4(ΦωΦ) episode:3 刺激的な生活──レディズメイドとしてのはじまり
なんと可愛らしいのだろう。
それがお嬢様に対する第一印象だ。
総革張りのモダンソファーにちょこんと座るキュートなお人形さんは、ソファーと同じ
そのまま抱きしめてしまいたいほど小柄な肩幅。
幼女然とした丸顔にぷっくりした唇。
それでいて黒くて長いまつげに覆われた瞳は切れ長で涼やかな風貌を纏う。
清楚さと、黒衣から醸し出される僅かな妖艶さ。
「美少女だ、本物の美少女だ」
おもわず口から出た言葉に「はっ」として手で押さえたが恥ずかしさが
逃げ出したい。
「元気そうね」
お人形さまが、お声を発せられた。
意外だ。
透き通るような、天使のような、心が洗われるような、澄んだ美しい声だ。
容姿から想像した甲高い幼女声でも、変にくぐもった声変わり間もない少女声でもなく、大人びた軽やかな声に心が支配されそう。
そしてコゼットに向きなおり「随分と早く見つけたのね」と声をかけた。
平身低頭で動かないコゼットへ「もっと近くへおいで」とばかり手招きをする。
真珠の肌をした端正な美女だったはずのコゼットが、まるで新人ダメッ子メイドのように、お嬢様から頭を撫でられる姿に唖然とした。白い肌も高揚し真っ赤だ。
身長も高くて、舞台にあがれば断然男役だろうカッコイイ容姿なのに、いまは床へ膝をつき、目を瞑り、小さなお嬢様から「良い子良い子」と頭を撫でられている――これまでの硬派は……どこいった?
「セリシア」
突然、お嬢様がわたしの名を呼ばれた。
「は、はいッ!」
「おいで」
「はぁ、はいぃ?」
「お嬢様の指示には即応しろ」
硬派が戻った。
直立不動の端正な立ち姿が、つい先ほどまでのダメッ子と同一人物とは、この屋敷の不可思議さに戸惑う。
「返事ッ!」
「はいッ!」
コゼットの厳しい口調にせき立てられるように、わたしはお嬢様の前へ歩み寄る。
「その場で
再び硬派が叱ってくる。
わたしは、日曜日の礼拝堂でやるように床へ膝をつきお嬢様へ頭を垂れた。
「ほんと、楽しい子ね」
お嬢様は笑っておられる。少し安心した……のも、つかの間。
「口を開いて舌を出しなさい」
お嬢様のおっしゃる意味がわからずコゼットを見上げる。
「そのままの意味だ。早くしろ」
……くちをひらいて、した?
べーっ、と舌を出したとき、お嬢様の顔が急接近してきた。
反射的に仰け反り、頭から後ろに転ぶ。
「きゃっ……い、いたぁーい」
後頭部を床にぶつけて痛みにうずくまる。
「何をふざけているッ!」
案の定コゼットが怒鳴る。
ひっくり返って仰向け状態のわたしに、お嬢様の方からお近づきになられて手を伸ばされた。
笑顔だ。
まさに天使の笑顔……あ、でも手のひらをわたしの手のひらと重ね、指を絡めてこられた。
「あ、あのぉ、お嬢様?」
仰向けのわたしに、お嬢様が覆い被さる。両方の手のひらを重ねたまま。
「お顔が近いですぅ」
「セリシア、舌を出しなさい」
「……え、えっとぉ、ど、どういう」
「雇い主として、そしてわたくしの友人として、あなたに刻まれた記録を確認したいの」
柔らかそうな唇から発せられる言葉には吐息が混じる。幼子とは思えない妖艶さを感じた。
可愛らしい妹だとおもったら、頼もしくて美しくて……えっちな姉だった。
そんな印象の急変で頭の思考が追いつかない。
わたしは、何をされようと、している?
「お嬢様の仰せに従え、セリシア」
コゼットが仏頂面でこちらを見下ろしているのが視界の端っこに確認出来る。
ここで力任せに「わたしはそんな趣味なーいッ」と押し返して逃げ出すことは可能だろう。
追ってくるだろうか、たぶん諦めてくれるとおもう。
お嬢様は外国人だし、巴里で、巴里人のわたしを拉致なんてしないだろうから。
でも……そんなことはしたくない。何故だろう。たぶん、そういう行為はお嬢様を悲しませる……悲しませる?
