25(`・⊝・´ ) recit : 11 神の御名において祝福を〜終わりの始まり(1)

視界を遮るほどの豪雨は街に夜明けを忘れさせるに充分だった。闇に沈んだままの家々や路面を暴力的に殴り続ける。


空間が歪むほどの滝流れは地響きを起こし石造りの建物を媒介にして響き渡る。その音は『最後の審判』を開廷する裁判官が振るう、ガベルの木音だ。


降りしきる雨の中を”ざっ、ざっ、ざっ、”とタイミングを合わせた靴が鳴る。軍靴ではないパンプスの音。


天から落ちた無数の閃光が地を照らす。水煙に隠された正体が顕になる。少女だ。まだ幼い少女の、それは軍団だった。


ここまで大粒の濃い雨を背に受けて、礼儀正しく歩いて来た黒いドレスの集団は突如一斉に──まさに、稲妻が光った瞬間に蜘蛛の子を散らしたように走り出した。


バラバラな方向に駆けても足並みは乱れず整然で規律正しい。そしてなによりも速い。右へ左へと、ある者は路地裏に入り込み、ある者は大通りに出て、黒衣にまぶした白いフリルが乱れ舞う。


濡れた地面に転げて足を滑らせても、一切構わずにただひたすらに走る。入り組んだ建物の間を縫っていた一人の少女が振り返った。


「……!」


少女の視線が何かを捉えて僅かに見開かれる。


「な……」


声をあげたのは男だ。黒衣の不審な集団を追跡していた街のだった。


少女の異質な視線に慌てて足を止めたが遅かった。次の瞬間には胸ぐらをつかまれ、そのまま壁に投げつけられた。


背中を強く打ちつけた男が苦痛に喘ぐ間もなく、再び襟首を掴まれる。凄まじい力だ。幼い少女という以前に人間の力ではなかった。


「やめろッ!」


あらくれ仲間の制止の声が道伝いに追いかけて来たが、既に遅かった。男は次の瞬間には勢いよく地面に叩きつけられた。肺の中の空気を全て押し出された身体が激しくバウンドし、その口から血泡混じりの吐瀉物が噴き出る。


だが黒衣の少女は決して手を緩めず、そのまま男を引き摺り回すようにして路地の奥へと姿を消した。


仲間たちは追いかけることをやめた。そして、冷たい雨のなか、ただ震えた。




  *  *  *  *  *  *




その日は朝から雨だった。


ぼくはフロアの掃除をしながら窓の外に広がる黒雲に溜息をつく。あの声を聞いてからからずっと降り続いている雨。


これを、どう推察すればいいのか。


昨夜、ジュリアの頭上に降り注いだ天からの声をぼくは知っていた──オーディンさまでは無かった。


しかしそれは確かに、よく知った声だった。その落ち着いた声色で、あの御方は優しく語った。


「この世界が終わるまで、お前は私のものだ」


その言葉の意味するところは一つしか無い。


そしてまた、あの御方の言うことには間違いが無いことも、ぼくはよく知っている。だからぼくは、あの御方の言葉を信じた。信じて──ただ待つことにした。


けれど、これはいったい何なのだろう?


この世界の終わりとはいったい、いつのことなのだ?


そもそも本当に終わるのだろうか?



今日は客足が少ないだろうな、と予想しながらモップをバケツに入れていると、ふいに背後で物音がした。振り向くとカウンターの向こうに細身の女が立っていた。


一瞬、何かしらの霊体かと思ったが違った。ジュリアだった。


「えっとぉ、お、おはよー」


「おはよう、お姉ちゃん」


子供らしく演じてみせる。


「変な夢見ちゃった。なんかヴィドックくんの顔を、ちゃんと見れないわ」


「えー、何それ。どんな夢を見たの?」


「ヴィドックくんが神様になって……ああ、ダメダメ。教えてあげない」


「そんなぁ、教えてよ。気になるじゃん」


なるほど、全て夢だと思っているのか。ならば好都合だ。


「夢から覚めるお咒いしてあげようか?」


「なあに?」


「キスをすると眠り姫は目を覚ますそうだよ」


「あら、オマセさんね。それだとヴィドックくんは王子様になる必要があるけど」


「やっぱり無理かぁ」


「いいよ、」と、ジュリアのほうから頬にキスをしてきた。


「これじゃあ、逆だよ。姫さま」


「ふふっ、ヴィドックくん将来いい男になりそうだから前払い」


屈託のない笑顔は、それが昨夜と同じ人間だとは思えなかった。


不思議なことに体温が上昇し暖かな気持ちになった。心拍数が上がって呼吸もやや苦しいが、危険は感じない。むしろ安らぎを感じる。キスにこんな効能があるとは初めて知った。



