽きると、気の向くままに北上する。芦花公園駅から北、杉並区と世田谷区の境界線上を歩いていくと、不意に玉川上水に遭遇する。疲れたらUターンして帰路につこうと思っていたけれど、吸い込まれるようにして上水沿いに歩を進める。木々が日差しを遮って空気が変わる。だんだん水量が増えてきて、橋からのぞき込むと魚影が見える。井の頭公園通りを横断したあたりから、立派なバルコニー付きのおしゃれな家々が並ぶようになる。

 憧れと好奇心でもって見上げると同時に、その家のチャイムを鳴らす「ピンポーン」という電子音が響く。「はーい」女性の声。「すいませーん、クワガタ取らせてください」子供の無邪気な声。

 やがて虫取り網を握りしめた少年が、家主と思われる女性とバルコニーに現れる。虫取り網がひらめき、家の壁に付いたクワガタムシをかすめ取る。

 東京での出来事とは思えなくて、知らず微笑んでしまう。「ありがとうございましたー」という元気な声とともに少年が去る。バルコニーに残った女性と目が合いそうになって、あわてて歩を進める。

 不意に、こちらに来てからずっとどこかに潜んでいた不安感が消えたような気がした。「帰ったら、もう一度手紙を書いてみよう」そう思えた。

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武良前野行き武蔵野行き 美崎あらた @misaki_arata

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