悲しませる?
それは自業自得ではないだろうか。
メイドとして雇うからと連れてこられて、今、会ったばかりなのに突然押し倒されて……いや、倒れたのはわたしだけど、でも、貴族だからと中世じゃあるまいし……そもそも、まだ正式に主従関係は結んでない。
「女の子同士だからって、いえ、女の子同士だから、こういうことはしてはいけないと思います」
思わず口をついて出た抗議。
「セリシア、なにか勘違いしているのかしら?」
「え、でもでも」
「言ったでしょ。あなたの、これまでを知りたいの」
ひょっとしたら、お嬢様の
キスと同じ意味?
だとしたら、受けないと失礼なのか。
え、でも、本当にそうなの。わたし騙されてない?
あきらめて舌を出した。
重ね合わせた両手のひらに体重がかかる。肘がゆっくり曲がり、お嬢様の小さな躰がわたしの胸元に重なる。
恥ずかしさで目を固く閉じたが、お嬢様の柔らかな温かみが急接近するのがわかった。
ねっとりした唾液と吐息が混じり合う。
お嬢様の愛くるしい舌が、わたしの舌を押し込んで口内へねじ込まれる。
揺れる髪からこぼれ落ちる薔薇の香水と石鹸の香りが鼻をくすぐる。
それは湿度を伴った隠微な熱気。
何か得体の知れない、何かが、舌を通じてわたしの躰に侵入してくる。
唇を離したほうがいい……と、わずかな抵抗はわずかなまま終わる。
むしろ、わたしのほうから積極的にお嬢様の小さな舌へと重圧をかけた。
本能が肉欲を欲した。
お嬢様は可愛らしくて、とろけそうなほど甘くて、ああ食べてしまいたい……わたしは──今、何をしているんだ?
女の子とこんな行為したことなんてない。
もちろん男の子とだってない。
厳格な家庭ではなかったが父は司法書士というお堅い仕事をしていたし、母も毎日知り合いの花屋で真面目に働いていた。
一番上の兄は父の仕事を手伝い、二番目の兄は図書館で司書をやりながら大学で研究を続けている。
妹はわたしだけで、だから兄ふたりからは大切にしてもらった。
働き者の家庭で唯一の例外。
それがわたしだ。
「セリシアは将来何になるのかな?」
母は幼いわたしに聞いていた。
「お花屋さん」
母に媚びて、そう答える日もあったし、
「パン屋さん」
母に反発して、そう答える日もあった。
「わたし、
物心ついた頃には、現実的な将来設計を語っていた。
母は喜んでくれたし、父やふたりの兄も「がんばれ」と言ってくれた。だから、わたしは医学アカデミーを目指して一生懸命勉強した。
けれど成績はふるわず、コレージュの順位はいつも欠点ギリギリだった。
医療従事者への夢は叶いそうにない。
アカデミーへの進学はあきらめて職業訓練を受けるためリセへ願書を出すことにした。
母は笑顔で「元気に働けるなら、それが一番なのよ」と勇気づけてくれた。
「お母さん、ごめんなさい」
リセでの職業訓練まで蹴って、わたしはコメディ・フランセーズの研修生へ応募した。
「女優になりたいの!」
予想に反して母も父や兄たちも「おまえが決めたことなら応援するよ」と笑顔で送り出してくれた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
わたしは女優になれない。
落ちこぼれで、わがままで、夢ばかり語って何一つ実現しない。
わたしを必要としてくれる人なんていなかった。
この世界のどこにも、わたしが立つ舞台なんて存在しなかった……何のために生きてきたのか、それさえ理解出来ない無能です。
固く閉じたはずのまぶたから涙が溢れてきた。
「こんなはずじゃ、なかったのに」
気づけば躰を震わせながら
解いた手のひらをお嬢様の背中にまわしていた。小さいはずのお嬢様の背中が、なぜか立派におもえた。
お嬢様もわたしの背に手をまわして「ここまで、よくたどり着いたね」と言ってくださった。
「……たどりついた?」
「セリーナ=シュリーマティ=ラム=ジャイン。あなたはここへ来るために、この日のために生きていたのよ。わたくし
すべてを知られた。そんな気がした。
「お嬢様」
「あなたを正式に直属の侍女──レディズメイドとして採用します。あなたの人生は、今、ここから始まるの」
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