24(`・⊝・´ ) recit : 10 神の御名において祝福を(2)

「あたしは厨房の片付けがあるからね」


アデールは離れようとして、立ち止まり、振り返る。


「……そういえば、妙だね」


「何か?」


シュヴァリエの顔を睨むように「だって変だろう」と続けた。


「テルース一味はどうしてここにいないんだい。こういった揉め事は、まず領主に雇われた連中が処理してきた。あんたら正規の騎士団が踏み込むなんて泥樹デジュの歴史に無かったことだ」


「だが、これが本来の役目だ。今の時代に領主なんて認められてない。実権があるかのように好き勝手振る舞っているが、それに従う住民も問題がある。王様の時代じゃ無いんだ」


「そんな屁理屈を聞いているんじゃないよ。揉め事には喜び勇んで首を突っ込んできた不成者ならずもの連中がここにいない、それがおかしいと言ってる」


「実は……、テルース一味は行方不明なんだ」


「なんだって?」


他の客も動揺し騒ぎ出す。


シュヴァリエが「静かに!」と声を荒げるが、数人は疑問を口にする事をやめない。


アデールの視線。仕事をしろと言うことか。


「皆さん、お静かに」


顔を覗き込み、興奮覚めやらぬ瞳にぼくの視線をぶつける。実戦で初めて使うスキルだが……どうやら上手くかかった。相手は体勢を保ち目を開けたまま眠った。


「数日前から見かけなくなった。カネの取り立てに行ったあとだ」


ジュリアが小さく「あ、」と声をあげる。


「そのとおりキミの借金だよ、ミス・ジュリア。何か知らないか」


シュヴァリエが詰め寄る。


「わたし、わかりません」


額には大粒の汗。恐怖から瞳孔が大きくなる。躰も震えていた。


既に騎士長の眼光はネズミを前にした猛禽のそれだ。


一方でアデールの視線はジュリアでなく、ぼくに向けられた。


何とかしろと言う意味か。あるいは、ぼくたちの事を勘づいているのか。何にせよ貴重なサンプルを持って行かれては面白くない。一芝居打つ。


「怖いおじさん達なら、ここへ来たよ」


猛禽は興味をぼくに変更した。


「そのおじさん達はどうなったのかな?」


「ぼくを、ったんだ。それを見てミッシェルが……噛み付いたんだ。血も出てた。おじさん達は怒鳴りながらギルドを出て行った。ごめんなさい。でも、ぼくも、お姉ちゃんもミッシェルに救われたんだ」


泣いてみせる。


シュヴァリエはしばし押し黙り、そしてアデールへ向けて「今日はイスカリオテの捜査で来た。テルース一味の失踪については後日協力してもらう」とだけ告げた。




「ほお、その犬はミッシェルという名かね」


それまで黙っていたクロード神父がぼくの横にやって来るとミッシェルを見下ろした。


フードの奥に光るトカゲの瞳に、我が眷属も少し興奮気味に唸った。


「ミッシェル、神父さまにご挨拶しなさい」


「犬につける名前としては感心しないが、しかし強い信仰心の表れとも考えられる」


「ありがとうございます、神父さま。ぼくも神の声を聴けるよう頑張ります」


「素晴らしい心掛けです。キミに神の祝福を」


へらへらと締まらない笑顔は上っ面だけのものだ。ぼくの傍らに立つジュリアが最初から目当てなのは明らかだった。


神父という立場を、これだけ多くのランチ客の前で演じて見せなきゃならない。



つまり、子供と子犬に優しく声をかける。と、いう演技を演じなきゃならないわけだ。



「あなたは、この敬虔な少年のお姉様ですかな」


「いえ、知り合いです」


「そうですかあ……ん、んん」


クロード神父の眼光が鋭くなる。表情が硬くなる。そして「おまえの宗派は……もしや異教徒ではあるまいな」と急に声へが入った。


「あ、あのわたし……」


「お姉さんも、ぼくと同じカトリックですよ。日曜日に教会へ連れて行ってもらう約束をしました。すごく楽しみにしてます」




人間の世界は特定の神を作り上げた。『神の御名みなにおいて人間は一つに結束すべき』と考えたからだ。


しかし自分の神は、自分の神となっていった。他人の考える神を受け入れられず、人間たちは疑心暗鬼から喧嘩を繰り返した。やがて神への信仰心は複数の宗派に分裂していった。