「あぁ、まったくなんて雨だい。食材が傷んじまうだろうッ」


勝手口でオーナー・アデールが金切り声をあげた。早々とギルドに出勤してきたようだ。


「ミッシェルはどこだい、今日は新しい芸を覚えてもらうよ」


「彼ならそこで、ご飯を食べています」


「わんッ」


その仕草、もうほとんど犬だな。人間には端から犬に見えていたが、本人もどうやら犬としての自覚が芽生えてきたようだ。


「どんな芸なの?」


ジュリアが興味津々に聴くとアデールはにんまり「火の輪くぐり」と答えた。


「燃えるリングの中を飛び越えるやつだよ。以前、サーカスに連れて行ってやったろう」


「えぇッ、ミッシェルにげてー!」


ジュリアが恐怖とも歓喜ともとれる声をあげた。


「ふふん、冗談だよ。火はつけない、火事になると困るからね。ライオンのマネはリングの中を飛び抜けるところだけさ」


まさか、アデールが冗談を言うとは驚いた。やはり人間は知れば知るほど興味深い生命体だな。



ドアの外がまた騒がしい。すぐにわかった。昨日と同じ馬の蹄と甲冑の擦れる音。違うのは雨で泥濘む地面に困惑する男たちの怒声。


──また、反乱分子の掃討か? その予想に答えるように、扉を叩く音がした。

返事をする間もなく扉は開いた。入ってきたのは鎧姿の男──シュヴァリエだった。


「全員揃ってるか?」


甲冑の騎士は扉を開けるなり、仁王立ちするオーナー・アデールに視線を投げるとうんざりした顔で問うた。


「今日は何だい!」


アデールがすぐに怒鳴り返した。ドアを開けたシュヴァリエは一瞬怯んだが「クロード神父ッ」と後ろの爬虫類を呼んだ。


「このギルドには魔女がいるッ!」


濡れたマント姿のままクロード神父は叫んだ。


「何だって!?」


アデールはすぐに反論する。


「そんなもん、どこにいるって言うんだい! さっさと連れておいでよ!」


「そこにいるのだ!」


クロード神父がジュリアを指した。


「その女は魔女だ、裁判にかけるべきだ!」


そう指摘するクロード神父の目は怒りに震えていた。忌々しいものを見る鋭い視線でジュリアを突き刺す。


「わ、わたしは魔女なんかじゃないわ」


狼狽するジュリアに、なおも掴みかかるような口調で怒鳴る。


「この女は神を愚弄する異端者だ。昨夜の行為ですべてわかった」


深夜に男と女が、教会の中とはいえ二人っきりで過ごしたのだ。何があったのかと問わなくても推察出来るだろう。


おおかたクロード神父がジュリアに小馬鹿にされたか、拒否されたか、いずれにせよ相手にされなかった。そんな逆恨みで「魔女」だと言い掛かりをつけられているわけだ。


「ふん、実にくだらない」


「ふざけるな!」


アデールが一喝した。


「ここは教会じゃないよ! あたしたちの家だよ! あんたたちみたいな下衆どもに踏み荒らされる謂れはないね!」


「ならば、力ずくで裁判所へ連れていくぞ!」


「上等じゃないか」


アデールはそう言い捨てると踵を返す。


「とにかく両人とも落ち着いてくれ。裁判をやればわかることだろう」


それまで黙ってやり取りを聞いていたシュヴァリエが口を挟んだ。


「何言ってんだい。ジュリアは、あたしが巴里で見つけてきた。あたしが間違いない子だって確信したんだ。それを疑うのかい?」


「そうじゃない、オーナー・アデール。あなたの人を見る目に間違いは無い。だからこそだ、神父だけじゃなく、皆の不安を取り除いて欲しいんだ。裁判をやって魔女ではないとわかれば元の平穏な生活に戻れる」



この街の人達は、自分たちに害をなすものを魔女だと決めつけることで不安を誤魔化しているだけなんじゃないか?


ただ怯えて暮らしていくなんて耐えられないから、理由をつけてをでっち上げるで自分を安心させている。


それで武装したがゲートに立ち、街中を肩で風切る不埒者が跋扈しても「悪い者を懲らしめてくれる」と容認しているのか。



つまりだ……


の裁判なんざ意味無いよ。人間が水の中に何時間も沈んで生きていられるわけがない。あたしはね、魔女裁判ってのが裁判だって知ってる。大切なジュリアを殺させるもんか!」


アデールがジュリアを抱き留めようと手を伸ばしたとき、シュヴァリエの部下たちがそれを遮った。分厚い甲冑で体当たりしたのだ。アデールの身体は勢いよく壁に叩きつけられた。


シュヴァリエが「やりすぎだ、気をつけろ」と怒鳴るがアデールは立っていられず、そのままうずくまった。鼻血と軽い脳震盪が襲っているようだ。視界も定まらないのか自分の顔の前にかざされた手を見つめている。


「離して、いやッ!」


ジュリアは騎士たち数人から取り押さえられた。

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