さらに同じ仲間にさえ火炙りや磔で信仰心を試した。『あいつは魔女だ』『悪魔だ』気に入らない他人を根拠なく陥れた。そうやって人間は、人間同士で延々と殺し合った。


けれど、そもそも神は人間に興味などない。滅びたとしても気にしないだろう。


人間が自分勝手に空想した神様なんて絵空事だ。存在しない虚構だ。



──神の使徒たる我々が確信をもって教えてやる。世界を統べる神はオーディンさま。ただ一柱だけだ。




ところで、クロード神父がカトリックなのは簡単に分かった。事前の下調べが功を奏したな。


この街は大半がカトリック信者だ。ならば政府組織の騎士団に混じってこれだけ大きな顔でいられる、こいつはカトリックということだ。


そして予想は見事に当たった。


「そうでしたか。よもやプロテスタントかと……もちろんわかっていましたよ。羅馬ローマ系のようだし間違いなくカトリック信者でしょう」


ジュリアの顔を見て、一言話しただけで、外国人だと見抜いた。しかも羅馬という生まれ故郷まで当てた。


人間の神父という種族はスキルが使えるのだろうか。


ジュリアを舐めるように見回していたが何事かを耳元で囁いた。


彼女は下を向き、軽く会釈する。クロード神父の締まらない笑顔が益々溶けて流れそうな状態になっていた。




結果的に小一時間ほどでギルドでの拘束は解かれた。


数万人規模ともいわれるイスカリオテだが、ギルドにいたのは金髪男ひとりだけだった。しかもミッシェルが見たくなって、今日初めて顔を覗かせたようだ。これまで来た客のリストなどあるはずもないが、アデールもジュリアも覚えの無い顔だった。結局シュヴァリエら騎士団はあっさり出ていくしかなかった。


「ちゃんと掃除するんだよ」


アデールに指示されながら若い騎兵が床を磨き、その間シュヴァリエとアデールはしばし歓談していた。新人の補充が欲しいとの依頼にギルドの女傑オーナーは「活きの良いのが来たら声をかけてみるよ」と応じた。




その夜のジュリアは、いつもより遅い時間に現れた。


ぼくが机で調べ物をしていると現れる。足元が覚束ないのはアルコールが理由だ。そこはいつも通りだが、酷く疲れているようで一言も喋らずベッドに倒れ込んだ。ポケットから数枚の銀貨が溢れ落ちたのを慌てて拾う。


「どうしたの、何かあったの?」


子供らしく、歳上のお姉さんを気遣う。


「ごめんね。あたしみっともないよね」


「そんな事ないけど、何があったの?」


ジュリアは銀貨をポケットに仕舞い終わるとベッド脇に腰掛けたまま放心していた。


ぼくは机からベッド脇に移りジュリアの横に座った。


「え、」


黒い瞳がやや震えた。


──子供だと思って安心していたら突然奇異な行動をした。


そんなふうに警戒させてしまったか?


迂闊だったかと言い訳を考えていたら、彼女の興味はミッシェルの眼差しに向けられた。舌を出してウインナーのおねだりをするなんて、まるで子犬のようだ。


「ごめんね、後で持ってくるから。今は少し……」


ジュリアの細い手が、ぼくの小さな手を握った。


「神さまって本当にいるのかな」


そんなことを呟いた。


「神さま?」


「ヴィドックくん、カトリック信者だったんだね」


「違うよ」


「え、だってクロード神父に……」


「お姉ちゃんが困っていたからね。そう答えたほうがいいかなって」


突然ジュリアがぼくを抱きしめた。


ほんと情緒不安定な人間だな、いったい何がしたいのか皆目わからん。


「あたしの両親はね、どっちもロクでなしだったけど神さまだけには慎むクリスチャンだったの」


「プロテスタント?」


その問いにジュリアは瞳をあげて笑みを零す。


「レ・ヴォドワ」


ああ、ヴァルド派とかいうマイナーな宗派か。でも滅びたと聞いたけど違うのかな。


「お姉ちゃんは神さまを信じてないんだ」


ジュリアはぼくから視線を剥がして俯く。一瞬の静寂のあと、とつとつと語り始めた。


「母親は相手も選ばず美人局をやって殴り殺されたわ。父親はあたしを母親代わりに毎晩可愛がってくれたけどマフィアのカネを横領して海に沈められた。あたしは空腹を満たすために盗みを繰り返し、捕まって、死ぬほど殴られた。そのあとで……めちゃくちゃに……ふふっ、子供相手に何言ってんだろ」


ジュリアの手を、ぼくの方から強く握り返した。涙でぐしゃぐしゃな顔になっている。混乱する思考が視線の迷いに出ていた。ぼくを見やりながらも、どこか上の空だった。


「お姉ちゃん……いや、ジュリア。キミは間違っている」


「え、?」


「神さまは存在するよ、当然さ。けれど神さまは暇じゃない。人間のことになんてかまっていられないのさ。いったい、この世界にどれだけの人間がいると思っているんだい?」


「ヴィドックくん?」


「いいかい、人間が不幸になるのは人間自身の欲望が原因だ。悪意ある他の人間から意思を乗っ取られて、本来の意思ではない悪意によって自らを殺す。しかも、本人は乗っ取られていることに気づいていない。だからジュリア、キミのように神の存在を否定する者が現れてしまう」


「でも、何もしてくれない神様なら、居ないのと同じだよ」


「大丈夫だよ。ぼくはなんじに興味を持った。ぼくの思考は唯一絶対神ぜったいしんのオーディンさまと繋がっている。汝のこと、いまは神がちゃんと見ている」


部屋に光が降り注ぐ。ぼくの上から、そしてジュリアの上から。


優しくて、暖かくて、それから電気のように肌へビリビリと突き刺してくる。頭の上から覆いかぶさる何かの気配。ヒトではない、圧倒的な存在感を感じる──気配。


「わたし、わたしは……」


ジュリアが天へ向けて手のひらをかざす。瞳からぼろぼろ涙がこぼれ落ちていく。


ぼくの口を伝って言葉が漏れた。落ち着いた低音の、それは大人の男性の声……それは、オーディンさまの言葉だ。


──人間の女よ。汝、この世界に何を求めるのか。

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